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愛原様のたわごと(12年1月8日)




愛原「祝、謹賀新年。前回、変なフラグが立ちそうになってちょっとあせったが、とりあえず無事に年を越せた事もあって、早速更新だ。」

逆沢「うーん、ネタになりそうなドラマチックな年末にはならなかったか・・・。ところで今回の更新間隔は少し短すぎない?」

鼎「前回は3週間空いていたのに、今回はわずか1週間で更新だよね。」

愛原「まぁ更新できる時にできるだけ更新しておかないと、また3週間もブランクを空きかねないからな。という訳で新年最初のテーマは【創造→創作】だ。」

逆沢「おいおい。何の前置きもなく、いきなりテーマか? まぁその方がまどろっこしくなくていいけど。」

鼎「無駄話がなくてスッキリ♪と思った人もいるかも。」

逆沢「本編自体がそもそも無駄話のカタマリでしかない気もするけどね。」

愛原「お前らのツッコミが、一番の無駄話だと思うのは俺だけか・・・?」

鼎「ツッコミにツッコミで返したら、いつまでも本題に入れないよ。」

愛原「むむむ・・・。まぁ年始めくらい、シンプルでいくのもよしか。」

逆沢「テーマ名に【→】が付く事自体、初めての試みのような気がするけど、これには何か意味があるのか?」

愛原「うむ。本来は【創作してみよう】みたいなノリのテーマ名でも良かったのだが、【創作する前に必要なモノがあるだろう】という事で、創作の前に創造という単語を入れてみた。創作は単なる製作とは違って、創造する過程をすっ飛ばして成り立たないからな。」

逆沢「ただ単にマニュアルやレシピに従って物を作るだけなら製作。自分で色々工夫したり創造しながら、独自の物を作り上げるなら創作という定義でいいのかな?」

愛原「まぁその解釈でいてもらえた方が、今回のテーマ的にはありがたいな。」

鼎「つまり完全オリジナルであれ、二次創作品であれ、オリジナル要素があれば創作品という解釈でOKかなぁ?」

愛原「まぁOKだろうな。カレーに何かのスパイスなり具なりを加えただけでオリジナルの創作カレーになりえるようなものだ。もしかしたら世界のどこかで同じ物を作っている人はいるかも知れないが、そんな事はさして重要ではなく、肝心なのはあくまで自分が自力で創造して作り上げた一品であるという一点だ。」

逆沢「なるほど。つまり食パンに思いつきで何かを挟むだけで、オリジナルの創作サンドイッチを名乗ってもOKという訳ね。」

愛原「市場に出したいのなら【ちょっと待て】という事になる可能性もあるが、身内の中でなら特に問題はないぞ。」

鼎「という事は創造品というのは、案外誰でも簡単に作れるという事になるのかなぁ?」

愛原「売れるかどうか、評価されるかどうか等を横にどけるなら、まぁ人間なら誰でも作れる可能性はある。いや、人間ならではと言い換えても良いかも知れない。そもそも創造や創作というのは、機械やコンピュータの一番苦手とする分野だからな。いや、人間の最大の武器と言ってもいい程だ。」

逆沢「2010年の4月に【コンピュータは人間を上回れるか】というテーマをとりあげた事があったけど、その時は【いずれはチェスだけでなく、将棋の世界でもコンピュータが人間を圧倒する時代が来るだろう】という話だった記憶があるけど。確か演算能力と記憶能力が人間とは段違いという事で。」

愛原「そう。単純な製作なら、並の人間よりも機械やコンピュータの方が優れた働きをする事も多い。だが創作は別だ。たとえばコンピュータに、オリジナルラノベを書けと命令したら、ちゃんと新作小説を書き上げる事ができるだろうか? あるいは萌え少女を創造しろと命令したら、ちゃんと創造できるだろうか? もちろんサンプルの萌え少女を10人ほど、あらかじめコンピュータにインプットしていたら、その10人のサンプルを平均化した位置に目や鼻がある新キャラクターは生み出せるかも知れないが、それは平均化処理をやっただけで、創造とも創作ともいえないしな。」

鼎「どんなにコンピュータのレベルが進歩しても、おそらく決して(少なくとも近い内に)人間サマに勝てないと思われるほどの、人間サマ最大の武器。それが創造力って事かな?」

逆沢「つまり創造力のある人間は、どんなにコンピュータや機械が進歩しても、決して食いっぱぐれしないって事かな? どんな怪力の持ち主でも、どんな記憶力のある秀才でも、あるいはどんな上司に従順な部下でも、いずれは機械やコンピュータに仕事を奪われる可能性があるけど、創造能力だけは人間ならではだから。」

愛原「機械やコンピュータは、与えられた指示に従って迅速・丁寧・かつ誤差少なく物を製作する能力には秀でているが、無から有を産み出すような創造力は、ほぼ皆無だからな。人間は生ある者全員が、ある意味みんな魔法使いだ。人間はコンピュータや機械と違って、言われた通りの仕事を必ずしも忠実にやらない代わりに、より効率的な方法を自主的に探す事ができる。」

逆沢「なんかそんな言い方されると、まるで【上司に忠実なだけの部下】タイプの人が低能みたいに聞こえるんだけど。」

愛原「別に低能とは言わんし、その方面ではむしろ優秀だとも思うが、人間らしくはないかも知れんな。与えられた仕事以外の仕事も発想もしないというなら、ロボットと大差ない。まぁ管理する側の人間からしたら、ロボットみたいな従業員の方が扱いも楽だから、徹底したマニュアル漬けのアルバイトばかり雇いたがるような企業も最近は多いけどな。」

逆沢「そのせいか、主体性のかけらもない素直な部下ばかりが優遇されて、やがてその人らが上司の立場になった時、職場自体が官僚機構みたいな組織に成り下がるなんてケースも多いみたいね。」

愛原「創造・創作という行為は、ある意味では現状からの反発から来る場合も多い。もっとおいしいカレー作りに挑戦したいとか、もっと効率的な仕事のやり方があるはずだとか、私ならここに手を加えてもっと面白い作品にできるとか、自分はこんなレベルの人間じゃないはずとか(?)。ともかく完全に現状に満足していないからこそ、創造・創作に力が入ると言い換えてもいいかも知れない。そう言う意味では、既存の価値観に基づいて忠実に行動するだけの優等生タイプの人よりも、冒険的・反骨的な人間の方が創造・創作には適しているかも知れないな。」

鼎「ただ創作活動というのは、誰でも簡単にできそうで実際にはなかなか難しいよね。それはどうしてかなぁ?」

愛原「創造の段階でつまずく場合と、創作の段階でつまずく場合の二種類があると思う。ちなみにここの作者がゲーム作りをする上では、十中八九、創作の段階でつまずく。」

逆沢「創作の段階でつまずくというのは、具体的にはどういう事だ?」

愛原「たとえば妄想の世界で、燃える一シーンを創造できたとしよう。仮にその燃える一シーンを【誰かに見てもらいたい】とか【誰かに評価してもらいたい】と思った場合、まず何らかの創作物に変換する必要があるわけだ。」

逆沢「何らかの創作物・・・。たとえばアニメなり実写ドラマなり漫画なり小説なりゲームなりといった媒体に、その創造した内容を変換する必要があるって事ね。」

鼎「私的には、アニメに変換できたら一番ベストだと思ったけど・・・。自分の妄想した燃える一シーンを、分かり易く視覚的に他の人に伝えられるし。」

逆沢「ただ妄想をアニメ化するのは、猛烈な手間がかかるのよねー。というか妄想のアニメ化を一人でやるなんて無謀でしょ。」

鼎「じゃあドラマ化・・・も無理だよね。俳優もそろえられないし、舞台背景となるセットも用意できないし、専用のカメラや照明などの機材も必要になるだろうし。」

逆沢「妄想を形にするって、本当に大変としか言いようがないわ。ああ、それで、大抵の創作系オタクは漫画や小説という形で、妄想を形にしたがるわけね。」

鼎「漫画や小説も口で言うほど簡単ではないけど、自分一人だけでも形にする事は可能な分だけ、敷居はずっと低いよね。」

逆沢「特に小説という形態なら、日本語がOKなら敷居は一番低そうな気がするわね。上手に書けるかどうかを別にすれば、一番、作品を形にするまでの手間も少ないような気もするし。」

愛原「但し、敷居が低いという事はライバルが多いという裏返しでもある。上手い下手を別に割り切れるなら無問題だが、評価されたいとか、広く読んでもらいたいとか、大それた事を考えると大変だぞ。」

鼎「12月9日のリンク記事を見て、すごくびっくりしたよ。一つの小説コンクールにも5000人以上が応募してたりして。これって一小選挙区の中にも平均15人以上はいる状態だし。」

逆沢「長編小説部門だけでも3000人を越えてるから、とすると私達の地元選挙区からも、10人以上は小説をちゃんと書き上げてエントリーしててもおかしくないわけね。しかも毎年出品し続けている人ばかりでもないだろうから、潜在的な本格的小説家志望者は、一小選挙区だけでも30人や40人は楽勝でいそうって事か。こいつは大変だわ。」

愛原「まぁ創作なんてものは打算だけでやろうとしても、まず通用しないからな。売れる売れないみたいな打算だけにこだわらず、好きなら好きに作り続けた方が、結果的に良いとは思う。自分が好きにもなれない作品を創作して、他人にその作品を好きになってもらおうなんてのも、失礼かつ無茶な話だ。」

鼎「表現媒体が小説であっても他の媒体であっても、創作品を完成させられる人は、それだけでみんなやっぱりスゴい人達だと思うよ。」

愛原「全くもって、その通りだな。使える時間のせい、本人の技量のせい、根気のせい、色んな理由はあると思うが、創造したものを創作という段階まで持っていける人は、みんな尊敬すべき人だと思う。漫画で一ページを描ききるだけでも、コマ割りとか、キャラクター造詣とか、必要ならペンやインクの扱いに対するこだわりとか、あるいは集中線などの表現技法やら、スクリーントーンの迅速・綺麗な使い方やら、色んな要素がからみあって、とにかく大変すぎる。」

鼎「ゲームも、足りない素材は全部自分で作らなくちゃいけないし、プログラムも面倒だし、動作チェックも何十回も必要になるし、大変だよね。」

愛原「幸い、今の世の中は色々便利だから、ドシロートからでも経験値さえ貯めればなんとかなるのがありがたいとは思うけどな。」

逆沢「それでも経験というか、根気はやっぱり必要か・・・。メンドクセ。」

愛原「最初から一流の人はいない。こういったら何だが、ウディタの開発者であり、フリーゲーム界ではある意味、神同然のSmokingWOLF氏にしても、処女作は今と比べるとそれなりだった(と僭越ながら個人的には思う)。逆をいえば、SmokingWOLF氏はこれからも作品を出し続ける度に、前作以上にパワーアップし続けるんだろうなぁとも思う。」

逆沢「成長しなかったら、それこそロボットと同じだわ。失敗も繰り返すかも知れないけど、成長してこそ人間だから。機械やコンピュータは自力ではバージョンアップもできないけど、人間は自分自身はもちろん、他人も機械もコンピュータも、みーんな成長させたり進化させたりバージョンアップできる美点がある訳だから。」

鼎「【成長する=創作する】と言い換えてもいいかな?」

愛原「【成長する可能性を持っている】くらいなら、いいんじゃないか。」

逆沢「てことは、今ふと思ったんだけど、創造自体するのが苦手な人はどういう感じになるわけ?」

愛原「ああ、なるほど。俺自身は、創造する段階より、創作する段階で詰まる事が多いタイプだから深くは考えなかったけど、そういう局面だって、誰しもあるわな。いいアイデアが浮かばず、悩みまくる事もある。ていうか案外多い。」

鼎「アイデアをたくさん出すコツとかあるのかなー?」

愛原「あるかも知れないが、俺には分からんな。たとえば俺に超一流の漫画を描く技法があって、なおかつドラえもんの著作権を譲り受けたとしても、じゃあ俺に面白いドラえもんの続編を描けるかと言われたら、これは自信をもってノーだ。」

鼎「あ、それは分かるかも。漫画を描く技術があっても、肝心のシナリオが思い浮かばなければ、最初の一ページも描けるはずもないよね。」

愛原「そういう意味でも、藤子・F・不二雄氏は超一流の漫画家だった。いつもの短編から大長編まで平行して、毎月、すさまじい量の漫画を何十年に渡って描き続けてきた。毎月、毎月、よくこれだけのアイデアが思い浮かぶなぁとしみじみ思う。」

逆沢「綺麗に早く絵が描けたら、それですぐ漫画家になれるなんて思ったら、とんでもない間違いってか。」

鼎「そういう人は、漫画家のアシスタントには向いているかも知れないけど、漫画家にはなれないと思うよ。漫画家の先生が出したアイデアと指示に従って、漫画の制作には貢献できると思うけど、自分が漫画を創作しているんだとはちょっと言いにくいよね。」

愛原「創作するには、前段階として創造が必要だ。別に細部まで決める必要はないが(最初の内から細部まで縛ると、かえってシナリオの制約を増やしやすい上、キャラクターに魂がこもらずロボット化する懸念がある。むしろキャラクターに生命を吹き込むことに成功したなら、後はキャラクターの好き放題に暴れてもらった方が良い事も多い。)、世界観とか、そこで活躍するキャラクターとか、大体のシナリオのノリ(流れ)とか、そういうの。たとえば小説家志望といっても二種類の人間がいて、とりあえず創造段階はクリアしている人と、創造すらできてない人がいる。そして創造すらできてない人は、最初の一ページすら書くことが出来ない。これでは経験を積む以前の問題で、容赦ない言い方をすれば、論外だ。」

逆沢「まぁ大抵の創作系の人は、創造の段階で悩むことはないと思うけどね。創造行為自体に関心の薄い人は、そもそも何かを創作したいとも思わないだろうし。むしろ【俺の脳内名作(?)を何とか形にしたい】という情熱が、創作衝動に走らせるとも思うし。」

鼎「創造の段階でつまずく人は、単に【創作活動にあこがれているだけの人】のような気がしたかも。」

愛原「スポーツ選手に憧れてスポーツをやるのと、漫画家に憧れて漫画を描くのは、中身が全く違う。スポーツは模倣だけでもある程度は何とかなるというか、基礎こそが重要だが、漫画や小説にまず必要なのは、まず創造力だ。あこがれる小説家の小説を何回全文写ししようが、あこがれる漫画家の漫画をどれだけ正確にトレースしようが、それではアシスタントにはなれても、作家自体には絶対なれん。俺がどれだけドラえもんの大ファンであっても、藤子先生に仕えたスタッフをそのまま受け継いで原作の立場だけに徹したとしても、絶対に藤子先生の後継として成功するはずがないのと同じだ。」

逆沢「創作者に第一に必要なのは、きれいな絵や文章を書く能力でもなければ、正確・迅速なプログラマーとしての能力でもなく、とにかく創造力といいたいわけね。」

鼎「創造力があるか否かは、自分が人間であるか否かとも結びつきかねないと思ったら、なんかどうしても創造力を高めたいと思ったかも。」

逆沢「けど方法が分からんわ。創造力を鍛える方法なんか。」

愛原「俺も分からん。ただ妄想する事を馬鹿にしたり、ルーチンワーク以外の事をするのを嫌がる人間に、優れた創造力は宿らない気はする。創造する事というのは、夢や効率を希求する行為であると同時に無駄な行為でもある。カレーに新たなレシピを加えたり配分を変えた結果、必ずおいしくなる保証はない。実験して必ず成功する保証もない。文章を書けば誤字脱字も出る。プログラムを組めばバグも出る。それを嫌がる性分かどうか。無駄な事に時間を割けるゆとりがあるかどうか。」

逆沢「無駄と効率は表裏一体だから、要するに意欲の問題ね。意欲のない人は、挑戦して失敗する無駄を避けている代わりに、挑戦して成功するという効率(夢)を放棄している事になるし、意欲がある人は逆なだけだから。」

鼎「妄想するのはとても楽しいけど、妄想の殻に閉じこもってばかりでは駄目だとも言われるし、それでもやっぱり妄想も役に立つのかなぁ?」

愛原「創造・創作する上では有用だ。自分にとってカッコいいシーンは他人から見てもカッコいい事は多いし、自分にとって感動的なシーンは他人にとっても感動的なシーンも多い。ま、要するに、妄想した内容をネタや糧にするか、ゴミとして切り捨てるかだけの差だろうな。」

鼎「あ、そっか。よく考えたら、誰でも夢くらいみるし、妄想もするから、要はそれを前向きにとらえるかどうかの差なのかも知れないよね。肯定的にとらえる人はネタとしてストックできるし、それを元に創造の幅も広がるから。」

愛原「ウチのゲームに社会ネタが多いのは、社会ネタを積極的にネタ化するからというのもある。旅行したらしたで旅行先がそのままネタになるし、そういう強みはあると思う。なので生まれつきの先天的な意味での創造力は、あまりないと思う。」

逆沢「藤子・F・不二雄氏みたいな人なら生まれついての創造力の達人かも知れないけど、それでもラジコンとかゲームウォッチとか、その時代その時代のブームを童心で受け止める事ができる資質があったからこそとも思うしね。」

愛原「子供の遊びを【所詮、子供の遊びだ】と馬鹿にするような人に、子供向けの創作はまずできないとは思う。」

鼎「つまり、冷めた目線でつまんなく割り切って生きている人よりも、色々興味を持って首を突っ込んで、それをネタとして消化できる人こそ、創作者としてふさわしいという事になりそうだよね。」

愛原「俺自身は多趣味とまではいかないので、創作者としてはイマイチな気がするが、幸か不幸か、創作する方での能力が創造する方の能力より低い為、ネタ不足で時間をもてあます事は(今の所は)まずない。創作者のマネゴト程度なら、今年も続けていけたらいいと思う。」




















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