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愛原様のたわごと(09年1月16日)



愛原「イスラエルの指導者らには、本当に何とかできんものか?」


逆沢「イスラエルの政府連中は、パレスチナ側のロケット弾がどうのこうの言って、自衛権を主張してるけどね。」

鼎「でもそういうのって水掛け論だよね。戦争の是非を、過程じゃなくて一部の事情をだけをすくい上げて、その動機や原因で語るのは私は好きじゃないよ。」

愛原「今、鼎が大変いいこと言った。俺も同感だ。」

逆沢「過程だの動機だの、もう少し分かり易い表現で語れっての。わたしゃ、さっぱり意味分からん。」

愛原「例えば、ゴロツキヤンキーが小市民Aを路上で半殺しにしたとする。で、そのゴロツキヤンキーが【Aが肩をぶつけてきたのに、謝りもせずそのまま通り過ぎようとしやがったから、ボコッてやった】と供述したとする。さてお前は、ゴロツキヤンキーの言い分を支持するか?」

逆沢「ゴロツキヤンキーの言う事なんか、支持する訳ないじゃない?」

愛原「じゃあ、じゃあ加害者がゴロツキヤンキーじゃなくて、現役警察官だったら支持するのか?」

逆沢「いや、だから、ゴロツキであろうと警官であろうと、関係ないって。しょうもない理由で人を一方的に半殺しにする事自体が問題なんだから。」

愛原「つまり逆沢は、【肩をぶつけてきた】とか【謝らなかった】とかいう【理由や動機】ではなく、【半殺しにした】という【過程】を問題視したという事だ。これで鼎の言いたい事が伝わったか?」

逆沢「ああ、ようやく分かったわ。ってか、始めからそういう言い方しろっての。」

愛原「実際問題として、どっちが故意に肩をぶつけたとか、どっちにより多くの過失があったのかとか、そういう事を厳密に検証することは極めて困難だ。はっきりいって水掛け論にしかならない。それよりもその水掛け論の中身と比較して、【半殺しにする】という行為が果たして妥当かどうか、ここがポイントだという事だ。ゴロツキがわざと難癖つけて小市民をフルボッコにしたとしたらこれは悪逆としかいいようがないし、仮に百歩譲って小市民の側が悪意をもってゴロツキにタックルをしかけたのが真相だったとしても、それで半殺しという制裁を加えるが正当かといえば、そんなはずがない。だが戦争のような行為の是非を語る時、過程を軽視して、水掛け論にしかならない原因や動機を語りたがる人が多いのは、まことに残念な事ではあると思う。」

鼎「特に侵略する側は、大義名分をでっち上げてでも、その侵略を正当化するよね。」

逆沢「確かにそうね。最初に攻撃する側が、必ずといっていい程、自分達を正当化するわよね。一方的に喧嘩を売った側は正義。一方的に喧嘩を売られた側は悪。それでもって過程も動機によって正当化されるといわんばかりってケースが多すぎる気がするわ。特に某国。」

愛原「かつて小泉純一郎は、当時フセイン大統領がまだ未拘束だった段階の時に、【フセイン大統領はいまだに見つかっていない。見つかっていないから、イラクにフセイン大統領が存在しなかったとは言えない。(そうした状況下で)全く大量破壊兵器がないと断定して言えるか。説明責任はイラクが果たさないといけない】と発言している。つまり大量破壊兵器が発見されたら、勿論イラクの責任。大量破壊兵器が見つからなくても、それは大量破壊兵器があるという事を証明できないイラクの責任という論理だ。」

逆沢「そ、それはひどすぎる論法だわ。まるで【お前は俺の財布を盗ったに違いない。なぜなら俺の財布は未だに見つかっていないからだ。つまりお前が犯人だ。お前が財布を盗っていないと断定できるか? 盗っていないというなら、その証明はお前がしなくてはならない。】となんくせつけられているようなものね。」

愛原「日中戦争の発端についても、中国軍の陰謀だとかなんだかんだいう奴がいる。日米開戦についても、コミンテルンの陰謀とか色んな事をいう奴がいる。だが戦争をふっかけたい側はどんな難癖でもつけるし、その根拠とする動機の中身については、水掛け論にしかならない内容も多い。そんな水掛け論にしかならない些末な部分を議論した所で意味があるのか?と俺は思う。重要なのは、むしろその結果、何が起こったか?だろう。」

逆沢「そのなんだかんだ色んな事をいう奴って、前空幕長しか思い浮かばないんだけど♪」

鼎「でも普通に考えて、攻められる側は(逆侵攻する意図や目算でもない限り)攻められることによるメリットなんかないから、侵略する側がよく大義名分にする【先に攻撃を受けたから】という理由は、すごくうさんくさい気がするのは私だけかなぁ。」

逆沢「それは何とも言えないわね。世の中にはアホが結構いるから。今の日本でも、感情に任せてそれを実際にやったらどうなるかという側面を無視して北朝鮮に戦争をしかけろみたいな無茶をいう人が少なからずいるように、21箇条の要求を突きつけられて以降の中国人の中に、打倒日本を本気で目指す人がいてもおかしくはないだろうからね。」

愛原「戦争そのものまでいかなくとも、戦争のきっかけとなるような暴発行為に至らされる事はあるからな。戦前の日本がアメリカに喧嘩を売ったのも、経済制裁が大きな要因としてある。今問題になっているパレスチナにしても、イスラエルによる経済封鎖が効いている。あとイスラエルの領土拡張によってガザ地区に人口が押し込められすぎているのも問題だ。ガザ地区なんか約3800人/km2もの人口密度であり、広島市や仙台市の約3倍だ。(それぞれ1290人/km2、1320人/km2。) イスラエル側の経済制裁によって物資の輸送も貿易もままならず、高層ビルも建てられない環境でこれだけの人口を押し込められていれば、そりゃ暴発してもおかしくない。大日本帝国のように経済制裁だけでも暴発する可能性は十分なのに、土地を奪われ、押し込められ、しかも経済制裁とあっては、これで大人しくしてろという方が無理難題というものだ。」

鼎「もしも動機や原因をもっと大切にするのなら、一発の弾丸が戦争にきっかけになったとかそういうレベルじゃなくて、もっとマクロな視点で語らないとフェアじゃないよね。」

愛原「いずれにしろ過程をみれば、どっちがより非道であるかくらい一目瞭然だ。イスラエルのやってる事は、さっきのゴロツキヤンキーの数倍はタチが悪い。大の大人が小さな子供から一方的にお菓子を取り上げて、その子供がいつまでも泣きやまないからといって、【いつまでも泣きやまないなら、黙らせてやる!】といきなり半殺しにかかるくらいタチが悪い。もう無茶苦茶。」

逆沢「親イスラエルの人からみれば、民間人に紛れてゲリラ戦をしかけてくるようなハマス側の方が卑怯だとか、民間人の居住区に潜むハマス側の方が卑怯だとか、武器をこっそり密輸するハマス側の方が卑怯だとか、色んな意見があるらしいけどね。」

鼎「でもそれを言ったら、じゃあイスラエルは核兵器を隠し持っているのではないのか?とか、イスラエルがパレスチナ領への物資の流入を監視する権利があるなら、パレスチナ側にもイスラエル領への物資の流れを監視する権利はあるのかとか、イスラエル側がパレスチナ人の土地を奪うのはいいけど、パレスチナ人がイスラエル側から土地を奪い返すのはなぜNGなのかとか、いう事になるよ。国際社会やアメリカの対応も、全然フェアじゃないと思うよ。」

愛原「戦いそのものの是非は無論大きな議題だが、仮にその戦いが避けられないものとしても、その中身がフェアかそうでないかという問題も、やはり大きいと俺は思う。という訳で今回のテーマは、【フェアな戦い】だ。」

逆沢「フェアな戦い。それは戦闘RPGで主人公側が常に目指さなくてはならない戦い方ね。」

鼎「卑怯な戦い方をする敵は、絶対に悪役認定だよね。」

愛原「【正々堂々としたフェアな戦い】は尊ばれ、【卑怯卑劣なアンフェアな戦い】はさげすまれる。だがそもそも、フェアとアンフェアの差はどこにあるんだろうか? これを少し考えてみようというのが、今回のテーマの目的だ。」

逆沢「スポーツの世界とかなら、分かり易いんじゃない。ルールに則って相争うなれば、それはフェアという事になるし、ルール違反をやるような輩はアンフェアな卑怯者という事になるし。」

鼎「ドーピングとかやったら、絶対に反則だし、世間的にもフェアでないとされるよね。」

愛原「但し、サッカーとかバスケットボールの世界では、反則を効率的に行なおうとするダーティーチームは少なからず存在する。軽微な反則の場合は、そんなに痛手にならない事も多いので、レッドカードを食らわない程度に反則を積み重ねたりみたいな感じでな。反則がばれなければそれに超したことはないし、バレても後何回までなら反則しても展開に支障はないかとか、そういうのを計算に入れて効率的に反則も混ぜながらプレイしようとするチームというのは、残念ながら少なくはないようだ。」

逆沢「柔道とかでも、残り時間とか点数差を計算に入れて、逃げの戦術に徹したりする選手とかもいるけど、逃げの戦術自体が柔道では警告対象になるプレイでもあるから、広義で言えば、そういうのも反則を計算に入れたプレイといえそうね。」

愛原「ルールの範囲でなら何をやっても許されるととるか否か。もう少し具体的に言えば、奨励されないプレイも含めて全力で勝利に向けて邁進する事こそが至上の価値観なのか、あるいはそれはスポーツマンシップに反する卑怯な戦い方と取るかという事だ。この前の北京オリンピックでの日本の柔道選手でも、一本を取りに行く美学を貫いた選手もいれば、ルールの全てを駆使して、勝ち方よりも勝つ事そのものにこだわった選手もいたけどな。」

鼎「自分の中で【やってはいけないプレー】が多い選手ってのは、それだけ縛りプレイになる状況でもあるから、勝てば何をしても良いという戦術的縛りのない選手と比べたら、どうしても相対的には不利になるよね。」

逆沢「そりゃあね。敵が何をしてくるか分からないか、突撃一辺倒で来るか、そういうのが分かるだけでも対処のしやすさは変わってくるしね。」

鼎「美学を貫くというのが、戦い方を縛る事とイコールだとしたら、勝ちさえすれば何をやっても許される人の方がどうしても戦いでは有利になって、それはとても残念な事だよね。」

愛原「まぁそれでもスポーツの世界では、ルールという物差しが厳然として存在している為、そのルールの中で戦う限りにおいては、フェアな戦いと認定せざるを得ない場合は多そうだ。野球ファンの中にも、清原相手に直球で勝負しない投手は臆病だとか、4番打者相手に敬遠するような投手は興を削ぐとか、完全勝利を目の前にした投手を直前で交替させる監督は冷酷だとか、色んな意見がある。それは無論感情的な問題で、美醜の問題はあるだろうが、善悪を問うことは俺はしたくないと思う。個人の名誉よりもチームの勝利を優先させるというのは一つの美徳だし、チームが一丸となって記録の達成に向けて協力し合うというのも一つの美徳だからだ。」

鼎「ルールの範囲なら、とりあえず美醜の差はあっても、共にフェアである事には変わりないという事かなぁ?」

逆沢「ルールの抜け穴を突くようなやり方は、それでもあまりほめられないだろうけどね。」

愛原「ルールの決め方そのものが、とてもフェアとはいえない場合もあるしな。」

逆沢「ナベツネ主導のドラフトやフリーエージェント制度の改悪とかかな?」

鼎「WBCの対戦方式も、ちょっとフェアとは言えない部分もあるよね。」

愛原「政治の世界ではもっと露骨だ。例えば、選挙のルールは、必ずと言っていいほど、与党の賛成多数によって、与党に都合のいい選挙ルールに変えられてきた。政治資金やポスターのルール一つ一つをとっても、無党派や少数政党には不利だし、強者が強者にとって都合のいいルールを決める構図で運営されているんだからどうしようもない。」

逆沢「公務員が、公務員に最も有利な年金制度にしてるみたいなものね。ルールを決める権限のある人が、ルールを決める人にとって最も有利になるようにルールブックを改訂しちゃうってのは。」

鼎「世界レベルで言えば、国連もそうだよね。常任理事国が持っている拒否権のルールが強すぎて不公平なのに、その不公平なルールを改めるにはやっぱり常任理事国の支持が必要だし、だからいつまでも不公平が改められないってのはあるよね。」

愛原「泥棒が裁判官を兼ねたらおかしいように、ルールを決めたり運用する者は、その権益と無関係であるのが本来あるべき姿のはずだ。だが実際には、政治家が選挙のルールを決め、官僚が官僚の報酬を決めるみたいな事が平然とまかり通っている。ルール自体が既にフェアとはいえないケースも残念ながら多いのだ。」

鼎「スポーツの世界よりも、法律や条約の世界の方が、もっとルールとしては、おかしいそうなものが多そうな気がするわね。」

逆沢「そりゃ、武力を背景に不平等条約を結ばせたりするのは、何百年も前から普通にあった事だしね。権益にモロ関係する者が、武力なり圧力なりを見せつけながら、思い通りのルールを相手に飲ませてしまうのが歴史のパターンだしね。」

鼎「スポーツの世界ではまだそれでも、フェアな部分の方がずっと多いと思うけど、法律の世界では、むしろアンフェアな事を文書化・法制化する事で無理矢理正当化してしまう方が多そうで、がっくりだよね。」

愛原「悪法は正義か? これは大きな命題だ。一切の法律もルールもない状況では、犯罪者が街にあふれかえり、権力者や強者が好き放題に搾取するだけの弱肉強食国家になってしまう。だが権力者や強者がその権力や武力を盾に、自分達に都合のいい悪法を決めてしまう事もあるわけで、その是非は悩ましいところだ。」

逆沢「フェアな戦いなんてものは、実際にはなかなか実現困難なのかねぇー。」

愛原「とりあえず条件をできるだけそろえる事が出来れば、それだけで大きな前進だと思うけどな。例えば、WBCは対戦相手の決め方とか、球場や審判が米国製とか、収益の大半は米国に還元されるなどという問題点はあるものの、使うボールやバットが、各国ごとに別々に制限されているという訳ではないので、その点ではフェアといえなくもない。」

逆沢「でも【国際基準=アメリカ基準】ってのは問題だと思うけど。」

愛原「まぁ、その辺は言ってもキリがないからな。サッカーのワールドカップなどの場合は、長い歴史もあるので国際基準というのがちゃんと認知されているし、審判やスタジアムの選定でも比較的公平性は高そうな気はする。WBCも長い歴史を積み重ねていく事で、少しはマシになるような気がするが・・・。」

逆沢「わたしゃ、それだけでは無理だと思うわ。日本の野球の歴史も長いけど、未だに巨人中心のシステムから変わっていないみたいに、バックにある権力機構が改められない限りは、何百年経ってもアンフェアは変わらんとも思うし。」

鼎「スポーツとかの世界の場合は、基本はエンターテイメントなんだから、できるだけフェアな条件で勝負をしないと、勝った方も正当性が疑われて損なだけで、いいことなんて全然ないと思うのにガッカリだよね。」

逆沢「名誉が欲しい人は、勝敗そのものよりも、アンフェアな戦いをして名誉を汚す事を恐れるだろうからあまり問題はないだろうけど、実益が欲しい人は、勝利による実益が大きい程(あるいは敗北による実損が大きい程)、手段を選ばなくなるだろうから、その辺の差が出てくるような気もするけどね。」

愛原「オリンピックなどでは、国家をあげて特定選手をバックアップするとか、特定選手の勝利を国家の栄誉とするみたいな国の選手ほど、実は【勝利のためには手段を選ばなくなる】可能性が大きそうだな。」

逆沢「そりゃ、勝てば個人的な名誉不名誉だけに留まらず、将来を約束され、惨敗すれば国内に居場所が無くなる程に名誉剥奪され、非難されるという大きな実益実損に関わるからじゃない?」

鼎「勝たなかったらひどい目に合わされるみたいな、そんな恐怖をモチベーションに人を働かそうとしても、絶対にいい結果はでないと私は思うよ。誇り高き戦いとかそういう気持ちは全然無くなって、逆にドーピングしてでも勝たなくてはという気持ちにさせられるだけで、フェアとかスポーツマンシップとか、そういう概念はどうでもよくなっちゃうと思うから。」

愛原「星野ジャパンが惨敗した時の、自称愛国者のバッシングを見た時には、ヘドがでそうになった。いつからこの国は、こんなにゆがんだ自称愛国者のオナニー空間と化したのかと。」

逆沢「あはは。確かに日本に恥をかかせたとか日の丸を汚したとか、何とか言ってた人がたくさんいたような気はするわ。で、最近のWBCで中日勢が参加拒否したときにも、愛国心がどうのこうのとか騒いでいた連中がいたけど、東欧とかの旧共産圏のスポーツ選手のプレッシャーが、今更ながら分かった気がしたわね。」

鼎「でも旧共産圏のスポーツ選手はまだマシだよ。星野ジャパンのメンバーは、何も国家とか関係団体から特別なバックアップも恩賞もなかったのに、それでいきなりぶっつけ本番で戦って勝ってこいみたいな雰囲気になってたから。自称愛国者さん達は、選手が勝利しやすくなる為に、十分な練習時間を確保させるとか予算を用意するとかの対策も、何も打ち出そうとか、議論すらしなかったのに、【散々、期待させたあげくメダルなしかよ】って罵倒だけして、ちょっと嫌な気分がしたよ。」

愛原「その点、オリンピックでの韓国は見事だった。兵役免除などのアメはあるし、十分な対策期間も団体として用意されてあったし、関係者が過去の大会でにどんなに惨敗しても、星野監督の家族が陥ったみたいなノイローゼに至る程の長期にわたる国家的バッシングになったという話も殆ど聞かない。今の日本人の中には(というか、あくまで一部の自称愛国者だけだが)は、一方的に日の丸のために勝てとノルマを押しつけるだけで、結果が出なければバッシング。辞退してもバッシング。結果が出れば【日本人として誇りに思います】的な他人のふんどしをあたかも自分のふんどしとしたかのようなオナニー自賛行為。【お前が勝利のために一体に何の役に立ったんだよ。偉そうな事ばかりいいやがって】って言いたくなる選手が出ても、俺はおかしくないと思う。」

逆沢「自称愛国者さん達は、韓国のことは大嫌いなのがデフォだから、韓国をほめて、自称愛国者さん達の事を悪く言ったら、絶対に反発を買うからその辺の覚悟はしておくべきだと思うけどね。」

愛原「ともかく勝ち方に美徳を求めるか、勝てばそれでいいと考えるか、あるいはもっと極端にバレない反則は反則じゃないと割り切り悪謀も辞さないかというのは、その人間の矜恃の問題でもある。1994年には、アメリカのハーディングというスケート選手が、ライバルのスケート選手に刺客を送り込んで怪我を負わせたなんて事件もあったが、こういう漫画の世界に登場するようなヒールも、現実には残念ながら登場する。勝つためには手段を選ばないという事が度を超えると、有力なライバル選手に圧力をかけて出場を辞退させるみたいな事も平然と行なわれるのが現実世界だ。」

鼎「勝つためには手段を選ばないというのは、個人の性格の問題かも知れないけど、組織や国家や愛国者の圧力や工作によって、そういう方向に追い込まれる事もあるかも知れないし、色んなケースがありそうだよね。」

愛原「人間の誇りというものが、集団からの圧力によって潰される事は、残念ながら往々にしてある。また本人がいくらフェアであろうとしても、周囲の関係者がそれを許さない事もある。勝手にルールブックを書き換えるオーナーとか、ゆがんだひいき心をもった審判とか、フーリガンまがいのファンとか、色んな奴がフェアならざる戦いにもっていこうと仕組むからな。」


逆沢「漫画やゲームの世界でも、そういう奴は結構いるわね。主人公と誇り高きライバルがフェアな戦いをしようとしているにも関わらず、ライバル陣営のゲスな参謀とかが、こっそり試合会場に細工したりして、フェアならざる戦いにしようとしたりね。」

鼎「軍記ものとかでは、卑怯な戦いなのか、知略の結果なのか、区別が付きにくいものもあるけど、これはどうなのかなぁ?」

愛原「敵の裏をかく事自体が卑怯という論理は、いくら何でも論理の飛躍だと俺は思う。敵の裏をかいたらNGというのでは、弱小陣営は強大な陣営にどうやって勝てばいいのだ?という事になるからな。今川義元を討った織田信長や、陶晴賢を討った毛利元就が卑怯者とか、機略で寡兵をもって城を奪った北条早雲や竹中半兵衛が卑怯者という論法には、俺としては賛同したくない。」

逆沢「アメリカやイスラエルからしたら、空爆で多数の民間人を巻き添えにするのはOKだけど、ゲリラ戦法やテロ戦法は(被害の多寡にかかわらず)非道で卑怯という事だから、毛利元就も竹中半兵衛も、立派なテロリストらしいけどね。」

愛原「正攻法で負けないだけの戦力を備えた強者が恐れるのは、奇襲やテロや暗殺などによる不意打ちくらいだからな。だからイレギュラーな戦術を得意とする者は全て悪呼ばわりし、がっぷり四つの物量戦に持ち込みたがる。ただそれだけの事だ。連中にかかれば、圧倒的な武力で不平等条約を結ばせるのはフェアだが、その条約を破ったり不意打ち攻撃をしかける奴はアンフェアという事らしいからな。」

逆沢「黒藤の名台詞の中に、【話し合いがうまくいかなければ多数決。それも駄目なら戦争。それが正しい民主主義国家のあり方だ】というのがあるけど、アメリカやイスラエルの思考回路も似たようなものだと思ったわ。ハマスにしてもちゃんとパレスチナで正当な選挙を制した与党なのに、ハマスの政権は認められないといって強引に、経済制裁・戦争のコンボだし。話し合いの段階でうまくいけば、その相手がどんな独裁政権でも承認し、それがうまくいかなければ無理矢理選挙をさせて、それでも気に入らない側が政権をとれば制裁・戦争なんて、本当に好き放題してくれるなと思ったわ。」

愛原「何がフェアかと問われれば、そのボーダーラインはかなりあいまいだ。だが自分にとって都合のいいルールを押しつけて、それに従えば王道で、それに従わなければアンフェアな卑怯者という論理には賛成したくない。イスラエルとパレスチナの問題にしても、本当にフェアに考えるなら、もっとやり方があるだろうと思う。そもそも一方的に土地を追われた側と、土地を奪った側というスタートからして不平等な問題があるのに、今の情勢はとてもフェアにはほど遠い。それにクルド人など、民族単位で独立国を持たない民族は他にもちゃんと存在するし、ユダヤ人だけをひいきする理由も何もない。ヒミコが生まれるよりもずっと前からパレスチナ人が普通に住んでる土地を、神話レベルの論理をもって無理矢理与えるという時点からして意味不明。アメリカ自身、無理矢理先住民を駆逐してから500年の歴史しかないくせに、それよりも1000年以上前から住んでるパレスチナ人はNGで、自分達はOKとする論理が二重基準だと彼らは思わないのだろうか?」

鼎「でもイスラエル国民の9割以上が、今回のガザ侵攻を支持していると言われているよね。」

逆沢「連中には、人間としての矜恃がないのかな?」

鼎「麻生総理に言わせれば、高額所得者のくせに定額給付金をもらおうとする人達とイスラエル政府の支持者は同等だったという事になるのかなぁ。撤回したけど。」


愛原「【貧すれば鈍す】という言葉があるが、人間は追い詰められた心境になると、どうしても誇りを軽視し、手段を選ばなくなりやすい。さっきドーピングをしてでも勝たなくてはならないと思い込みやすいスポーツ選手の話をしたが、追い込まれるとどうしてもそうなりがちなんだ。自らの強い意志を持つ者と、他人によって【〜しなくてはならない】と思いこまされている人間とではモチベーションに差が出るのは当然だし、義務感だけが支えの人間に、誇りとか自主的な研鑽を求めるのは困難と言わざるを得ない。イスラエル人も、ある意味では心理的に追い込まれているのかも知れない。」

逆沢「追い込まれての心境なら少しは同情できるけど、かつて小泉純一郎がイラク戦争に賛同した時に同調した人達のように、別に追い込まれてもいないのに、ただ単に血の気が多くて戦争に賛成したり、何らかの打算があってイラク戦争を支持した方が得策と考えたりみたいな、そういう一時的な感情や打算で戦争を支持している人が、イスラエル人やアメリカ人の中にいないともいえないけどね。」

鼎「でも打算という感情も、誇りとか矜恃とは、ある意味で相反する感情だよね。」

愛原「誇り高きが故に行動を縛るという行為は、打算主義者からみて非合理的な側面はどうしてもあるだろうからな。だが誇り高き行動の積み重ねは、短期的には損な面があっても、長期的には人々の信頼を勝ち取れるという大きな効能もある。自分勝手で、自分にとって都合のいいことばかり考えて、その為には他人を踏みにじっても平気でいられるような人間は、長期的にみれば人の信頼を損ないやすく、むしろ損だと思う。」

逆沢「フェアに徹し、名誉と信頼を勝ち取る方向を優先するか? あくまで勝利第一に考えるか? 程度の問題もあるから、一概にこれがベストというのはないかも知れないけど、人様に後ろ指を指されるようなレベルのアンフェアには、できたら荷担したくないわね。」













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