トップページに戻る


愛原様のたわごと(11年5月21日)





愛原「【人間は必ずミスをする】と言われるが、その原因は何だろうとふと思った。」

逆沢「は? んな事、どうでもいいでしょうが? ってか、何でそんな事を思ったのやら?」

愛原「だから、ふと思っただけだ。何でとか、そんな事を聞かれても困る。そんな事よりも、聞かれた質問に対して答えろ?」

逆沢「そんなのただの【不注意】じゃない? 油断に慣れきって注意力が散漫になったり、あるいは逆に緊張しすぎて体が思うように動かなくなっていたり、思考の幅が硬直しすぎていたり。感情の乱れが原因になる事も多いそうね。」

愛原「その論理だけで限定するならば、冷静沈着な状態なら人間はミスをしない事になるけどな。」

鼎「私は、外界の要因の方が多いと思うよ。ほら、例えば【他人の気持ちを読む】というのは、すごく難しいでしょ。つまり相手がAという行動を取ると冷静な視点で予想しても、実際にはBという行動を選択してくる事も珍しくないわけだし。」

逆沢「ああ、なるほど。確かに他人の心理や行動を読むのは難しいわ。相手のことをよく知ったつもりになっていても、他人の人格を完全に把握し尽くすなんて事は不可能に近いからねー。」

鼎「対人関係だけじゅなくて、自然や環境がらみの事もあるよね。たとえば、いつどこでどのくらいの規模で地震が起きるかも、私達の力では絶対分からないし。」

逆沢「確かに。少なくとも今の人類の技術力では、そこまで予測しうる事は不可能っぽいわね。」

愛原「つまり人間がミスをするのは、自分の心身の不調に起因する内的なものだけに留まらず、外的要因に対する認識不足が原因のウエイトの方が、むしろ大きそうだという事になるわな。」

逆沢「うーん。確かに、判断ミスと言っても、色々ありそうね。」

愛原「そう。俺は大震災以降、報道などを通じて震災がもたらした多くの現象や問題について関心を持ち続けてきたが、どうも今回の災害は、俺にとっての予想外が多すぎる。デマに踊らされないようにだけは色々気をつけていたが、今でも信じてよい情報の割合が低すぎて、判断に迷う事が多い。」

逆沢「その言い分だと、何か誤った情報を信じて、酷いことでも遭ったって感じか?」

愛原「別に酷い目に遭った訳ではないが、判断に修正を加えた事は多くあるな。例えば、前回更新した時点から認識を改めたのは、次の2点だ。」

逆沢「たった2週間で判断を変えた点が2点もあるって、ちょっと多すぎなんじゃないの? それ、ひどくない?」

鼎「で、その2点で、どことどこに関してなの?」

愛原「うむ。いずれも原発関連の話題になるが、一つは西日本の電力事情が予想外に悪化しそうだと感じた事。もう一つは、浜岡原発対策についてだ。」

逆沢「は? 2週間前と比べて、何がどう変わったの? よく分からないんだけど。」

愛原「まず1点目。電力事情に関してだが、まず福井県で調整中の原発の運転再開が、極めて困難な形に変わってきた。要するに【安全対策が確認できてからでないと、運転再開は認めない】と地元が強く声を上げ始めたのだ。敦賀市などでも4月の統一地方選挙の際にも原発推進派が普通に当選したりして、本来、こういう声は出ないと思われたが、なぜか今頃になって、そんな声が急に出始めたらしい。」

逆沢「それ、なんか不自然ねー。何者かの陰謀じゃないの?」

鼎「でも全国的に節電の流れが加速するという意味では、私は悪くないかなーと思ったかも。」

愛原「まぁ良し悪しや陰謀の有無は別としてだ。2週間前の時点でも、東京電力・東北電力・中部電力・九州電力などの管内で黄信号が灯っていたのに、それらをサポートする役割を期待されていたはずの関西電力も状況が悪化した為、今年の電力事情はドミノ現象で全国的な問題になる覚悟もしなくてはならないかなとは思った。」

逆沢「で、もう一点の方は? 確か浜岡原発に関しては、この2週間の間で、何も新たなニュースにはなってなかったと思うけど。」

愛原「福島原発の1号機などで、新たな破損が明らかになった。要するに本来蓄積されてるはずの汚染水が、容器の破損によってどこかに漏れていたという件なんだが、これを突き詰めれば、津波がどうこういう以前に、地震の衝撃で既に原発の根幹部分が破壊されていた事になってしまうわな。つまり【津波対策が不十分だったが、耐震対策は十分だった】という今までの神話(?)が完全に崩壊してしまう事になる。」

逆沢「あ、そっか。今までは【津波対策さえ強化すれば日本の原発は安全】だという前提で考えられてきたけど、実際には地震対策の方も必要になってきたって事ね。」

鼎「女川原発が何とか無事だった事や、新潟の震災以降、柏崎刈羽原発でまだ止まったままの炉が残ってる事と対比して考えてみても、やっぱり地盤の選定は大事だったって事かなぁ?」

逆沢「もっとも手抜き工事の疑いとかもあるから、一概には地盤ばかり言えないけどね。」

愛原「日本の原発立地は、タテマエとしては地盤も含めて厳正に選定された事になってるが、実際は【受け入れてくれる自治体が見つかれば、そこに建てるだけ】という極めてオトナの事情で選ばれてきたみたいだからな。地盤もクソもない。福井や女川の地盤が強固なのは、今思えば、たまたまその場所が固かっただけかも知れない。浜岡なんか地震の起きる確率も考えれば、まさにその対極だしな。」

鼎「つまりその理屈で言うと、今更津波対策を強化しようが、浜岡原発のある場所で大地震が起きたら、結局無駄って可能性もあるって事かなぁ?」

愛原「この2週間の間で、俺はそう認識を変えた。浜岡原発に関しては、小手先の改善で何とかなる問題ではないとな。」

逆沢「移転させるか、一度更地にした上で、徹底的な地盤と原発部品の強化からやり直すしかないって事か? まぁ地盤強化なんてものは、タテマエ上は最初からちゃんとやってる事になってるから、これ以上、どうしようもない気もするけど。」

鼎「けど私達の立場だと、宗旨替えは簡単だけど、政府の立場だとそれは難しいよね。朝令暮改みたいな事をやると、関係者は大迷惑だし。」

逆沢「とすると国の立場では、このまま突っ走るしかないって事か?」

愛原「という訳で今回のテーマは、【修正する度量】だ。」

逆沢「おっ。訳分からない所で、いきなりテーマが飛び出してきたわ。ってか、何よ。修正する度量って。」

愛原「人間というのは、なかなか自分の考えを改められない生き物だ。意地になったり、見栄を張ったり、他人に批判される事を恐れて、どんなに状況が悪化しようが、なかなか自分の意見を変えようとしない人は本当に多い。」

逆沢「ああ、それは私達自身にも当てはまることでもあるから、本当によく分かるわ。自分の主張を変えるというのは、【自分の誤りを認める】事みたいで、何か嫌なのよね。特にそれが論戦の場なんかだと、相手に対して、自分の非を認めた上で敗北を認めるみたいになるから、絶対に嫌というか。」

鼎「かつて勝海舟を斬りに行った坂本龍馬さんは、本来斬り捨てなければならない程の国賊だと思っていた勝海舟さんの言葉に真面目に耳を傾けたあげく、逆に勝海舟さんの弟子になってしまったけど、そこまで度量のある人はなかなかいないよね。」

逆沢「まぁそこが英雄と凡人の差かも知れないけどね。もしも坂本龍馬が凡人なら、そこで聞く耳も持たずに勝海舟を斬り殺して、その後の歴史も変わったかも知れないし。」

愛原「対立する陣営の人間の言葉に謙虚に耳を傾けるというのは、なかなか大変な事だ。そして自分の意見を変えるというのも、同じくらい大変だ。特に坂本龍馬のように政治活動をしている人間の場合、【自分の意見を変える】という事は、今までの自分を支えてくれた支持者を失うリスクも抱える事と同義だからな。」

逆沢「あ、そうか。例えば今まで【公共工事に賛成】と言って来て、それで関連業者の支持を取り付けてきた政治家が、急に【公共工事に反対】とか言いだしたら、間違いなく昔からの支持者は離れていってしまうだろうからね。」

鼎「つまり【自分の意見を変える】というのは、【今までの自分を応援してくれた仲間を失うリスクも抱える】という、とてもリスキーなものなんだよね。」

逆沢「戦争を強く支持し続けてきた人ほど、どんなに状況が悪化しても、停戦や降伏を口にしにくいみたいなものかも知れないわね。カッコも悪いし。」

鼎「けどそういう意地っ張りさんが多いと、ますます状況は悪化するよね。間違いは一刻も早く正さないと。」

逆沢「まぁ間違った選択自体を避けることができれば、最初から【意見を変える】なんて恥ずかしい振る舞いをせずに済むんだろうけどね。」

愛原「だが現実問題として、人間には予知能力は元々備わってないからな。やってみないと分からない事も多い。今回の原発事故にしても、調査の結果、新たに判明した事は本当に多い。そしてこれからも【新たに判明】する事は色々出てくるだろう。おそらく1年以上は、これからも新情報は出続けるだろうし、新情報が出る度に、考えを修正し続けなければならない事もあるだろう。」

鼎「政府や東京電力が【工程表】とか言うのを出しているけど、なかなかその工程表通りに行く事はないよね。作業を続ければ新事実もどんどん増えていくだろうし、新事実に基づいて、工程自体の修正も必要になってくるだろうから。」

逆沢「けど世論は、工程表を修正する度に【見通しが甘い】とか色々言って、散々、政府や電力会社を非難するだろうけどね。」

愛原「政府も電力会社も予知能力者を抱えているわけでもないんだから、そんな事で非難を浴びせられても困るんだけどな。ってか、もしも予知能力が備わってれば、あんな大事故自体、最初から起こしてないだろうし。」

逆沢「けど国家万能主義というか、【国がちゃんとやれば全て上手くいくはずだ】的な考えの国民も、結構多そうだからねー。だから不祥事が起きたり、政府が最初に立てた計画通りにいかなくなると、国の怠慢のせいにしてとにかく叩く人も多いというか。」

愛原「まぁ本当に怠慢としか取れないケースも多いから、その線引きは難しいけどな。ただ今回の大災害のような事が起きると、本当に手探り状態になるのはやむを得ない。」

鼎「新事実が一通り明らかになってから、工程表を発表したり、これからの方針を決めれば、【修正】自体あまりしなくて済むだろうけど、そういう訳にはやっぱりいかないよね。」

愛原「それは絶対無理。【何もやらない】ままだと新事実自体明らかにならない場合も多いし、さらに被害が拡大するリスクもあるからだ。また被災者の人の立場からしても、何ヶ月後に住む場所が安定するとか、いついつに支援金が支払われるのかとか、そういうメドが立たないと困る事から、やはり大体の範囲でも速やかに工程表を示してもらう必要がある。だから全容が明らかにならない段階でも、とりあえず工程表は出すべきだ。それがたとえ不確定要素に満ちたザルな工程表であってもな。もちろん適宜、新事実や進捗状況に応じて修正を施す必要があるという点も含めた上で。」

逆沢「前回のテーマで触れた例で言えば、【どっちの道に進めばいいか分からなければ、とりあえずどっちでもいいから進んでみろ】みたいなノリになる訳ね。その場で立ち止まってモジモジしてるんじゃなく。」

愛原「ゲーム作りと同じだな。とりあえず作ってみて、その後、バグが見つかれば潰す。ひたすらその繰り返しだ。行動してみないと、問題点自体、明らかにならない事も多いし、たとえ結果的にその選択肢が間違いだったとしても、まず行動してみる事が大事だとは切実に思う。」

鼎「行動してその判断が間違いだと気付いたら、それはそれで無駄足を踏んだとも思うし、恥ずかしいと思うこともあるけど、行動自体しなければ、間違いかどうかも分からない事も多いよね。」

逆沢「つまり政府の対応としてよりベストな対応と言えば、【真相が明らかになるまで、何も行動しない事】よりも、【とにかく試行錯誤しながら、行動し続ける事】になるのかな? 最初の予定に修正が必要になれば、適宜修正していけばいいという事で。」

愛原「うむ。俺はそう思う。だが世論の反応という意味では、前言撤回を繰り返す度に国民の反応が悪くなるというのはあるから、そこが何とも悩ましい所ではあるが。」

逆沢「まぁ国民の大半は、坂本龍馬のような英雄タイプではなく、あくまで凡人だからねー。そんな度量を期待しても無駄なんじゃない? 凡人ほど、最後まで自分の意見を変えない【信念の人】とかいうのを好む傾向があるみたいだし。」

愛原「その【信念の人】が小説の諸葛亮ばりのスーパー軍師ならともかく、そうでもないのに自分の主張に凝り固まられても、周りとしては迷惑な事も多いんだけどな。テメーのチンケなプライドの為に、他人を巻き込むなよと。」

逆沢「あんたの場合は、前言撤回する事に良心の呵責や抵抗を感じることは少ない方?」

愛原「何者かの圧力に屈して自分の意見を翻す事には、正直強い抵抗感はあるな。元々、長いものに巻かれる事を嫌うような、少数派好みの人間だし。だが新たに得られた知識などを元に、自分の意見をひっくり返す事に対する抵抗はほとんどないな。」

鼎「そういう物の考え方って、いかにもクリエイタータイプ的だよね。」

愛原「まぁクリエイターにも色々あるだろうがな。ただ悩んでいる暇があれば、とにかく行動する事が大事だとは思う。特にゲーム作りなんかの場合は、作ってみないことにはバグを始めとした問題点自体が明らかにならない訳だから、ただ悩んでいるだけではしょうがないというのも正直あるのだ。シナリオを書き進めていった結果、キャラクターに強い個性が付属してきて、こちらが最初に想像していたシナリオ通りに進まない事もある反面、こちらが全く考えもしなかったサイドストーリーが生まれてくる事もある。最初の工程表通りにいかないという点では、ゲーム作りも原発問題も大差ない。行動しない事には、その先も見えてこない点では全く同じなんだから。」

逆沢「【考える前に行動するタイプ】というのは、世間一般的には、無鉄砲という事であまり高評価を得にくいんだけどね。」

愛原「確かにちょっと考えたら分かる事まで考えずに行動するタイプなら、無鉄砲と言われても仕方ない。だが考えても分からない状況を何とかする為の行動は、やはり重要だ。例えば、敵軍の動向を探る為に偵察部隊やスパイを派遣するという行動は、その後の行動を判断する上で、必ずしも無駄な行動ではないだろう。【考えてから行動する】事は大事だが、【考えをまとめる為に先に行動する】思考も、行き詰まった時にはすごく大事だ。全容が明らかになるまで、とりあえず何も仕掛けず待機に徹するというのは、もっともらしく聞こえるが、実際は臆病な無能者のやる事だとも思うしな。」

逆沢「まぁ臆病な人なら、偵察やスパイを出したら、それはそれで相手に捕まってしまうリスクがあるとか考えて、結局何もしないままという結論になるんだろうけどねー。」

鼎「前回のテーマでいう所の【挑戦する勇気】のない人の考え方だよね。【より状況が悪化する可能性があるなら、最初から何もしない方が良い】という考え方は。」

逆沢「でも政府までが、全容が明らかになるまで工程表を一切出さないとか、何も行動しないとか言ったら、それはそれで叩かれるだろうけどね。」

愛原「軽挙妄動は慎むべきだが、それと何もしない事は話が全く別だからな。ただ今の日本で問題なのは、その【とりあえず行動】した後、後で新事実が判明したのに伴い、修正が必要になった時の態度だ。世論は世論で修正する度に【判断の誤り】を非難し、政府は政府で【判断の誤り】や【信念の無さ】を非難される事を恐れて、修正のタイミングを逸してしまう事。」

鼎「その辺は、アメリカとは正反対だよね。アメリカでは失敗する事よりも、何も行動しない事の方を無能ととらえる向きがあるけど、日本では失敗する事こそが無能の証とみなされる傾向が強そうだから。」

愛原「小説などで、ダメ軍師と言われるキャラクターが登場する事があるが、献策が全て裏目に出るダメ軍師よりも、何も献策すらしようとしないその他大勢の方をマシととらえる風潮すら、今の日本にはあるからな。」

鼎「実際にはどんな優れた軍師さんでも、それ以上の名軍師さんと敵対すれば、結果的に全て裏をかかれて無様な結末になりかねないという事もあるよね。」

愛原「行動には全てリスクがつきまとう。それを忘れて、失敗した者を安易に批判する風潮には賛同できない。失敗するよりは何もしない方がマシな世の中なんて、俺的には絶対に支持できない。」

逆沢「確かにね。ただ、一言だけ言わせて。確かに行動する人は行動しない人よりもマシかも知れないけど、あやまちを認めないとか、修正しないままの人による猪突猛進はもっと困ると思うんだけど。」

鼎「あ、それは分かる気もするかも。一人の意地っ張りの人の無謀な行動のせいで、全てが台無しになってしまう事もあるよね。」

逆沢「そうそう。世の中には、大人しくしてもらった方がありがたいタイプもいるとは思うけど、これはどうかな?」

愛原「そう言われるとツラいな。まぁだからこそ【修正する度量】とか【修正を受け入れる度量】というのも、より必要になってくるとは思うけどな。但し、【修正する=中断する】ではないし、【修正させる=反対する】事ではない事は、あえて断っておきたい。【中断する=何もしない】となる事も多いし、【反対する=何もさせない】になる事も多いからだ。代案もないのに反対反対では、結局、何も前に進まない事も多い。何もしないのが最善というなら、少なくとも何もしない事によるメリットを積極的に提示できるくらいでないとダメだと思う。なので俺は、あくまで【何もしない】よりは【行動と修正の繰り返し】の方をあえて支持する。これは何もゲーム作りだけでなく、世の中全体に通用する論法だとも思うしな。」

鼎「うーん。でもだったらせめて、失敗や修正に対して、寛容な社会であって欲しいとは思ったかも。失敗した者をあざ笑ったり、さげすんだり、非難したり、簡単に切り捨てる世の中だと、挑戦する勇気の出てくる人はなかなか出てこないとも思うし・・・。」

逆沢「でも失敗の程度に応じた反省と償いは、やはり必要だと思うけどね。新事実が明らかになった結果、工程に修正を加えるのは、より良い方向に持っていく為に必要な措置だろうから非難には値しないだろうけど、原発事故を招いた事自体は、前代未満の被害者を出した戦後最大の大失敗だとも、私は思うし。その責任者達の全人格までは否定しないけど、反省と償いくらいは絶対必要だと思うわ。ぶっちゃけ退職金や年金に手を付けないというのは、他の中小企業が倒産に至った場合と比較しても、絶対にありえないと思うし。」

愛原「確かに、それはそうだ。失敗の結果、他人に被害を与えたのなら、それに対する償いは絶対に必要だ。俺は失敗に対して世論が寛大であって欲しいとは思うが、償いをしなくていいなんて事は全く思わないからな。まして精一杯試行錯誤しながら修正を重ね、行動し続けた上での失敗ならまだしも、危険性を散々言われながらも全く耳を貸さず、そのあげくの事故なんだから、これは非難されて当然だ。【精一杯行動した】上での失敗と、【何もしなかった】結果招いた失敗を、同列に語る事は絶対にできない。自然というのは本当に偉大で、ちっぽけな人間が少々あがいてもどうにもならないケースは確かに多いが、だからといって【何もしなかった人間】による失敗と【精一杯手を尽くした人間】による失敗を、結果責任だけで同列に語るような真似は、俺はしたくないな。」

逆沢「まぁ精一杯手を尽くすと言っても、限度はあるけどね。費用対効果の問題もあるし。ダム建設と同じで、どんなにカネをかけても、ある種の災害の確率を少し下げられるかも知れないってだけで、自然破壊とか維持費とか他のリスクを考えたら、全く割に合わない事も多いし。」

愛原「それも同感。人間がエコノミックアニマルである以上、費用対効果は絶対に無視できない。津波対策だからといって、三陸海岸全域にお化けみたいな防波堤を設置するなんて、どう考えてもナンセンスだし(諫早湾の事業のように漁業にも深刻な悪影響を及ぼす可能性もあるし、その他海運・景観など、様々な方面で甚大な悪影響が出るだろう事は簡単に予測が付く)、岩手・宮城の被災地域に今後、家を建てない事にするなんてのも、土地の無駄だ(経済的な遺失利益もおそらく甚大になる)。だから人間は自然の偉大さを認めた上で、保険制度や国による救済制度を充実させる方向で、妥協しながら生きていくのがベターな気もする。そしてそれは決して【何もしない事】ではない。いざという時の避難システムを充実させる事も、保険や救済システムを充実させる事も、地震予知システムやその他の改善策を研究し続ける作業も、いずれも費用対効果も考慮した上で、精一杯手を尽くしている事には違いないからだ。」

鼎「もちろんどんなに避難システムを充実させようが、救済制度を充実させようが、それで災害の発生率が0%なったりはしないから、現状で妥協したり満足したりする事なく、常に改善策を検討し、修正を加え続けていく努力は必要だよね。」

逆沢「修正を加え続けていくことで、0%まではできなくても、その発生率や被害レベルはどんどん小さくできるだろうからね。」

愛原「【何もしない】のと、常に費用対効果も考えた上で、研究・改善し続ける事では、将来きっと大きな差が出るだろうからな。研究を進めた結果、より新事実が明らかになる事もあるだろうし、その結果、過去の方法ではダメだった事が判明する事もあるだろう。そういう時に、謙虚に失敗は失敗と認め、修正していく度量が我々には必要だ。」

鼎「しかし私達も、どれだけ無知だったかを本当に思い知らされる思いだよね。この分だと、私達も、まだまだどれだけ主張をひっくり返す事になるか分からないよね。」

愛原「くだらん見栄を張って、誤った主張をいつまでも続けている方が余程、恥であり有害だ。とかいって恥をかくことを恐れて、無言・無策でいるのも俺の性じゃない。無知は無知なりに勉強はするし、主張もするぞ。バグが出れば修正すればいいし、失言があれば訂正すればいい。何もしなければ恥もかかないかも知れないが、それでは永遠に間違いやより良い考え方に気付かない事もあるだろうからな。」












トップページに戻る