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愛原様のたわごと(13年6月3日)






愛原「とりあえず800×600で【ひとそれ】をリメイク中。戦闘システム部分、セーブロード画面、メッセージ枠関連などのリメイクだけ、大体先に進めた。」

逆沢「なんだ? 結局、リメイクする事にしたのか?」

愛原「【どうすればいいか?】という、要するに結論が分かっている以上、先に進めるのが一番だからな。まずはウディタ本体のバージョンを1.13から2.02aにバージョンアップした上で、解像度を800×600に決定。あとはそのスタイルに合うように、順次レイアウトを書き換えていく。頭はほとんど使わないけど、単純に力業のルーチンワークだな。」

鼎「ウディタ本体もバージョンアップしたんだよね。ついに!」

逆沢「ひとそれ制作当時の時点で、ver.1.30が出てたのに、かたくなに1.13を使い続けていたにもかかわらず、こちらもついに最新版にチェンジか? パソコンの新調に合わせて。」

愛原「互換性の懸念もあって、1.13からのバージョンアップを長くためらっていたのは事実だが、解像度をいじるくらいの大なたを振るうついでなら、むしろ今がバージョンアップの最大のチャンスだと考えた。ver1.13の時代には、最大でも640×480が限度だったが、最新バージョンでは800×600も設定可能という事で、迷わずこちらを選択。」

鼎「フリゲ界では320×240と640×480が双璧で、800×600の普及率はそんなに高くないような気がしたけど、あえてその800×600を選んだんだよね。」

逆沢「800×600は、さすがにオーバースペックな気もするけどねー。美少女ゲームとか、そういうジャンルでも無ければ、あまり必要性がなさそうな気もするし。ましてフリー素材の規格は、ほとんどがツクールシリーズの仕様に合わせて640×480か320×240ばかりのような気がするし。」

鼎「ツクールシリーズで最も有名なRPGツクール2000は、確か320×240仕様だったよね。ひとそれも320×240だし。」

逆沢「おかげでRPGツクール2000製のゲームは、文字ドットも粗い粗い。まぁ、さすがにRPGツクールXP以降はツクールシリーズでも640×480になってるけど。」

愛原「まぁ640×480にした方がリメイク作業自体も楽は楽だし、ちょっとオーバースペック気味かも知れないとも感じてはいるが、どうせリメイクするなら、改良になろうが改悪になろうが、とりあえず大幅にいじった方が面白いかなという事で。」

逆沢「で、とりあえずリメイク作業に入ったと。」

愛原「まぁ、ボチボチと。とりあえず画面が少しずつ綺麗になっていくのを実感できる分だけは楽しい。ひたすら面倒くさくはあるけど。」

鼎「シナリオ書いてる時が一番充実するタイプとしては、こういう作業はものすごくつらいけど仕方ないよね。」

逆沢「プロのゲームメーカーなんかでは、分業が当たり前みたいだけどね。原画描きは原画描き。シナリオ書きはシナリオ書き。プログラム打ちはプログラム打ちみたいな感じで。もちろん弱小ゲームメーカーだと、ライターが企画や営業を兼ねたり、CG塗りがドットデザインなどを兼ねたりみたいに、一人何役というケースも多そうだけど。」

愛原「分業は分業で、問題点も多いけどな。第一に自分が期待した作品にならない確率が高くなる。原画描きが脳内で期待した通りに、シナリオライターがそのキャラを動かしてくれるとは限らないし、企画担当が期待した水準のプログラムを、プログラマーがこなしてくれるとも限らない。企画は企画で、原画担当やシナリオ担当やプログラム担当に妥協せざるを得なくなる事は多いし、その他の担当にすれば、企画担当の希望通りの作品にできるだけ近づけざるを得ない不満もあるだろう。企画担当が【今回は萌えアニメ調のドタバタコメディーAVGだ】と決定すれば、ハードボイルド好きなシナリオ担当もそれに従わざるを得ないし、劇画調の作画を得意とする絵師もそれに近づけざるを得ないし、一度は派手なやりこみ系シューティングバトルのプログラムに挑戦してみたいプログラマーも妥協せざるを得ない。そんな感じで。」

鼎「プロの世界で一番妥協しなければならないのは、予算と時間という話も聞いた事があるけど・・・。予算や時間の関係で、中途半端なクオリティーのままマスターアップせざるを得ないケースも少なからずあるらしいというか。」

逆沢「あー、予算があれば実力声優のボイスもつけて、もっと作品の中身を充実させられるのにそれもできないとか、今月中にマスターアップしないと、社員に給料も払えなくなるからデバッグ不足だけど仕方ないとか、色々あるらしいわねー。」

愛原「その点も含めて、フリーの立場は実に気軽だな。締め切りに追われることもないし、特に単独開発なら他人に妥協する必要もない。」

逆沢「厳密に言えば、フリー素材をお借りしたりとか、作成ツールに依存したりとか、いろんな場面で多くの人の協力が必要になるから、偉そうに【俺一人で全部作りました!】と言うのは無理がある気もするけどねぇ〜。」

愛原「厳密に言えばその指摘は極めて正論なんだが、今回のテーマに関わる問題でもあるから、もう少し狭義の意味での単独開発に絞らせてくれい。狭義の意味での単独開発の定義。すなわち【単独開発=他人の意思によって作品のクオリティーや中身が左右されることのない状態】みたいな感じでだな。逆を言えば【共同開発=複数の人間の意思によって作品のクオリティーや方向性が決定づけられる状態】と定義しても構わない。」

鼎「つまり、どれだけたくさんのフリー素材を使用させていただいている立場であっても、そのフリー素材の選定作業も含めて、全部一人の作者が企画を最終決定している状態であるなら、単独開発と見なして良いという事かなぁ?」

愛原「そう。まさにその通り。どのゲーム作成ツールを使用するか? どういう基本プロバディーでゲームを作るか? どういう素材を選択・使用するか? どういうシナリオにして、どういうプログラムを組むか? 作業の一部を外注に委託するかしないか? 外注するなら誰にどういう条件でどの部分を外注するか? ・・・などなどの決定権が実質的に一人なら単独開発と言っても良い。」

鼎「ただし、その定義だと、プロのゲームメーカーでも当てはまるケースがあると思うけど・・・・。ほら、弱小メーカーだと代表取締役が総合企画のプロデューサーも兼ねてて、その人の全責任で一つの作品を作っちゃう事もあるそうだし。」

愛原「まぁ、仮にそういうケースであったならば、実質的に単独開発と言ってもいいかもしれん。もっともそんなケースは、よほどのカリスマプロデューサー兼経営者が率いる弱小メーカーでもない限り、そう多くはないだろうが。圧倒的大半のメーカーでは、経営部門(経理)と開発部門は分離していて、経営部門が提示した締め切りと予算の範囲内での開発を余儀なくされるケースがほとんどだからなぁ。人事部門も経営サイドが最終権限を握っている事も多いし、そうなると企画担当は、決められたメンバー内での開発も余儀なくされる(総合企画担当の裁量だけで、不要な特定社員の首を切ったり、特定の在野の人材をいきなり社員として雇ったりなどはほとんどできないと思われる)。またまともな企業では社内会議で企画を練り上げるケースも多く、そうなると全ての社員の意思が大なり小なり含まれるから、最終的には単独開発とは真逆の開発体制になる事も多い。」

逆沢「そう考えると、【俺はゲーム会社に入って、俺の作りたいゲームを作るぞ!】と思っても、現実にはそんな事はほとんど不可能って事か?」

愛原「大手になるほど、そんな夢のような開発状況に恵まれる事はないだろうな。決められた開発メンバーの中で、決められた時間(納期)で、決められた予算内で、かつ開発メンバーが強い不満を持たない程度には、彼らの希望も取り入れながら、ゲーム開発を進めて行かざるを得ない。まぁこの手のジレンマは、ゲーム業界だけでなく、映画業界やアニメ業界なども同じだろうけど。漫画や小説業界でも、それに近いケースはあるからな。」

逆沢「ん? 漫画家や小説家の場合なら、自分の書きたい(描きたい)作品を好き放題にクリエイトできるんじゃないのか? もちろん売れるかどうかは別だけど。」

愛原「まぁ、売れるかどうかを別にすれば、お前の言う通り、漫画家も小説家も実質的に単独開発型の職業そのものだな。好きな作品を作って、自費出版してコミケなどで好き放題に売りさばいたらいいと思う。ただし、雑誌に載せたいとか、単行本を出したいとなれば、そうはいかない。その場合は出版社の編集者との合意が必要になり、彼らのゴーサインが出ないと、その作品はボツにしかならないからだ。そして余程の売れっ子作者でもない限り、編集者は何度も何度も企画や原稿をチェックして作家に手直しさせたりもするし、そういう事態になれば、実質的に作家と編集者による共同開発作品状態になってしまうケースすら出てくると思われる。」

逆沢「あー、そういう解釈も可能か? つー事は、商用を目指した時点で、単独開発というのはかなりハードルが高いという事かも知れないわねー。」

愛原「商用である以上は、儲けを出さないとダメだからな。出版社もゲームメーカーも、売れない(赤字になるであろう)作品を発行・発売するわけにはいかない。だから開発者サイドが提示した作品(or企画)が黒字水準に達していないとみたら、容赦なく修正を迫るし、場合によってはボツにする。」

逆沢「好き放題に作れるのが単独開発の魅力だと思うけど、そこに儲けとかをプラスしようとすると、他人の意見を取り入れて妥協せざるを得なくもなる事も多くなるって事か?」

鼎「儲けうんぬんもそうだけど、一人でも多くのファンに愛される作品にしたければ、ファンに喜んでもらえるような配慮も必要だよね。【自分さえ楽しければそれでいい】的な考えではなく、お客様という名の他人の希望も取り入れる必要が出てくるというか。」

愛原「そういう意味では、多くのスタッフに会議の場などで意見を求めるという企業型の企画開発方針は、すごく理にかなっているともいえる。独りよがりの作品になる可能性を減らし、より万人向けの作風にまとめられる可能性も高くなるからだ。」

逆沢「その代わり、斬新でとがった作風にはなりにくいだろうけどね。多くの意見を聞くほど、角がどんどん削れてしまって、(たとえハイリターンが見込めても)ハイリスクも見込まれる要素が削り取られてしまうから。」

鼎「単独開発の作者さんでも、他人の意見を聞きすぎるというか、すごく無難な作風の作者さんも多いよね。」

愛原「ファンの意見は大体、【ここはこう変えた方がいいと思う】という【ダメ出し】が多いから、それを真に受けすぎると、どんどん角が取れてしまう。そしてやがて【角を矯めて牛を殺す】作者さんもたまにみる。一部のファンが【このキャラに赤い服は似合わない】と主張したからと言ってそれを真に受けて青い服に替えたりすると、今度は赤い服に不満を持ってなかったファンなどから【青い服に替えてもっとダサくなった】と批判され、さらに今度は黒い服に替えて・・・以下省略するが、そんな感じでどんどん作風がおかしくなっていく例すらあるからな。政治の世界でも料理の世界でもそうだが、人は平穏にまとまっている時に感謝するよりも、上手くいってないときに不満を言うパターンの方が多いので、そこは割り引いて考えた方がいい。」

逆沢「何となく分かる。【すごく楽しめました。でもここはこうした方がいいと思います】と言われても、具体的にどの部分が良かったかは伝わらないし、悪い部分だけ具体的だと、真面目な作者ほど、それを真に受けてしまうからねー。」

愛原「ファンの意見を取り入れる努力は大切だし、その努力がファンの好感度をますます高めるとは思うが、行き過ぎると長所をつぶす危険性もある。そうでなくとも競争倍率の高いゲーム界(商用・フリゲ問わず)で、自分のウリを潰すのは色々致命傷だ。」

鼎「逆にとことん我が道を行くタイプの作者さんも、ちょくちょくいるよね。」

愛原「つうか、単独開発が共同開発に勝てるとすれば、ズバリその点だろうな。他人に角を落とされる事なく、その作者さんの個性を十分に発揮された意欲的な作品。全てが7点の作品ではなく、ある部分は1点かも知れないけど、別のある部分は10点という作品。その10点の部分にこだわりがあるプレイヤーからすれば、【こんな作品に出会いたかった】と心の底から思えるような作品。」

鼎「市販では、やっぱりそういうのは難しいかなぁ?」

愛原「まぁ元々、万人向けを放棄したエロゲ系のメーカーなどでは、たとえば実用(いわゆるオカズとしての機能。エロ)特化とか、萌え特化とか、色んな作品もあるけどな。そういう特化作品に対して【リアリティーが無い】などの欠陥があるのは当たり前であり、またその欠陥をフォローした結果、何のウリもない【よく分からない作品】になってしまうよりははるかにマシだとも思っている。」

逆沢「長所を優先した結果、短所が目立っても仕方が無いし、その短所をフォローした結果、長所もつぶれてしまうなら、その短所は、ファンがなんと言おうと無視すべきと言う事かな?」

愛原「うん。誰がなんと言おうと、自分の芯となる部分だけは譲らない。というかフリゲの場合は、クオリティーではどうやっても商用には勝てないのだから、短所が目立つのは仕方ない。総合点ではどうやっても商用には勝てないのだから、何か一点でも10点を目指す方が有意義にも思える。そしてそういう無茶というか、わがままが通用するのが単独開発なんだろうとも思う。共同開発者が増えるほどにレーダーチャートがどんどんきれいな形の円に近づいてしまうのは、もう仕方の無い事だから。」

逆沢「そのきれいな円が大きな円ならいいけど、小さな円だと本当に何かの劣化コピーにしかならないからねー。」

愛原「市販ゲーム業界でも、一部の大手以外は、もうアピールポイントを厳選して、一点集中突破戦術に切り替えているのに、フリゲで優等生的なきれいな円を目指してもなぁという思いは正直ある。」

鼎「でもフリゲ作者さんの制作動機の中に、【自分もこんなゲームを作りたい】というのがあるから、これはもう仕方ないと思うよ。大手企業と違って、乏しい資力(金銭面でも時間面でも人材面でも技術面でも)でそれに挑戦するのだから、目指すゲームの劣化コピーにしかならないのは当然だし、その厳しい資力で(たとえ劣化コピーでしかなくとも)作り上げたとするなら、それはそれでとても誇り高く素晴らしい事だとも思うし。」

愛原「まぁ、それは言えるか。フリゲなんてものは、大抵は作者の自己満足だし、本人がそれで達成感を感じているなら、まぁそれはそれで尊い事ではあるからな。【他人がなんと言おうと、自分の作りたい者を作れる】のが単独開発によるフリゲの魅力だとすれば、他人が【劣化コピー】だのなんだの批判しようが、そんな事は気にせず、自分の作りたいものを作った人間こそが勝ちだとも思うし。他人に遠慮して、後で後悔する方がよほど嫌だし。」

逆沢「他人の意見を聞いた結果、自分で納得できるだけの結果が出たらいいけど、そうで無かったらきっと後悔するだろうからね。それだったら自分の意志を貫いた方が色々後悔も少ないと思うわ。」

鼎「ただフリゲ作者の制作動機は様々だから、【自分の作りたい者を作る】系の人だったら自分の意志を貫いた方がいいと思うけど、【他人に評価されたい】系の人だったら事情はそう簡単ではないよね?」

愛原「【他人に評価されたい】系の人の欲求を満たすのは、なかなか難しい。というのも【他人に評価されるゲーム】というのは【売れやすいゲーム】とほぼ同一線上にあり、そして【売れるゲーム】を作るのはプロのメーカーでも簡単な話ではないからだ。というか、フリゲ作者に限らず、漫画家でも小説家でも、自分の作品を評価されたいと考えるのは誰でも当たり前であり、【自分の作りたい者を作る】派の作者ですら、やはり自分の作品が評価されたらうれしいくらいには思っている。誰だって他人に評価されたいに決まってはいるが、そんな事が簡単にできたら苦労はない。ただ一般論として言えるのは、何のウリもないと、やはり人気を得るのは厳しいだろうという事くらいだな。」

逆沢「まぁフリゲ界に関しては、有名作者さんと交流したり、リンク張ってもらったりして、それで地道に知名度をあげるのがスタンダードな広報戦略のような気もするけどね。」

愛原「そういう地道な努力を重ねるスタイル自体は評価するが、それだけだとやはり苦しいとは思うけどな。クリエイターである以上は、やはりウリのある作品にはこだわっていきたいものだ。学生時代にも、色んな後輩らから作品の感想を求められたことがあるが、仲の良い相手から【角も無くよく分からない作品】の感想を求められた時は、本当に困惑した記憶がある。」

逆沢「のび太パパがいう所の【嘘はつきたくないし、本当のことをいえば傷つくし】みたいな感じか?」

愛原「ちょっとだけ違う。改善可能な欠点がはっきりした作品なら、その欠点をちゃんと指摘できるからまだ救われる(単につまらないだけの作品の場合は、具体的に改善方法を提示できないので迂闊な指摘はできない)。一番問題なのは、誤字脱字なども無く丁寧な文章を書くが、本当に何を伝えたいのか、何をウリとしているのかがさっぱり分からない作品。綺麗な詩のようにも思えるが、実際には何の情景も浮かばないような空虚で中身のない作品。これが一番困る。一例を出すと、在学中にテーブルトークでそいつがマスターやってた時には、あり得ないくらい無茶でとんがった(欠陥も多くプレイヤーからの不満も多く出たが、とにかく忘れられないくらい味だけはあった)シナリオやってた奴から、卒業後にそいつの自作のショートショート読まされて、その中身がまさにそんな感じで、激しく落胆した事もあった。ああ、こいつ、すっかり角が取れて、ついでに中身も無くなっちまったなと。昔は他人の目線など全く気にせず、【俺が俺が】みたいな(うっとおしい時もあるけど行動力も企画力もあって忘れられないほど味もある)奴だったのに、いつの間にか他人の目線ばかり気にして、常に他人と比較して他人の欠陥を見つけてはうじうじ指摘したがるような小さいキャラに変わってしまって、さもありなんとは思いながら。」

鼎「日本は出る杭を打つ国柄だから、その個性的だった人も卒業後に何らかの影響を受けて、徹底的に自己主張したがる自我を潰されて、他人の目線ばかり伺う人格に変わっちゃったのかも知れないけど・・・。」

逆沢「どっちにしろ、他人の評価や目線を気にするタイプの人は、他人から批判される可能性があるような意欲的な無茶はできないから、どうしても小さくまとまってしまう可能性が高くなりがちだとは思うわ。」

愛原「他人がなんと言おうと【俺はすごい】と思えるような厨二病的な感性も、クリエイターには必要かも知れんな。誰だって最初から一流の人はいない以上、客観的にみれば三流の頃も誰しもあるはず(そして一部の実力者以外は一生三流で終わる。俺も含めて。)だが、それでも自分を信じられる感性というか。下手くそな作品をドヤ顔で公開できるようなツラの厚さというか。」

鼎「そういう意味でも、ウリがあるかないかは、すごく大きいかも知れないよね。ウリが一点でもあれば、他の部分がどれだけ駄目でも、自信を持って世間に公開しやすくなるから。」

逆沢「商用作品を扱う本当のプロと同じ土俵に経つこと自体無謀なんだから、欠点部分は無視して、開き直って自分の作品をドヤ顔で公開できるくらいの度胸が欲しいとは思うわ。」

愛原「実際問題、アピールポイントをはっきり出してくれている作品の方が、チョイスの際の参考になる。星の数ほどある多数のフリゲの中から、自分好みの作品を探し出す上でも、単に【下手くそですがプレイしてもらえるとうれしいです】と謙虚にアピールされるよりも、【○○にこだわった作品です。以下ゲーム内容がうんぬんかんぬん】とちゃんとゲーム紹介してくれている作品の方が素直にわかりやすいし。」

逆沢「ただ作者のドヤ顔ぶりがかんに障ってか、ネットで叩かれる作者さんもたまにいるようだけどねー。」

愛原「ああいう嫉妬も混じったようなたたき行為は不快だな。ウディタで何作品も出している実力作者さんの中にも、そういう不快な目に遭わされた作者さんがいるが、本当に気の毒に思った。その作者さんは確かにドヤ顔タイプだが、他の作者さんや他の作品を誹謗中傷するような事はせず、ただ自作を自信たっぷりにアピールしているだけだったのに。」

鼎「そういうたたき行為をする人がいるから、謙虚なだけで中身のない紹介や作品も生まれちゃったりするのかも知れないよね。」

逆沢「誤字脱字は一つも無いけど、何が言いたいのか全く分からない綺麗なだけの文章を書く同人小説家みたいなものね。」

鼎「角が取れすぎて、他作品と差別化できるような突起が一つも無くなった作品をみると、すごくもったいない気がするよ。それだけ丁寧で隙の無い作品を作れる技量があるなら、その労力の一部を、突起を潰す方向では無く、突起を伸ばす方向に傾ければいいのにと思ったりもするし。」

逆沢「ただ人の作品の欠陥を見つけてはそれを叩くだけの人も、中にはいるからねー。タチの悪い人にひっかかって、悪い意味での祭りに巻き込まれると本当に悲惨なことになるというか。」

愛原「そういう風潮がフリゲを駄目にする。そもそもフリゲに高いクオリティーを求めること自体が間違いだし、むしろウリとなる部分にもっと目を向けて欲しいなとは思う。たとえばSPRGツクール95なんてのは、15年前のツールで色々時代遅れで不便なところも多いが、そんなツールを今でも使用しし続け、良質な作品を生み出す作者さんも未だにいる。ツールが古い以上、欠点が多いのは当たり前だが、その欠点を批判するのではなく、その作品のウリ部分にもっと目を向けて欲しいなとも思う。作者側も、自作品の弱点部分を恐れず、もっとドヤ顔でアピールしてもOKだと思う(ただし、他の作者さんや作品をおとしめるのはアウトだけど)。謙虚な態度は好感を持たれるが、ただ謙虚なだけだとウリが伝わらないし、そもそもウリが無くなってしまう事すらあるからな。他人がなんと言おうと、自分の思い通りに作れるのが単独開発の最大のメリットなんだから、他人の意見に耳を傾けすぎても良くない。」

逆沢「他人のゴーサインが出ないとどうにもならない商用作品だと、色々妥協も余儀なくされがちだけど、フリー作品だとそういう遠慮もいらないしね。」

愛原「とんがった作品は、万人から評価される事はないけど、それなりの知名度さえ確保できれば、ハマった人(同じ属性を持つ人)からは極めて高い評価が期待できる。俺はそれで十分過ぎると思う。もちろんあえて万人向けの作品に挑戦するのも有りだし、ただしその場合は単なる劣化コピーに終わるか、ウリがよく分からないこぢんまりとした作品に陥ってしまう事もあるが、まぁそれも本人が納得して選んだ道ならアリだと思う(たとえば【○○風のゲームです】というのがウリなら、堂々とそれをウリにすればいいと思う)。いずれにしろせっかく単独開発の道を選んだならば、他人の目線を気にしすぎて自分らしさを無くすのでは無く、ドヤ顔で自分らしさを貫いて欲しいと思う。フリゲの愛好家は、【本当は市販のゲームをプレイしたいけど、カネがないから仕方なくフリゲをやっている】なんて乞食根性の人よりも、【市販のゲームにはないとがったウリのある作品】【市販のゲームだけでは物足りない人の渇望を穴埋めできる作品】を希求するマニアックな愛好家の方が多いだろうから。」




















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