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愛原様のたわごと(12年4月1日)




愛原「さて今回は、前回に続いて理系的観点からの証明の話でも始めるとするか?」

逆沢「おいおい。まさかそれが今年のエイプリルフールネタか? つまりこの話はしないという事で。」

鼎「そもそもリーダーに理系の話はできないと思うよ。」

愛原「お前らなぁ・・・。言っておくがウチは、エイプリルフールネタなんかした事は今まで一度もないぞ。今回も普通に通常運転だ。」

鼎「でも理系の話って、すごく難しそうだよね。色々専門的過ぎて。」

逆沢「でもゲーム作り自体は、どっちかというと理系の得意分野だと思うけどね。何となくだけど、同人ゲームの作者さんの大半は、理系畑出身のような気がするし。」

鼎「シューティングゲームとかを作るには、三角関数を自在に操るスキルが必要っぽいし、私達が扱うようなごく普通のゲームでも、確率・統計が苦にならない方が、色々有利な気がするよね。」

愛原「ゲーム作りは、ある意味、数字との格闘でもあるからな。数学的思考が得意かどうかで、思考ルーチンや情報処理速度自体も段違いで変わってしまう。数学的思考が苦手な人間なら【総当たり方式】で判定する所を、数学的思考が得意な人間なら必要な部分だけ抽出して判定できるようなルーチンを組むことで、データ処理速度を何倍も短くできる事もあるしな。」

鼎「以前にテレビでやってたけど、確かプロの元棋士を破ったコンピュータの勝因も、抽出技術が進歩した事らしいよね。」

愛原「チェス程度の分岐パターンなら、総当たり方法で最善の手を導き出すのも十分可能だったが、将棋の場合、持ち駒を好きなところに打てる分、分岐の数がすごく多く、総当たり方法だけでは思考時間が長くなりすぎ、持ち時間的に非現実的だ。ただ、そうなると勝敗を分けるのは、どうしても抽出技術うんぬんの問題になってくるからな。まぁ我々が普通にゲームを遊ぶ場合でも、ロードやNPCの思考ターン時にやたら時間をかかるゲームはストレスの元になるので、抽出技術が高いに超した事はない。理系人の腕の見せ所でもある。」

鼎「ところで前回、文系的証明は情報が命みたいな話をしたけど、理系的証明といえばやはり科学かな?」

愛原「かなり多く誤解を伴いかねない、ぶっちゃけ過ぎた解釈方法だとは思うが、まぁ大ざっぱにくくればそうなると思う。数多くの事実を積み重ねて法則性を見いだし、さらに多くの事実に迫るのが科学的証明の醍醐味だろう。」

逆沢「【○○の定理】とか【○○の法則】とか、そういうの理系ではずこく多いわね。」

鼎「アインシュタインが見いだした相対性理論(E=mc2)などは、すごく美しくシンプルな公式だと私は思うよ。数多くの事象から、こういう法則性を突き止めるって、すごくロマンがあっていいよね。」

逆沢「さぁ? 私は理系じゃないから、鼎みたいに公式に美を感じる感性など分からないけど。」

愛原「科学の世界において、この法則性というのは非常に重要だ。【きちんと必要な条件をそろえれば、必ず同じ結果が出る】という確実な再現性と置き換えてもいい。まぁ演繹法的な考え方にも近そうだな。」

鼎「逆に文系的な証明は、帰納法といえそうだよね。数多くの情報を集めて、一つの結論を推測していくのが文系的な証明方法だから。」

愛原「文系的観点だけから証明しようとすると、どうしても大いなる勘違いにたどり着くリスクがある。たとえば【アメリカはイラクが大量破壊兵器を保有していると言っている。】+【日本もその意見に賛同している】=【だからイラクは大量破壊兵器を持っているに違いない】となりやすい。」

鼎「科学の世界では、正しいに違いないという思い込みではなく、明らかに正しい事を前提としている所が違いそうだよね。」

愛原「その代わり理系的証明方法では、前提自体が間違っていると、神学理論になる危険性もあるけどな。たとえば【天動説は正しいに違いない】→【なぜ天動説は正しいといえるか、科学的に証明・検証しよう】とした所で、前提自体が誤っているので、神学理論以上にはならないのだ。演繹法的な物の考え方の場合、前提条件自体が狂っていると、最後までおかしな感じになってしまう。1+1=8を大前提にどれだけ精密に計算を積み重ねても、正しい答えにたどり着くのが困難なのと同じだな。」

逆沢「ああそれ、数学のテストとかでも経験した事あるわ。1と7を見間違ったり、kgとmgの違いを見落としたりして、前提自体を勘違いしてると、どれだけ再計算しても正解にたどり着かないのよねー。」

鼎「でも逆を言えば、前提さえ正しければ、正しい結論にたどり着くというのが科学的思考のいいところだよね。偶然という名の気まぐれに、振り回されにくいというか。」

愛原「その通りだな。これはコンピュータでも当てはまる。逆を言えばランダム要素を創り出すのがやや苦手。ちなみにウチのゲームの場合は、内部時計を元にランダムを生成している為、仮にゲーム開始時から全て同じタイミングでボタンをクリックし続ける事ができれば、何度戦闘をやり直しても必ず同じダメージ量になる。」

逆沢「でも内部時計の単位は、1000分の1秒らしいから、事実上、同じダメージを再現するのは不可能だけどね。」

愛原「さて、ここからが本題だ。この前提さえ正しければ無双ともいえる理系的証明も題材とした上で、創作活動全般に活かせるテーマとして、今回は【SF考証(SF設定)】をやってみたいと思う。」

逆沢「いきなりでなんだけど、【SF考証】って何?」

愛原「SF考証とは、その作品内で通用する基本設定の事だ。たとえばガンダムの世界で、ミノフスキー粒子という概念が登場するだろう?」

鼎「なぜレーザーブレードという兵器が成立するのかを裏付ける作品内の科学的設定として登場した概念だよね。」

愛原「メジャーなSF設定としては、反重力、ワープ、タイムトラベルなどもあるな。」

鼎「反重力は、翼などがなくても空を自由に飛ぶ技術。ワープはどれだけ離れた場所へもあっという間に移動できる技術。タイムトラベルは過去や未来に移動できる技術として登場するよね。」

愛原「もちろんこれらを、荒唐無稽な魔法的技術として作品内に登場させる事も可能だ。しかしそれらにあえて法則性や現実味を持たせようとした結果、色んな優れた【SF考証】ができあがる事になる。」

逆沢「とするとたとえば、ジョジョの奇妙な冒険シリーズに登場するスタンドも、法則性があるという点ではそれなりにSF考証がある作品という事になるのかな?」

愛原「・・・まぁ、少しくらいはあるかも知れないな。SF考証というのは、作者側からみれば【縛り設定】ともいえるもので、これがあるせいで、何でもやり放題という訳にはいかない反面、限りある条件で主人公達が勝機を見いだすなどといったドラマも生み出すメリットもある。」

逆沢「変な縛り設定なんか作らなければ、主人公が愛のパワー(?)で目覚めて、圧倒的な力でどんな巨悪でも叩きつぶせそうなのにねー。」

鼎「そういう意味では、ドラゴンボールなんかは、すごく巧妙なSF設定になってるよね。【サイヤ人は元々回復力が高い上に、大ダメージを受ける事でさらに飛躍的に戦闘力を上昇させる事ができる】という設定のおかげで、【圧倒的な強さを持つ敵の攻撃でピンチに陥る主人公→大ダメージを受けた事で敵を上回る戦闘力を身につけて敵を打倒する主人公】という最高のドラマを演出できるようになっているから。」

逆沢「そういや、【聖闘士には同じ技は通用しない】みたいなSF設定の漫画も、昔、あったわね。」

愛原「いずれもいかにも少年漫画的なSF設定ではあるな。だがドラゴンボールの場合は、そのSF設定であるが故に、敵も味方も強さがインフレする一方という欠点もあったけど。一方、聖闘士星矢型のSF考証に関しては、ひとそれにも若干取り入れている部分があるが。」

逆沢「ん? 取り入れている? どこで?」

愛原「味方パーティーの中に小谷がいるだろ。彼は相手の魔力成分を分析する事で、相手の超能力を打ち消していく事ができる。つまり初見の敵に対してはまだ相手の魔力成分が分からないから本領を発揮できないが、再戦を重ねていくことでどんどん有利に戦うことができる。このご都合設定により、勝たない限り次のイベントに進めない橙枠の戦闘イベントでも、いずれは勝てるようにできている。」

逆沢「あー、なるほど。橙枠の戦闘イベントといえば、養父市のイベントとかボクサー3兄弟の話とか大阪のドームの話とか、あの系統ね。思い出したわ。」

鼎「始めは勝てなくとも、小谷さんを何度も出撃させていけば、いずれはあのイベントでも勝てるようになってたって事かな?」

愛原「勝たなければならないイベントなのに、勝てないままだと、ゲームが前に進まなくなってしまうからな。救済策の一環として、小谷の能力は非常に意味がある。ゲーム的にも意味のあるSF設定の一つだ。」

逆沢「でもSF設定なんてのは縛りでもあるから、逆にシナリオを束縛する事もあったりしない?」

愛原「いっぱいあるな。コイツの能力をこういう形に変えておいた方が良かったみたいな事も無くはない。そういえばジョジョの作者さんも、第5部で主人公パーティーメンバーの一人のフーゴを、たった(鏡使いの敵相手に)1戦させただけであっさりと離脱させた事があったよな。」

逆沢「能力が極端過ぎて、作者的に使い勝手が悪すぎたんだと思うわ。ありゃ完全に作者の設定ミスだわ。」

鼎「敵キャラの多くは一発屋だから、少々偏った能力設定でもアリだと思うけど、味方はそうじゃないから設定ミスをすると、後がすごくしんどいよね。」

愛原「一方、世界観の設定に関しては、無ければ無いでもそれなりにOKだが、有る事で作品に厚みが生じる。」

逆沢「ちょっと待て。無ければ無いでOKって、それはどういう事だ?」

愛原「ゆで理論で有名なキン肉マンシリーズなんかが分かり易いとは思うが、勢いだけで突っ走っても、ちゃんと成り立ってしまう作品というのは案外多いからな。誰がどんな死に方をしようといつの間にかそしらぬ顔で復活したり、物理法則を無視したツッコミどころ満載の戦いが行なわれたり。」

鼎「でもそれを言ったら、ゲームの世界でも、物理法則を思いっきり無視した必殺技ばかり出てくる格闘ゲームはいっぱいあるから、やっぱり突っ込んではいけない事だと思うよ。」

逆沢「展開の熱さを追求する為には、細かい設定なんかクソ食らえって事か?」

愛原「ま、無くても成立する作品も多いだろうな。特にいわゆる箱庭系というかセカイ系の作品の場合は・・・。たとえば突然、女の子が空から降ってきて同居する事になっても、降ってきた理由に深く関心を払う必要もない。その女の子の戸籍や住民票をどうしようかとか、警察に迷子として届けるべきかとか、政府や諸外国がその神秘に関心を持たないかとか、そんな事を考える必要もない。セカイ系では自分の周囲だけで全ての難題が完結してしまうので、社会全体との関わりとか、社会全体への影響を考える必要もないからだ。」

逆沢「逆を言えば、社会全体との関わりを考えれば考えるほど、SF考証も考えざるを得なくなるって事かな?」

愛原「うん。たとえばタイムトラベルという概念を例に取る。仮に主人公に歴史を変える意図が無く、また歴史の改変を前提としない作品だと位置づけるなら、SF考証の必要はあまりない。恐竜の住む時代で冒険を楽しみましたとか、坂本竜馬に会ってみましたでOKだ。だが歴史の改変を作品のテーマにしてみた場合は、話が全く異なる。タイムパラドックスというSF考証に、真剣に立ち向かう必要がどうしても出てくる。」

鼎「私は過去を想像するよりも、未来を想像する方が大変だと思うよ。たとえば鉄腕アトムは2003年に誕生する設定になってるけど、現実世界ではとても人造人間が現実化するメドは2012年の今でも全くたってないよね。」

逆沢「未来か? うーん、これは予測困難だわ。作品によっては、199X年に世界が核に包まれてチンピラらが闊歩する前提の作品もあるし、2000年に大災害が起きて東京が壊滅して松本市あたりに第二新東京市が誕生する作品もあるけど。」

愛原「無論これは、作者に見通しの甘さがあったからとはいえないだろう。あくまでSF設定。【もしも】の世界だからな。ひとそれの世界観でも、未来ではなく過去が舞台になってるだけで理屈は同じ。ただ過去を舞台にするよりは未来を舞台にした方が、反重力とかワープとか新エネルギーとかレーザー兵器とか人造人間とか宇宙戦艦とか、色んな未知の要素を詰めこみやすい分だけ、作品の機動性は上がる気はするけどな。」

鼎「現実世界の科学レベルでは困難でも、未来では可能になっている確率が高いから、リアリティーのあるSF設定を組み込みやすい気はするよね。」

逆沢「過去を舞台にしてリアリティーを出すのは、やっぱり難しいか?」

愛原「難しくはないが、作品として人気が出るかどうかという問題があるからなぁ。当時のオシャレであったチョンマゲをリアルに再現して現代の日本の腐女子の萌え対象にできるかとか、太った体型の女性やお歯黒も人気の時代があったといって、それらが平成の萌え豚の感性を刺激するかとか、まぁ色々あるし・・・。」

鼎「トイレの概念から死体処理の概念まで全然違うから、過去を題材にしてリアリティーを出すと、逆効果になりやすいリスクはあるよね。」

愛原「まぁそんな都合の悪い場面は、カットし続ければ済む問題ではあるんだけどな。そもそもSF考証の値打ちは、リアルの再現ではなく、非現実部分をどう上手にみせるかにあるわけだから。」

逆沢「現実世界ではあり得ない事を作品内で登場させても、違和感を感じさせないようにするにはどう工夫すべきか? ここが大事って事ね。」

愛原「そう。たとえば宇宙人なり異世界の住人が現われて【貴方を魔法使いにしてあげましょう】と提案してきたとして、その際に提案側と被提案側の動機がしっかりしているかどうかは、物語の面白さを占う鍵の一つになると思う。提案した側にすれば、対象を魔法使いに変える事でどんなメリットが期待できるか? 提案を持ちかけられた側としても、それを受け入れた場合のメリットとリスクを秤にかけるだろう。ここの部分。ここの動機付けとか心理的描写は、すごく大事だと思う。」

逆沢「なるほどね。魔法使いという概念自体はファンタジーそのものであっても、それを巡る心理的駆け引きとか裏にある思惑とかはリアリティーそのものというか、作品の質自体に関わる大事な部分だし、そういう意味でSF設定は大事って事ね。」

愛原「現実であり得ない事が突然起きた場合、大抵の人間は困惑するに決まっている。その困惑をリアルに再現するのもSF設定。逆に既に反重力などの超技術が普及しているから、いちいちその超現象に誰も驚かない世界なんだよという事を説明できるのもSF設定だ。」

鼎「つまり現代科学の観点からして不自然かどうかが重要なのではなく、不自然な事が起きた理由とか、不自然なことが起きた後の反応をどうするかで、ファンタジー作品の値打ちは変わってくるという事かなぁ?」

愛原「ファンタジー(架空)作品なんだから、非現実的なことが起きる事自体は当たり前。それにイチャモンをつけるのはお門違い。ファンタジー世界に必要なのは、科学考証とか歴史考証以上に、SF考証の方だ。ゴブリンや有翼人という種族が登場する事自体が問題ではなく、ゴブリンや有翼人がその世界でどういう位置づけなのかの方が大事という事だな。」

鼎「科学的に考証したら、ほ乳類の手足は4本だから、手足に加えて背中に翼も生えている有翼人は生物学的におかしいという話も聞いたことがあるけど、SF考証的にはそういうのは、重要ではないのかな?」

愛原「そんなもの、SF考証的には進化の過程の違いだけでOKだろ? SF考証的にむしろ重要なのは、有翼人が普通に存在することで、人間の文化がどれだけ変化するかという事だ。たとえば有翼人があふれている世界なら、有翼人による空からの攻撃にも警戒する必要があるから、中世ヨーロッパのような城塞都市には発展しないだろう。むしろ地底都市とか天井部分をすっぽり覆った要塞都市の方が発展しやすいと思われる。」

逆沢「そんなダサい中世ファンタジーなんか嫌だわ。もっといいアイデアはないの? 普通に城塞都市も機能していて、しかも有翼人もいる世界設定は?」

愛原「だったら有翼人自体がかなり少数で恐れるに値しないとか、過去に派手な有翼人狩りが行なわれていて有翼人自体が人間に見つからないように辺境で隠れて暮らしている有り様だとか、極めて平和的な種族だから戦争なんか絶対に起こさないとか、魔法や科学技術の進歩が圧倒的で羽根の有無など戦力的にあまり重要でないとか、別のSF設定が欲しいところだな。」

鼎「SF設定は、知的好奇心も刺激して、設定オタクにはたまらない要素でもあるよね。」

愛原「うん。ひとそれの世界でも超能力という架空要素が軸になっているが、その架空要素が出現した事で、人々がどういう反応をするかにテーマを置きたいと考えている。超能力という概念自体が非現実的だと言われたらそれまでだが、その非現実的要素を大前提として受け入れていただけた上でのSF考証には、それなりにはこだわっていきたいと思う。」

逆沢「大前提が非現実的という時点で、神学理論にも近そうだけどね。」

愛原「だからこそ科学考証ではなく、SF考証なんだ。せっかくだから天動説を真面目にSF考証するのも面白いかもな。」












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