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愛原様のたわごと(11年10月3日)




愛原「グフフフフ。今日も元気だ。今回もガンガン飛ばすぜ。」

逆沢「あんたねー。そりゃネガティブ思考ばっかりでも困るけど、やたら空気読まないハイテンションでガバーッて来られても、やっぱり困るんだけどね〜。」

愛原「ネガティブよりはポジティブの方がいいだろう?」

鼎「私はなんでも普通というか、程々が一番いいと思うよ。」

愛原「なんて模範生的というか、世間迎合的というか、いかにもつまんない発想をする奴だな。お前は。」

逆沢「まぁ私も、普通とか程々という尺度を、御旗であるかのように絶対視するような発想は苦手だけどね。それなりに正しい意見なのは認めるけど、そういう人ばかりが集まる社会が果たして健全なのかという意味で。」

愛原「普通の人というか、世間迎合的というか、空気を読む人というか、とにかくその手の人ばかりの世の中なんて、俺的には不快だな。世の中を引っ張っていけるのは常に【空気を読まない先駆者】達だ。先駆者達が道のない所に道をつける。空気の読むだけの人は、他人の目線を気にして、他人の後を付いていく事はあっても、自ら切り開く力に欠けた一種の能力欠乏者ととられても仕方ない。」

鼎「でも今の日本の場合は、【失敗するくらいなら、何もしない方がいい】という考え方の方が支配的だから、それでなかなか挑戦的な事がしにくいような気もするよ。」

愛原「今の日本が閉塞感に覆われている理由が、その考え一つからして証明されてる感じだな。【今更、失うものは何もない】人が多数派なら嫌でも挑戦的になるんだろうけど、中途半端にモノがあるせいか、失うリスクばかりが先行して、それで【失敗するくらいなら、何もしない方がいい】という考えに落ち着いてしまってるのかも知れんが。」

逆沢「けどアメリカの場合は、世界一モノがあふれる国なのに、それでも挑戦心は旺盛な気もするけどね。まるで【止まったら負け】みたいな感じで、常に前に向いて突き進むようなイメージがあるというか。悪く言えば本気で反省も謝罪もしない国。よく言えば、失敗してもすぐに次の手を考えて何度でも立ち上がってくる国というか。」

鼎「まさしく開拓者精神だよね。アメリカが世界一の大国である理由の一つが感じ取れる思いだよね。」

逆沢「逆に日本は停滞模様って感じね。改革を志す者がいても、保守的なモノの考えの人が多すぎて、すぐに潰されてしまうというか。」

鼎「将来に希望を持てるポジティブ思考の人ほど挑戦的になって、逆に将来に不安を感じるネガティブ思考の人ほど保守的になるという話も聞いた事があるけど・・・。」

逆沢「まぁネガティブ思考の持ち主は、何かをしようとする度に【また失敗したら・・・】とか【これ以上状況が悪くなる可能性があるなら・・・】という思考でモノを考えがちだから、それで何でも引っ込み思案になって、新しいことをするのに臆病になりがちなんだろうけどね〜。草食男子なんてものが増えてるのも、成功する自分じゃなく、失敗する自分ばかりをイメージして、自分に臆病になってる若者が増えてる事の裏返しのような気もするし。」

鼎「ある意味、日本全体が、ネガティブな空気に包まれつつあるという事かなぁ?」

愛原「うーん。この流れのままでも面白そうだし、せっかくだからこのまま素直に行くか。今回のテーマは【ポジティブ・ネガティブ】だ。」

逆沢「おおっ。今回はちょっといい感じだわ。でもできたら、ポジティブメインの話題で突き進みたいわね。」

鼎「創作の世界では、ポジティブ系が圧倒的なメインの気もするよね。うつゲーとか、ネガティブを前面に押し出したジャンルもなくはないけど、大抵はハッピーエンドを目的としているというか。」

逆沢「バッドエンドを目的にした作品なんか、私はみたくもないわ。どんな苦境やトラブルが作中に用意されてても、最後は必ずその障害も乗り越えて、ハッピーエンドになると信じられるからこそ、ファンもその作品を楽しみにし続けられる訳だから。」

愛原「これは俺個人の持論だが、【創作物は、読者やプレイヤーに【希望(幸福感・癒やし等)】【快感(刺激・興奮・達成感・満足感等)】【知識(教訓・啓蒙等)】の最低でもどれか一つは与えなければならない】と考えている。その定義で言えば、うつゲーは【同情】以外の感想をプレイヤーに与えない事もあるからな。」

逆沢「同情か・・・。まぁオチがネガティブでも、それなりに有益な作品も多いけどね。ほら、社会問題を扱った映画とかもあるじゃない。たとえば痴漢えん罪を扱った作品とか。」

愛原「それは極めて有益な作品だな。視聴者に強烈な【知識】を与える立派な名作だ。というか社会問題をネタにとりあげた場合、オチはどうしてもネガティブになりやすい。でも作品が読者・視聴者・プレイヤーらに知識を与え啓蒙していく事で、その社会問題を解決・改善できる効果も期待できるからな。」

鼎「そういえば、いつの頃からか、痴漢えん罪という言葉もそんなには聞かれにくくなったような気もするよね。疑いをかけた側が罰せられる例も報道されるようになってから、色々バランスが取れだしたのかもしれないよね。」

愛原「社会問題を真面目に取り扱った作品は、社会全体に良い影響をもたらす事がある。それは大衆に【知識】を分かりやすく伝える効果があるからだ。そして歪んだ状況や理不尽を改めようという声が高まる事で、問題点の改善も期待できる。【改善が期待できる状況=希望のある状況】ともいえるし、それが成し遂げられた日には、この上ない快感や達成感ももたらしてくれる事だろう。」

鼎「すごい相乗効果だよね。知識希望を与え、希望が実現する事で達成感も味わえたなら。」

逆沢「でも社会問題を真面目に扱ってる創作物なんて、そう多くはないイメージだけどね。まぁほとんどの作品は、教育や啓蒙活動ではなく娯楽を目的としているから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。」

愛原「娯楽目的であるならなおのこと、【希望】なり【快感】なりが欲しいな。ただ【快感】だけを追及しすぎると、一部の人から猛バッシングを受けるのが問題だが。」

鼎「でもシューティングゲームとか格闘ゲームとかパズルゲームとか推理ゲームとか、ほとんどのジャンルの目的が【快感】だよね。」

逆沢「破壊する快感。蹂躙する快感。難題を解く快感。強敵に勝利する快感・・・。色々あるけど、ゲームなら大抵【攻略する(倒す)快感】に行き着くというのはありそうね。」

愛原「リアルでの暴力・殺人・戦争・強姦などは、社会的にみて極めて忌むべきものなのは間違いない。ただ、だからといってゲームなり小説なりの世界でも、それを忌むべきものとして頭から排除しようという動きは、俺は好きになれん。」

逆沢「あんたのような肯定派の人は大体【架空の世界で暴力性などを発散する事で、現実でのそれを抑制する効果がある】と主張し、逆に規制派の人は【ドラマやゲームの中で暴力シーンが登場する事で、現実でそれを真似する人間が増えるデメリットがある】と主張するけど、結局、どっちが本当なのかしらねー?」

鼎「この前、テレビで【ブレーキのない自転車】が東京周辺限定でブームになってるって報道があったけど、これも何かの映像の一シーンを見てカッコいいなと思った人がきっかけだったらしいよね。という事は、架空世界で反社会的な事をカッコよく表現してしまう事で、現実世界でも反社会的な事が広がりかねない懸念というのは、やっぱりあるような気もするけど・・・。」

逆沢「不良漫画に感化された一部の若者が、現実世界でそれを再現して暴走車両を走らせ回ったりして、社会に大迷惑をかけるような例は、昔からあるからねー。今でも芸能界で覚醒剤とかが蔓延すると、それに感化された若者にも悪影響を及ぼすという論調もあるし。」

愛原「・・・お前ら、二人そろって肯定派の俺を否定する側に回る気か?」

逆沢「いやいや。そうじゃないって。私も規制よりは自由を愛する人種だし。ただ逆の陣営の意見にも一理はあるだろうから、どっちが正しくてどっちが間違いという、善悪二元論は危険じゃないかなって思って。」

鼎「どっちの主張も正しいとは思うけど、結局は物事をポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるかの差だけの気もするよね。ポジティブにとらえたらメリットが強調されがちになるだろうし、ネガティブにとらえたらデメリットが強調されがちになるだろうから。」

逆沢「つまり何でもかんでもダメ出ししたがるような規制強化主義の人は、根がネガティブ思考という事か?」

愛原「ネガティブ思考で人間を見るようになると、どうしても性悪説に基づいた人間の管理をしなければならなくなる。人間が良からぬ事をしないように、可能な限り監視して枠にはめてみたいな感じでだな。」

逆沢「なんか監視社会とか禁欲社会って、すごくストレスがたまりそうなイメージで嫌なんだけど。」

鼎「けど世の中に悪い人がいるのは事実だし、どれだけ手抜きをしても許される、人に迷惑をかけても構わないみたいな世の中になったら、それはそれで困るよね。そうでなくても人は楽できそうなら、楽な方に流れがちな生き物だし。」

愛原「バランス感覚が必要だな。だからこそ俺としては、架空世界の中で、架空キャラをいくらボコボコにしようが構わないが、現実世界でそれをやったら絶対ダメという事で社会秩序とストレス発散のバランスをとりたいと思っているのだが。」

逆沢「現実とフィクションの区別がつかない人とか、フィクションを現実で再現したがる人もいるから、そこが何ともややこしいんだけどね。」

鼎「私もどっちが正しくてどっちが間違いという考えはとりたくないけど、創作の世界でも規制派が優勢な現状からすると、ネガティブ陣営の優勢さが何となく感じられてしまうんだけど・・・。」

愛原「ネガティブ思考の人は、何かをやろうとする度にデメリットばかりが先に浮かんで、結局、やめようとか縮小しようとか規制しようという方向に話を持っていきがちだ。何もしない、何もさせない結果、状況が悪化しないというなら、それはそれでまぁ容認できなくもないのだが・・・。」

逆沢「現実には、何もしなければほぼ確実に状況が悪くなるからねー。どんなものにも寿命はあるし、腐敗もするし。現実世界では、活力というか新陳代謝が常に必要というか。」

鼎「でも根拠のない楽観主義も危険だよね。【今さえ良ければそれでいい】とか【その内なんとかなるだろう】とか・・・。」

愛原「それはポジティブではなく、ただの怠慢だろう。ポジティブというのは、もっと積極的であるとか、前向きなものだと俺は解釈しているのだが・・・。」

逆沢「あれ? そういう解釈だった? 【ポジティブ=楽観的】なイメージもあったんだけど。」

愛原「辞書的には【ポジティブ=積極的、肯定的、前向き】って感じだから、楽観的と解釈しても間違いとまではいえないが、そもそも楽観の直訳はoptimismだろうが。ただの怠慢からくる楽観は、決してポジティブなんかじゃない。大体、【その内、何とかなる】とか言って何もしない人間の多くは面倒くさたがりだから、誰かが何かをしようと言いだしたら大抵反対する側に回るだろうし、分類としてはネガティブ寄りの方が近いと思うのだが・・・。」

逆沢「ああ、なるほど。そういう解釈もあるか。面倒くさたがりは、ポジティブに感じても、実際はネガティブ寄りか。」

愛原「ポジティブであり続けるには、色々エネルギーが必要だからな。もちろん未来に希望を持てない人が挑戦的になるのは困難だろうから、【ポジティブ人間⊂楽観主義者】である可能性は高いが、それは必要条件であっても、十分条件ではないと思う。」

鼎「つまりポジティブである為には、未来に希望が持てるという必要条件がいるのに加えて、行動力とか実行力とか積極性といわれるものも必要になるって事かなぁ?」

逆沢「でも実際には、ネガティブ思考の人の中にも、積極的な人はたくさんいそうな気もするけどね。というか規制派とか反対派といわれる人の方が、実は積極的でパワーもあるというイメージもなくはないし。前回のテーマでもあった利権団体なんか、特にそうじゃない?」

鼎「あっそっか。変えたいと考えるポジティブ思考の人よりも、変えられてたまるかと考えるネガティブ思考の人の方が、実はずっとパワーがある事も多いよね。」

愛原「それは多分、未来予測力の差だろうな。ポジティブ思考の人が積極的に努力して何かを成し遂げた際に起きる結果は、実際にやり遂げるまで分からない事が多い。バラ色の未来になるかも知れないし、逆に悪い結果に終わるかも知れない。だがネガティブ思考の人が積極的に努力して何かを阻止し得た時に起きる結果は、簡単に予想ができる(イメージがある)。それは以前と大して変わらない未来だ(厳密には腐敗したり老朽化した分だけは、確実に悪くなっている未来)。」

鼎「つまり、たとえばプロ野球選手を目指して本気で野球に打ち込んだ場合の未来は、成否も含めてなかなか予想困難だけど、野球に打ち込むことを諦めて平凡に生きる事にした場合の未来は比較的予想しやすいって事かなぁ? 多分、平凡な人生になるだろうって感じで。」

逆沢「現実には、平凡な人生にも、なかなかならないだろうけどね。というか、予想通りの人生を計算通りに生きている人間なんて、果たしてどれほどいる事やら♪」

鼎「でも【平凡な選択肢を選んだら、平凡な人生になるだろう】というイメージは、やっぱりあると思うよ。実際にそうなるかどうかはともかくとして、挑戦的な未来を予想した場合と比べると、どうしてもイメージがわきやすいというか。何となく【そんなに極端に悪い人生にはならないだろうな】というイメージで。」

愛原「人間、もらえる見込みのものがもらえなくなった場合よりも、今までもらっていたものを取り上げられる場合の方が、はるかに嫌がるものだ。ポジティブ思考の持ち主より、ネガティブ思考の持ち主の方が、意外とパワーがあるのはそのせいもあるかも知れない。未来に希望を持つ者は、仮にその未来を妨害されても、また次のチャンスがあるさと前向きに考えやすいが、未来に希望を持てない者は、これ以上、状況が悪化しかねないシチュエーションになると、全力で阻止にかかるという事なんだろうな。」

逆沢「うーん。ネガティブパワー、恐るべし。」

愛原「まぁネガティブ思考の持ち主の多くは、陰気であったり、消極的であったり、諦め根性だったりする事も多いから、大抵の場合は無力無害な気もするが・・・。ただ彼らが何かのきっかけで集団化したり、暴徒化するとかなり厄介な気もする。ネガティブ思考の人間は、追い詰められるととんでもない事をしてくる事も珍しくないからな。」

鼎「内にこもる人は、うつ病になりやすいし、何かの衝動で自傷行為に走る人もいるらしいよね。」

逆沢「自傷行為ならまだマシよ。暴発して他人に八つ当たりしたり、ひどい場合は事件を起こす人も中にはいるし。」

愛原「どんな人間でも、心理的に追い詰められるとパニック状態になるのはやむを得ない。ただネガティブ思考の人の方が、どうしても心に不安を抱えている分、そういう状態になりやすい気はする。」

鼎「ポジティブな気持ちを維持できている人は、あまりそういう状態にならない感じがするよね。」

愛原「SLGなどをプレイしている時に、少し厳しい局面になる事がある。こういう時、プレイヤーの心理がポジティブな挑戦心に満ちていると、いわゆる脳汁がでまくったような状態になる。脳波でいう所のアルファ波がでまくった状態だ。このアルファ波がでまくっている時、人は興奮状態になりながらも集中力も最高潮に達し、頭の回転もすこぶる早くなったりする。お前らはこういう経験はあるか?」

逆沢「あるある♪ ちょっと難しい局面をどう乗り越えるかで、すごく悩みまくるんだけど、いい意味で興奮するというか。国盗りゲームとかで多方面作戦を強いられた時に、どの配分で戦力を振り分けるかとか、どの拠点で守り、どの方面から各個撃破していく方が楽かとか、あるいはこっちを先に攻めた方が見返りが大きいかもとか、色々選択肢が多くて悩ましくもあるけど、ワクワクがとまらない感じでもあるのよね。」

愛原「ポジティブ思考の人間は、ピンチに対しても、比較的前向きかつ健全に対策を取りやすい。ピンチを乗り越えたときの快感や達成感を楽しみにしながら、知謀と行動力の限りを尽くして、何とかこのピンチを打破してやろうと考えがちだからだ。また仮に打破できずに終わっても、全力を尽くせた事で充実感を残せたり、あるいは次、似たシチュエーションになった時は別の方法を試してみようと再分析する心境になれたり、再挑戦が許される状況なら、対策を練ってすぐに再挑戦したくなったりと、どちらにしても悪い心理状態にはなりにくい。」

鼎「逆にネガティブ思考の人は、ピンチになると単純に恐怖心に覆われたり、自暴自棄になったりする人も多いよね。」

逆沢「ゲームでバッドイベントとかが起きてピンチになったら、迷わずリセットボタンに手をかけるタイプね。簡単にロードしてやり直せないような状況に陥ってしまった場合は、ダメもとでヤケクソの特攻作戦に出るかみたいな感じで。」

愛原「ポジティブ思考の人は負けは負けで素直に認めた上で、次の戦いに備えて素直に気持ちを切り替える。今回の敗因もしっかりと分析した上でだな。一方、ネガティブ思考の人は負けをなかなか認められず、見苦しい抵抗すら示す事がある。負けを認める事で、何かを失うのが怖いと言わんばかりに。」

鼎「ネガティブ思考の人は、考え方自体が守りに入っているから、何かを失う事には、特に敏感になりがちなんだと思うよ。」

逆沢「うーん。話を聞ければ聞くほど、やっぱ私にはネガティブ思考は向かないわ。世間の評価もネガティブ思考よりはポジティブ思考の方が人気があるみたいだし、できればもっと多くの人がポジティブ思考に切り替えられたらとも思うんだけどねー。」

愛原「そう簡単に切り替えられたら、誰も苦労はしない。それにネガティブ思考の持ち主が安易にポジティブ思考にチェンジしようとしても、結局ただの楽観主義者で終わりそうな気もするしな。」

逆沢「あっそっか。深く悩まなくなったのはいいけど、今度は何も考えないだけの無責任人間になっちゃう可能性もあるわけね。今までは現実世界の問題点を本人なりに真面目に考えてそれでネガティブにもなってたけど、今度は現実逃避するだけの人間になりかねないってか。」

愛原「ポジティブな人間だって、悩み自体は色々抱えている。世間に迎合しない事で様々な逆風もあるだろうし、周りの人間に相談しにくいような専門的な分野で対策を見いだせず手詰まりになる事もあるだろう。でも、だからこそ、彼らは普通の人よりも、ある意味でより現実的に生きている。たとえばプロ野球選手でも、凡人が想像も出来ないような緻密な健康管理や体調管理をしている人は多い。」

逆沢「あ、そうか。彼らは現実の厳しさが分からない夢見る少年の集まりかと思ったら、むしろ逆かも知れないって事ね。確かに凡人が知っている常識すら知らない人も多そうだけど、その道で現実にメシを食ってる以上、生きていくのに必要な分野では、彼らは凡人以上に現実が見えていると。」

愛原「我々ゲーマーが、ここ一番の局面で脳汁をいっぱい出して、必死で最善の対策を練るように、ポジティブな人間は大体、ピンチになるほど脳汁をいっぱい出して脳と集中力を最高潮にした上で、乗り越えようとするものだ。」

鼎「人間、生きている以上、ピンチは何度もあるけど、どれだけポジティブな気持ちで乗り越えられるかが大事な気もするよね。」

逆沢「某漫画の主人公じゃないけど、ピンチになっても【オラ、ワクワクしてきたぞ!】みたいな感じで、ますます闘志を高めて、知力・胆力・時の運を最大限に生かして乗り越えちゃう訳ね。」

愛原「人間誰しも、キツい局面に立たされる時はある。その時に、どう反応するか? それだけの話だ。根拠のない楽観主義に染まってさっさと諦めるか、自暴自棄になったり泣きわめいてでも散々抵抗するか、あるいは闘志むき出しで脳汁たくさん出して対応するか?」

鼎「頭では、ポジティブな気持ちでピンチに立ち向かいたいという気持ちはあるんだけど・・・。」

逆沢「理性で思った通りの事ができないのが人間だからねー。ほらたとえば、平均台の上で跳んだり跳ねたりできる人が、10メートル上の鉄橋を渡ろうとしたら足がすくんで動けないなんて事もあるじゃない?」

鼎「平均台の上から落ちても大したことないけど、10メートル下に落ちたら大怪我するし、そう思うと恐怖で体が麻痺しちゃう事はあるよね。それと同じ事で、失敗した場合のリスクが大きいと感じるほど、心もすくんでしまって、それでネガティブになっちゃうというのはあると思うよ。」

逆沢「そうそう。失敗してもまたやり直せるとか、いずれ挽回できるとか、最低の生活はできるだろうとか、そういうセーフティーネットが感じられる世の中なら、人はもっと冒険できるし、ピンチになっても脳汁をたくさん出して、積極的にピンチを切り抜けられると思うけど。逆に失敗したら後はないとか、ピンチを乗り越える方法が全く思い浮かばないなんて気持ちになると、心も臆病になっちゃうのは分かる気もするわ。」

鼎「ゲームの世界なら、何度プレイに失敗しても、実生活に害はないから、脳汁たっぷり出して難局に立ち向かえるけど、現実世界でのるかそるかの大ばくちに挑むのは、すごく勇気がいるよね。」

逆沢「でも、だからこそファンタジーの世界の勇者達が、それなりにカッコよくも感じられるんだろうけどね。彼らはどんな強大な敵にも屈しない本当の勇者達だから。」

愛原「まぁ中には、いわゆるイヤボーンみたいな、何の励ましにも参考にもならないようなオチを持ってくる作品もあるけどな。」

逆沢「あはは。まぁそれを言うな。でもイヤボーンだろうが何だろうが、彼らが希望を決して捨てない心の勇者である事は事実なんじゃない?」

鼎「でも私達は英雄でも勇者でもないから、やっぱり希望を持てるような世の中であって欲しいと思うけど・・・。」

逆沢「だったら何度、改革に失敗してもあきらめずに挑戦し続けるしかないわ。あきらめた時点で、未来に対する希望も期待もなくなっちゃうし。もちろん原発神話みたいな感じの根拠のない【大丈夫だ大丈夫だ】の繰り返しじゃなくて、ちゃんとした中身のある改善をしていかないとダメだろうけど。」

愛原「根拠のない【大丈夫だ大丈夫だ】は、あきらめの自己正当化でしかないからな。ポジティブとは似て全く非なるものだ。少なくとも悪の魔王が世界を恐怖に陥れているのに、【大丈夫だ大丈夫だ】と言ってるだけで何もしない人間は、決して勇者にはなれん。我々は勇者にはなれないかも知れないが、もしもその勇者の活動に希望が持てそうなら、せめてその足を引っ張りたくはないものだな。」

逆沢「勇者に向かって【どうせ無駄なんだから、余計なことはやめろ】というくらいなら、黙って見てた方がまだマシって事かな?」













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