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愛原様のたわごと(08年5月24日)




愛原「今週も震災ネタだ。」

鼎「まだ前の更新から1週間しか経ってないのに、今回は早いんだね。」

逆沢「新作できたか?」

愛原「いきなり痛いところを突くな。とりあえず基本骨格は8割できた。残る山場は楽しい楽しい肉付けと、痛みを伴うスリム化の調整だな。」

逆沢「楽しい楽しいイベント作りってやつね。イベント作りに苦痛を感じる作者さんもいるそうだけど。」

愛原「ここの作者は、イベント作りがしたくてゲーム作ってるからな。」

鼎「痛みを伴うスリム化って何?」

愛原「そのままだと、作者のPCのスペックが低いからか、いろいろ動作が鈍くなりがちらしい。よって動作を軽くする為に骨格からスリム化をせねばならないとの苦渋の政治判断らしい。付け足す方が好きな作者にとって、切り捨てる作業は激しく苦痛を伴うとの事だ。7lcw+2は、限られた狭い敷地の中でどれだけの増築を成し遂げられるかが課題だったが、今度は逆。今の国家財政や地方財政じゃないが、限りある予算の中でやっていくために、無理矢理にでも優先順位を決めて、より不要な事業を切り捨てなくてはならない感じで、本当に苦痛そのものではある。」

鼎「改革には痛みが伴うんだね。」

逆沢「ってか、何で政治判断なのよ?」

愛原「気にするな。まぁ人間というのは、より便利になる方向、より自由になる方向には努力しやすいが、不便・不自由になる方向への転換を余儀なくされると、本当に後ろ向きになりがちだという事を改めて切に感じるものだな。」

鼎「財政問題もそうだけど、環境問題もある意味そうだね。」

逆沢「ってか、しょうもないゲーム作りごときで、そんな事、考えんなって!」

鼎「そう言えば、震災の方も、生死に直接的に関わる瓦礫などからの救出作業から、食糧や医療の整備をメインにした第二段階に入ったんだね。」

愛原「うむ。しかし日本人は本当に震災を教訓にしてないと思ったな。いや、無論、専門の救助部隊などはよくやってるが、何というか一般国民の民度が低すぎる。マスコミも含めて。」

鼎「ほえっ? そうなの?」

愛原「うむ。例えば、被災者が求める報道は、交通情報とか身内の生死も含めた所在の情報、あるいはどこに安全な施設があるのか、あるいはどこが危険なのか、どこに必要な食糧や物資があるのか、どう役所などに有用な事項を申請すれば良いのかなど。被災者はラジオなどを通じて、これらを必死で探すわけだが、日本のマスコミの多くは、そんな情報はほとんど流さず、いつも東京などにいる傍観者視点で報道ばかりする。別に被災者は、お涙ちょうだいシーンを撮って欲しい訳でもなければ、国の幹部が訪れたとか、そんな情報などはどうでもいいのに・・・。」

鼎「中国の被災者は、日本のテレビは視ないから関係ないよ。」

逆沢「もっとも新潟とかの地震でも同じ傾向だったけどね。あと中国国内では、政府はこんなに頑張って対応してますよ的な報道が多いらしいわね。」

愛原「あと日本が学んでいない事の一つに、外国が支援を希望してきた際に、受け入れ先がどう反応するかへの配慮が全くない事があげられる。日本政府は政府で、何とかおいしい所を持っていって必死で日本の貢献をアピールしようと必死だし、一般国民レベルでも反中寄りの思想の者を中心に、中国側の対応をあれこれ叩く人が多いが、相手側の立場が全く理解できていない。」

逆沢「まぁ言葉も通じなければ、風習も違う外国の人間にどやどや押し入られても、ありがた迷惑になりがちってのはあるかな?」

愛原「阪神大震災でもそうだったが、たとえ同じ日本人のボランティアであっても、無秩序に被災地に入られては混乱の材料になりかねないからな。新潟の大震災でも、無秩序に物資を送り込まれたせいで被災地のスタッフがかえって負担増になって、支援物資の受け入れの中止を決定した事もあったが、正直、送ってくれる方は善意であっても、受け入れる方にとってはゴミにしかならん事も多いのだ。腐りやすい食べ物は論外だし、古着とかも雑巾以下の使い道にしかならないケースが実は多い。まぁ日本の災害救助隊や救急部隊の性能に関しては無問題だろうが、受け入れる側には受け入れる側のプランがあるので、よそ者の外国勢に勝手に押しつけられても困る事はある。」

鼎「外国からのお客様にもしもの事があると大変とかの問題もあるのかなぁ?」

逆沢「中国嫌いの日本人も多いけど、日本嫌いの中国人もかなり多いから、そうでなくても大変な心理状況に置かれている被災者と日本の部隊とが、ちょっとした誤解や不信がきっかけで、暴力事件とかになったら大変という事もあるかもね。」

愛原「日本人同士でも、八つ当たりする奴はどこでもいるからな。まぁ言葉も容易に通じない相手と、喫緊の状況で意思疎通をしたり、ましてや信頼関係を築くのは簡単じゃない。まぁ実際問題として、実は阪神大震災でも、外国から支援部隊を派遣したい旨の話はあったのだが、結局、日本は彼らの積極的な受け入れはしなかった。前述の通り、もしもの事があったら大変だしな。あと軍隊と同じで、こういう場では指揮系統が混乱するような事があってはならないので、日本の支援部隊は当然、中国の指揮下で働く事になる訳だが、この辺の理屈が分かっていない日本人も多いような感じを受けた。」

逆沢「まぁ日本人の側からしたら、もっと俺達を信頼して速やかに最前線に配置させろよとか、中国政府の意向なんか無視して好き勝手に最前線に向かえば良かったのにとかいう意見もありそうだけどね。」

鼎「でも中国側には中国側の論理もあるって事だよね。」

愛原「日本政府が勝手に【この部隊は○○に強いから、△△に配置してくれ】といっても、中国側もそこまで日本の都合に合わせられないからな。身も蓋もないことを言えば、被災国が外国に一番にお願いしたいのは、おそらくカネ。発展途上国であればあるほど、その傾向は強くなる。」

逆沢「そういえば、ミャンマーのサイクロンでも、国連が押し売り同然の形で支援部隊を受け入れろと圧力をかけ続けてたわね。」

愛原「天災を利用した、明らかな軍事(諜報・広報)戦略の一環だな。ちなみにアメリカがハリケーンで大被害を受けても、義援金の受け入れ以外を決してしなかったように、普通の国は基本的に政府の息のかかった外国人部隊の国内侵入は嫌がるのが普通だ。最近ではインドネシアでも大津波があったように、大災害自体はどこにでもあるが、なぜインドネシアやアメリカ相手には派手になかった災害部隊の派遣要請が、ミャンマーに限ってこういう押し売り同然で起こるのか、少し考える余地はあるかも知れん。」

逆沢「ミャンマーは、国連を含めて、特に警戒されている国だから、なおさらその傾向があるのかな?」

愛原「とまぁ今回、かなりひねくれた視点で震災を語らせていただいている訳であるが、そろそろ今回のテーマに移りたいと思う。今回のテーマは【知恵者】だ。」

鼎「また話がつながらなくなったよ。何で【知恵者】がテーマなの?」

愛原「それも最後に分かる。まぁ話は戻して、例えばウチのゲームに登場する有数の知恵者の中に黒藤がいる訳だが、その黒藤が特に気を配っている思想に以下のようなのがある。【思いやりのない者は知恵者にはなれない。過去に知将と呼ばれた者の多くは意外と人心をつかんでいた。】というものだ。」

逆沢「思いやりなんて、黒藤には絶対に似合わない言葉だと思うけどね。」

愛原「黒藤の言い分としては続きがある。簡単にまとめれば、相手の心を読めない者、相手の心理を洞察できない者が、相手の裏をかく事などできないという事であり、詐欺師はいかにも信頼できそうな顔をして近づいてくるという事だ。」

逆沢「確かに、いかにも貴方をだましますみたいな顔や口調で近づいてくる一流の詐欺師は、現実にはありえないわね。」

鼎「ある意味、善意の人以上に善意に見えないと、詐欺師は務まらないと思うよ。」

愛原「そうなのだ。ましてや相手の心理を読むには、相手の立場になって考えられる視点が必要だ。冷酷にも色々あるが、相手の立場を洞察できない人間が、相手に対して害意をもったとしても、それはただの残虐性にしかならない。まぁ自分の方が立場が上(あるいはそう思いこんでいる)なら、擬似的な意味で知恵者ぶることは可能だが。」

鼎「どんな風に?」

愛原「例えば、嫌なおしゅうとめさんが、何かにつけて嫁いびりをするシーンとかがあるだろう。窓のさんが汚れているとか、気がつかないとか難癖つけて。そういうパワーハラスメントにかこつけた悪知恵くらいは、大抵の者は思いつく。しかしどんなにその手の悪知恵が働いたところで、いびっている方が知的で、いびられている方が愚鈍という事は意味しない。嫌な上司や先輩による下っ端いじめも同様で、要するに地位を利用したハラスメントでしかない。知的な発想で相手を思い通りにしているのではなく、極端な事をいえば【大量破壊兵器を保有している疑いがある】的な無茶な言いがかりでこじつけて、相手をいびっているだけで、理由に正当な根拠などないからだ。むしろ知恵者を自称するなら、自分と対等、もしくは自分以上の力を持つ相手を手玉にとるくらいでありたい。」

逆沢「地力不足を知力で補うって感じね。」

愛原「そう。元々、力がある者が力を背景に相手を言いなりにするのは【圧力】でしかない。力がある者が力を背景に相手をいたぶるのは【残虐】でしかない。それは知恵者であるかどうかとは関係ない。」


鼎「知恵者であるというのは、要するにどういう事なのかなぁ?」

愛原「これは色んな解釈があるな。まぁ今回のテーマに即していえば、学者は必ずしも知恵者ではない。いくら殺傷能力の高いサリンを製造する技術を持っていても、それは技術者でしかない。今回テーマでいえば、あくまで社会的・対人的に見て、しかも自分の地位の高さを背景にしたものではなく、それ以外の手段をもって相手を出し抜く、あるいは相手にハメられないようにする・・・そういう事ができる人を差すのだと思う。」

鼎「黒藤さんのいう所の思いやりとは、そういう視点だったんだね。」

愛原「社会的に見ても科学的にみても、同じ事が起きているのに同じ結果が起きなければ、そこには何らかの問題がある事が多い。そういう事を見抜く視点も必要だ。今回の例で言えば、同じ天災でも、なぜこうも各国の反応が千差万別なのか? ミャンマーに対する諸外国の救援活動とかを、ただの善意のみで構成されているなんて思わない方がいい。なぜアメリカでハリケーンが起きれば諸外国はカネを主体にアメリカに提供し、なぜミャンマーではカネ主体ではなく部隊なのか? そういう同じ事が起きても、違う展開が起きている時、違和感を感じ取れるかどうか。」

逆沢「違和感を感じたところで、何もできないことが多いのが実情だけどね。」

愛原「それでも多少なりとも知った上で判断する事と、そうでない事の差は大きい。たとえばなぜイラクは大量破壊兵器を保有している疑いだけで攻められたのに、より濃厚な疑いがあるイスラエルは無問題なのかとか。これを可哀想なユダヤ人とか、野蛮なパレスチナ人とか、正義のアメリカ陣営とか、悪の共産陣営とか、そんな誰かがしくんだようなイメージだけで納得してしまうのは、好ましくないという事だ。【自分の思想が絶対正しく、また最も賢明である】と思いこむのは個人の自由だが、それが客観的に見て事実かどうかは全く別問題だからな。」

鼎「何かで、自分が人間だと信じ込んでいる人造ロボットが、ロボットに対して蔑視感情をもったりするシーンとかあったような気がするけど、自分が知的と思いこんでいるのと、実際に知的なのはちょっと違うって事かな?」

愛原「有名な哲学者の言葉で【無知の知】というのがあるが、賢者は基本的に万事に懐疑的なものだ。自分が絶対に正しいとか思いこんでいる人間ほど、実は他人に吹き込まれて踊らされているだけの事は珍しくない。本人は正義のヒーロー気取りかもしれないが、他人から見れば狂信徒でしかなく、信じ込ませた黒幕からすれば駒以下の哀れなピエロだ。」

逆沢「ま、普通の人間は、好きなものに対しては信用しやすく、嫌いなものに対しては懐疑的になりがちだけど、つまり好きという感情よりは、嫌いという感情の方が冷静になれるという事なのかな?」

愛原「疑うことと嫌う事は少し次元が違う。嫌いという感情は、【坊主憎くけりゃ、袈裟まで憎し】のことわざにもある通り、ただの全否定につながりかねない。つまり疑うのではなく、否定形で断定する事にもなりかねず、それは狂信徒を裏面から見たものでしかない。好きという感情はたとえ盲目さを伴っても友好的な側面をもつ分は救われるが、嫌いという感情は、盲目に相手に対して攻撃や排除する姿勢にも直結しやすいので、実はよりタチが悪い。」

鼎「好きの境地は信頼形の断定。嫌いの境地は否定形の断定。疑いを持つ事はそれらとは少し違う次元なんだね。」

愛原「まぁ冷静に判断した結果、相手に好感を持つことやその逆は当然ありうる。というか、全ての行いに対して無関心というか、信賞必罰を怠るような社会、怒るべき時に怒らない、償わせるべき相手に償わせられない社会というのは大問題だ。むしろ問題は、その内容と対処の方だな。武内に言わせれば、最もヤバいのは、油断と諦め。特に油断は要注意で、何の根拠もなく相手を見下すようになると、【私の作戦は完璧だったはず!】とか【奴ごときに破られるなどありえないはず?!】とか言って、みじめに敗れ去る悪の幹部みたいな事になる。また逆に諦めも、最善を尽くすという努力を放棄しやすい感情であり、やはり敗北につながりやすい。」

鼎「でも今の日本人の中には、強い相手への諦めと、嫌いな相手への見下しみたいなのが、結構ありそうな気もするね。」

愛原「武内に限らず、指導者の立場としては、下々の多くがそういう思想だと前途多難だな。諦めも見下しも、努力という概念とは、ある意味正反対に位置する感情だからな。スポーツの世界では、自分より上位の相手に対する研究も怠らず、下位の相手にも油断せずといった姿勢で、持てる力をできるだけフルで発揮できるようにするのが普通だが。」


逆沢「【敵を知り、己を知れば、百戦すれども危うからず】って言葉があるけど、まさにそんな感じね。」

愛原「今回で言う所の知恵者は、必ずしも技術者やアイデアマンとイコールではない。技術力やアイデアは己のセンスや才覚・知識などで出るものだが、ある意味では主観的な発想である。一方、知恵者に要求されるのは客観の発想だ。ちなみに今回の震災に対する日本の対応で気になったことは、万事に主観であった事。確かに第一段階での人命救助や最前線での緊急医療に日本の技術は秀でているかも知れないが、それは必ずしも中国側の望んだ対応ではなかった訳だし、今回、指揮権が中国にある以上、中国が日本に求めているのは何かをもう少し配慮しても良かったと思う。これは中国に対して下手に出ろという意味ではなく、阪神大震災などで自国が体験・対応してきた事を想像できれば、十分予測できた範囲だろうにという意味を込めての事だ。」

逆沢「まぁ中国政府も日本政府も、被災者の視点第一ではなく、自国の政府の人気取りとか、外交上の配慮とかを第一に考えてる感じはあるからねぇー。」

鼎「北狄編で被爆後の駿河を何度も訪問すると、甑さんとかが復興支援のお手伝いをするイベントが発生して、パフォーマンスがどうこうという話があったと思うけど、本当に今回の日中両政府の対応は、被災者よりも自国のマスコミに向けたパフォーマンスがメインのような気がしてちょっとガックリかなぁ。」

逆沢「でも日中両政府よりももっとタチが悪い奴は、震災の不手際にかこつけて、いちゃもんみたいな形で日本政府叩きや中国政府叩きをしている人かもね?」

愛原「・・・・それは俺の事か? 言っておくが俺は、ライン的に微妙だが今のところは反中でもなければ反福田でもないぞ。言いたい事ははっきり言うし、批判もしっかりさせてもらうが、叩く燃料として震災まで使うようなタチの悪い事は絶対にせんぞ。」

鼎「でも情報統制がむごい戦前とかと違って、今は情報がいっぱいあふれているのに、何で客観的になるのは難しいのかなぁ?」

逆沢「中国の情報統制がまだまだ根強いのはよく知られてるけど、日本人の中にも似たような思考の人はいるし、この辺がちょっと分からないんだけどね。」

愛原「中国政府がいくら規制を加えようとしても、それでどうにかなる程、中国人は従順じゃない。ある意味、彼らは日本人よりもずっとワイルドで政府を斜めから見ている人間も多いぞ。むしろファシズムの歴史を引きずる日本人の方が、危険な一面もある。日本人は全面賞賛と全否定の両極端に走りやすい傾向が強い。また出る杭を打つというか、空気を読みすぎるというか、多数派に迎合しやすい傾向がある為、天秤が特定の方向に偏ると、傾いた天秤を直す方向ではなく、逆にどんどん重くなった側に追従して、天秤そのものを倒してしまい易い傾向があるように思える。」

鼎「情報量が増えれば、判断要素が増えて、みんなの知的レベルや民度が上がるという事にはならないのかなぁ?」

愛原「無論、それは正論だ。但し、人間が処理できる情報量は限られているし、あと情報にもパワーがあって、強い発進力を持つ情報によって、弱い発進力しかない情報がかき消されてしまう事はあるので、それは注意しなくてはならない。例えば、【竹島の領有権を巡って日韓が対立している】とか【日本政府の見地では、竹島は日本固有の領土である】と授業で教えれば、それは客観的な情報となりやすい。その主張の根拠や国際的な見地が示せればなおよい。そういった思考が、どう交渉すれば落としどころが見つかるかを議論できる素地にもなる。しかし単純に【竹島は日本固有の領土である】としか教えなければ、相手の立場を一切考慮せず、一方的に相手の間違いを責めるだけにしかならず、感情的な対立しか生まない。それこそ譲歩した方が負けになるとか、相手は馬鹿だから間違った(あるいは身勝手・卑怯な)発想をすると思いこんで、見下したような視点になってしまいかねない。ところが安倍内閣は、この点に関して後者の方針で社会科で教える方向に事実上してしまったからな。」

鼎「なんか1990年代の中国の反日教育の日本版みたいだね。」

逆沢「安倍自身、どう見ても知恵者に見えないんだけど、その上、大衆まで自分と同じような狂信徒的な思考に染めちまうって腹か? でもこんな歴史の政治利用を企むような思考じゃ、少なくともこういう方針を支持する連中だけは、中国を非難する資格は無さそうね。」

愛原「いつの世でも、アメリカでも某ならず者国家でも、自分の支持する思想で大衆を一色に染めたいという考える輩はいるからな。だが独裁者や唯一の思想・宗教を一方的にマンセーする国民の知的レベルが高いとは思えないし、むしろ斬新な新発想とか、今までの価値観にとらわれない新たな試みとか、そういうのに寛大な日本であればいいなと思う。」










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