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愛原様のたわごと(13年1月13日)







愛原「勝利や成功をつかむ上で、お前らは知性気合のどちらを優先する?」

逆沢「んんん?! 年明け早々、藪から棒に一体何の話よ?!」

愛原「まぁ細かいことは気にせず、気楽に答えてくれ。上でいう知性というのは、科学とか道理とか客観的現象とか、そういうものを元に分析・計算・判断し、それを活かす全般。気合というのは、やる気とか勇気とか根性とかそういうもの全般という解釈で。気持ちとか精神とかハートと言い換えてもOKだが、口先だけの【やる気はあるんだ】等と混同されたくないので、気持ちの本気度という意味で気合という表現に置き換えてみた感じだが。」

鼎「リーダーは明らかに知性重視派だよね。過去の言動からしても明らかなほどに。」

愛原「とは言っても、気合を軽視しているわけではないぞ。特にやる気、モチベーションといわれるものには高い価値を置いている。【どうせ失敗するから】とか【無駄な努力はしない】とか、そんな投げやりな理由をつけて、他人のやる気まで削いでしまうような人間は、正直あまり好みではない。」

逆沢「あー、なるほどねー。そう言う意味では、私は気合重視型だと思うわ。知性なき気合は、ただの精神論バカでしかないと思うけど、気合なき知性は何もしたがらない自分を屁理屈で自己正当化する事しかできないウ○コ製造器でしかないと思うし。」

愛原「新年早々、ウ○コの話かよ・・・。まぁ言いたい事は伝わったからいいけど。」

鼎「私は知性派かな? もちろん知性と気合の両方とも、最低水準は満たしているという上での話だよ。両方とも水準以上なら、勝敗を決める最後の部分は、やっぱり気合よりも知性かなーという意味で。少年漫画とかでも、頭脳プレーで接戦を制する方が私の好みには合いそうだし。」

愛原「俺も同感。愛とか怒りとか根性が接戦を制する切り札になると、ふと冷静に返ったときにチープな印象を感じてしまう事がある。」

逆沢「いや、でもラスボスを倒した勝因が【お前は、俺を怒らせた】みたいなケースもあるし。チープかも知れないけど、ラスボスがこじんまりとした策略で倒されたら、その方がよっぽど絵にならないでしょうが。ここ一番は、凡人では再現不能な謎のパワーとか謎の精神力や超人技で切り抜けた方が、色々絵になる部分も多いし。」

愛原「ま、その指摘は否定しない。ウチの作品でも、たとえば7lcwシリーズでも最後の勝敗を分ける部分は、例外なく戦術レベルであって、戦略レベル(お膳立てレベル)でほぼ勝敗が決まっているなんて事はまず無いしな。(つまりプレイヤーの操作次第で勝敗が決まる。)」

逆沢「プレイヤーの操作いかんに関わらず、最初から勝利が決定づけられてたら、そんなゲームの方が余程怖いわ♪」

愛原「だから高難易度にした方が絵になるラスボス戦では、戦略レベルではむしろ極めて不利で、それを戦術レベルで覆すようなゲーム展開にせざるを得ない。いわゆるNPCの頭脳派キャラがもたらす知性による事前準備だけでは勝利はとてもおぼつかず、勝敗を分ける一番大事な最後の部分はプレイヤーの腕次第という、極めて他人任せ(運任せ?)な展開にならざるを得ないのだ。」

鼎「運任せ気合任せも、根っこの部分はあまり変わらない気がするよ。なんとなくカミカゼによる勝利を祈っているような印象を受けるというか・・・。気合を入れて(心を込めて)頑張っていれば、何となく最終的に勝てるはずと思っているだけの他力本願な状態というか。」

逆沢「ただ人間の知性は、決して万能じゃないからねー。知性だけでひっくり返せる戦力差には限界があるというか。」

鼎「それを言ったら、気合だけでひっくり返せる戦力差にも限界はあると思うし、知性と気合を比較する上では、何の優位性もないと思うよ。」

逆沢「まぁ現実世界ではそうなんだけどさ。けどファンタジーでは違うのよね〜。常人離れした気合は、どんな奇跡も起こすことができる。そんな万能性があるというか。知性と違って、気合には、無限の可能性が秘められていそうというか。なんとなくそういうイメージない? 困った時の精神論というか。【みんなが力を合わせれば、どんなピンチも乗り越えられるんだ。俺達に不可能なんてないんだ!】的というか。」

鼎「その気合ややる気や根性でなんでもできるという考えが、不毛な精神論至上主義を形成しているような気がするよ。ブラック企業なんかは特に、その傾向が強いと思うし。【やる気さえあればどんなキツいノルマもこなせるはずだ】と平気で言い切ったり。」

愛原「【社員一同で頑張れば、きっと売り上げも伸ばせるはずだ】的論理だな。何をどう頑張れば売り上げを伸ばせるか? そういう知性面での提案は一切せずに、ただ【頑張れば上手くいくはずだ】と言い切る人間は正直苦手だ。」

逆沢「でも世の中には【考える暇があれば、まず行動しろ】って思える事もない? 食べてみないとその料理の味は分からないようなもので。なんでも挑戦してみないと分からない事も世の中には多いと思うけどね。【グダグダ言ってる暇があったら、さっさと仕事しろ!!】とどなりたくなる時もあるというか。」

鼎「【行動してから物を言え!】というのは、典型的な体育会系のノリだよね。」

逆沢「と言っても、屁理屈ばかり言うような人間は、やれと言っても真剣度が足りないから、難易度の高い仕事は成果も期待できないのが実情だけどね。真剣に取り組めば何でもない仕事も、頭から否定してあきらめ根性で取り組むから結局うまくいかないし、その度に【だから上手く行かないと言ったのに・・・】と言い訳ばかり。マジでムカつくというか。」

愛原「まさに体育会系一直線のノリだな。ま、気合が足りないと、どうしてもそうなりやすいというのは同意。学校の宿題にしろダイエットにしろとか禁煙にしろ、その手のものは、本人の気合次第の問題なんだが、その気合を高い水準で維持するのは本当に難しい。」

鼎「気合というのは、もしかしてもって生まれた才能の問題なのかなー?」

愛原「いや、第一にモチベーション。つまりやる気や興味や期待感の問題だろう。具体的に言うとまず興味。簡単な英単語や歴史年表も全然覚えられない割に、やたら鉄道関係に詳しかったり、AKB48のアイドルの名前をほとんど言えたり、はまってるカードゲームのカードの特徴を完璧に覚えていたりする事は珍しくないだろう。人間、興味のあるものに関しては、驚異的な記憶力や分析力を発揮するものだ。もちろん少々の苦行も平気(場合によっては快感)になる。」

逆沢「それ、すげー分かるわ。自分の好きなことをやる場合は、やる気の源泉が気合なんていう物騒なものではなく、普通に快楽や欲望に変わるというか。むしろやらない方が苦痛になるのよね。」

愛原「次に期待感。ダイエットに成功した後の自分に対してバラ色の未来が期待できたり、ダイエットに成功するであろう自信を持ち続けることが出来れば、上手く行く可能性も高くなる。これは学校の宿題でも何でも同じ。」

鼎「苦労に見合うだけの成功報酬が期待できれば、モチベーションを維持しやすいって事かな?」

逆沢「禁煙やダイエットが難しいのは、この成功報酬との釣り合いもありそうね。タバコを吸うことによる快楽と安心感(+タバコを止めた場合に発生する禁断症状による苦痛)に見合うだけの成功報酬を見いだす事自体が難しいというか。逆を言えばタバコ代が上がったり愛煙家を非難する世論が加速すれば、タバコをやめる事で得られる金銭的利益とか社会的評価が上昇するから、より禁煙の成功率も上がるって事かな?」

鼎「そう考えると、ネット中毒から抜け出すのは、簡単そうに見えて実は禁煙以上に難しいかも知れないよね。ネット漬けの生活を止めたからといって、それによって得られる金銭的利益はたかだか知れてるし。社会的評価も今更そう変わらない環境の人も多そうだし。ネット以外の大切な趣味とか仕事とか恋人のような存在ができれば、自然とネット中毒から抜け出せると思うけど。」

逆沢「麻薬中毒者が何度警察に捕まっても再犯を繰り返すのも、麻薬を止めた場合の禁断症状という苦痛の大きさと、麻薬を止めた結果得られる社会的利益などを秤にかけたら、やめるメリットが薄いと感じられるほど、麻薬による快楽が強すぎるという事かも知れないわね。」

愛原「ま、禁煙にしろダイエットにしろ脱ネット中毒活動(?)にしろ、苦痛を伴う努力をするのはなかなか大変だが、そういう高レベルの気合が必要な努力ができるかどうかは、小学生までで大体分かるという意見を、そういえば昔、聞いた事がある。」

逆沢「ん? そりゃどういう事だ?」

愛原「うん。たとえば小学校に入学する前から平仮名などを一通り読み書きできてたり九九なども本来学校で習うよりもかなり早い時期の内から習得している子供も割といるだろ? そういう子供は親の英才教育による場合もあるが、子供が自発的に勉学に興味を持って習得していく場合も多い(特に兄や姉がいる場合など)。そしてそういう利発な子供は大体【よく勉強できる子】とか【よく頑張る子】として褒められやすく、褒められた結果、さらに勉強する意欲が高まる事も多い。まさに好循環だな。」

鼎「小学校に入学してすぐに落ちこぼれないように、生活に余裕の家庭程、子供にそういう教育を施したがる親御さんも多そうだよね。」

逆沢「小学校に入ってから読み書き計算を始める子供は、入学直後にいきなりみじめな思いをする可能性もあるわね。周りの同級生がそういうフライング教育を施されている子供ばかりだと。」

愛原「うん。だからそういうフライング教育を受けていない子供は、なんとか落ちこぼれないように必死で頑張る。頑張ろうとする。」

逆沢「いや。口で言うのは簡単だけど、そう簡単に頑張れる?」

愛原「それが頑張れるんだな。小学1年生相当の子供なら平仮名カタカナくらいなら、すぐに身につけられる。小学2年生相当になれば九九もできるようになる。少なくとも15歳以上の日本人の若者の中で簡単な読み書きや九九もできない奴など、ほとんどいないはずだ。クラスの優等生にまではなかなかなれなくても、この段階で本格的に落ちこぼれる子供なんて、ほとんど出ないから。なぜなら学習難易度が年齢層など比較して適正な上、必要だから。」

鼎「あ、そうか。そういえば中学生以上になれば学校の成績の程度に関わらず、ほとんどの子供が街で買い物できる程度には算数もできるようになるし、新聞も読めるようになるよね。」

愛原「でもって、こういう子供は、この段階で苦手なものや苦痛を伴う作業を乗り越えられる気合が身につきやすい。勉強でも運動でも、スタートで劣っていても自分自身が心の底から必要と思えれば必死で頑張れるし、その過程で努力で挽回できるという事も無意識の内に経験で学んでいく。一方、幼小の時から神童として通っていた子供は、気合で難局を切り抜ける必要もなく最初から知識や技能を身につけてしまっているから、中学・高校と上がっていって、苦痛を伴うレベルの勉強から避けられなくなった時に、気合だけで対応しにくくなってくる。」

鼎「なんで中学生や高校生になると、子供の頃のように親や先生から褒められただけでやる気になったり、自発的に勉強したくなったりしなくなるのかなぁ?」

愛原「反抗期のような精神面での変化もあるだろうが、それ以上に難易度が高くなりすぎているのが大きいと思う。その上、読み書きや九九と違って、古文漢文にしろ原子記号や歴史年表や英単語の暗記にしろ因数分解や微分積分にしろ、日本で生きていく上で絶対必要でもないし。難易度が高く苦痛も多く、しかも絶対必要とも思えなければ、そりゃあ逃げたくも避けたくもなる。はっきりいって学校教育レベルが、気合なしで何となく身につけるなんて不可能なレベルに変わってしまっているんだ。普段から気合を入れて頑張る習慣がないまま大きくなってしまった学生にとって、この環境の変化はかなりキツいと思われる。」

逆沢「ああ、いわゆる真面目系クズが落ちこぼれていく段階ね。地道な努力ができる平凡な同級生に、いつの間にか追いつかれて追い抜かれていく決定的な時期が来てしまったというか。」

愛原「以前ほど、優秀な成績が取れなくなるから、親や先生や同級生からも怒られたり失望されるようになる。そうなるとますますやる気を失う。やる気の源泉が興味や欲望(褒められるとか、賞賛されるという要素も含む)に偏っているから、興味が沸かない記号の丸暗記などに労力を割く気合もでない。」

逆沢「うへぇー。ひどいディスり方。まるで幼小の時は少々出来が悪い方がいいと言わんばかりじゃない?」

鼎「私は幼少の頃から自発的に学習できるような天才肌(探究肌?学者気質?オタク気質?)の人は、元々興味や好奇心がやる気の源泉になりやすいタイプだろうからクリエイティブな仕事には向いていると思うし、そう悪い事ばかりでもないと思うけど。」

愛原「その通りだな。前者は多分、創造力・計算力・論理追及力などを要求される場面に強いだろう。興味を持てさえすれば自発的にどん欲に効率的に学習できるタイプだと思う(ただし興味のない事にはとことん無学になりやすい為、すごく偏った知識になる恐れも高い)。一方後者は、気合で何とかなる事や、苦労が報われる事を経験で学習しているから、体育会系の環境に強そうだ。努力肌になりやすいというか。勉学面でも記憶力や理解力がものをいう局面では前者より有利そう。前者は興味のない分野にはすごく弱そうだけど、後者は興味の有無にかかわらず必要と思えさえすれば、必死で必要な知識を頭にたたき込むことが出来る。

鼎「天才肌の人は興味があるか否か、好きか嫌いか?がやる気の源泉になりそうだけど、努力肌の人は必要と思えるかどうか?がやる気の源泉になりやすいとも解釈できそうだよね。」

逆沢「その代わり後者のタイプは、必要でなくなった知識はすぐに忘却しそうな気もするけどね。大学受験直前まで蓄えた高等教育の中身どころか、分数計算の仕方まで忘れた大学生とかも結構いるらしいし。逆に興味があって覚えたことは、必要性の有無にかかわらず相対的に忘却しにくいみたいだけど。」

鼎「ところで気合の一言でまとめるのは簡単だけど、苦手なこととか苦痛を伴う事を最後までやり遂げる良い方法とかはないかなぁ?」

愛原「そうだなぁ。俺も気合に自信のない方だから大きな事はいえんが、とりあえず具体的な工程表ができあがっているかが重要なんじゃないか? 元々、自分に自信のある人間なら、行き当たりばったりでも何とかなりやすいが、自分の苦手な分野に関しては、そうはいかないからな。」

鼎「たとえば数学が苦手な人が数学の宿題を完結させようとしたり、禁煙やダイエットをうまくやる自信のない人が禁煙やダイエットを成功させようとするなら、工程表がある方が楽になるって事かなぁ?」

愛原「うん。たとえば1割の宿題をこなすのに10分かかったのを根拠に、全部こなすのに100分かかると工程を組む。100分の苦労に見合う成功報酬や必要性を期待する事が出来れば、行き当たりばったりで宿題に取り組むよりも、最後まで頑張りやすくなると思う。それと同じノリ。逆を言うと、ゴールが見えないままだと、宿題にしろダイエットにしろ禁煙にしろ、かなりキツい。」

逆沢「つまり自分に自信を持てる人は、それだけで気合面では有利って事ね。行き当たりばったりでも何とかなると思える人は、小難しい工程表なんかなくても、勢いだけで何とかなりそうだし。」

原「興味を持てるかどうかも大事だな。特にフリゲ作りのような一文にもならない趣味を続けるには、興味と自信の両方がないと、なかなかつらい。自分が好きでいられる作業ならそれ自体が快楽や欲望という名の成功報酬になり得るし、自分に自信があれば行き当たりばったりでもとりあえずコツコツ作業を前に進められる。」

逆沢「逆に興味も持てないし自信もない事を頑張り続けるのは大変だわ。努力肌の人なら、それでも本当に必要と思えれば、受験勉強でも部活の練習でもなんでも頑張れると思うけど、そうじゃない人はどうしたらいいんだか?」

愛原「あまり推奨できる方法ではないが、他人にハッパかけてもらうしかないだろうな。いわゆるシゴキ。体罰。しつけ。かわいがり。あるいは罰則突きつけて【○○できなければ、グランド10周!】とか【廊下に立っとれ!】とか【馬鹿も〜〜〜ん!!】とか。」

鼎「それ、桜宮高校で体罰を苦にしてバスケ部のキャプテンが自殺したニュースで騒がれてる最中だけに、かなりどうかなぁと思うんだけど。」

逆沢「自衛隊員がせんべつだかよく分からない理由で集団暴行死した頃は、自称愛国者系の人から加害者側を擁護する声が随分とあったんだけどねぇ〜。これも時代の変化なのかねー?」

愛原「まぁそれでも、罰則とかペナルティーの効果は絶大としか言いようがない。せっかくルールを決めても、罰則があるかないかでルールを守るか否か、露骨に態度を変えてくる人間も多いからなぁ。【内申点に響くぞ】とか【このままじゃお前、クビだぞ】といった脅しでもかけないと、露骨にサボる奴が出るのは否定できない。」

鼎「暴力で人を支配するというのは、私はとても賛同できないんだけど。」

逆沢「究極の暴力装置である軍事力で、自国民や他国すら思い通りに支配してやろうという輩も多いんだけどね。ああ、そういえばかつて民主党の仙石さんが【自衛隊は暴力装置】と発言して猛烈にバッシングされた事もあったか。そう考えると、本当に世の中も変化してるのかねー?」

愛原「単なるダブルスタンダードの人も多いだろ。実際、体罰に肯定的な人間は、政治家や著名人レベルにもたくさんいる。まぁそういう人の多くは、【良い体罰と悪い体罰がある】みたいな言い方をして、ダブルスタンダードを正当化する傾向があるようだが。」

逆沢「あんたはどっち?」

愛原「はっきりと自信を持ってまでは断言しかねるが、軸足としては暴力反対側。ただ世の中は、殴る蹴るといった物理的な暴力だけでなく、色んな懲らしめ方やはずかしめ方や脅し方が存在するからなぁ。暴力を使わなくても人を言いなりにする方法なんて、世の中にはいくらでもある。ブラック企業あたりはそういう手段を最も効果的に使ってくるし、ヤミ金融などの裏社会も、暴力というリスクの高い手段以外で相手を追い詰める方法に精通してるからな。ま、一番メジャーなのは、支配したい相手に考える余裕を与えない手口。とにかく選択肢を与えず、特定のルーチンワークばかりを強要する。もしくは恐怖感や無力感を植え付けて、抵抗してもより状況が悪化するだけであり、従順でいる事が最も楽だと洗脳する。体罰は、最も安易に恐怖感や無力感を与える方法の一つに過ぎん。」

逆沢「他人を無理矢理頑張らせるには、そういう考える余裕や抵抗する気力を奪うやり方が一番効率的って事か?」

愛原「効率的かどうかまでは分からない。個人的には、天才肌の人には、そういうスパルタ教育は向かないと思う。一方、努力肌の人に対しては、【痛みや恐怖や苦境から抜け出すために必要な環境を整備するという観点でみれば、多少は有益かも知れない。今年、箱根駅伝で優勝した日体大は、鬼教官という評価もあった渡辺前西脇工業高校陸上部監督が特別強化委員長に就任して、住み込みで指導した結果、一気に化けたらしいし。」

鼎「確か日体大は、体育大学でありながら去年は全20チーム中19位の惨敗だよね。その前の年は駅伝直前の合宿所でノロウイルスに集団感染して、さらにその前年は部員の一人が大麻栽培やってるのがバレてひどい事になったり。」

愛原「そう。あと渡辺先生は、部員の中に食事をまともに取らずおやつばかり取っている者すらいる現状をみて、これは性根から叩き直さないと駄目だと感じたらしい。労働契約上は週1日の指導という条件だったが、指導者熱が騒いだのか、住み込みで選手の管理を始める。日体大の正規の別府監督に対しては、特に強い態度でカミナリを落とし続けたらしい。」

鼎「確か日体大の別府監督は西脇工業陸上部の出身で、渡辺監督は恩師にあたる存在だから、肩書き上は別府監督の方が上でも、絶対に渡辺先生には頭が上がらない存在らしいよね。」

逆沢「つまり日体大の陸上部には、いきなり監督よりも強い人間が現れて、その人がしかも住み込みで強権指導を始めたって事ね。」

愛原「で、今年いきなり総合優勝。選手の質は去年までと全然変わらないのに、いきなり東洋大や駒澤大や早稲田大といったエリートだらけの大学を差し置いてな。無論、渡辺監督は西脇工業時代に全国最多の8回優勝を成し遂げてる名監督だから、精神論だけの人ではないけどな。」

逆沢「精神論だけで全国からエリートを集めたチームに勝てたら、その方が余程おかしいわ。」

鼎「ただ日体大の場合は、生活態度があまりに悪い状態になってたから、その渡辺先生が精神面で鍛え上げる事で生活態度を改めさせるだけでも、てきめんに効果が現れたって事かも知れないよね。一応体育大学だから、選手の素質自体はそんなに低いものでもないだろうし。」

愛原「元プロ野球選手の桑田氏が説くような理論的指導の方が、個人的には好きだ。だが箱根駅伝が迫っている時にノロウイルスを合宿所に持ち込んだり、大麻栽培するような部員が一人でもいると、他の部員の足まで引っ張りかねない。一人のサボリを見逃すと、他の部員もサボリたがるようになりかねないし、そういう意味では、ある程度の締め付けは必要なのかなぁという気持ちになる事はある。」

逆沢「そのせいかな? 体育会系の部活動では、スパルタ指導が割と見られがちなのは。体育会系は生徒も割とガタイがいい方だし、先生がナメられたら、みんなサボるようになりかねないし。だから体罰を含めた恐怖感をあおるような指導がどうしても必要になりがちと。」

鼎「理論的な指導だけでみんなが真剣に取り組んでくれたらいいけど、残念ながらそういう真面目でストイックな努力肌の生徒ばかりでもないよね。」

逆沢「私も、もしも宿題というものが無かったら、ロクに予習も復習もしないようなスチャラカ組だしねー。理論的に【受験勉強しないと、後で苦労するよ】といくら諭されても、ギリギリまでその気にならないし、その気になった頃にはもう手遅れだから、結局妥協するしかなくなるというか。そういう意味では、ハッパをかけてくれる人というのは、それなりに有り難い存在のような気もするわ。」

愛原「漫画家とか小説家といった職業の人の中にも、締め切りなどを設定して常にハッパをかけ続けないと、いつまでも原稿を書き終えないタイプが多いと聞いた事があるしな。無論個人差はあるだろうが。」

鼎「天才肌の人に対しては、頭ごなしにやれやれいうよりも、本人がどうやったら興味を持つかを説く努力の方が大事なような気もするけど。一度興味を持てさえすれば、すごい物覚えや集中力を発揮する事は、趣味に没頭する場面の彼らをみれば明らかだし。」

逆沢「ただ漫画家にしろ小説家にしろ、天才肌タイプの人は屁理屈屋も多いからねー。優しく対応しているだけだと、つけあがる一方というか、言い訳ばかりして結局仕事をしないというか。そういう連中にこそ、罰則やペナルティーを含む強権的圧力が必要な気もするし。」

愛原「桑田氏のような大志のある人間なら、他人から努力しろといわれずとも、自分の頭で考えて大きな苦難も乗り越えられると思われる。そんな人にはスパルタ教育など、不必要な他人の介入以外の何者でもないだろう。だが大抵の人間はそうじゃない。自分一人ではやる気を維持できない。だから自らスパルタ教育の現場に身を託す熱い体育会系の人もいるし、体罰があったからこそ頑張れたと思い、そういう指導に感謝する人間も出る。」

逆沢「とすると一番厄介なのは、自分一人ではやる気の維持も出来ないのに、他人に強権的指導をされるのも嫌という人か?」

愛原「こういうタイプは、怠惰な自由人と割り切るしかないかも知れん。ちなみに俺もこのタイプ。他人にハッパをかけてもらっても、余計なお節介だとしか思えないし、その代わり自分がさぼった結果、その相応の人生しか送れなくても自己責任。そんな感じ。」

鼎「そう言えば安倍さんの経済ブレーンも務めている竹中平蔵さんが一ヶ月ほど前に【若者には貧しくなる自由がある。貧しさをエンジョイしたらいい】と言ったそうだけど。」

愛原「ちょっと気に触る部分はあるが、他人にハッパをかけられるのが嫌なら、自分で頑張るしかないし、それすらできないなら落ちこぼれても仕方ないという視点でいえば、一理あるのかも知れない。【俺が気持ちよくやる気になれるような形で、お前達は俺様にハッパをかけろ】と言っても、他人はなかなかそこまでお人好しにはなれないからなぁ。」

逆沢「それでも私は自由を選ぶわ。他人に無理矢理シゴかれても、それで自分が期待する人生になる保証なんかどこにもないし。スパルタ教育を受けても落ちこぼれる人は落ちこぼれるし、自殺に追い込まれる人も出る。自分の意志でそういう軍隊的な教育を受ける事を選んだなら、ある程度は仕方ないかも知れないけど。ただ私は【お前は精神が未熟だから、自衛隊で鍛えてもらえ】と言われたいタイプでもないから、奴隷の規律を強制されるよりは自由でありたいというかね。」

愛原「他人にハッパをかけてもらったり依存するのがいやなら、自分のやる気を自分で管理するしかない。それが上手く行けば趣味にのめり込んでいる時の自分のような素晴らしい頭の回転と集中力をもって、素晴らしい結果がだせるだろう。逆にそれが出来なければ妥協に妥協に重ねるか、絶望するしか選択肢はない。」

鼎「周りの環境も大事だよね。自分で自分の管理ができる人は他人の過干渉は邪魔にしかならないし、逆に他人の励ましや叱咤激励が頑張れるきっかけになる人もいるだろうし。」

逆沢「体育会系の人は、よく【ファンの皆さんが応援してくれたから頑張れた】とコメントする人もあるけど、あれはリップサービスだけではないと思うわ。そういう人は元々他人にハッパをかけられる事で頑張れる性質を持ってるような気もするし。誰だって褒められたら悪い気はしないし、逆に非難されたり叩かれ続けると心が折れて【もう、やめよう】となっちゃう事もあるから。

愛原「やる気の源泉は本当に人それぞれだよな。他人の目線を気にする人は褒められたら頑張ろうと思える替わりに、叩かれたら自信喪失する。それでも自分に自信があったり気合のある人なら、逆境でもそれなりに頑張れるし、人を見返す事もできる。また高いレベルの夢や趣味や探究心や期待感を持っている人は、やっぱり少々の困難にもめげずに、他人の評価も気にせず頑張れる。」

鼎「リーダーは、どちらかというと、他人の目線を気にせずしたい事なら頑張れるタイプかな?」

愛原「今はそんなスタイルでありたいとは思っている。今更体育会系にはなれない以上、せめて他人にハッパをかけてもらわなくても、それなりにはやる気を維持できるスタイルを維持できたらいいなとは思っている。終わり。」

逆沢「え? いきなり終わりって、何? しょうがない。今回のテーマ名は【やる気(気合)】くらいにしておくか。」

鼎「今年の最初から、なんかグダグダの終わり方になっちゃったね。」











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