トップページに戻る


愛原様のたわごと(12年7月29日)





愛原「作者が【やっぱり年齢には勝てん】と弱気になっているらしい。」

逆沢「若い頃には絶対に気付けない悩みねー。そういうの。体力とか気力とか精力とか、色んなものが減退していくのを肌で感じ取れてしまうというか。」

鼎「でもそれは運動不足とかの要因がすごく多いと思うよ。学生さんを卒業するとまるで運動しなくなっちゃう人も多いし、それでも数年は学生時代からの貯金でさほど変わらなく生活もできるけど、ある年くらいから、急に衰えてしまうというか。」

愛原「そうなのだ。昔ならなんでもなかった事が、色々困難になっている。昔なら休憩時間もなく登れた山が、何度も休憩を挟まないと登れなくなったり、昔ならまる一日歩き続けても大丈夫だったのに、それすら困難になったり。年々暑く感じるのも温暖化現象のせいばかりではないらしく、部屋の温度計を見る限りは平年並みなのに、肉体的にも耐性に衰えを感じる。かなりヤバい。」

逆沢「というわけで今からでも、運動だ。体を鍛え直せ。」

愛原「ただでさえ暑いのに、これ以上体を温めるのか? すまん。今は無理だ。勘弁してくれ。」

鼎「【今は無理】とか【明日からやる】と言っている人は、結局明日以降になっても何もしないまま終わるんだよ。【今からやる】という決意ですぐに取り組まないと。」

逆沢「やると決めた時点ですぐに実行し始めている。ぶっ殺すと決めた時には既に殺しに入っている。それくらいの気持ちと行動力が、あんたには決定的に足りないわ。」

愛原「ぶっ殺すと思った時点で、即座に殺しにかかるような危険人物には、さすがになりたくないわ。」

逆沢「甘い、甘いわ。そんな甘っちょろい事言ってると、ここぞの場面で生き残れないわよ。」

愛原「平和な世の中である内くらい、それなりに平和ボケでいさせろ。少なくとも防弾チョッキを着たり、催涙ガスなりスタンガンなりを隠し持って、街に出るような趣味は俺にはないぞ。そりゃあ間が悪ければ、明日、車にはねられて死んだり、通り魔に襲われて死ぬ可能性もゼロではないが、そこまで深刻にを意識して生きる予定は現時点で全くない。いくら体力や精神力の衰えを自覚しつつあるといっても、余命を心配するほど健康状態も悪化しとらんし、長くも生きとらんわ。」

逆沢「ああ。この前、献血行った時も、血液検査からみる限り、スキ一つ無いほど、健康そのものだったらしいしね。相変わらず。」

愛原「体力の衰えを自覚しだした事で、若さとか健康のありがたみを改めて感じるようにはなった。と、同時に死を意識せずに、生きていられる事のありがたみもな。」

鼎「死を意識せずに済む状態というのは、空気や健康と一緒で、失ってみないと気付きにくいけど、本当はすごく大切で喜ばしい状態だと思うよ。ほら、世の中には、生きる事がつらくなって自殺とか考えてしまう人もたくさんいるみたいだし。」

逆沢「今、話題になっている大津市のいじめ事件とかに関しては、自殺するように追い込まれたようなものだから、ある意味、自殺よりも他殺に近い気もするけどね。」

愛原「というわけで今回のテーマは、少し真面目な方向で【人が自ら死(自殺)を決意する時】をとりあげてみたい。」

逆沢「・・・ちょっと、おい。真面目な方向というか、重すぎないか? こういうテーマは?」

愛原「すごく重いぞ。だが本来なら、社会全体がもっと真剣に考えるべきテーマでもあると思う。俺を含む大半の人間の場合、自殺願望なんてこれっぽちもないのが普通だから、自殺願望を持っている人の心境とか、置かれた環境などに関心が向きにくい面もあるだろうが、だからといって社会全体が無関心でいてよいテーマでもないと思うからな。」

鼎「普通の人は、生きたいと思うのが普通だろうだから、自殺願望を抱く人の置かれた状態が異常ではある気はするけど、こういう見方は間違っているかなぁ?」

愛原「多分、間違ってはいないと思う。人間に限らず、あらゆる動物には生存欲求がデフォルトで備わっている。誰だって易々と殺されたいとは思わないし、長生きもしたいし、中には本気で不老不死を望む人すらいるくらいだ。だからもしも自分を取り巻く環境が快適であり続けるならば、人は決して死にたいとは思わないだろう。」

鼎「という事は、自分を取り巻く環境が不快適であり続けるなら、死にたいと思っても不思議はないって事?」

逆沢「うーん。その意見には、私は素直に賛成できないわ。たとえホームレスになっても、自国が内戦状態になっても、あるいは自国が異民族に支配されて最下級の扱いを受けたとしても、それでも懸命に生きている人は多いし。別に【死ぬ事はいけないことだ】的な倫理とか道徳とかそういう問題じゃなく、シンプルに人はどれだけ生活が苦しくても、生きられる限りは生きようとする生き物だと思うし。」

愛原「俺はむしろ【死ぬ事に価値を見いだした時、人は自殺という選択肢を加える】ような気がする。」

逆沢「は? 死ぬ事に価値? 具体的にたとえば?」

愛原「たとえばバトルもののファンタジーの世界では、【自分の命と引き替えに、仲間のピンチを救う】的なシチュエーションがたくさん登場するだろう?」

逆沢「あー、そういうのは定番ね。ファンタジー世界だけに限らず、歴史ものでも、そういうシーンは美談として割と登場する気がするわ。特定の武将とかが主君の身代わりになって戦死するとか。」

鼎「戦後の日本でも、政治家の秘書や大企業の社員が、身代わりになって罪と秘密を背負ったまま自殺するようなケースはあったような気もするよ。」

逆沢「そしてそういうシチュエーションに、素直に感動しちゃう人も割と多い気がするわね。【国家とか上司とか組織とか家族とか特定の価値観を守る為に、自分が命を投げ出すシチュエーション】は、ある意味、最も安易に作れちゃう感動シーンの一つというか。」

愛原「【自分が命を投げ出す事で、別の誰かを救う】というシチュエーションに高い価値観を抱く人間なら、そういうシチュエーションが起きた時、喜んで自殺する可能性は否定できないと思う。だから中東などでも、自爆テロとかが後を絶たないだろ?」

逆沢「自分の信じる信仰とか価値観を守るためなら【この命、投げ出しても惜しくない】って感じなのかな? まぁ戦時中の日本も、そういう意味では似たり寄ったりだと思うけど。」

愛原「この手の価値観について、銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーが面白いセリフを言っていた。すなわち【人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年も続けて来た。】と。」

鼎「なんとなく、ある種の本質を突いているような格言だよね。」

逆沢「自分の命を投げ出す覚悟の備わった兵士の事を死兵というらしいけど、死兵に支えられた軍隊は、実際に相当強いらしいわね。ゲームの世界では、農民兵や一揆勢力は最弱ユニットとして登場する事も多いけど、実際にあの織田信長を最も苦しめたのは、石山本願寺率いる死兵集団だったくらいだし。」

愛原「なんらかの大いなる大義だの宗教的理念だのを実現するため。もしくは家族や仲間を守るため。理由はなんでもいい。生命より尊い価値があると思いこんだ時点で、人は自分の命を投げ出す覚悟が生じる。そんな気がする。」

鼎「そういえば戦後のアメリカなども、【独裁者から解放し、自由と民主主義を広めるため】とか【我が国を守るため】とか、色んな大義名分をつけて、色んな国を侵略し続けた感じがするよね。」

逆沢「守るためといいながら、実際の目的は攻めるためというのは、矛盾だらけでしかないと思うけどね。」

愛原「【先制攻撃による自衛権の行使】という解釈だろうな。小泉政権時代にフセインイラク政権を滅ぼした時でも、【これで世界はより安全になった】とかコメントしていたくらいだし、嫌いな奴を攻め滅ぼし根絶やしにする事も、彼らの中では【守る為】のカテゴリーに含まれるのだろう。」

逆沢「おっそろしいほどの詭弁ぶりねー。」

愛原「どんな大国でも、一切の犠牲無しで勝つ事は困難だし、だれでも命を捨てるような真似はしたくない。だから国民を死地に置こうとする為政者達は、それを美化せざるを得ない。端的に言うと【君の死は無駄ではなかった】【君が命を捧げてくれたおかげで、多くの人が救われた】。そうたたえざるを得ない。これは日本でも全く同じで、たとえそれが無謀な戦争であり、しかも完全敗北に終わったとしても、【君の死はただの犬死に過ぎなかった】とは、決していわないからな。」

鼎「戦後の歴代首相も、いわゆる英霊さんに対しては、必ず【感謝の意】を示す感じだよね。間違っても【申し訳なかった】といった謝罪の意は、言わない事になってるというか。タテマエとしては、彼らは進んで死んでいった事になっていて、しかも彼らの死は決して無駄ではなかった事になっているから。」

逆沢「ああ、言われてみたらそうよね。【彼らの尊い死の上に現在の平和な日本がある】という論法であって、あの戦争自体が愚かで、それに盲目に従った民衆はマヌケだったとか、そんな言い方をする参拝者は、ちょっと見た事ないもんねー。」

愛原「日本やアメリカだけに限らず、多くの国にいわゆる戦没者慰霊施設のようなものはある。そしていずれも、戦没者の勇姿を讃えるような趣旨になっている。慰霊施設の中で何らかの反省の意が含まれているのは、有名なものでは広島の原爆死没者慰霊碑にある【過ちは 繰返しませぬから】くらいか。何があやまちで、誰に対して懺悔しているのか、真剣に考察するほど意味不明だが。」

逆沢「ま、いたずらに死を賛美するのが危険という感じだけはしてきたわ。私達は子供の頃から、仲間のために簡単に命を投げ出すヒーロー達が登場するマンガやアニメをたくさんみてきたけど、よく考えたら、主人公が命を投げ出すシーン自体はほとんど見た事ないし。みんな【他人が自分のために命を投げ出す構図】になってるというか。」

鼎「主人公が死んじゃったらシナリオが成り立たないから、それは仕方ないと思うよ。だから主人公が命を投げ出すシーンの場合は、たとえ脱出成功確率は0.1%以下と言われても、最終的には絶対に帰還に成功するような形になってるし。」

愛原「銀英伝の中にも、似たようなセリフはあった気がする。政界や財界の人間はいたずらに死を賛美するけど、彼ら自身やその子息達が死地に立つ事はほとんどないと。」

逆沢「それも何となく分かる。人に死ねとか、仲間のために命を捧げることは美しいと言ってる人間ほど、自分自身は生き残る気マンマンというか。」

鼎「逆にここぞの場面で仲間のために命を差し出すようなキャラクターは、普段からストイックであったり献身的であったりして、間違っても他人に【お前も他人のために喜んで命を捧げるような人間になれよ】みたいな事を人に教唆したりしないよね。」

愛原「まぁきれい事抜きで言わせてもらうならば、誰かに命を賭けてもらわねばならないシーンというのは、現実にいくらでも存在する。故に国家や家族を守るために命を捧げようとする人に哀悼を捧げる事自体は、至極当然だとも思う。残された遺族に対する補償なども当然だろう。だが、それは、本当に命を投げ出すに値する仕事をした結果なのか? 命を捧げるべき罪深い人間は、他にいるんじゃないのか? そういった吟味は必要だ。よくよく考えてみたら、政界や財界の利権拡大のためとか、単なる選挙対策のためとか、馬鹿な指揮官のくだらない見栄のためとか、独善的な独裁者のくだらない理想と保身の為とか、いかにもくだらない理由で、簡単に人の命が消耗させられるケースも現実にあるからな。」

鼎「昔の戦国大名とかは、トップ自ら最前線に立って、死のリスクも共有していたけど、そういう配慮も欲しいよね。」

逆沢「そりゃあ【大統領が前線に出て死んだら政治が混乱するだろうが】とか、もっともな意見もあるだろうけど、実際には戦争が終わって、大義の有無が明らかにされた後でも、自国と他国の民衆の生命を奪った事に値するだけの責任を、彼らが将来的に取る事自体、絶対にないからねー。中世以前なら、仮に戦場で生き残ったとしても、あまりにひどい戦をやったら、後で結局、切腹とか改易とか、それ相応の責任をとらされる事も多かったみたいだけど。」

愛原「現代人は、人命に関する意識がある意味、非常に軽い。他人を死地に追い込む事の重みが全然分かっていない。この点に関しては、ブッシュ前大統領も大津市のいじめっ子や教育委員会も、規模が違うだけで全く同じだ。人の命を奪う重みよりも、自分の保身や権益の維持の方が大事。他人の命など、自分の保身と比べたら、ミジンコのような重みしかないと言わんばかり。」

鼎「ところで大いなる大義や身内の安全の為に命を賭けた英霊さんと、いじめなどで自殺に追い込まれた人とは、死に至る経緯がかなり違うと思うけど、これはどう解釈すればいいかな?」

愛原「上にも書いただろう。【死ぬ事に価値を見いだした時、人は自殺という選択肢を加える】と。要するに【このまま生き続けているよりも、死んだ方がマシ】という風に、やはり生きる事以上に死ぬ事自体に価値を見いだした時、人は自殺という選択肢を考慮に入れ始めるのだと思う。」

逆沢「死んだ方がマシ・・・か。私にはピンと来ない考え方だけど。」

愛原「人間には生存欲求が根底にある為、普通の人間がそういう思いを抱く事はまずない。赤ん坊としておぎゃあと産まれた瞬間から、人は必死で食べ物を求め、休息を求め、長じては地位や財産を求め、とにかくより快適に生きようとするものだ。その観点で言えば、自殺願望を抱く精神状態というのは、ある意味では異常と言わざるを得ない。」

鼎「人は、うつ状態が悪化すると、徐々に自殺願望が出てくるというイメージもあるけど。」

愛原「実際には、そこまで不幸な状態でなくとも、本人が極めて不幸な状態と思いこめば、自殺願望がわき出ても不思議はないな。世の中には【ずっと付き合ってた彼氏にフラれた】とか【受験や就職に失敗した】といった理由で、自殺を考える人もいるらしいが。」

逆沢「それ、【彼氏や彼女なんか産まれた時から一度もいた事ないわ】状態の人とか、【もう何度も職変えた事あるわ】状態の人からしたら、【何甘えた事ゆうとんねん】としか言いようがない理由ね。」

愛原「冷静に考えたら、いかにもくだらない理由で自殺衝動に駆られる人というのは、案外多い。だが、これを笑う事はできん。人間は感情と衝動の生き物なので、誰でもこういう心理になる事はありえるのだ。ほんの2.3人に死ねと言い続けられるだけで、もう死ぬしかないという心境になったり、カリスマ政治家の演説を聞くだけで、思わず感動して決死隊に志願すべきという心境になったり。」

鼎「怪しい新興宗教とか占い師にハマるきっかけも、ほんのちょっとした事らしいから、そういう時に、止められる人が周りにいて欲しいよね。」

逆沢「けど何かに酔いしれてる人間に【それは間違いだ】と忠告しても、逆切れされる可能性があるのが問題なのよねー。特に思い込みの激しい人間ほど、一度信じ込むと、周りの忠告を聞かなくなる傾向があるというか。」

愛原「うつ状態とかパニック状態になると、そうでなくとも視野がより狭くなるからな。本来なら、そうなる前の段階で、周囲のサポートが得られればベストなんだが。」

鼎「けど視野が狭くなるとか以前に、そういう状態の人は、他人を信用しないとか、他人を信頼できない人も多いと思うよ。誰にも助けてもらえない環境とかに置かれると、嫌でも人間不信と陥るというか。」

愛原「なまじエリート意識やプライドが高かったり、自分に自信がありすぎる人も、要注意らしいけどな。他人に頼るとか、他人に頭を下げるとか、他人に恥をさらすとか、そういうのが苦手な人も、ヤバいらしい。なまじ売れっ子の頃があると、墜ちた時とのギャップに耐えられないというか。」

逆沢「なんとなくだけど、有名人の自殺って、割と多そうなイメージあるしね。まー、無名人が自殺してもニュースにならないせいで、錯覚してるだけかも知れないけど。」

鼎「受験や就職で失敗して自殺するなんて人は、高学歴の人とかの方が圧倒的に多そうだよね。」

逆沢「国会議員(前職含む)でも自殺した人が何人かいるけど、やっぱりギャップとか人の視線に耐えられないのかな?」

鼎「あ、人の視線。それはすごく大きいと思ったかも。」

愛原「言われてみて気付いたが、すごく同感だ。今まで優等生として周囲からチヤホヤされてきた学生さんが、何かのきっかけで進学や就職に失敗して、それが近所やかつての同級生間で広まったら、すごくカッコ悪いとは思うだろうし。自殺願望とまではいかなくとも、うつ病くらいにはなってもおかしくないというか。」

逆沢「あー、分かる分かる。うっかり東大京大とか早稲田慶応あたりを出ておきながら、その後の人生がさっぱりだと、地元にも恥ずかしくて戻れないとか、実家の近所の人と顔会わすのも恥ずかしいとか。冷静に考えたら、圧倒的大半の人間がぱっとしない平凡な人生を歩んでるわけだから、ぱっとしなくても普通でしかないのに。」

鼎「元大リーガーの伊良部さんもアメリカで自殺したけど、あれだけ世界で大活躍して、お金もたくさん稼いだ人だけに、今更日本に戻って凡人には戻れなくなったというのもあるかも。」

愛原「金持ちが凡人並の貧乏な生活を始めたら、周りの人が変にいぶしがるし、それが嫌なら贅沢な生活を続けるか、知り合いが近くにいない場所に移り住むしかない。しかし定期収入もないのに贅沢な生活を続けたら、いずれは破綻する。とかいって知り合いが全くいない環境では、気軽に相談したり助け合える仲間もおらず、精神的にもさらに孤立しやすい。伊良部選手自体、日本に戻って一からやり直そうとしたような頃もあったし、必死で人生を生き抜こうとしたのだろうが、落ちぶれていく自分を見る他人の視線に押しつぶされた一人なのかも知れん。本当のところは当人以外、誰にも分からないが。」

鼎「昔、O157や鳥インフルエンザで話題になった時も自殺者が出たけど、これもメディアが大きく騒いでからの事だし、人は周りの視線に耐えきれなくなって死ぬケースって、結構多いのかな?」

逆沢「大津市のいじめで自殺した少年も、教師に面と向かってイジメの事を聞かれた時には、イジメではないと言う程度には、体裁を気にしていたみたいだし。やっぱり周囲の視線ってのはあるんじゃない?」

愛原「他の誰の視線もない場所では、いじめの被害を訴えた事もあるらしいが、教室など他の生徒やいじめっ子がそぱにいる環境では、必死で虚勢を張っていたみたいだし。気持ちとしてはよく分かる・・・。」

鼎「ホームレスに墜ちようが、異民族に侵略されて好き放題に搾取されようが、それが自殺のきっかけになる事はあまりないけど、ほんのちょっとしたきっかけで自殺を選ぶ人が後を絶たない原因の一つには、周囲の目線というのがあるかも知れないよね。」

逆沢「恋人に裏切られたくらいでリストカットをする人もいるけど、これも恋人の目線というか、恋人の関心を引く意図があってと考えれば筋は通るし。」

鼎「自殺とか自殺未遂という形で、周囲に対して自分の思いを表明するというか、そういう形で【死ぬことに価値を見いだす】とすれば、すごく悲しいと思ったかも。」

愛原「かつて練炭自殺がはやった時に、将来の見えない世の中とか、そういった社会全体を非難する形の遺書を残した人もたまにいたそうだが、自分が死ぬ事で、誰かの目線を引く事に価値を見いだす人というのは、残念ながら常にいるからな。」

逆沢「まぁそれを言ったら、三島由紀夫なんかもその一人ね。自分自身が派手な舞台で自らの命を経つ事で、自分の強い思いを世間にアピールする狙いが見えるというか。」

愛原「自分が命を絶つ事と引き替えに、何らかの名声なり反応を期待するという考え方は、個人的にあまり好きじゃない。こういう流れが加速すると、ますます自殺者が増えかねないからな。」

鼎「【(何かのために)死ぬことはカッコいい】なんて潮流は、私も好きじゃないよ。世の中が殺伐とするほど、どうしてもそういう思考の人は増えちゃう感じもするけど。」

愛原「大津市のいじめ事件に関して、【彼の死は無駄ではなかった】みたいなコメントをネット内で見たが、俺も正直、不快さが否定できなかった。そりゃあ確かに、もしも彼が死ななければここまで大事件にならなかった可能性はあるが、だからって死を美化していいものかとの疑念が、どうしても払拭できなくてだな。」

鼎「本当なら、自殺という選択肢を選ぶ前の段階で、なんとかしないといけない事件だったはずだよね。」

逆沢「滋賀県警だって、被害者が既に死亡していて証拠集めが困難という理由で、3回も親御さんの被害届をスルーしたらしいけど、その県警側の不誠実さはともかくとして、当の被害者自身が既に死亡していると、より事件の解明が困難になるという主張自体にはどうしても一理あるからねー。」

愛原「自殺なんて生物の基本的欲求(生存欲求)に反する選択肢を選ぼうとする時点で、その人の精神状態は既に普通ではないから、自殺した人に対して、それを非難する事はしない。ただそういう異常な精神状態になるまでの過程で、もしも【死を賛美する風潮】が含まれているとすれば、これは社会全体の責任とも言わざるを得ない。と、同時に今回の事件を受けて、【私も自殺すれば、社会が私の死に注目して、いじめっ子に復讐してくれるかも】なんて子が出る可能性の方も、激しく危惧する。」

鼎「そんな事をしなくても、日本全国でいじめ問題に関する関心が高まっているから、このまま生き抜いた上で、いじめっ子達と対峙する方向に考えて欲しいよね。」

逆沢「そもそも、死んだら、事件自体、闇に葬られる可能性の方が高いだろうしね。今回のパターンはあくまで超例外で、全く真相が明らかにされないまま、学校や職場のイジメで自殺に至っても、結局、真相は闇の中の方が圧倒的に多いだろうし。ていうか日本では、年3万人が自殺として処理されているらしいけど、そのほとんどが世間に名前も自殺した理由についても公開されないまま、歴史から抹殺されるのがデフォなんだから。」

愛原「会社で会社ぐるみのイジメにあったら、労基にでも駆け込めば、何とかなる事も多い。学校でのイジメでも、暴行罪や脅迫罪が成立するような規模になれば警察にでも駆け込めば何とかなる事もある。それでもダメなら、また親に心配させたくないという気持ちは分かるが、余程のダメ親でもない限り、親は最大の味方だから、いざとなったら親にぶちまけて、家に引きこもれ。」

逆沢「ただ自殺を考えるような人は大体、プライドが高めだから、親とか他人に相談する事も、なんか情けなすぎてできないと考えがちな気もするけどね。【くだらんプライドなんか、犬にでも食わしちまえ】が信条のアンタには、理解できない感覚だろうけど。」

愛原「まー、逃げる事も恥と考えない程度には恥の概念が欠如している俺が言っても、説得力がないかも知れないがな。」

鼎「恥の概念とも関係あるかもしれないけど、他人の目線を気にする性格の人ほど、なにかのきっかけで社会的に孤立すると、自殺に至りやすい気がするかも。」

逆沢「人はみんなが貧乏であったり、みんなが苦しくても耐えられるけど、自分だけが貧しかったり苦しかったりするのには、容易に耐え難いだろうしね。」

原「同感。人はどんなにつらくとも、周りのみんなもそういう状態なら、なかなか自殺まで考えない。だが自分だけが孤立していたり、迫害されているとなると、話が別だ。しかもそんな自分に対して、誰も救いの手を差し伸べようとしなかった場合、自殺に至る可能性も飛躍的に高まる気がする。」

逆沢「有名人が自殺しやすいのは、どこに引っ越しても自分を知っているばかりである上に、そのほとんどが自分を内心でバカにしているように感じてしまうから、それで逃げ場がなくなって自殺に追い込まれてしまいやすいのかもね。」

愛原「人は誰でもミスをする。あやまちも犯す。だから少々の失敗には寛大でいたいのだが、今の日本では、ちょっとよろしくない行動をするだけで、すぐに実名が出る。しかもその実名がネット検索で簡単にあぶり出される。その結果、ちょっとよろしくない行動を過去に一回しただけで社会復帰困難になって、自殺か犯罪者の2拓になってしまう事も多い。そうでなくても今の世の中は、正義感あふれるいじめっ子も多いからな。」

逆沢「正義感あふれるいじめっ子。あー、分かるわ。何かの事件や不祥事が起きる度に、ネットとかで大きく騒いで、中には関係者に抗議の電話をじゃんじゃんかけたりする人。そりゃ、それ自体が悪いとは言わないけど、程度をわきまえない人とか、見当違いの人を攻撃する人も中にはいるからねー。」

鼎「でもそもそもいじめっ子が、自分のことを悪と自覚しているパターン自体、ほとんどないと思うよ。いじめっ子はいじめっ子自身で、【あいつは○○だから、いじめられて当然だ】とか【これは愛のムチだ】とか【これはしつけの一環だ】とか思いこむパターンがほとんどだと思うし。」

逆沢「あー、それは分かる。戦争でも、侵略する側は必ず大義名分をこじつけたがるからねー。いじめたり制裁したり暴力をふるいたがる人間ほど、【あいつはいじめられたり、制裁されたり、暴力をふるわれても当然】と思いこみたがるものだから。」

愛原「イジメ事件に関する書き込みの中には、どう見ても被害者の救済よりも、公開処刑自体が目的としか思えない書き込みすらあるからな。こういう不幸な連鎖が、更なる自殺を産む可能性も、俺としては危惧せざるを得ない。O157や鳥インフルエンザの時に生産農家の人らが自殺したのも、日本中の正義感あふれるいじめっ子達による壮絶なイジメが背景にあったように思われるし。」

鼎「こうしてみると、自殺に至る理由には、大きく2つの過程がありそうだよね。一つは【自分が死ぬ事で何らかの価値が現われると思いこむ】事。自分が死ぬ事で世間が自分を賞賛するに違いないと思いこんだり、恋人がいじめっ子が衝撃を受けるに違いないと思いこんだり、社会全体が問題視したりニュースにするに違いないと思いこんだり。もう一つは【死ぬ以外に逃げ道がない状態に追い込まれる】事。周りの人全てが自分をさげずんでいるとか非難しているとかバカにしているとか思えるような状態になったり、誰も自分を助けてくれないと思いこまざるを得ない環境に置かれて、社会的に完全に孤立してしまった場合。」

愛原「後者の場合、かつては剃髪して仏門に入ったりする事で、俗世界と切り離されて、残りの人生を意義ある形でまっとうできるような社会システムもなくはなかった。現在でも刑務所などできちんと服役する事で、過去の罪を精算できる・・・タテマエになっているのだが、過去の犯歴や不祥事などがネットに永遠に残る今の世の中では、かなりヤバい感じがする。【赦し】とか【寛容】の精神が欠如しているというか、他人を公開処刑したがる風潮が強まっているというか。【水に落ちた犬を打て】ではないが、【誰かの失敗を見てメシウマ】みたいな風潮すら感じられる。高学歴の者や高収入の者や美人イケメンや公務員は、この点でかなりヤバい。」

逆沢「成功者や恵まれた環境にある者は、嫉妬の対象になり易いから、ちょっとしたきっかけでメシウマのネタにされかねない部分はあるわね。」

逆沢「俺は弱者の味方でありたいスタンスだから、いわゆる社会的強者には総じて辛口だが、ダブルスタンダードも嫌いなので、誰であろうができるだけ公平に評価したいとも考えている。どこまで実践できているかは分からないが。」

鼎「いじめっ子を非難している人間自身が、いじめっ子自身となって彼らを無制限に攻撃するような構図は疑問だけど、だからといって大津市教育委員会の思惑通りに事が進むような隠蔽社会になっても困るから、そこはできるだけたくさんの人が良識を持って改善していきたいところだよね。」

愛原「次に前者の対策だが、これはヤン・ウェンリーの格言にもあるとおり、命の尊さを前面に押し出すのがベストっぽい気がする。」

逆沢「ただ為政者というのは、基本的に人を死地に追いやるのが好きというか、戦争を肯定したがる傾向があるから、そういう好戦的な人達が【命より大切なもの】を色々吹き込みたがるのが問題点だけどね。」

鼎「私達自身の心の中にも、誰かの為に命を差し出す人はカッコいいと思う所はあるし。臓器移植問題とかにしても、自分自身は臓器を差し出すつもりはなくても、進んで臓器を差し出す人にはつい拍手してしまう所は否定できないし・・・。」

愛原「でも、せめて公平性が担保されたいよな。少なくとも自分だけは安全なところにいる人間から【みんなの為に命を差し出せ】とは言われたくないというか。」

鼎「きれい事だけで済まない所があるのも含めて、深く考えれば考えるほど、テキトーに解決方法をまとめられない難しさもあるとは感じたけど。」

愛原「死の問題は、紀元前の頃から、多くの哲学者らが真剣に考え続けてきた大きな課題だ。万人にとってベストな解決方法は永遠に出ないかも知れないが、だからといってテキトーに済ませていい問題でもない。だが今の世の中は、この死という大きな問題を真面目に考えてない風潮も感じたので、ちょっと自分なりに色々考えてみたという所だな。少なくとも教育委員会の保身ごときのちっぽけな理由で、軽くいなされていい問題ではないと思う。」












トップページに戻る