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愛原様のたわごと(13年5月5日)





愛原「作者が数年ぶりに新しいパソコンを買ったらしい。」

鼎「確かキーボードと一部内蔵ハードディスク以外、すべて新しいのを調達したらしいよ。」

逆沢「つーか、未だにMe時代のキーボードを使ってるのか? それも一緒に買い換えたら良かったのに。今時、キーボードなんて、安いのなら新品でも1000円までであるんだし。」

愛原「キーボードだけは、使い慣れたものがいいらしい。」

逆沢「なるほど。でもハードディスクの方は内蔵なんだから、使い慣れたもクソもないでしょ?」

愛原「メイン部分はHDDよりも耐久性と速度に定評のあるSSDに置き換えたが、それ以外は前のパソコンのデータを新しいパソコンに移動させるのが面倒くさいので、外してそのまま流用することにした。以前はバックアップ用ドライブとして使用していたハードディスクを新しいパソコンに付け足して新バックアップ用兼データ移転用として使う事にしただけだから、前のパソコンもそのまま使えるし、新しいパソコンも比較的早く使えるだろうという事で。」

鼎「OSも変わったし、新しいPCの使い勝手はどうかな?」

愛原「まぁ、慣れていないが故の不便さもあるが、慣れたらこっちの方が使い勝手は良さそうだ。あと買い換えたディスプレイが色々ヤバい。」

鼎「確かディスプレイもついに買い換えたんだよね。Windows95時代から使っていたブラウン管のディスプレイからついに!」

愛原「うん。最近の一部のPCゲームの画面や一部のサイトを見てる際に、暗いなぁと感じる事が増えたので、明るさにこだわって新しいディスプレイを購入したが、正直まぶしすぎる。まぁ色々と細かい明るさ調整ができるみたいなんで、かなり落としてようやくいい感じになってくれたけど。自分のサイト見て、こんなにイライラしたのは初めてだ。チカチカしすぎて。」

逆沢「ウチのサイトは、原色多用してるからねー。作者がやたら原色好きだから。」

鼎「公開されているゲームの方も、原色を多用しているようなところがあるよね。」

逆沢「だから原色嫌いの人からすると、かなり不快感を誘うデザインになってるとは思うわ。」

愛原「俺も色々驚いた。ディスプレイの設定によって、ここまでサイトの見た目の印象が変わるとは思わなかった・・・。」

逆沢「ブラウン管時代と違って横長になってるせいもあるのかな? あと画面が大きくなった分、表示領域も大きくなったせいもあるかも。」

鼎「あとOSやInternet Explorerのバージョンも今までと変わってるから、その影響も大きいと思うよ。文字のフォントとかいろんな部分で差も出てくるし。」

逆沢「サイトによっては、【このサイトはInternet Explorer×で動作確認しています】みたいな感じの断り書きが書いてある事もあるくらいだしねー。もしかしたら人(orパソコンの設定)によって、画面の見やすさや快適さも全然違うのかもしれないわね。」

愛原「正直、明るさやコントラストの設定次第では、ウチのサイトのデサインは最悪だろうな。初期設定のままのディスプレイでウチのサイトを閲覧した作者自身が、【うわっ!!こいつはひでえっ!!】と衝撃を受けたくらいだから。」

逆沢「まぁ、ひどいのは事実そのものだろうけど、人によってひどさの程度は変わってもおかしくないわね。OSやディスプレイやInternet Explorerの条件によっても、全然見た目自体が変わるみたいだから。」

鼎「みんな、大体どんな設定でパソコン画面を見てるのか知りたいよね。せめて平均が分かったら、それに準じたサイトのデザインにリニューアルできそうな気がするし。」

逆沢「つうかJIS基準みたいな感じで、初期設定の条件を固定してほしいわ。【ディスプレイの明るさはどの製品でもこれ】とか【OSがInternet Explorerのバージョンがどれだけ変わっても、初期条件だけは不変】とか。」

愛原「こらこら。いくらなんでもそんなのは無理だろ。製品も時代の変化に伴ってどんどん進化していくものだし・・・。」

逆沢「でも進化についていけないって事もあるでしょ。ほら、お年寄りの人の中には、未だにATMの使い方が分からなくて、たとえ手数料と時間が余分にかかっても銀行の窓口しか使わないって人もいるらしいし。」

鼎「パソコンもOSの進化に伴って便利になった部分も多いはずなのに、それでも昔の慣れたものの方が使いやすいという意見はよく聞くよ。」

愛原「まぁ、それは認める。たとえ【より便利】に改められたとしても、【より便利】なものよりも【より慣れた】ものを選びがちな事は、別に珍しいことではないからなぁ。」

逆沢「人間、老化が進むほど、どんどん進化や変革を拒むようになるというか、保守化するとも聞くけどねー。現状に不満がなければ、特に変える必要は無いと考えるようになるというか。」

愛原「会社組織でも、古参になるほどそういう風潮はよく見られるぞ。新しいシステムが主流になっても、それを変えるコストや手間ばかり気にするようになって、結果的に時流に乗り遅れてしまう。【こちらのシステムに変えた方が効果的ではないでしょうか?】と若い社員が提言しても、【いや、我が社は長年この方針でやってきたから】の一言で突っぱねられてしまう。未だにパソコンに触る気も無い年配の人が経理の幹部をやってたりすると、その部下の仕事が半端なく増えたり。」

逆沢「パソコンの操作が全然できない人が会社の幹部をやってたりすると、いちいちデータをプリントした上で説明してあげなきゃならなくなるし、手書きの帳簿をメインにされると検索も修正も大変になるし、でも若い社員がいくらそれを提言しても、パソコンを使えない古株の人が【それだと自分が帳簿を見たい時に(パソコンが操作できないので)見られなくなるから】とかいって、結局拒否されたりするのよね。」

鼎「でも若い人でも、そういう傾向は誰しもあると思うよ。たとえば私たちの場合はパソコンも基本的に自作で組むけど、仮に私達がそれを他人に勧めても、メーカーパソコン派の人からは大抵嫌な顔をされるだけだと思うし。」

愛原「作者もパソコンなる物を初めて使い始めた時はメーカー製オンリーだったが、パソコンが故障するたびにショップにパソコンを2週間近く預けるような展開に嫌気がさして、自作メインに切り替えたらしい。自作なら壊れた部品だけ取り替えたら済むし、拡張性も抜群だから。あと最近はそうでもなくなったが、昔は本当に安く上がって、貧乏人には本当にありがたかった。」

逆沢「でも自作は手間や知識が多少なりとも必要になるしねー。あとメーカー保証とかがないから、色々自己責任な部分もあるし。個人的には他人に薦められるシロモノとまではいえないというか。」

愛原「【より便利】な世の中を実現したければ、それなりのリスクを受け入れる覚悟も必要だ。インターネットをしたければインターネットの使い方やコンピュータウイルスに対する警戒がより必要になる。スマートフォンを導入すれば、その操作に慣れる事はもちろん、悪質なアプリにも警戒する必要も出てくる。このように新機能が加わるごとに、新たに覚えなくてはならない事が必ず発生する。銀行での窓口振り込みしかやった事のない人が、ATMを操作しようと思えば、その操作に慣れる必要があるような感じで。」

逆沢「銀行窓口で振り込みをするのなら店員さんがあらかじめ色々確認してくれるけど、ATMの場合は間違って振り込んでも基本は自己責任だし、それでATMを怖がるお年寄りの人がいるのかも知れないわね。」

鼎「自己責任の部分を嫌がるという点では、ATMを嫌がる人と自作パソコンを嫌がる人は、思考のベクトルとしては同じ方向なのかも知れないけど・・・。」

愛原「パソコンの自作もATMの操作も、慣れた人からすれば、別にどうという事も無い作業なんだけどな。」

逆沢「いや、さすがにパソコンの自作とATMの操作では、難易度がさすがに違うでしょうが? いくらなんでも・・・。」

鼎「メーカーパソコンと自作パソコンとでは、安心感が全然違うから、もしかしたらそのせいもあるかも。ほら、自力でパソコンを組み立てる必要もないし。必要なアプリは最初からほぼそろっているし(余計なアプリも大量にプリインストールされてる場合も多いけど)。トラブルが起こったらメーカーか販売店に連絡すれば良いし。(実際には対応できる範囲には限界があるけど)。無料保証期間ともちゃんとあるし。」

愛原「要するに、何となく安心。かつ小難しいことを考えなくて済むという点が支持されている訳だな?」

鼎「でも【難しいことを考えなくても、何とかなる気がする】安心感って、すごく分かる気もするよ。自分が深く考えたり悩んだりしなくとも、別の誰かがその悩みや不安を引き受けてくれたり解消してくれるならば、こんなに楽な事はないよね。」

愛原「その発想を聞いて、7lcw+2の北狄編の冒頭の池田のセリフを思い出した。【貴国は我々の言いなりになってカネや労力を惜しまねば、いくらでも守ってやる。(中略)貴国は我が国の言いなりでいれば、まず失敗はない。自分の頭で考えようと思うな。(中略)あるだけの財産を我々に託し、我々のいうことさえ聞いていれば間違いないのだからな。】というやつ。」

逆沢「なに、その得体の知れない悪徳新興宗教の教祖が言いそうなセリフ・・・。」

愛原「でも、現実に自分の頭で考える事を放棄して、【誰かのいうことを聞いていたら間違いないはず】と考える者は意外と多い。だから全財産を得体の知れない宗教団体なり占い師なり先物取引業者なり詐欺師なりに託して、その人の言いなりのまま教えを忠実に実行したり、資金を運用し続ける者も後を絶たない。自分で難しいことを考えずとも他人が何とかしてくれそうと思ったら、人間というのは案外簡単に思考停止してしまうという事かも知れない。という訳で今回のテーマは【悪徳宗教を必要とする人々】だ。」

逆沢「うへえ〜。パソコンといういかにも科学チックな前置きから、なんてとんでもないテーマを!!!」

鼎「宗教関係の話題は、政治関係と並んで二大タブーとされがちな話題だから、特に注意した方がいいよ。猪瀬東京都知事も、ライバル国の政治や宗教を批判するのはタブーというオリンピック協会の基本ルールを破って大変な事になったみたいだし。」

逆沢「そうそう。以前にも韓国の人が竹島問題かなんかをスポーツの場で口にした事で大問題になったくらいだし。政治と宗教だけは、本来すごく敏感な問題だから。」

愛原「政治問題なんか、うちのサイトでは昔から言いたい放題だから気にすんな。」

逆沢「いや、でも宗教問題は、政治問題以上にある意味ハードだし。つーか、こんなちっぽけなコーナーで語り尽くせるような小さいネタでもないでしょが??」

愛原「今回は学術的な視点ではなく、ゲーム的、あるいはワイドショー的な視点で表面だけなぞるだけだから心配するな。テーマも宗教全体ではなく、悪徳宗教に絞ってあるのがミソだ。俗っぽい言い方をすると【あんな得体の知れない宗教にハマる奴】とやらの内面考察をしてみようという感じだな。お前らも、テレビやネット見てて、たまにそういう風に思った事はないか? あるいはゲームや小説内に登場する狂信徒キャラクターに対して。」

逆沢「ああ、なるほど。確かに得体の知れない占い師なり投資事業なりに、財産の大半を突っ込む奴は一向に後を絶たないし、そういう連中の頭の中身を知りたくなる時はあるわ。」

鼎「そもそも他人に依存して、【その人の言う通りにしてたらすべてが上手くいくに違いない】と考える事自体が、すごく虫のいい甘えだよね。」

逆沢「そうそう。ある意味、究極の思考停止って奴??」

鼎「自分の頭で考えるのが面倒くさくなって、それで他人に依存したくなっちゃうのかなぁ? 深くつらい悩みにまいっている時ほど、自分の頭で考えても考えても自分が納得できる結論がいつまでもでなくて、それで自分の頭で考えるのに疲れ果てて、他人に依存したくなっちゃうとか。だから深い悩みを抱えている人ほど、そういう宗教や詐欺に引っかかりやすいイメージもあるし。」

逆沢「でも世間で言う高学歴の人でも、怪しい宗教にハマる人はかなり多いらしいけどねー。普通の人以上に考える事には耐性がありそうなのに。」

愛原「【無知の知】という言葉があってだな。たとえば宇宙科学の専門家が宇宙の神秘の謎を解き明かせば明かすほど、新たな疑問もわいてきたり、自分がいかに無知であったかを再認識させられたりするらしい。いわゆる厨二病気質の人は、一を知っただけで十まで知った気になるからそういう高尚な悩みとは無縁でいられるだろうが、まともな学者の大半は一を知ることで二から十までの事を知らない自分を再認識してしまう。というか一の他に二以降の謎が存在する事を新たに知ったりする。一の正体が二である事を突き止めたとすれば、次は二の正体を知りたくなるような感じで。無知な人はタキオンという単語自体知らないからそのことに悩むことも全然無いけど、タキオンという概念を知っている人はそのタキオンについて新たに悩むようになるような感じでだな。」

鼎「だから知識人ほど、無知な自分を何度も何度も再認識してしまって、考える事に疲れやすいという側面もあるのかもしれないね。考えれば考えるほど、真相にたどり着く事の難しさだけを再認識させられ続けるから。」

愛原「それでも一を知っただけで十まで知った気になっている厨二病気質の人よりは、一を知っている上、二から十まで知らない事も自覚している人の方が上だと思うけどな。優秀な知識人であれば四から十までは無知でも三までくらいは正しく理解しているかもしれない。少なくとも(実際には一しか知らないのに)十まで知っていると思い込んでいる人よりははるかに上だ。」

鼎「でもそういう誠実で学のある人ほど、四から十まで知らない事で悩んだりしやすいんだろうね。仮に十まで知ったとしても、その頃には十一から百の存在に気づいて、自分はほとんど何も知っていない事をさらに再自覚させられて無限ループにはまっていくとか。」

愛原「非理系面・・・たとえば人間心理など人文科学や社会科学に属する悩みなら、なおのこと解決は難しい。たとえば【どうやったらあの人の怒りを鎮めることができるだろうか?】とか【どうやったら裁判で勝訴できるだろうか?】とか【どうやったら大ヒット作品を生み出せるだろうか?】いった悩みには、明確な正解が存在しない事も多い。考えても考えても正解にたどり着かない事の方が世の中は多い。」

逆沢「こうしてみると考える事自体に疲れ果てる状況というのは、誰しも常につきまとうという事ね。」

鼎「ジョジョの奇妙の冒険シリーズには、【そのうち○○は考える事をやめた】という名ナレーションが二回ほど登場するけど、考えても考えても結論が出ないと、そのうち、考える事自体をやめたくなる心理はよく分かるよ。」

愛原「ただ普通の人間の場合、考える事をやめても、活動を停止する事はできない。とすると方法は二つ。他のことを考えるなりしてそのことを忘れるか、他人に依存するしかない。」

逆沢「なるほど。宗教というのは、自分なりの生き方を見失った人にとっての人生の道しるべとしての役割があるって事ね。神なり教祖なり僧侶なりの教えを正しいと信じて、言いなりになっていたら間違いないと考える。そしてそれらが【してはいけない】という事を避けて、逆に【奨励する】事を優先的に実行する事で、幸せになれると思い込む事で、その人の生き方の基本ルーチンができあがると。」

愛原「自由は使いこなせない人にとっては、案外苦痛だったりする。たとえば学生時代の写生大会で【この木を描きなさい】と先生に言われたらすぐに絵描きにとりかかってきれいな絵も描けるのに、【好きな絵を描きなさい】と言われたらいつまでも何を描くかで迷って、結局持ち時間も足りなくって中途半端な絵しか提出できない者も出たりする。会社を退職した直後の旦那さんが、その後の生き方に困るという話もたまに聞く。ニートでも一日の半分は寝てるだけとか、大した目的意識もなくだらだらネットしてるだけの人もいるかもしれない。」

鼎「そういう自由な環境を使いこなすのが苦手な人にとっては、たとえ命令でも、他人の指示に従って働いている方が充実して輝いている事もありそうだよね。」

逆沢「私からすると、ボランティアにやたらかり出されたり、月数回(場合によっては毎日)の礼拝を強制される宗教なんか面倒くさくてノーサンキューだけど、そういう人にとっては、そういうのも充実した時間になるのかしらねー?? 自分が働くことで世の中に貢献していると思い込む事さえできれば。」

鼎「【仕事に追われているくらいの方が、余計な事を思い出して悩まずに済む】とか、【毎日、すごく忙しくてスケジュールを管理するのも大変だけど、そんなリア充な毎日に感謝している】みたいな人もいるらしいし、自由な時間をどう過ごすか悩むよりも、時間に追われたり、限られた時間を上手くやりくりするくらいの方が心理的に安定する人にとっては、ある程度の時間を誰かに拘束される方がいいのかも知れないよね。誰かに拘束されていれば、その時間は余計な事を考えずにルーチンワークで消費できるし。」

愛原「自分の頭で考える苦痛よりも、誰かの指示に従う苦痛の方がマシと考えているのかもな。いや、それは苦痛ではなく役割や課題に過ぎないと解釈のかもしれない。その試練を達成する(あるいは達成自体はできなくとも、その活動自体に真摯に取り組む)事で、誰かに褒められたり、未来(あるいは死後)の幸福が約束されるなら、それは幸福の代償に過ぎないのだから。」

逆沢「まー、死後の幸福を信じようがそれは個人の自由だけど、ただ他人を巻き添えにするのだけはやめて欲しいんだけどねー。でもそういう人に限って、やたらと他人も勧誘しようとしたり、ひどい場合は家族の財産も持ち出したり、もっとひどい場合は他人を迫害したり、とんでもない事をやらかすから困るんだけど。」

愛原「【自分さえ良ければそれでいい】と思っているか、【その行為自体が世の中のためになる】と思っているかのどちらかだな。もちろんおかしな教義の虜になっている時点で思考停止しているのは明白だから、それが本当に【世の中のためになるか?】どうかの検証なんかしない。神学理論特有の【結論を先に決めて理由を後付けする】思考だけを働かせて、自分なりに【その行為の正当性】の言い訳くらいはいくらでも考えそうだが。」

逆沢「小説やゲームによく登場する狂信徒は、大体そういうタイプね。思い込みだけはやたら激しくて、自分なりの正統性やルールを持っていて、誰かの指示や特定の教義には忠実だけど、それ以外の人のいう事は絶対に聞かず、それを諫めようとする人に対して無条件に敵意を抱いたり。」

鼎「そういう人を元に戻すには、どうすればいいのかなぁ?」

愛原「うーん。これは難しい。というのも狂信徒は、それを盲信することで安心できている訳であり、この安心を取り上げる事はきわめて難しい。ジョジョの奇妙の冒険シリーズのDIO様のセリフにも?【[人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる]。名声を手に入れたり、人を支配したり、金もうけをするのも安心のためだ。結婚したり、友人をつくったりするのも安心するためだ。人のために役立つだとか、愛と平和のためにだとか、すべて自分を安心させるためだ。安心を求める事こそ人間の目的だ】というのがあるけど、人間にとって安心の確保は非常に大きな問題だ。盲信による安心をその人から取り上げて、代わりの安心を提供できるか? あるいは盲信による安心が危険な幻想に過ぎないことをちゃんと伝える事ができるか? 俺は非常に難しいと思う。たとえば仮にその人の盲信を解いたとして、その人が今まで悪徳宗教団体に貢いだ財産が素直に返ってくるとは思えないし、その人に新たな生き方を用意してあげるのもなかなか大変だ。でもそれができないと、その人はまたいずれ、元の宗教団体に帰っていくか、別の宗教団体に入信する可能性が高くなる。その人は、元々、自分の頭で自分の人生を切り開く訓練や適性や能力が足りないからだ。他人依存症というか。」

鼎「30歳超えても厨二病全開の人も、そういうところがありそうだよね。自分自身を盲信する事で安心を確保している状態だから、その人に代替となる安心を提供できない状態で、その安心を第三者が無理矢理引っぱがそうとしても、なかなか上手くいかないだろうし。」

愛原「まぁ厨二病の場合は、悪徳教団や詐欺師のようなバックがその盲信状態の人を操っている訳でもないから、(そいつ自身が自暴自棄になって妙な破壊衝動を抱かない限りは)放置しておいても大きな害はないけどな。ヤバイのはそういう心の弱い人を操るバックがいる場合。なぜなら厨二病の人は自分がかわいいから自分自身にダメージが跳ね返るような無茶まではあまりしないけど、悪徳教団や詐欺師は、その盲信状態の人を容赦なく食い物にしたり、そいつを操って反社会的な事を教唆する可能性すらあるからだ。」

逆沢「うんうん。厄介なのは、そういう他人依存症の人間を支配したがる人間もいる事なのよねー。上の7lcw+2の池田のセリフのように【お前は黙って俺の言うことだけを聞いていればいい】的な思考をする人も、世の中には少なからずいる訳だし。他人を思い通りに動かさないと気が済まない人というか、他人を支配したい人というか。」

愛原「まさしく需要と供給の一致だな。他人に依存する事で安心したい人他人を支配する事で満足したい人が仲良く(?)共存できる環境・・・・それが宗教であり国家であり企業なのかもしれん。もっとも企業や国家が他人に夢や希望を与える事はほとんどないけど。入社させたり入国させるまでは【アットホームな会社です】とか【月収五十万以上も可能】とか【理想の楽園】とか、色々思考力が弱まった人相手に夢も与えられるけど、すぐにボロがでるから。」

逆沢「あんたはどっち?」

愛原「どっちも嫌い。協調や協力はできるが、支配されるのはゴメンだし、他人の人生を左右する重みにも耐えられそうにないから支配するのも抵抗がある。」

鼎「という事は、他人を支配したがる人というのは【必要とあれば他人を無残に切り捨てる事もできるし、他人の人生をもてあそんだり食いつぶす事にも抵抗はないけど、それでいて心にもない美辞麗句を平然と言えて、相手を巧みに取り込める人】が向いてるという事かな? まさしく詐欺師の世界だよね。」

逆沢「真面目な中小企業の社長さんとかは、倒産不可避な状況に追い込まれると、責任を一身に背負って従業員の生活や債権者の権利を守ろうとして、結局、身ぐるみ全部はがされたりするみたいだけど。逆にブラック企業の経営者だと、すぐに部下に罪をなすりつけたり、無休(or無給)で働かせたりしても、全然胸が痛まない人ばかりというか。けど宗教を運営するという視点で言えば、後者のブラックな人の方が実は向いてるのかな? 部下や信徒に反逆される事も無く、巧みに低待遇でも働かせ続けたりできるという点で。」

鼎「つまり宗教団体にしろ企業にしろ、その主従関係の多くは、【他人に依存すれば幸せになれる】とか【今の組織を辞めさせられたら路頭に迷う(依存している状態の方がマシだと思い込む心理的奴隷状態)】と考える他人依存症の人と、【部下や信者を幸せにする気などこれっぽちもないけど、支配(and搾取)はしたくてたまらない】という人の組み合わせで成り立っているともいえるのかなぁ?」

逆沢「そういえばファンタジー小説などに登場する悪の宗教団体も大体そんな感じね。教祖など上層部は本当に腐りまくっていて、それでも一般信徒は自分の宗教団体を盲信している方が大半という構図。」

鼎「あるいは上層部の腐敗に気づいていても、怖くてなかなかそれを改められなかったりとか。」

愛原「現実のキリスト教の歴史でも、教会の腐敗が問題視されてる時代は長くあったけど、それでもその宗教をやめようとか、自分で新たな宗教団体を作ろうとか、そういう風に考える人はほとんど出なかった。個々人の信教的自立を妨げるほどに、宗教への心理的(&社会的)依存が生まれたときから社会全体に浸透していたせいだろう。少なくとも共産主義という概念が世界に登場する頃までは。」

鼎「共産主義は、本来、宗教に対して否定的だったよね。あと資本家や国王らによる支配にも否定的だったし、そういう意味では理性主義的というか、すごく個々人の権利と自立を前提とした思想だったよね。」

逆沢「でも共産主義もなかなか上手くいかなかったみたいだけどね。なんでかな?」

愛原「共産主義思想自体が悪いのではなく、カリスマ教祖まがいの指導者が共産主義という当時の流行語を使って、大衆をあおったという方が正しいかも知れんな。大体、本来の共産主義は、独裁者による政治主導を認めない思想なんだから。旧ソビエトにしろ、北朝鮮にしろ、あれはまがい物だ。あれらを根拠に共産主義思想を否定するのは、オウム真理教を根拠に仏教思想を否定するくらい色々まずい。」

鼎「でも、歴史的に見て共産主義国のほぼすべてが独裁的国家ばかりだし、どうしてそういう本来の理想と真逆の体制になっちゃったのかなぁ?」

愛原「【共産主義国になれば、すばらしい国になるに違いない】と思考停止した大衆が、カリスマ指導者に依存しすぎたせいだろう。つまりかつて特定宗教や王様や資本家に依存していた層が、そのまま自立に目覚めたのでは無く、共産主義を標榜するカリスマ指導者に依存の対象を変えただけのような感じというか。既存の宗派を全否定した日蓮が新たに日蓮宗を開いた時と同じような感じで、既存の宗教や指導者層を否定したカリスマ層が共産主義教団という新たな唯善排他宗派を結成して、そのまま国も乗っ取って神権国家を誕生させたという風に解釈した方がしっくりくるかも知れん。たとえば北朝鮮を、将軍様という名の現世神が支配し、称えられる宗教国家として考えると、あまり違和感ないだろ?」

逆沢「なるほど。つまり当時共産主義を支持していた住民の大半は、【なんだか分からんがとりあえずすごく素晴らしい思想らしいから、共産主義を応援しよう】みたいなノリだった可能性があったという事か?」

愛原「そこまではいかんと思うが、【偉大な指導者が労働者の国を作ると言ってるんだから、きっと偉大な指導者は俺たちをもっと丁重に扱ってくれるに違いない】くらいの期待心はあったんだろうと思う。【自分は何もしなくても(あるいは偉大な指導者の言う事さえ従っていれば)、偉大な指導者がきっと素晴らしい国を作ってくれるに違いない】的な他力本願の淡い期待というか。」

逆沢「なんか銀英伝のルドルフ政権を思い出すわ。大衆は自分の頭で考える事を放棄して、ルドルフとかいう偉大なカリスマ指導者に全権を与えてしまった。そしてその偉大なカリスマ指導者はやがて独裁者と化して、恐怖政治で大衆を臣民の地位に落としてしまったというアレ。」

愛原「本来の共産主義は反独裁政権的思想であり、マルクスにしてみればおそらく、共産主義の名をかたる別の悪質な何かができてしまったという所だろう。まぁキリスト教などにしても、イエス・キリストが説いた教えとは全く別方向のベクトルを向いた宗派や時代が結構あって、この手のものが形骸化しやすいのは昔からの話だが。」

逆沢「まぁ日本国憲法も【陸海空軍その他の戦力は、これを認めない。国の交戦権はこれを認めない】とはっきり明記されてるのに、憲法施行後ほんの数年で自衛隊ができたりして、いきなり形骸化してる部分もあるくらいだから、キリスト教や共産主義がどれだけ形骸化しようと、全然不思議では無いけどねー♪」

鼎「けどこうしてみると、依存症の人をいきなり自立させるのは、やはりすごく難しいのかなぁ?」

逆沢「まぁ奴隷解放令が出たからと言って、それで奴隷階級の人がすぐに手に技術と最低限度の資本金をもって自立して商売などができるかと言われればノーだろうし、やっぱり難しいんじゃないの? 悪質なブラック企業ばかりだった19世紀の資本家から解放された労働者たちが、じゃあいきなり自立できるかといったら、そんな単純な話ではなくて、彼らができるのはかつての権力者層である資本家や貴族階級の人間を血祭りに上げて、その財産を奪い取るくらいが関の山だったりして。」

鼎「でもだからといって、今の日本でもブラック企業が結構あるし、それを野放ししていいとも思わないけど・・・。」

愛原「うむ。同感。だが問題解決には、【ブラック企業がなぜ一向に無くならないか?】という側面も考える必要がある。これは【悪徳宗教がなぜ無くならないのか?】と実は根っこは同じだ。世間を騒がせるような悪徳宗教の場合、財産をぶんどったり、単なる暴力行為を除霊と言って正当化する例も多いが、それでも信じる人がいるのはなぜか? 離職率が圧倒的なブラック企業と言われている会社でも、平然何年も勤務し続ける従業員が何割か出るのはなぜか?」

逆沢「うーん。やっぱり洗脳されているのかねー??」

愛原「体罰を前向きに受け止める人と心理状態としては全く同じだ。要するに相手を信じ切っている。それは敬意の場合もあるし、教育の成果もある。仮に良いことがあれば【信じてついてきた俺が正しかった】という事になるし、逆に悪いことがあっても【これは試練(愛のムチ)だ】と考えたり、【他よりマシだ。】と考えたりする。ブラック企業の従業員に【なぜ辞めないのか?】と聞いた場合、【世の中をなめるな。そんなの、どこの会社もみんな同じだ。】であったり【会社辞めるのカッコ悪い】であったり【就職活動するのは大変】だったり【ここで辞めたら今までの努力が無駄になる】だったりするが、よくよく聞いたら、体罰を当たり前に受け取る人と同じ思考回路だ。」

鼎「この【他よりマシ】と思わせる洗脳手法って、唯善排他宗派やネット右翼の人と全く同じ思考回路だよね。自分たちの良いところが全然無くても、他を悪く言う事で(たとえ消極的であっても)支持を正当化する事ができる。」

愛原「ブラック企業も同じ。【お前なんかどこ行っても勤まらない。ウチだから雇ってあげてんだ。だからありがたく思えよ!】的な説教をして、他よりマシと思わせる。あるいは【お前一人雇うのに、どれだけの費用がかかったと思ってんだ。雇ってやった恩も忘れて、まさか辞めるとか言わないだろうな!】みたい無理矢理に恩を売りつける。まぁこの手の情につけ込む手口はヤクザが好む論法でもあるが。しかし依存症の傾向が強く、思考停止しやすい人間ほど真に受ける。そして【理不尽な仕打ちを受けても感謝する】奇妙な人間ができあがる。サービス残業月100時間でも【雇ってくれているだけありがたい】と感謝し、なけなしの金を奪われても【これは自分が悪いんだから仕方ない】と受け入れる。反抗しない。言いなりになっていた方が余計な事を考えなくて済むと考える。そして洗脳されて、一人前の信者のできあがり。」

鼎「支配したがる人間がどういう性格をしてるかがよく分かる一言だよね。本当に相手のことを思いやってるのなら、むやみに恩や情を強調したりしないだろうし、無理に引き留めたりもしないだろうし、相手を上から押さえつける事もしないだろうから。」

逆沢「しかし本当に、イライラする。つーか、もう少し自分の頭で考えろよ。そりゃあ今いる会社を辞めたら、一時的に失業するし、再就職もままならないかも知れない。今いる宗教団体を辞めたら、人脈もリセットしなきゃならなくなるし、嫌がらせを受けるかも知れない。法定利息を上回る利子を払うのを拒否したら、強面の人にすごまれるかも知れない。しかしいつか変えなきゃならんだろ? 問題を先送りして、自体をさらに悪化させたり、貴重な時間を無駄にすんじゃねえよ。マジでそう思うわ。」

愛原「けど【ブラック企業に10年勤めていた事】を、恥ずかしげも無く自慢する人間もいるのが現状だからなぁ。よく訓練されてるというか。」

鼎「いやいや従っている内は、まだ信徒化してるとまではいえないけど、それを自慢するようになったらもう立派な信徒だよね。」

逆沢「信徒化した本人は、それが当たり前と思ってたり、誇りに感じていたり、安心の源になっているからね。まぁ本人が幸せなら、外部の人が何を言っても余計なお世話だと思うけど。」

愛原「他人に価値観を押しつけなければ勝手だが、信者というのは本当に布教が好きだからなぁ。たとえば【ブラック企業に10年勤めていた事】を自慢するような人間は、それが素晴らしいと言わんばかりに喧伝し、そうでない者を【根性がない】とか【社会をなめている】と軽蔑・非難する。本来の雇用条件との著しい乖離や、労働法規との整合性や、統計など客観的なデータをいくら提示しても、自分が非難されても仕方ない会社にいる事を絶対に認めない。逆にそれこそ狂信徒のごとく怒る。著しく不機嫌になる。」

鼎「相手が狂信徒かそうでないかを簡単に見分ける、簡単な方法ってないかなぁ? 相手が信者と分かったら、話に深入りしないで最初から距離を置くことで、布教のエジキにならずに済むかも知れないし。」

愛原「そうだなぁ。一番簡単なのはダブスタを見破る事だが、その中でも信仰対象が教義を自らひっくり返した時の反応を見てみれば、一番分かりやすいかも知れない。」

鼎「要するに教祖とか信仰対象の人自身が教義を破るという事?」

愛原「うん。たとえば政権に公約を破らせてみたら、その政権の支持者の信徒具合が分かる。まともな支持者なら政権が公約を破れば怒るだろうし、場合によっては見放しもする。一方、公約を破ろうがひっくり返そうが、それを全く意に返さないなら、その支持者は信者化している可能性が高い。その意味ではかつての民主党支持者の多くは、普通の判断ができる普通の国民であったといえる。社民党支持者なども同様。逆に公明党支持者に関しては、何十年に渡る反自民路線を突如変更した際にも離脱者がほとんどみられなかった事から、信者化した支持者層で埋め尽くされているか、特定信教がバックにいるとみて間違いないと思われる。自民党支持者に関しても、たとえばTPP交渉の結果、農業などの分野で譲歩したりした場合の支持者の反応を見れば大体判明するだろう。自民党は元々TPPに慎重な側だったし、特に農業関係は聖域としていたはずだから、それでもなお支持者層に揺らぎが無ければ、信者化した支持者がかなりいると見ていい。信者は思考停止しているから、支持する理由なんて実はどうでもいいからな。

逆沢「なるほど。対象を信じ続ける事自体が目的化しているかどうかを見る訳ね。体罰を感謝して受け入れる人と同じで、信者は常に前向きに解釈する事ができるから。さっきのあんたのセリフと同じで、良いことがあったら【信じてついてきた俺が正しかった】という事になるし、悪いことがあっても【信じていたからこの程度で済んだ】とか【他を信じていたらもっとひどい目に遭ったに違いない】とか【これにはきっと、何か深い理由があるに違いない。俺は何があっても最後まで信じ続けるぞ】とか【これは試練(愛のムチ)だ。よぉし。この苦難をなんとしても乗り越えてみせるぞ!】と解釈するだろうから。」

愛原「この前向きさが、正直怖い。【信じる者は救われる】ではないが、信者は常に自分に都合良く解釈し、心も容易に揺るがないからな。心が弱い人ほど、悪徳宗教や詐欺師の言葉を真に受けやすい構図がよく分かる。誰かの言いなりになる事が条件ではあるが、その代わり、容易に安心が手に入る。本当に正しいか?とか、そんな難しい事は一切考えずとも、正しいとされる事をするだけで幸せな気分になれるんだからな。」

逆沢「ハルマゲドンとか、逆に不安をあおる宗教もあるけどね。」

愛原「そっちの方がもっとヤバいけどな。不安をあおるだけの宗教なんてものは存在せず、そういう宗教の多くは解決方法もセットで売り出しており、その解決方法がお金であったり、布教や選挙活動であったり、誰かに対する暴力であったり、迫害であったりする場合は色々困る。俺としては、不安があるなら、宗教的な妄想の世界に入って思い込みで安心するのではなく、もっと自分の頭で考えようと言いたい。【言いなりになったら守ってあげる】と言われたところで、それを単純に真に受ける人はさすがにどうかと思うしな。」















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