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愛原様のたわごと(13年5月19日)






愛原「新しいパソコンに切り替えて以降、色々問題点も発覚して、今後の対応に苦慮している。」

逆沢「そりゃOSやディスプレイや、色々変えたら不具合もあるのは仕方ないんじゃない?」

鼎「新しいOSにすると、古いソフトが起動しなくなっちゃったりして、すごく困ることもあるよね?」

愛原「古いソフト関連で一番ダメージが大きかったのは、【シミュレーションRPGツクール95】でのゲーム作りがほとんど不可能になった件だな。」

逆沢「ん? やはり対応してなかったのか? まぁ本来はWindows95互換のソフトだから、今までよく持った方だとは思うけど。」

愛原「起動はするし、テストプレイ再生も問題ないし、大抵のデータ改変もできるのだが、メッセージ枠の改変だけが、なぜか不正常だ。まぁ文字フォント関連が悪影響してる可能性もなくはないし、色々試行錯誤したいとは思っているが、もしかしたらどうにもならないかも知れん。」

逆沢「メッセージ枠の不正常は痛い。痛すぎるわ。事実上、新パソコンでのSRPG95製ソフトでのゲーム作りと誤字脱字系のバグ処理は不可能って事か?」

愛原「現状では不可能だな。残念無念。」

鼎「ツクール製のゲームと言えば、かつて【恋愛シミュレーションツクール】製のゲームも、事実上プレイ不可能になって、悔しい思いをした経験があるよね。」

愛原「うん。今でもプレイしたくなる名作【時代の底辺脱出戦記 スラムガイ】が、プレイ不能になった時などは悲しくなった。別の尊敬するフリゲ作者さんの検証によると、どうもデュアルコアCPUと恋シミュツクールとの相性が悪いのが原因らしいが。」

鼎「でも今は、ほとんどのCPUがデュアルコアを含むマルチコアになってるから、という事は古い低スペックのCPUを搭載したPCでもないと、もう恋シミュ系のゲームは動作困難って事かなぁ?」

愛原「多分そうなるだろう。時代の流れとはいえ悲しすぎる。あー、もう一点、フリゲ作りに関して大きな決断を迫られている件があった。」

逆沢「なにそれ? 他にも問題が出てきたのか?」

愛原「ディスプレイを買い換えた事で、【ひとそれ】の解像度がむごく感じられるようになって、これが色々耐えられん。」

逆沢「あー、作者が色々血迷って、320×240でゲーム作りしたのが諸悪の根源ね。」

鼎「写真素材ではそんなに粗は感じないけど、ドット素材系での粗がすごく感じられるように変わっちゃった感じがするよね。」

逆沢「とかいって、解像度関係の改変は簡単じゃないでしょ。一から作り直すに近い労力を必要にするというか。」

愛原「まぁ【ひとそれ】の大半はテキストでできているから、一から作り直すほどの労力まではいらないが、とんでもない労力になるのは間違いない。つーか、気が遠くなりすぎて、今のところ、改変作業に取りかかる気力も出ない。しかしこの問題を放置して制作を進めると、後でもっと泣きを見るので、制作も進められない。完全にドツボにハマった。」

逆沢「いやぁ、なんともマヌケな展開になったものねー♪ こっちの問題は初期設定の時に先を見越して対応しておけば、そんな事で悩まずに済んだのに320×240なんて時代遅れな事をするから。」

愛原「むごい言い訳にしかならんが、解像度が小さいほど、制作自体は楽だから、当時としては合理的な判断だったんだ。」

逆沢「いやぁ、本当に間が抜けてるわ。何度も言うけど、間が抜けてるとしか言いようがないわ。マジで。」

愛原「そしてリアルの仕事が忙しいのをいいわけに、この手も足も出ない状態から当面現実逃避しているというのも事実だ。」

逆沢「作者がニートか、それ系の人達なら、そういう言い訳もできないだろうけどねー。」

鼎「ニートの人はニートの人で、ネットサーフィンとか色々忙しいと言いそうな気もするよ。彼らも色々言い訳して、就職活動とか人生の構築に必要な行動を後回しにしたがる傾向もあると思うし。」

逆沢「つまり【仕事が忙しい】なんてのは、あくまで言い訳に過ぎないって事か?」

愛原「仕事が忙しい事自体は、労働時間などからも客観的に証明可能であるが、制作意欲が高まっている時なら少々忙しくとも、それはそれでバネにできるから、過去の経験と比較する限りにおいても、言い訳に過ぎないと言われたらそれに反論する事は困難ではあるな。正直、壁の高さにモチベーションが大きく砕かれて、ぶっちゃけていえば【少々ヘコんでいる】というか、判断の誤りを後悔して【クヨクヨしている】状態だ。まぁこの程度の挫折はいくらでもあるから、しばらくしたらどうせすぐに活動再開するけどな。」

鼎「少し冷静になる時間が欲しいってところかな? 休養時間というか、英気を養う時間というか、インターバル期間というか?」

愛原「そうかも知れん。」

逆沢「けど中には、永遠にインターバル時間から抜け出せないような人も、中にはいるからねー。ほら、世の中には何年もニート続けている人とかいるじゃない? そりゃあブラック企業勤務時代に打ち砕かれた誇りと心労を癒やす期間とか、人間には誰しも休養時間が必要な時はあるけど、人によっては、【お前、いつまでインターバルしとんねん?】みたいな人もいるというか。」

愛原「インターバル状態に馴染んでしまってんじゃねえのか?」

逆沢「つーか、いつまでもニート続けてて恥ずかしくないのか? 私なんかそういう風に思っちゃうんだけど。」

愛原「辛口過ぎるなぁ。この前の橋下維新代表の慰安婦発言じゃないけど、あまりキツい事いうと、想定外の反発受けるぞ。」

逆沢「いや。私の場合はキチガイじみた橋下発言と違って、至って正論だから。泥棒を泥棒と言って何が悪い? ニートをニートと言って何が悪い? 落ちこぼれを落ちこぼれと言って何が悪い? デブをデブと言って何が悪い? って感じだし。つーか、それくらい厳しい事を言わないと、連中はいつまで経っても状況の改善に向かおうとしないでしょ?」

鼎「そういえば、2009年頃に沖縄県警が暴走族のことを【ダサイ族】と命名して、それをはやらせようとした事があったのを思い出したかも。沖縄県では最近でも暴走族をカッコいいと思っている若者が少なからずいて、そういう若者の意識を改めさせようという目的で、新たなネーミングを県民などから募集して、最終的に【ダサイ族】に決まったんだって。」

愛原「ネットでは珍走団というネーミングの方が馴染みがあるが、こういう【カッコ悪い思いをさせて暴走族離れを促そうという作戦】自体の効果そのものも侮れないと思う。」

鼎「でも私的には、暴走行為に似合わないようなナンバープレートにするようなやり方の方がユーモアもあって好きだけど。世の中にはあまりに可愛すぎてそれ系のバイクユーザーから不評を買ったご当地ナンバープレートもあるそうだし。」

愛原「ああ、そういえばこういう記事もあったな。たかが月に2,3件の苦情くらいで方針を変える姫路市側も弱気だなぁと思うが、地元のヤンキーあたりがこのかわいらしすぎるデザインに困惑したんだろうというのは、すごく想像できる。」

鼎「こういうユーモアあふれる暴走族抑止手段って、個人的にはすごくセンスがあっていいと思うけど、簡単に屈しちゃった点はやっぱり減点対象かな?」

逆沢「ま、15年ほど前の公共広告機構のCMの【いじめカッコ悪い】のキャンペーンもそうだけど、ロクデナシの価値観を打ち砕くという意味で、こういうカッコ悪さを強調したキャンペーンには賛同するわ。」

愛原「ただやってる事自体は、ネガティブキャンペーンそのものだから、運用にはかなり慎重であるべきだと思うけどな。無論、暴走族やイジメ行為が反社会的である事は明らかだから、解釈を婉曲されたり、拡大解釈されるような事にならないように配慮した上で、ピンポイントでそれらを非難する事自体は反対じゃない。」

逆沢「そういう事。ニートにしてもネトウヨにしても、その背景や事情に酌量する余地はあれど、基本的なこととしては、やはり恥ずかしいという認識を持つべきだと思うし。そもそもニートは単なる働く意欲はあってもその機会に恵まれない単なる失業者と違って、働く能力があっても働く意欲自体がなく、家族などに寄生しているだけのような人だから、とても褒められたものではないと思うし。ネトウヨにしてもヘイトスピーチなどに代表される露骨な差別行為など、反社会的行為部分に関してはやはり強く非難されてしかるべきだと思うし。そういう部分に対する【恥ずかしさ】をアピールする事は、必要だと思うのよ。」

鼎「ヘイトスピーチデモ関しては、谷垣法務大臣が【憂慮に堪えない。品格ある国家という方向に真っ向から反する】とコメントしてるし、安倍首相も同様の趣旨のコメントをしてデモ参加者を毅然と非難してたし、こういう部分に関して、恥ずかしさや品性を疑う感覚があるかないかは、すごく大事な事だと思うよ。」

愛原「ま、日本人といえば【恥の文化】の歴史に育まれた民族でもあるしな。恥ずかしい振る舞いを恥ずかしいと認識できる価値観は重要ではある。ただ日本人の場合、それが過剰に働き過ぎて、簡単にブームというか、プロパガンダに踊らされる欠点もあるからなぁ。【お国のために命を捧げるのがカッコいい】とか、廃仏毀釈を推進して仏閣を破壊するのがカッコいいとか、今時電車でデートなんかカッコ悪いとか、ブランドバッグの一つも持ってないなんて恥ずかしいとか、そういうケースもあるから、バランス感覚も必要だとは思う。」

逆沢「まぁ・・・それを言ったら、そうかも知れないけどねー。」

鼎「何を基準に【恥ずかしい】と思うべきなのか? 恥の文化の国の住人として、一度じっくり検証する機会もあっていいかも知れないよね。」

逆沢「うーん。ただ恥の概念なんて時代によっても変わるしねー? ほら、スカートの長さ一つとっても、時代によって長いのがブームな時もあれば短いのがブームの時もあるし。茶髪がブームになったかと思えば、また黒髪への回帰もみられるというし。何が恥ずかしく、何を恥ずかしいと思うべきなのか? 真面目に考えれば考えるほど、難しい気もするわね。」

愛原「多くの日本人の感覚というか、逆沢の感覚でも【働かざる者、食うべからず】であるだろうから、ニートは単純に恥ずかしい存在という認識になるんだろうけど、欧米的な感覚では必ずしもそうとは言い切れない部分もあるようだしな。」

鼎「旧約聖書などでも【労働は罰】という考え方が触れられていたりするよね。」

逆沢「そんな事を言ったら、世界万国で通用する恥ずかしい概念なんて、そのうち、無くなっちゃうんじゃないの?」

愛原「そんな事はないと思う。たとえば無能という概念は、世界中のどこでも大体軽蔑される対象として認識されがちだと思う。」

逆沢「無能? 要するにダメ人間とか、落ちこぼれとか、そういう人の事?」

愛原「うん。本当に彼らが軽蔑されなくてはならない人間なのかどうかは別として、とりあえずそういう風潮は世界中どこでも共通だと思う。普通の人がダメ人間を軽蔑するだけで無く、いわゆるダメ人間というレッテルを貼られている人間自身ですら、【ダメ人間で何が悪い!】と開き直る事は滅多になくて、大抵は【自分も有能な人間になりたい】と願っていたり、【俺よりダメな奴はいくらでもいる】とさらに下の存在を見つけて安心しようとしたり、【俺はダメ人間じゃない】と真っ向から否定したり、要するに【ダメ人間という扱いのままで終わりたくない(ダメ人間は恥ずかしい)】という価値観を受け入れているからだ。」

逆沢「あー、そういえばそうだわ。当のダメ人間本人が、【ダメ人間は恥ずかしい】という価値観を受け入れているくらいだしねー。」

鼎「ダメ人間というのは、究極的なまでに恥ずかしい人間という事なのかなぁ?」

愛原「という訳で、今回のテーマは【ダメ人間】だ。」

逆沢「いきなりこんな事を聞いてなんだが、それはお前自身のことか?」

愛原「含まれているんじゃないか? 普通に考えて。俺は昔から【人間は必ずミスをする】論者だし、人よりミスが少ないとも思わないし、とても他人に対してお高くとまっていられる人種とも思っていないからな。【俺は詐欺師に騙されるわけがない】なんてこれっぽちも考えた事も無いし、というか調子に乗ったらいつ高転びに遭ってもおかしくない側だとも考えている。」

逆沢「どうせならもっと有能な人間になりたいか?」

愛原「当然。」

逆沢「ダメ人間は恥ずかしいと考えているか?」

愛原「ダメ人間の定義にもよるが、反人道的・反社会的な振る舞いにも無頓着かつ、刹那的な欲望や感情ばかり優先する非理性的な人間をダメ人間と位置づけるならば、そんな人間にだけはなりたくないと思う。【くだらんプライドなど犬にでも食わせておけ】と考える程度にはプライドに無頓着な俺でも、ダメ人間を恥ずかしいと思えるくらいには矜持はある。」

鼎「つまりダメ人間にはなりたくないし、ダメ人間を恥ずかしいと考える側のタイプって事だよね。」

愛原「当然。というか日本国内だけに限らず、全世界レベルで見てみても、いや4000年近く続くとも言われる人類の歴史全体で見渡してみても、大半の人類は常にダメ人間を軽蔑すべき存在ととらえているんじゃないのか?」

逆沢「うーん。ダメ人間って、とことん嫌われるって言わんばかりねー。もう最悪の存在といわんばかりに。」

愛原「でも極悪非道の悪玉キャラクターですら、知性や策略に通じていたり、カリスマ性を備えていたり、胆力や覚悟を備えていたり、人並み外れた武力を持っていたりすれば、あこがれの対象になる事すらあるからなぁ。」

逆沢「まぁ、それは分かる。悪のカリスマというか、悪玉でもカッコいいと思わせるキャラクターはいくらでもいるからねー。」

鼎「逆に尊敬の対象になるダメ人間というのは、あまりいない感じもするよね。」

逆沢「何か一つでも特技があれば、ダメ人間じゃなくなる可能性もあるけどねー。ダメ人間の代表格として日本で圧倒的な知名度を誇る野比のび太君ですら、拳銃の腕前とか、あやとりとか、昼寝の早さとか、常人を大きく上回るスキルをいくつも持っているし。」

愛原「つうか、のび太君には、我々凡人を大きく超える発想力(想像力)もあるし、大長編シリーズなどでは人並み外れた胆力も見せるからなぁ。どちらかというと英雄の素質を持っている側の人間だ。」

鼎「じゃあ、本当の意味でのダメ人間というのは、どんな感じになるのかなぁ?」

愛原「まず能力面でいえば、長所らしい長所を持たない事。長所があれば、極悪非道の悪玉でもカリスマ扱いに昇格しかねないから、優れた能力が無い点がかなり重要だと思う。なお、それは短所である必要はない。」

逆沢「短所といえるほどで無くてもOKなのか?」

愛原「うん。たとえば北斗の拳シリーズでは、軽蔑されるべきチンピラが無数に登場するが、彼らの多くは【か弱き村人】よりは、体躯や腕力に秀でている場合も多い。でも、だからといって彼らが【か弱き村人】より尊敬される事なんてほとんどないだろ?」

逆沢「あー、なるほど。つまり中途半端に強くても、そんなのは長所の内には入らないって事ね。」

愛原「うん。本物の実力者からみたらザコと大差ないレベルの能力なら、それはザコと一緒だ。」

逆沢「つまり北斗の拳に登場するようなザコのモヒカンどもは、【大した実力も無いのに性格も悪い】から、軽蔑されるべきザコキャラという扱いに落ち着いちゃう訳ね。」

鼎「のび太君は、その点からしても全然違うよね。ガンマンとしての腕前なんか、【同年代の小学生と比べたらちょっとマシ】なんて中途半端なレベルではなく、本当に超一流レベルだから。」

愛原「だからのび太君は、無能とはほど遠い。勉強がどれだけ苦手でも、運動もどれだけオンチでも、それでも彼は無能キャラじゃない。どれだけ多くの苦手分野があろうと、一点でも有益な長所があれば、そちらの評価が上回るからだ。極論を言えば、何をやっても偏差値50の凡人よりも、赤点だらけのスーパー甲子園球児の方が、ヒーローになれる確率も高いという事。」

逆沢「けどその長所を生かせる環境にないと、全然意味ないような気もするけどね。たとえばのび太君のあやとりや昼寝の実力なんかは、【もしもボックス】でそれが評価される世界にでも変えない限りは、意味ないだろうし。」

愛原「まぁ、それはその通り。たとえばいくらプロ野球選手顔負けのバッティング能力があろうとも、彼が野球に全く興味を示さなかったり、その実力を披露する機会がなければ、そのバッティング能力は無いのと一緒だ。いくら隠れた才能があろうとも、それが隠れたままならば、その才能は無いのと変わらない。」

鼎「現実の人間社会でも、一芸に秀でていて、それを発揮する機会に恵まれた人は、色々人気者になる可能性が高いよね。アイドルにしてもスポーツ選手にしても漫画家にしても企業マンにしても。」

逆沢「逆に学生時代は【そこそこ優秀】でも、社会出たとたんに埋もれていく人のなんと多い事か・・・・。」

愛原「【そこそこ優秀】なんか、長所の内に入らないからなぁ。せいぜい北斗の拳に出てくるモヒカンが、か弱い村民相手に自慢の腕力を見せつけてるようなものだ。本物の実力者から見たら、そんな腕力なんかに何の価値も無い。」

鼎「ただ特技のない凡人すべてが、いわゆる無能とかダメ人間扱いされている訳ではないよね?」

逆沢「そりゃそうだ。凡人の大半は凡人のままで終わるからね。無能やダメ人間扱いまではされないというか・・・。」

愛原「ダメ人間扱いされる人間の特徴としては、長所らしい長所がない事に加えて、何かの目立つ短所があるか、流言飛語、もしくは社会的評価を下げるその人自身の振るまいなどによりその人の評価が大きく毀損されている点などがあると思う。」

逆沢「北斗の拳に登場するようなモヒカンの場合は、日頃の悪事自体がそのキャラ自身の評価を著しく下げてるという感じかな?」

鼎「逆にか弱き村人達は、社会的評価を下げるような振る舞いは何もしてないから、ダメ人間呼ばわりされる筋合いも全然無かったりするよね。」

愛原「逆にのび太君が日頃、クラスメイトからダメ人間扱いされる理由として、日常では彼の長所部分(ガンマンとしての腕前とか、大長編での活躍など)が全く披露される機会が無い上に、勉強も運動もできないなどの短所ばかりが強調されている点があると思われる。」

逆沢「なるほど。モブのクラスメイトからすれば、のび太君は目立つ長所が何もない上に短所ばかりが目立つ、本当のダメ夫君にしか見えないからねー。」

愛原「リアル社会を例にすると、偏差値50の凡人であるだけなら、その人がダメ人間扱いされる事は無い。だがそれに加えて、人付き合いが極端に苦手であったり、特定のクラスメイトに嫌われてネガティブキャンペーンされる事になったりすると、(実際にダメ人間であるかどうかは別として)ダメ人間のレッテルを貼られやすい。こうなると実際の偏差値が55があろうが60であろうが、偏差値35の同級生より社会的評価が低くなる事すら珍しくない(偏差値60程度では長所の内に入らない為)。もっとも偏差値が70近くあれば、そちらの長所部分が強調されるから、誰かからは常に一目置かれるようにはなるだろうが。」

逆沢「就職に失敗することで、一気に社会的評価が下落する場合もあるわね。」

愛原「非正規雇用が増えた現代日本では、たとえフリーターでも仕事さえしていれば一定の評価は確保されるだろうが、ニートだけはまずい。こうなると他の部分の評価がそこそこ高かろうと、全て吹っ飛んでしまう。もちろん何らかの部分で長所を披露できる機会があれば、話はかなり違ってくるだろうが。」

鼎「目立った長所さえあれば、たとえニートでも評価は違ってくるものかなぁ?」

愛原「当然。たとえば俺には尊敬するフリゲ作者はいっぱいいるが、その中には労働(経済)環境面で恵まれていないと思われる作者さんも、残念ながら含まれてはいる。だがその作者さんの事をダメ人間と思えるかというと、これは全然そうじゃない。素晴らしい作品を提供してくださるだけで、あこがれの作者さんである点に何の変化もない。俺から見れば【何でこんな優秀な人が、社会でもっと評価されないのだろうか?】とか【この人がもっと世に出て活躍できるような社会になればいいのに】と思うだけだからだ。」

逆沢「つまりアンタの意識の中では、そのフリゲ作者さんはあくまで【優秀有能な人】であって、少なくとも無能とかダメ人間とは対極にある人にしか見えないって事ね。」

愛原「優秀であるのは事実そのものだから、問題ない。こんな立派な作品を作れる作者さんが無能であるはずがない。もちろん、その作者さんが【今の現代社会に適応しやすいタイプなのか?】とか【人格的にみてどうなのか?】とかは不明だが、そんな事は、その人の有能さを語る上では一切関係ない。のび太君の普段の学力がどうであろうと、彼のガンマンとしての腕前に救われた人間からすれば、一切関係ないようなものだ。のび太君のガンマンとしての腕前に救われた人からすれば、彼は有能かつ尊敬すべき恩人に過ぎない。」

逆沢「まぁ、そう言われると、確かにそうかも知れないけどねぇ。プロ野球ファンにとって、その選手の学生時代の国語の成績なんかどうでもいいようなもので。」

鼎「でもフリゲに興味の無い人からすれば、その人がどんな名作を作ろうと関係ないよね? プロ野球に興味のない人からみたプロ野球人のようなもので。」

愛原「プロ野球人の場合は、プロ野球で活躍する事で、お金を稼げるという長所や、多くの人から尊敬されるという長所も付随してくるから、プロ野球そのものに関心が無い人からも一定の尊敬を集める事はできるだろうから、一緒にしてはいけない。フリゲの場合は・・・・ちょっと厳しいかも知れん。もちろんその人が実名を公開していれば、その人を知る近所の人の目線もそれなりに変わる可能性はあるが・・・。ただ匿名の場合は、その人がそんなスゴい作品を作っている事など近所の人は誰も知らないだろうから、もしもその人がフリーターならただのフリーターにしか見えないだろうし、ニートならただのニートにしか見えないだろう。のび太の真の実力を知らない、その他大勢ののび太のクラスメートと同じ目線だな。」

逆沢「うーん。何とももったいない話ねー。」

鼎「でももしも何らかの長所に恵まれているなら、その長所はアピールしないと損だというのはすごく分かった気がするよ。人から尊敬を集められるほどの長所を持ってる人間なんて、意外とほとんどいないだろうから。」

逆沢「逆を言えば、これといった長所を持たない凡人が、何かのきっかけで無能やダメ人間のレッテルを貼られたらどうすればいいのかな?」

愛原「それが本当にレッテルに過ぎないのなら、汚名返上に向けて戦えればいいと思う。あるいは次善の策として、環境を変えるというのもある。たとえば大抵のいじめられっ子は、イジメられるべくしてイジメられていた訳ではないので、転校・転職するなどの措置を取る事で前の環境から嘘みたいに変わる事はよくある。」

逆沢「レッテルに過ぎない(本当は決してダメ人間しゃないのに、誹謗中傷などによりダメ人間という扱いを受けている)ならそれで改善できるかも知れないけど、本物のダメ人間はどうすればいいかな?」

愛原「・・・・・・・・。頑張れよとしか、いえんな。大体、究極的なことを言えば、人間に競争本能が備わっている以上、優劣を判断して人を見下す本能自体は無くならない。いや、人間に限らず、犬などの動物でも、序列をつけたがる傾向はあるらしいしな。」

鼎「確か飼い犬でも、飼い主の家族の住人に序列をつけて、一番偉そうな人にはできるだけへりくだる一方、逆に自分(犬自身)よりも弱いとみれば、その家族には強く出たりするそうだよね。」

逆沢「つまり何の長所もない平凡なニートがダメ人間という評価を変えるには、ニートを辞めるしか方法はないって事か?」

愛原「何らかの長所を発掘するか、それができなければダメ人間といわれる弱点を克服するしか方法はない。ニートならニートを辞める。落ちこぼれなら、勉強を頑張るなどして成績を上げるなど。あー、でもこれらの方法は現実的ではないな。現実的なことを言えば、第三の方法を採っている人の方が圧倒的に多そうだ。」

鼎「第三の道って?」

愛原「妄想の世界に閉じこもって、誰かを見下す事で安心する道だ。たとえばネトウヨと言われる人は、韓国人だの中国人だのサヨクだの言われる人を見下して、自分はそいつらよりマシだと思う事で安心してるだろ?」

逆沢「あー、なるほど。その方法なら自分は一切努力する必要も無いわね。つまりダメ人間である自分よりももっと見下されるべき存在を創造する事で、心の平穏を保つ事ができるって事ね。」

愛原「まー、ネトウヨというのは、ある意味では宗教そのものだな。宗教は【神(教義)の元での平等】を謳う事で仲間との結束を促し、同時に異教思想を見下す事で信徒に安心と誇りを抱かせる事ができる。自分がどんなダメ人間でも、その信教を受け入れる事でその人は常に仲間からは信頼され必要とされ、同時に見下し憎むべき敵も手に入る。昭和の時代には、いわゆる暴走族などの不良グループなどが、この機能を果たしていたようだが、今はその代わりの精神安定機関として機能しているようだ。」

逆沢「暴走族を【ダサイ族】と命名した時のように、ネトウヨにも何らかのネーミングをする事で、それが恥ずかしいという事を周知させるべきかな? ダメ人間による反社会的行為(暴走族なら暴走行為。ネトウヨなら差別行為など)を抑止するという意味でも。」

鼎「けど彼らは安心したくて妄想の世界に留まっているとするなら、仮に彼らからその信仰を取り上げたとして、すぐに前向きに頑張ろうという気になってくれるかなぁ?」

逆沢「なるほど。脱ニートとか、脱落ちこぼれといったところで、そんなもの、決して簡単な話じゃないしねー。たとえばのび太君に頑張れといったところで、そう簡単に彼が勉強や運動が得意になるとも思えないし。」

愛原「うーん。なるほど。確かに俺も出来があまり良くない人間だから、無責任に頑張れと言われても、正直困るよなぁ。言われてみればかなり迂闊で無責任な事を言い過ぎてたような気がする。」

鼎「ただ、だからといって駄目な人を安心させる為に、別の誰かに迷惑をかけたり、差別する行為を正当化していいはずがないよね?」

逆沢「そうそう。ダメ人間ならダメ人間なりに、やっぱり努力はしてもらわないと。少なくともダメ人間の精神の安定ごときと引き替えに、そうじゃない人の平穏を乱していいはずもないし。」

愛原「ただ【ダメ人間だからこそ、人を見下さなくてはいられない】心理は、やはりあると思うぞ。たとえば王貞治や原辰徳クラスの偉人であれば、放っておいてもみんなからチヤホヤされるから、誰を見下す必要も無いし、全ての人に感謝する事もできるし、寛大にもなれる。だが逆に普段から常に他人に見下されているような人は、他人に感謝する気持ちよりも、他人を憎悪する気持ちの方が強くなりがちだし、また見下される立場からの解放を安易に願う者ほど、より他人を見下す事で心理的安心を得ようと躍起になるような気もする。まだニートという言葉もない時代から、いわゆる引きこもりや常時無職はそれなりにいたが、そういう若者の中には家庭内暴力を常習としていた者も多かったらしいが、これらはその憎み見下す対象に家族を選んでいたんじゃないかとも思う。」

逆沢「【親の出来が悪いから、こんな俺になってしまった】的論法か?」

鼎「なんかそれ聞いて、30年間ニート状態だったアスペルガーの人が家族に一方的に恨みを抱いて殺人行為に及んだ事件を思い出したかも。」

愛原「あれに関する裁判は、後に【社会的受け皿】がどうのこうのだの、少し妙な方向に争点がずれたようだが、俺的には本来のポイントは少し別にある。それは加害者のニートが犯行後も、全く反省の意を示そうとしていない点だ。この手の親殺し(未遂含む)自体は他にも何件もあるが、通常の場合、高い確率で加害者は間もなく親殺しを深く反省するのだが、この件だけはかなり例外で、なぜか加害者側に一向に反省の意が見られない。家族に対する強い憎悪をいつまでも抱き続けていて、それでその異様性の背景をたどっていったら、その加害者がいわゆるアスペルガー症候群である事も公にされて、【アスペなら(考えを改めることができなくても)仕方ない】という風に解釈されて、じゃあこの【反省の意を全く示そうとしない(更正困難な)精神的な病を背負った被告をどう裁くか?】みたいな流れになったと思われるが・・・。」

逆沢「まぁアスペの人は普通の人より、数段思い込みが激しいらしいからねー。ニートの人の中には、親に責任を押しつける事で、落ちこぼれた自分を正当化して精神を保とうとする人も少なからずいるらしいけど、この人の場合は、多分その思い込みがアスペのせいで数倍になっちゃったんだと思うわ。」

鼎「自分にただ飯を食べさせてくれる家族に感謝するのが本来の姿だと思うけど、その家族に恨みを抱く心理なんて、私には絶対理解できないけど・・・。」

逆沢「ただ飯を食べさせてくれる家族に恩義を抱いたら、心に負い目ができるからじゃないの? 逆に【俺は悪くない。悪いのは俺をこんな風に育てたこいつらなんだから、こいつらにただ飯を作らせて当然】と思い込む事ができれば、自分のニート生活も正当化できるし。で、その見下すべき家族から逆に【働け】なんて命令されたから、いじめられっ子に反逆されてプチンと来てしまったヤンキーのごとく、家族をなぶり殺しにしてしまったと。」

愛原「障害を抱える息子を持つ母親が、【自分が生きて働ける内はともかく、いつまでもそういう訳にはいかないから】という理由で、必死で息子に職業訓練させる内容のドキュメントを見た事があるけど、家族は家族で、ニートの家族を何とかしてあげたいと必死だろうにな。その視点で言えば家族が【働け】という事自体はごく当然だし、それに対して恨みを抱くというのは絶対にまともではない。だが大抵の人間は、自分が実はダメ人間であるという事実を受け入れられるほど精神的に強くはないので、無理矢理にでも見下すべき存在を作り出して、そいつに恨みと憎しみをたたきつける事でうっぷんを晴らし、心の安定を保とうとする。その心を安定させるために不可欠な見下しと憎しみの対象が、たまたま家族になってしまったという事なんだろうな。」

鼎「こうしてみると、いわゆる残念な人というのは、単に能力的に恵まれないというだけでなく、どこか心に屈折した部分を抱えているケースも多いような気がするね。私のイメージでは、頭のよさげな人ほど大体ずるがしこくて、頭の悪そうな人ほど人が良く素直そうなイメージがあるけど、なんか少しイメージがずれてきたというか。」

逆沢「そうそう。【すぐに人に騙されるような、素直なだけが取り柄のボンクラ=無能】というイメージだったけど、なんか実際のダメ人間って、もっとひねくれてる人も多そうというか。」

愛原「まぁ、芸能人やスポーツ選手として成功した人の中にも、詐欺師に何億もだまし取られたりする人は多いし、原辰徳監督のような人でも暴力団関係者につけ込まれたりするくらいだから、ある意味では世間的に有能と見なされている人の方が、全体的にワキが甘く、人を素直に信じやすいのかも知れない。」

逆沢「逆にニートの人とかは、社会に強い不信感を抱いていて、ブラック企業に対する警戒心も知識も強いけど、だからこそ社会が背負う闇の部分やリスク部分を恐れすぎて、なかなか前に一歩を踏み出せないのかも知れないわね。ネット見てたら、寝てる時間以外は常にコメントばかり垂れ流している人もいるけど、そういう人のコメントは、いわゆる【アホ丸出し】というよりは、妙に【理屈っぽい】コメントの方が多いし。」

愛原「理屈っぽくはあるけど、思い込みの激しさから来た屁理屈満点のコメントも多いけどな。あと人を見下さないと気が済まない心理が根底にあるからかも知れないが、全体的に他者批判のコメントの割合が非常に高そうだ。」

逆沢「不祥事系のコメントが多いのは、それだけ叩きやすいからだろうしね。慶事系のコメントでもいちいち【それに比べて○○は・・・】みたいな感じで、無理矢理誰かを批判するネタにすり替えてる人もちょくちょく見るけど。」

愛原「俺が一番不思議なのは、四六時中、ずっとネットに張り付いて書き込んでいるような人には、いわゆる羞恥心もないんだろうか?という点だが。あれでは普段から【暇してます】とアピールしているようにしか見えんが。あれではどれだけ賢そうなコメントしていても、言葉に信頼性が全然感じられないというか。」

逆沢「リアル社会で見下されてまともに相手にされてないから、少しでも社会的承認というか、反応が欲しくて、それで必死で書き込んでいるんじゃないの?」

愛原「そういう人が、仮にネットでも見放されたら、一体どうなるんだ?」

逆沢「秋葉原で大事件を起こした加藤某みたいになるかもね。あの人も、リアル社会で強い疎外感を感じていた上、ネットでも徐々に相手にされなくなって、最終的に犯行予告をしてまでネット民からの反応を待ち続けていたけど、それでも相手されなくなったから、ついに本気で事件まで起こしてしまったし。不良少年が反応ほしさにくだらん悪事をやり続けていて、それを周りの人がはやし立てたりしたら喜んで悪事をやり続けて、全く相手にされなかったら、さっぱり足を洗うか、どんどんエスカレートするかのどちらかになるようなもので。いわゆるダメ人間は、承認欲求に飢えているみたいなところもあるだろうから。」

鼎「でもその承認欲求につけ込まれると、反社会組織に組み込まれちゃう恐れもあるよね。たとえ犯罪行為と知っていても、組織に必要とされている快感の方が上だと感じれば、そちらを取るような人も多いようだし。宗教団体も、そういう寂しい心理状態の人の心につけ込んで取り込む部分もありそうだし。」

愛原「その人の寂しさや心の闇の部分を理解してくれる人が現れること自体は喜ばしい事だと思うが、この【分かってくれる人】が、悪人かどうかだけは注意すべきだろうな。たとえばヘイトスピーチデモの参加者のような人に【君の考え方はまさに僕と同じだ。実に素晴らしい。ともに立ち上がり、見下されるべきにっくきあいつらに鉄槌を激しくたたきつけてやろうじゃないか! 我々は君を必要としてるし、君を心から歓迎する!】と言われて、それにほいほい乗っかったら、それこそ北斗の拳のモヒカンの仲間入りだし。」

逆沢「あー、なるほど。そういうパターンもあるか? さっき【すぐに人に騙されるような、素直なだけが取り柄のボンクラ=無能】説を否定したけど、半分だけ撤回するわ。本当のダメ人間は、自分に都合のいい解釈だけは、疑うことなく信じて簡単に騙されやすいと。」

愛原「本当のダメ人間は、理性に乏しく欲望に忠実だ。だから自分に都合悪いことに関してはどこまでも疑い深く、逆に自分の欲求を満たすような内容ならすぐに信じたがる。単に人がいいだけの人は、騙されやすいかも知れないけど、その代わり【お前は騙されているぞ】と言われた時に我に返りやすいから、トータルではプラマイゼロだが、この手のダメ人間は、人の欲望を刺激するのが上手い詐欺師の甘言だけ信じて、耳に痛い正論で諫める家族の諫言には一切耳を貸さない傾向があるからな。だから一度人生の階段を転げ落ちたら、本当に落ちるところまで落ちる。」

逆沢「なるほど。能力的に足りないからダメ人間ではなく、理性的な判断ができないからダメ人間という事か?」

愛原「北斗の拳に登場するモヒカンが、なぜクズ扱いされて当然のような奴ばかりなのか? それは刹那的な欲望に忠実すぎて、善悪の区別がつかない上、羞恥心のかけらもない下品さが表に出すぎているからだとも思う。」

逆沢「分かる分かる。ヘイトスピーチデモで騒いでいる人には悪いけど、私にはあの人達にまともな知性や品格を感じる事はできないわ。あいつら、北斗の拳に登場するモヒカンと同じで、本人達は【汚物は消毒だーっ!!】って気分になって高揚してるみたいだけど、テメーらの方が汚物だろって。」

愛原「【小人閑居して不善を為す】というか【貧すれば鈍す】というか・・・。なんと評すればいいか分からんが、ダメ人間だからロクな事をしないと形容すべきなのか?」

鼎「こうしてみると、本当の意味でのダメ人間は、能力的なものよりも、性格的なものの方が要因として大きそうだよね。」

逆沢「まぁ、そりゃあ当然な気もするわ。学生時代にパッとしなくてもそれなりに社会人としてちゃんとやっていってる人も多いし、逆に進学校卒業しておきながら、大きく落ちこぼれた人もいくらでもいるし。」

愛原「とりあえず欲望に忠実すぎて、理性が後回しになったり、人並みの我慢もできない人間はダメだな。目の前に覚醒剤を置かれたら、とりあえずそれに手を出してしまうような人間は、いくら高学歴でもダメだ。風俗に行って無警戒に生でする人は性病をうつされてもやむを得ないし、四六時中ネットに書き込みまくっているような人は寂しい暇人と思われても仕方ないし、暴走族やヘイトスピーチデモに参加する事に羞恥心を感じないような人間は世間からチンピラ扱いされてもやむを得ない。だがダメ人間というのは、よくよく観察してみたら、そういう欲望に忠実すぎるが故の判断の甘さが随所に見られたりするからな。」

逆沢「当のダメ人間本人には、自分がダメ人間だという認識はないだろうけどね。北斗の拳に登場するモヒカンのように、むしろ他人を見下して下品な自信に満ちあふれてたりもするから。」

鼎「逆にいわゆる真の武人とかスポーツマンとか探求者と言われている人には、すごくストイックな人が多いよね。既に人並み外れた実力があるのに、それでも【自分はまだまだ】という謙虚な心を持っていて、さらなる向上心を持っていたり。実際には大した実力も無いのに、他人を見下して悦に入っているような人とは正反対だよね。」

愛原「本当に心に余裕のある人間ならではだろうな。心の奥底で自分に自信を持てるからこそ、他人に対して謙虚になれるし、自分のさらなる才能と成長を信じて努力や我慢を続けることもできる。自分に限界を感じている人間は、こうはいかない。自分に伸びしろがないと思い込んだ場合、もう他人の価値をおとしめるしか、他人の上に立つ手段がなくなるからだ。」

逆沢「それでダメ人間ほど、他人を見下したがるのかも知れないわね。自分の伸びしろを心の奥底のレベルから信じることができないから。でも周りの人にそう悟られたくはないから、表面上は攻撃性を見せつけて、精一杯虚勢を張ると。」

鼎「でも虚勢を張っている割に、甘言にはころっと騙されるし、欲望にも忠実だし、色々隙だらけだよね。」

逆沢「だからこそダメ人間なんだろうけどね。」

愛原「そういう人には、ストイックに頑張れる何かを薦めたいな。そういう趣味を持つことができれば、周囲の雑音など気にしないで、己の価値を高める事ができるだろう。周りの人間の評価に振り回されるから、ダメ人間呼ばわりされたら腹が立つし、誰かを見下さないと気が済まなくなる。そうなるとますます悪循環で、理性も品格も失って刹那的な快楽や承認欲求ばかり追い求めるような小人になってしまう。そうじゃなくて、ストイックに取り組める趣味が何か一つは欲しい。そういう人の元には、いずれ本当の意味での理解者が現れる。それは同好の趣味人かも知れないし、同様の境遇と理念に共感できる仲間かも知れないし、ファンかも知れないが。」

逆沢「あんたも置かれた境遇に関係なく、心から尊敬できる人は何人もいるみたいだしね。」

愛原「うん。大体、立派な人と社会的な成功とは無関係だからな。ボランティア活動で高い評価を受けている人が、年収1億円の人よりダメ人間とはいえないようなものだな。ニートでもフリーターでも、高い才能を発揮したり、尊敬される人はたくさんいていいと思う。ただそこで他人の目線ばかりして刹那的な感情に振り回されたら、そのニートやフリーターは他人を見下して四六時中ネットに張り付いて誰かを攻撃したがるような本物のダメ人間に墜ちてしまうんだと思う。社会的に埋もれているからダメ人間なのではなく、その先が問題なのだ。それ次第で【報われるべき在野の逸材】にも、埋もれて自業自得のダメ人間にも、分岐可能だと思う。」



















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