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愛原様のたわごと(06年09月08日)




愛原「今週はとある慶事イベントが発生して、殆どのマスコミがその話題を大きく取り上げていた。」

逆沢「な、何なのよ!? その訳分からない話の切り出し方は??」

愛原「帝王切開によるご出産なんだし、手術も滞りなく成功に終わった訳だから、別に予定外の出来事でもないだろうに、にも関わらず、マスコミの中には新聞に載らない特番をやったり、号外新聞を配布しまわる所もみられた。」

鼎「まー、風物詩と思ったらいいんじゃないかなー? 私、そういうお祭りイベントは大好きだよ!」

愛原「で、作者は昨日、そんな状況の中、阪神巨人戦のナイター中継があったので、ほっと肩をなでおろして、それに観入ったそうだ。」

逆沢「・・・オチがさっぱり分からないんだけど??」

愛原「で、その慶事の取り上げ方だが、NHKなどでよく見られる硬派のニュース番組と、ワイドショーや特番では、当然ながら切り込み方や演出方法が大きく異なるだろう?」

鼎「ワイドショーは、ワイドという言葉通りのせいかどうか分からないけど、すごく大げさに取り上げるよね!」

逆沢「ほんのささいな不祥事でも、大げさに取り上げ徹底的に叩きまくるし、有名人の冠婚葬祭や慶事なんかも、わざとらしいくらい大げさに報道してくれるもんね。」

愛原「小さな事を大げさに取り上げるには、どういう手法を使えば良いと思う?」

鼎「ワイドショーのレポーターとかはよく、【何と!!】とか【衝撃の真実が!!】とか【独占インタビューに成功しました!!】とか【秘められた闇に迫る!!】とか、北○鮮の某アナに負けないくらいの激しい口調で、いかにも大仰そうな語り口で報道するけど、そういうのも一つのテクニックかなぁ? 【驚くべき】とか【驚愕の】とかそんな煽り文句みたいな表現もよく聞くよね。」

逆沢「コメンテーターも、祝い事ならくさいぐらいの祝辞を述べるし、不祥事ごとならこれでもかというくらい叩くコメントをするし、彼らは自分の意思で本音を言ってるんじゃなくて、番組が望む方向性を確定付ける為にいるのかも知れないわね。」

鼎「とすると報道特番とかの中には、もしかしたら中立の視点で語られているのではなくて、特定のベクトルに影響を与えるような意図を持って製作されているものもあるのかなぁ?」

愛原「視聴者に特定のベクトルをもった印象を与えるのに最も効果的な手段として、BGMという要素があるのを知ってるか?」

鼎「あー、それがもしかして今回のテーマ??」

逆沢「随分と異常な枕から入ってくれたわね。」

愛原「BGMの影響力を、みくびってはいけない。いわゆる硬派のニュース番組はBGMなんかに頼らず、ニュースキャスターの口から出る内容も当人の主観の入らない、悪く言えば事務的な程の要点に絞った内容となる。逆にワイドショーまがいの報道特集なんかでは、BGMなども駆使しながら、喜び、悲しみ、怒り、恐れや不安など、様々な印象を前提として植えつけてくる。特定の個人のキャスターやコメンテーターを非難する人がよくいるが、そんな人がいようといまいと、実は番組の最も基礎的な部分で、既に前提となる印象が決定付けられているものが多いのが真相だ。」

逆沢「皇族関連の特集番組と、北○鮮関連の特集番組では、確かに前提となるBGM自体が全然違う事が多いけど、確かに両者のBGMを入れ替え続けてたら、それだけでも影響は変わってくるかもね。」

愛原「BGMがどれだけ大きい影響力を与えるかは、音声抜きでいくつかのゲームをやってたらすぐ分かるぞ。」

逆沢「時間制限のあるアクションゲームやパズルゲームで、残り時間が少なくなった時に、BGMが早いものに変わると、それだけで余計あせらされる事は、確かにあるもんね。」

鼎「私、ヘッドホンつけて別の音楽聴きながらゲームやってると、いつもと違う感覚を感じた事があるよ。」

逆沢「それだけにBGMの選曲や指定を間違えると、大変よね。」

愛原「フリゲの場合は、市販ゲームではありえない程に、やたらめったら多くのBGMを使っているゲームも割とみられるけどな。」

逆沢「市販ゲームの場合は、自前でBGMも作成するのが普通だから、ある程度以上の大作でもない限りは20曲くらいが限界っぽい気はするわね。」

愛原「ウチも人の事はいえる程ではないが、BGMとしては、全部で19曲使用している。もっとも3曲はゲームクリア時などに使用される、いわゆるテロップ音なので、純粋なBGMとしては16曲だな。」

鼎「自作BGMは、その内0曲でーす!」

愛原「・・・悪かったな。でもウチの規模で19曲なら、むしろ少ない方だと思うぞ。もっとも重要なのは曲の多寡ではなく、使い方だとも思うが・・・」

鼎「理想なのは、BGMを聞くだけでシーンや展開が想像できる使い方よね。」

逆沢「アニメでもゲームでもそうだけど、BGMを聞くだけで【あー、これはあの作品だ】とか、【あー、いよいよアイツが登場か】とか、【これはかつてない苦戦になりそうだ】とか、そういうのが分かるくらいになればさすがと思うわね。」

愛原「たとえフリー音源のみのBGMで構成されたフリゲでも、BGMを聞くだけで、そのフリゲが思い出されるものもある。そんな段階まで浸透させる事ができれば、そのBGMの選択はこれ以上ない程の大成功だと言ってよい。」

鼎「市販のゲームでも、殆どBGMが記憶に残らないのも多いけど、そういうのは何かが足りないのかな?」

愛原「そいつは分からん。だがゲームは音楽を楽しむ事がメインではないから、そのゲームのシナリオなりアクションなりに引き込まれた結果、音楽が印象に残らなくなるなら、それは悪くないと思う。ただ一般には、印象に残るシーンに重なる形でBGMもイメージされている事は多いと思うけどな。」

逆沢「ウチの場合は、勢力別にテーマ曲を配分している形式を採っているわね。」

鼎「よくあるRPG系のフリゲでは、シーン別でテーマ曲を配分しているタイプが多いと思うけど、その点ではちょっとだけ違うよね。」

愛原「そうだな。悲しい場面で悲しい系のBGM、熱血シーンで熱血系のBGM、試練の時にそれっぽいBGMといった使い方の方が、大抵はメインだよな。ウチの場合は、そういう使い方は殆どせず、黒藤軍が主体の時は黒藤軍のBGMといった使い方を徹底させてある。そして曲数もできるだけ絞ってある。これは反復効果による印象づけを狙った演出方法でもある。」

鼎「ほえっ? 反復効果??」

愛原「何度も繰り返して同じBGMを使う事で、BGMを聞くだけで状況が分かりやすくする狙いと、特定の勢力と特定のBGMをきっちり連結させる事で、勢力自体のイメージを決定づける狙いが込められている。例えば愛原軍のテーマ曲は、どんな真面目なシーンでもどんな切迫したシーンでも常にあの曲だが、それを使用する事で、愛原軍自体のイメージがのんきっぽくなるように仕向けたつもりだ。大神軍や黒藤軍のテーマ曲に関しては、個人的にもいい選曲だったと思うが、これは感想を聞いてみない事には分からない。」

逆沢「何度も同じBGMを使うってやり方は、30曲も40曲も使用されるタイプのフリゲでは、あまり見られないパターンよね。」

愛原「たくさんの曲を使用するメリットとしては、飽きを回避しやすくなる効果がある。ウチの場合は、越中攻防戦や蝦夷での最終決戦などで普段あまり使わないBGMを使用する事で、その手の問題に少しだけ手を入れたつもりだが・・・」

鼎「越中攻防戦のテーマ曲は、そのまま寺島将軍のテーマ曲扱いでもあるよね。」

愛原「越中といえば寺島。寺島といえばまず越中だ。ともかくBGMの重要性が分かっただろう?」

逆沢「うまく使えば、シーンを盛り上げる素晴らしい効用があるって事ね。でも【BGMが無かったら、ただの退屈なゲーム】って事にならないようにはしたいわよね。」

愛原「それを言うなよ・・・。BGMの一切ないアニメなんかも、相当むごいのが現実だぞ。プロが作った作品でもそうなんだから、それくらいは大目に見てくれ。むしろBGMとゲーム本体がうまくマッチした場面の一つでもあれば、そこを評価してやってくれ。BGMに振り回されるゲームではなく、BGMを巧みに選択・配置したゲームと言われるような作品ならぱ最高だ。」

鼎「でも報道系の特番やワイドショーのBGMの使い方は、少し反則だと思うけどなー。公平・中立を装っていながら、BGMで先にイメージづけするのはズルだと思うよん!」

愛原「ウチのゲームでは、黒藤軍領の住民が最も政治家やマスコミのプロパガンダによって煽動されやすい性質を持っているが、日本国民はより冷静である事を願うのみだな。日本のマスコミは基本的にウソだけはつかないから(誤報はマスコミにとってしばしば大ダメージになるので、彼らは決して故意にウソだけは混ぜようとしません。週刊誌などでもそうですが、もしもいい加減なソースをもって特定個人や団体を批判したりすると、裁判で訴えられたりして大変な事になります)、情報をきちんと処理できる人間ならば、マスコミの存在はやはり有り難い存在のはずなのだ。」

逆沢「マスコミすら政府によって監視されてる国と比べれば、ずっといいわね。」

鼎「あ○しは、国営放送に対して検閲しようとしたらしいけど、もしもあの人に今以上の権力を与えたとしたら、どうなっちゃうのかなぁ?」

愛原「それは今回のテーマと関係ない。という訳で今回はこれで終わり。」







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