トップページに戻る


愛原様のたわごと(13年1月27日)





愛原「今回のテーマは【尊敬できる敵】という事で。辞書上の元々の意味とは少し異なるが【好敵手】と置き換えても構わんぞ。」

逆沢「ん? 何、いきなりテーマって。何か心境の変化でもあったか?」

愛原「前回、テーマ名を忘れるところだったから今回は先に言ってみることにした。これでグダグダ展開も50%は改善できるだろう。注〜当社比。」

鼎「当社比って何? 私達、別に会社でやってるんじゃないんだけど。」

愛原「細かいことは気にするな。それではさっそく本題だが、好敵手という言葉を聞いて、お前らはどんなイメージを浮かべる?」

逆沢「そりゃあ、【好敵手と書いてライバルと読む。あるいはその逆も可】ってところじゃない? 憎めない敵。戦い甲斐、競い甲斐のある良き対戦相手。そいつがいる事で自らも頑張ろうとか、もっと強くなりたいとかいう気にさせてくれる尊敬すべき競争相手。そんなイメージかな? 英語でライバルというと、好敵手というよりも宿敵と和訳した方がしっくりくる場合も多いらしいけど。」

愛原「宿敵となると、不倶戴天というか、両雄並び立たずといった扱いになりそうだな。一方、好敵手の場合は、敵という立場にあってもある種の信頼敬意を寄せられる対象というか。」

鼎「好敵手は、スポーツ漫画では必須の存在だよね。」

逆沢「スポーツの世界だけじゃなくて、もっと血なまぐさいバトルものとか戦争ものでも、好敵手の存在は割と見かけるような気がするわね。」

愛原「敵でありながら尊敬できる人間というのは、具体的にはどういう人間のことを指すのだろうな?」

逆沢「ん? そりゃあ高潔な人格者であったり、憎めない愛嬌があったり、ストイックな求道者であったり、何か人を引きつける部分がある人だったら、敵味方の垣根を越えて尊敬されるんじゃないの? ああ、単純に能力が高いというのも、私的にはアリかな? この人のように強くなりたいとか、この人のように活躍したいとか、この人に勝ちたいと思えるくらい、一流の能力がある人にも素直に憧れるというか。」

愛原「人間性で尊敬されるとは限らないが、能力面や実績面で尊敬される人ってのは、実際多そうだな。俺もマンガ読んだり、ゲームプレイしてて、【この作品の作者すごいな】って思う事は多いし。その作者の人格についてはよく分からないままでも、能力や実績だけで強いあこがれを感じる事は本当に多い。」

鼎「スポーツの世界ではもっと露骨だよね。能力の高い人や実績のスゴイ人ほど、憧れの対象になりやすいというか。」

逆沢「【名選手。必ずしも名監督にあらず】ということわざがあるけど、残念ながら日本のプロスポーツ界では、選手時代に実績のない人間が指導者になれるケースは欧米と比べてかなり少ないみたいだしね。選手にとって敬意の対象となりやすいのは、(指導者としての勉強をきちんとしている人以上に)やはり選手としての実績がスゴかった人であって、そうでない人がいきなり指導者ヅラしても、なかなか選手達が心服しないというか。」

鼎「逆に指導者としての実績が皆無でも、選手時代の実績がスゴければ、それだけで憧れの対象になりやすいのが日本流って感じがするよね。」

愛原「もしかしたら日本人は外国人以上に、実績重視なのかも知れないな。学歴や職歴といった肩書きという名の実績の威力もスゴそうだし。だから無職になっても、元○○会社部長とか元○○大臣とか元○○監督とか(映画監督だけはいつまでも元職扱いにならないみたいだけど)、やたら肩書きを強調したがる手合いも後を絶たない。」

鼎「私は能力や実績よりも、敵対相手にも常に敬意を払えて、正々堂々としてる事が一番大事だと思ったかも。いくら能力や実績に勝っていても、敵対相手を侮辱したり、卑怯な戦法を使うような性格の人が、敵対勢力から尊敬される事なんてまずないだろうから。」

逆沢「人間としての器量の問題ね。ま、敵にも敬意を払える人間ほど敵からも尊敬を集めやすく、敵を侮辱する人間は敵からも憎まれやすいというのは同意だわ。」

愛原「その通りだな。人間には素直さとか、包容力とか、謙虚さとか、色んな要素があって、そういう要素が強い人は、他人の良いところをたくさん見て学び、多くの人に敬意を払うことができるだろう。逆に猜疑心とか、嫉妬深さとか、悪い意味での自尊心とか、そういう要素が強い人は、他人の悪いところばかりを見て軽蔑し、他人の優れた部分を見てもそれを素直に賞賛できず、逆に嫉妬の念にとらわれて、結果的にほとんど他人を尊敬できない性格になると思われる。」

鼎「猜疑心や嫉妬心の強い人は、他の人よりも多くのを作ってそうだよね。心の中で。」

愛原「敵。ああ、そっか。好敵手の話をする前に、敵の定義の確認を先にちゃんとしておく必要があったな。すっかり忘れていた。」

鼎「敵というのは【戦う相手。勝つべき対象。やっつけるべき相手。倒すべき相手。】みたいな解釈で合ってるかな? 辞書的な解釈でいうと。」

愛原「うむ。おそらくそんな所だろう。」

鼎「これから戦う相手とか、やっつけるべき相手に好意を持つ感情というのも、よく考えたらちょっと不思議な感情かも知れないよね。」

愛原「戦う理由次第だろうな。あと敵が自分にとってどういう存在であるか? たとえば敵のことを憎い(不快な)存在と思いこんでおり、戦う理由が憎いアイツをギャフンといわせたいというものなら、敵に敬意を持つ事などありえないだろうと思われる。」

鼎「つまり敵のことを憎いと思った時点で、好敵手にはそもそもなり得ないって事かな?」

逆沢「ちゅう事は逆に言うと、好敵手というのは【別に憎くはないけど、それでも戦わざるを得ない相手】という事になるのかな?」

鼎「憎くないのに戦わなくてはならないケースとしては、たとえばどんなものがあるのかなぁ?」

愛原「うーん。たとえばスポーツの世界。野球やテニスなどなら、対戦相手に勝つ事自体が目的である以上、対戦相手の事をどう思っていようが戦わざるを得ない。また水泳や100メートル走のような個人競技では、誰かの記録を抜くという目的で戦う人もいるだろう。また同チーム内でも、レギュラーのポジションを狙って、互いに切磋琢磨し合うようなライバル関係もある。」

逆沢「スポーツの世界以外では?」

愛原「【心の中で勝負する】ものも含めれば、いくらでもあるぞ。【次の中間テストで、○○くんに勝つ】とか【前回より順位を上げる】というなら、○○君とか、学校の同級生全員が戦うべき相手になるだろう。【職場で出世する】のが目的なら、職場の同僚や先輩後輩らが全員潜在的な競争相手になる。」

逆沢「まぁ【心の中で勝負する】なんてものは、単なる気持ちの問題でしかないとも思うけどね。こちらは真剣に【○○くんに勝つ】と意気込んでいても、○○君の方は何とも思っていない可能性も十分あるし。」

鼎「それでもそういうライバルとか攻略目標を心の中で設定するのは、自分を向上させる上ではすごく有益だよね。」

愛原「あと組織や派の一員として、特定の敵グループと戦わざるを得ない場合とか。」

逆沢「ああ、一番ドラマチックなパターンね。グループとしては敵対関係にあるんだけど、敵対グループの中にも尊敬に値する幹部がいたりすると、最高においしいというか。」

鼎「一番ベタな好敵手のパターンだよね。三国志で言えば陸抗と羊コ(示すへんに古)の友情が有名かな?」

愛原「まぁ、敵をモブとみなすか、人とみなすかの問題だとも思うけどな。相手に感情移入せずに済めば、何百人の捕虜を毒ガス部屋に閉じこめても罪悪感にさいなまれる事もないだろう。だが心を通い合わせる事で、敵に対しても最大限の敬意を払うゆとりが生まれる。」

鼎「私は甘っちょろいと言われても、そういう【人はいつか必ず分かり合える】という考え方は大好きだよ。」

逆沢「分かり合う前に憎しみ合うとか殺し合うケースも、残念ながらこの世には多いような気もするけどね。特に一度、憎み合う関係が成立してしまうと、なかなか分かり合えるようにはならないというか。」

愛原「そうなのだ。この【組織や派の一員として、特定の敵グループと戦う】ケースの場合、そうでなくても敵対勢力に対する憎しみの感情を植え付けたがる連中が無数に湧くからな。」

逆沢「相手勢力を【鬼畜米英】とか【卑劣なジャップ】と位置づけたり、【異教徒】というキーワードで分かり合えない他人と位置づけたり、【悪逆なる○○を討つ!】などと相手を悪玉と位置づけたりする事で、味方の戦意を煽るというのは、まぁ古代からの常套手段だからねー。」

愛原「一度憎しみの感情を植え付けられると、敵対相手に対する尊敬愛情の念など軽く吹っ飛んでしまうからな。」

鼎「そうならないように、敵対相手に対しても、常に敬意を持ち続けられるようにしたいと思うけど・・・。」

逆沢「けど敵に同情してるところを見せるだけで、心の狭い仲間からスパイ呼ばわりされる事もあるんじゃない? 確か陸抗さんも、好敵手と友情を築いてしまった事で君主の孫皓に疑われて詰問されたりしたらしいし。」

愛原「敵とわかり合う道よりも、敵と決着をつける道を選びたがる人も多いからな。」

逆沢「まぁ、敵の大半は憎らしいものだろうからねー。憎らしくない存在なら、敵認定するまでもなく、もっと早い段階で分かり合えると思うし。」

愛原「【罪を憎んで人を憎まず】ということわざがあるように、争点を明確に出来れば、敵対する人間そのものを憎まずに済むような気もするんだけどな。対立する意見の部分で争う事はあっても、対立しない意見の部分でまで争う必要はない訳だから、少々意見が対立したくらいで、相手の人格そのものを否定するのは良くないと思う。」

鼎「血を分けた親兄弟ですら、なかなか意見が完全に一致する事はないんだから、他人と意見が対立しても、それ自体は当たり前の話だと思うよ。」

愛原「他人と意見が対立するのは当たり前。それを素直に受け止めることができれば、自分が今まで気付かなかったような新たな視点を持つ相手に敬意を持つ事もできるだろう。逆に偏狭なプライドの持ち主なら、自分の事を評価しないあらゆる他人が軽蔑や憎しみの対象に見えてしまうだろう。そしてそんな偏狭な人間でもが好意を持てる人間は、【自分を評価してくれる人(褒め称えてくれる人)】【自分にとって都合のいい人(利用価値のある人)】くらいしかなくなってしまう。」

逆沢「そういう偏狭な人は、敵側の人間に敬意を払うことなどないと思うけど・・・。」

愛原「そうでもないぞ。たとえば野田前総理が年内解散を決めた時に、野党の議員やその支持者の中に野田の決断を讃えていた人が結構いた。これも【敵に対して敬意を払った例】といえるが、この例のように自分達にとって有利な行動をした敵に対しては、たとえ敵であっても敬意を払う事ができる。【自分にとって都合のいい人】としての働きを、敵であるはずの野田がしたからだ。」

鼎「そういえばファンタジーの世界でも、主人公達の思想に理解的であったり、敵組織の残虐な思想に懐疑的であったり、主人公のピンチを救ったりした敵幹部は(たとえば【俺以外の奴にお前が負けるなんて許さねぇ】とか【お前には借りがあるからな】とか理由つけたりして)、敵でありながら主人公から好敵手認定されたり敬意の対象になりやすい気がするよね。これもその敵幹部が、主人公にとって【都合の良い存在】だったからかな?」

逆沢「な、何というエゴイズム・・・。尊敬できる敵とか、好敵手ってただの【都合のいい人】かよ!?」

鼎「でも第二次世界大戦の時の枢軸国の幹部でありながら、ユダヤ人への迫害行為に荷担しなかった人は、ユダヤ人からとても尊敬されてると聞いた事もあるし、そういう自分(この場合はユダヤ人)にとって都合の良い敵は、やっぱり【敵でありながら高潔な人格の持ち主】とか【敵にしておくにはもったいない人材】として評価されやすい気がするよ。」

逆沢「敵にとって都合の良い人間って、味方からみたら、ただの裏切り者じゃね?」

愛原「だろうな。たとえば民主党シンパのエゴイストの視点から見れば、野田前総理は自分がカッコつける為だけに仲間を切り捨てた裏切り者でしかないだろう。1月1日を過ぎてから解散すれば、もらえる政党助成金も衆議院分だけでみれば今の約5倍(その代わり自民党は今の約40%)になり、予算案も民主党の希望の素案でより通りやすくなってた訳だからな。」

鼎「あれ? 今、ふと思ったんだけど、野田さんが早期解散をした時にそれを賞賛した自民党議員はたくさんいたけど、麻生さんの時に早期解散を薦めた自民党議員はほとんどいなかったよね?」

逆沢「まぁそれを言ったら、野田の時に早期解散に反対した民主党議員も、麻生の時には散々、早期解散を迫っていた気がするけど、これって矛盾してない? 思いっきり、私利私欲まみれの視点というか、すごいダブルスタンダードだと思うけど。」

愛原「本当の意味で敵味方の垣根を越えて尊敬に足る人間は、私利私欲でポリシーを豹変させたりしないものだ。4年間しっかり職務をまっとうするべきと考える任期満了派であろうが、支持率が暴落した政権は速やかに国民に信任を問うべきと考える早期解散派であろうが、どちらも正論だからそれ自体は構わんが、自分達の私利私欲でポリシーを使い分ける人間はただのクズだと俺は考えている。」

逆沢「そんな事言ったら、国会議員の大半は私利私欲まみれのクズしかいなくなるじゃん。」

愛原「敵と味方でポリシーが豹変するから、ダブルスタンダードが発生する。ダブルスタンダードがまかり通るから、ますます憎しみの連鎖になる。敵であろうが味方であろうが、自分のスタンスは絶対に変えない。そういう人間こそが、本当の意味で敵にも味方にも尊敬される人間だと自分は考えている。一度ストライクゾーンを決めたなら、阪神の選手が打席に立とうが巨人の選手が打席に立とうが、絶対に公平にジャッジする。そういう不撓不屈の精神で公平にまっすぐ徹せる人間こそがな。」

逆沢「おお〜。なんかよく分からないけど、とりあえずカッコいい事言ったみたいだから、とりあえず拍手〜♪」

鼎「でも冷静に考えたら、これって当たり前の事だよね。自分の好きなチームが打席に立ったらストライクゾーンを狭くして、自分の嫌いなチームが打席に立ったらストライクゾーンを広くするような審判が、みんなに尊敬されるはずがないよね。」

逆沢「たとえ自分に有利な判定をしてくれたとしても、心の底からその審判のことを尊敬する事は絶対にないと思うわ。そういう私利私欲まみれの審判は、こちらとの仲がこじれたりすると、次の日からいきなり自分に不利な判定をしてきそうだし。」

愛原「ただ公平に接するという当たり前の事が、敵・味方のフィルターを通す事で困難になる事は意外と多い。誰だって、自分や味方を有利にしたいと考えるし、憎い敵を不利な状況に追い込みたいとも考えるからな。」

逆沢「私利私欲とその場のノリだけで自分に有利な論理を展開したつもりでも、後で立場が逆転する可能性も考えたら、あまり我田引水的な論理を展開するのも考えものって事ね。」

鼎「治安を良くする為にルールを厳しくしたら、自分がルール違反で捕まる可能性も高くなるし、とかいってルールを緩くすれば、今度は自分よりタチの悪い人間がルールの網をすり抜けて悪さし放題になりかねないしみたいなジレンマが、世の中には結構あるよね。」

逆沢「だからといって、普段は厳罰主義陣営に属しながら、自分が罰を受けそうな境遇に陥った途端に主張をひっくり返すような人間は、敵・味方の両方の陣営から同時に嫌われても仕方ないという事ね。」

愛原「自分が特定のポリシーを貫く事で、自分自身が不利を被る事もあるだろう。憎い敵を利してしまう事もあるだろう。なぜなら【便利な社会は、犯罪者にとっても便利な社会】であり、自分にとっての権利は他人にとっても権利であり、他人にとっての義務は自分にとっても義務であるケースがほとんどだからだ。どの陣営に属して誰を味方にして誰を敵に回しても構わないが、その結果、自分の判断や発言がブーメランとなって返ってきて足かせになっても、なお自分の過去の行動や発言に責任を持てるか? 人間としての本当の価値が問われる局面だ。」

鼎「私は他の人の意見を聞いて、そっちの方がもっともだと思ったらすぐに考えを変えちゃうこともあるし、そういう柔軟さは好きでいたいと思うけど・・・。」

愛原「その意見は賛成。たとえば【麻生政権の頃は早期解散派だったけど、後で考えを改めて任期満了派に鞍替えした】というなら、話は分かる。だがその場合は、麻生政権の頃の自分の振る舞いを反省する事が条件だ。【今でも麻生政権の時に早期解散を求めた点は正しいと思ってるし、野田政権の時に早期解散に反対したのも正しいと思っている】と主張するようなら、どんなにもっともらしい言い訳をした所で、ダブスタでしかない。」

鼎「また3年前に続いて政権交代したけど、また新たなダブスタがちらほら見られているようだね。都合の悪い過去の部分はスルーして。」

愛原「だな。最近見つけた例では、民主党政権が発足する前から民主党政権は失敗するとネガキャンやってた人がアベノミクスを批判された途端、【結果も出ない内に非難するな】とか【ネガキャンで不安を煽って本当に景気が悪化したらお前らのせいだ】とか。子供手当てはバラマキだけど、児童手当や定額給付金はバラマキじゃないとか。民主党の福祉政策はぱらまくだけで無意味だと批判しながら、自民党が参院選終了後まで70〜74歳層の1割負担を特別に延長する事にした件についてはスルーしたり。自民党の経産大臣が自動車取得・重量税廃止のアイデアを出しただけで早速賞賛の声をあげながら、過去のエコカー減税を含むエコ減税が存在していた点についてはやっぱりスルーして、民主党は何もしなかったと非難したり。高速道路1000円は褒め称えながら、高速道路無料はバッシングしたり。俺としてはどの政策を賞賛しようが批判しようが構わんが、とりあえずスタンスを統一して欲しいのだが。増税賛成なら自民党も民主党も世論の反発を恐れずよくやったという事になるし、増税反対なら自民党と民主党は共に戦犯なわけだから、そういう部分で本来両党の評価に大きな差が出るはずがないのだ。」

鼎「こうしてみると民主党も自民党も、ほとんどやってる事は同じだよね。児童手当と子供手当てなんか、事実上、名称が違うだけだし。理想の選挙制度像から増税・TPPや農家への個別補償に対する考え方までほとんど一緒というか。むしろ公明党やみんなの党や共産党や維新の党の方が、ずっと思想的には離れているよね。」

愛原「中身がほとんど変わらないのに、無理矢理【こちらはセーフ、あちらはアウト】とやるから、ダブスタだらけになる。どちらの陣営に与してない第三者から見ると、【目くそ鼻くそを笑う】にしか見えない。第三者としては目くそと鼻くその優劣なんか興味ないのに、それでもこの手の人間は詭弁を繰り返してでも、自分に有利な形で無理矢理優劣をつけて、アウトとセーフで区別したがる。」

鼎「お互いに相手に対して敬意を持たずに、ネガキャンばかりして、しかも自分の都合に応じてダブルスタンダードばかり繰り返すようじゃ、とてもスポーツマンシップにあふれた好敵手関係は築けないよね。」

逆沢「つうか最初から、仲良くする気自体ないから。こういう不毛な敵対関係の場合、仮に【敵でありながら賞賛に値する人間】が現れるとしたら、この前の野田のように利敵行為に手を貸した人間だけだと思うし。逆を言えば、もしも麻生が総理の時に野党の要求に応じて早期解散を決断していたら、きっと麻生は野党からその件ですごく賞賛されてたと思うし。ま、それと同じ事よ。」

鼎「こういうダブスタは、私達も油断するとやりがちだから、気をつけないといけないよね。私達も心の弱い人間だから、【こちらはセーフ。あちらはアウト】をやっちゃう事もあるだろうから。」

愛原「自分に厳しくなれるストイックなタイプなら、アウトゾーンを広げて自分を厳しく律する事もできるだろう。ただ俺の場合は自分に厳しくなれるタイプじゃないから、【こちらはセーフ。あちらもセーフ】になりがちかも知れない・・・。まぁ【こちらはセーフ、あちらはアウト】よりはマシと思いたいが・・・。」

逆沢「そういえば今、ニュースになってる桜宮高校で自殺した学生さんも、自分だけが激しく体罰を受けるダブスタに強い不満を感じて自殺したらしいけど。ま、誰だって【他の人は同じ事をしてもセーフになるのに、自分だけアウトにされる】のは絶対嫌だからねー。」

愛原「ただダブスタをする人間に、自覚症状はないからな。顧問の先生としてはキャプテンが最終的に全責任を負うというのは当然というスタンスだったらしいし。上の例で自民党支持者が民主党を派手に叩いたり(逆も同様)する際も、本人には自分がダブスタをしている自覚はおそらくないだろう。」

逆沢「ちょっと気になったから聞いてみたいんだけど、あの桜宮高校の問題について、アンタはどう思う?」

愛原「テーマと関係ない質問すんな。と言いたい所だが、本音を言うと【分からん】。橋下のやり方は一罰百戒の効果を除けば、無関係の人を多数巻き込むなどかなり問題があるようにも思えるが、だからといって橋下以外の首長ではトカゲのシッポ切りが限界だろうから、現時点で賛成とも反対ともいえない。ま、ダブスタの視点で言えば、数ヶ月前に田中真紀子が大学新設の件で一石を投じた時に、田中真紀子のやり方に反発した人なら橋下のやり方にも反発して当然だろう。そういう人は【もっと穏便なやり方があるはずだ】とか【巻き込まれる学生が可哀想だ】と考えるだろうから。逆に【抵抗勢力を恐れていてはいつまでも現状は変えられない】とか【この程度の理不尽は社会に出ればいくらでもある。甘えるな!】と考えるなら、どちらも支持するはずだ。権限者としての強権発動手法も全く同じだし。ダブスタ上等の人でなければ。」

鼎「私、自称保守の人で、田中真紀子さんのした事は認められないけど、橋下さんのやる事は全面的に支持という人の主張を見つけた事があるよ。」

逆沢「まぁ自称保守なら、橋下よりも教育界の方を嫌うだろうし、田中真紀子の事も嫌っているだろうから、好き嫌いの観点でいえば矛盾はないと思うわ。好き嫌いだけでアウトセーフを先に決めてから論理展開する思考回路自体は、下劣極まりないと思うけど。」

愛原「大津のイジメ自殺事件にしろ今回の体罰自殺事件にしろ、人が死んで初めて問題化する傾向は少し残念だが、亡くなった少年の無念が少しでも癒やされるような方向に進んでもらえればとは思う。個人的には人命重視派な自分としては。」

逆沢「ま、原発事故の後に経済界の人間とかが【原発事故で直接的な死者は一人もいない(間接的には何人もいるけど)】とか【交通事故で100万人以上死んでいる。(原発事故が原因で自殺した人がいるというが)原発でそんなに死にましたか?】と言った人もいるらしいからねー。そういう人命軽視派の考えの人からすれば、【何でこんなくだらん事でみんな騒いでいるんだ?】って感覚だろうけど。」

愛原「ダブルスタンダードの観点で言えば、古くから黙認されてきた悪習を改める覚悟とか人命という観点で、桜宮高校の件も田中真紀子の件も原発問題も、全てつながっている。そういう部分で一貫性のある主張ができる人は、自分の思想に太い芯のあるタイプだろう。」

鼎「そういえば銀英伝の有名なセリフで、【人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と生命に勝るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。】というのがあるけど、自分の都合で(戦況が有利なら)戦争をやろうといったり、(戦況が不利になれば)やめようと言ったりする人もいるよね。前者の時は正義を盾に戦争を行ない、後者の時は人道的観点から和平を模索するみたいに。」

逆沢「そんな人は、その場のノリで適当な事を言うだけのいい加減な人と思われても仕方ないわ。ま、詭弁家に共通する特徴だろうけど。」

愛原「案の定、話がどんどん逸れ気味になってるから、強引だがそろそろまとめに入るとしよう。敵でありながら敬意をもたれる条件について。」

鼎「短期的にみれば【敵からみて都合のいい人】であれば一番簡単にすぐに好かれる可能性があるけど、敵に好かれるには利敵行為をするしかないから、これは私としては条件に入れたくないかな?」

逆沢「リーダーの観点からすると、敵味方で差別をしない事が条件でOK?」

愛原「OK。敵にも敬意を払える人間は、敵からも尊敬されるだろう。逆に敵を憎むことしかできず、敵の悪口しかいわない人は、敵からも悪口しか言われないだろうし、尊敬もされないだろうからな。」

逆沢「私はそれにプラス【優れた能力や実績】。もちろん性格が悪いとマイナスだけど、性格面で互角なら、少しでも能力や実績のある人の方が絶対に尊敬されやすいだろうから。」

鼎「能力や実績に秀でている人は、下手にブログとか書かない方が賢明かも知れないよね。自分の思想や人格がバレてしまう事で、逆に評価がマイナスになってしまう可能性もあるから。」

愛原「芸能人などでも私生活を一切明かさない人もいるしな。ま、私生活まで切り売りしなくとも、純粋に芸の力だけで尊敬される人というのは、それはそれで立派な気もするが。」

鼎「日本では有名人ほど、政治思想関係のネタを話題にしない人が多いよね。【私は○○党を支持しています】とか言うと、その党が嫌いな人がファンをやめる可能性が高くなるから、すごく賢明だと思うけど。」

愛原「残念だがアメリカ人と比べると、日本人はそういう部分で割り切れる人がどうしても少数だからなぁ。誰がどういう思想を持っていようと、それが野球の成績や音楽の出来やマンガの面白さとは関係ないはずだが、特定の宗教をやっているとか、特定の国出身であるとか、特定の政治思想を持っているとか、どうでもいい部分で人を色眼鏡で判断する輩がいるのは、本当に残念な話だ。」

鼎「私達大半の人間は、能力や実績だけで尊敬を勝ち取るのは難しいから、なおの事、ダブスタにならないように公平な視点で他者や物事を判断するようにしたいよね。」

愛原「我田引水的に【こちらはセーフ、あちらはアウト】とやる人は、(自分と同類以外)誰からも尊敬されない。ちゅうかしゃべってる内容自体、本気で信用してもらえない。【都合のいい人】として他人から利用される事はあっても、利害が合わなくなればポイ捨てだろう。自分と全く同じ考えの人間なんてこの世に絶対いない以上、とある部分で誰かと対立関係になるのは仕方ないが、(たとえ一部分で対立関係になっても)【この部分では常に信用できる】とか【この部分では明らかに尊敬できる】といわれる人間でありたいとは思う。」











トップページに戻る