トップページに戻る


愛原様のたわごと(13年6月15日)







愛原「心の中にある些細なモヤモヤの原因の一つに関して一定の方向性が打ち出せたこともあって、今回のテーマは【犠牲】だ。」

逆沢「些細なモヤモヤと【犠牲】の間に何の関係があるのかよく分からないけど、【犠牲】って、要するに誰かの身代わりになって討ち死にするとか、そういうのの事でいいの?」

愛原「まぁ、分かりやすい例の一つとして、そういうケースはモロに含まれるだろうな。」

鼎「【犠牲】というと、私はイケニエとかスケープゴートとかコストとか、そういうイメージで考えちゃうけど、大体合ってるかなぁ?」

逆沢「おいおい。イケニエやスケープゴートまでなら、何とかイメージできるけど、コストとは何だ? コストとは?」

鼎「だって犠牲というのは、大いなる目的を達成するために捧げられるもののことを指すんでしょ? いわゆる対価というか代償というか。だからコストという表現は、言い回しとして極端ではあっても、物事の本質を表すという意味ではあながち間違いないと思ったんだけど。」

愛原「ま、ゲーム的思考に染まると、兵士も使えない人材ユニットも、本当にコストでしかないからなぁ。たとえば【とあるキャラクターAを仲間にする為には、3人以上の仲間ユニットを戦死させなければならない(=3人以上の仲間を失う事で、そのキャラクターAが助っ人キャラとして登場する)】という出現条件が設定されていたならば、【Aを仲間にする為に必要なコスト=3人の仲間ユニット】という事になり、仮にそのAがどうしても仲間に欲しいなら、最も無能そうな3人をとりあえず選んで、わざと戦死させるという作業が必要になるからな。そういうゲームも実際にプレイした事がある。」

逆沢「ああ、なるほど。まぁ、ゲーム的視点で語れば、SRPGなんか、【いかにイケニエを巧みに運用するか?】みたいな部分もあるからねー。【味方の主力ユニットが敵ボスユニットの体力をちまちま削っている間、敵ボスユニットの強力な攻撃を引き受け続けるイケニエユニットをどう巧みに配置するか?】みたいな感じで。

鼎「こうしてみると、バトル要素のあるゲームは、いかに効率よくコストを払ったりイケニエを用意するかを試行錯誤しながらゲームを上手く進めるかがキーになっているような気もするよね。」

逆沢「犠牲となるコストは極力小さいに越したことは無いけど、無傷で勝利というわけにはなかなかいけないからねー。特に国盗りSLGとかだと、損失兵士数がゼロでクリアなんてほぼありえないし、まぁ犠牲が出るのは仕方ないけど。どれだけ犠牲を減らして勝利を目指せるかがキモみたいな所は結構あるかもね。」

愛原「まぁゲームの世界なら、そういう思考でOKなんだけどな。歩兵や香車の損失を恐れて将棋はできないし、時には味方の飛車を失っても、それに見合う戦況の進展や改善が見込まれるなら、あえて大きな犠牲を払う必要もあるのが、ゲームの醍醐味でもあるからな。」

逆沢「そうそう。ゲームに限らず、漫画の世界でも、そういう感動のシーンはよく見られるしね。特定の仲間の貴重な自己犠牲によって、他の多くの仲間が救われるとか。」

鼎「【ここは俺に任せろ。お前は先に行け!】みたいなシーンは、本当に燃えちゃうよね。一人一人、大切な仲間が散っていき、そしてそんな仲間の自己犠牲に支えられて、ついに主人公は最終決戦の場にたどり着く、とか。」

逆沢「そのままでは勝ち目がないほどの強敵の弱点を探ったり、あるいは主人公がたどり着く(or体力回復する等)までの時間稼ぎのために、あえて捨て石となってその強敵との対戦を決意するシーンとかも、すごく燃えるわね。」

鼎「負けると分かって、あるいは死ぬと分かっていながら、それでも仲間のために、家族のために、国家のために、自らその身を捧げる英雄達。数え切れないほど使い古されたおなじみのシーンだけど、それでも未だに通用する感動のスパイスシーンだよね。」

愛原「その感動のシーンが、ウチのゲームでは実はなぜかほとんど登場しないのだ・・・・。」

逆沢「ん? あー、言われてみればそうか? かなり忘れた部分もあるけど、強いて思い出せるシーンといえば、7lcw+2の赤竜編でイエロー隊長とその部下が、それに近いシーンを演じているくらいか? まぁあれも、レッド隊長らに仕組まれた末の無理矢理だけど。」

鼎「7lcwでは、主人公陣営ではなく、悪玉陣営の方が犠牲を強いるシーンは多めな気がするよね。特に池田さんとかは、特攻隊をすごくお気に入りにしていて、部下の兵士達が特攻兵として戦死するシーンをみては【美しい!】と感嘆して、その自己犠牲行為を称えてたりもするし。」

逆沢「その代わり、自己犠牲を拒否した部下に対しては、【お前達はそれでも誇り高き神国の兵士か!】みたいな感じで罵倒したりもしてそうだけどね。」

愛原「うん。そんな風に、ウチのゲームでは犠牲というのは、どちらかというと善玉側より悪玉側で多用される傾向がみられるようだ。と言っても、改めて気づいたのは意外と最近ではあるのだが。」

鼎「そういえばひとそれでも、そういう傾向は割と見られた気がしたかも。正確にはメインキャラクターの三方監督の大方針の一つである【たった一人の仲間も見捨てないポリシー】が強調されていたせいかも知れないけど。」

逆沢「ああ、言われてみればそうか。確かに三方監督は、どんなに出来の悪い部下でも決して見捨てないというか、切り捨てられない甘さというか、そういう傾向がかなりあった気がするわ。」

愛原「上手く使えばきっと感動のシーンになるであろう犠牲シーンが、ウチのゲームでは(少なくともポジティブシチュエーションとしては)ほとんど登場しない。逆に悪玉の方が多用したがるだけあって、むしろネガティブイメージの方が強いかも知れない。もちろん仲間が死ぬシーン自体はいくらでもあるが、それは実力不足であったり、不運であるから死ぬだけに過ぎず、少なくとも仲間の為を思って、死ぬと分かっていながら自ら命を捧げるような善玉系のカッコいいナイスガイは、ウチの作品にはほぼ登場しないと言ってよい。(あえていえば黒藤編の大神&那珂田などが稀少な例か? 単にど忘れしてるだけかも知れないが)」

逆沢「それは多分、作者が犠牲シーンを快く思ってないから、作者自身も無意識のまま、そういう作風になっちゃってたんだと思うわ。」

愛原「まぁ【英霊に感謝する】だけの政治家に全く好感を持てないのは、俺も同感だけどな。【英霊となった彼らに対して申し訳ないという反省や後悔の思い】を決して口にしない政治家は全く信用できないというか。犠牲になった彼らを称えるだけの社会というのは、何か間違ってないか?というモヤモヤは、昔から常にあったからな。」

逆沢「つうか、反省や後悔をするという事は、その行為が誤りというか、少なくともベストチョイスにはほど遠い選択肢であったと認めるのと同義だからねぇ。仲間のために命を捧げるという行為が正しい行為であったり、善行であるという大前提で考えたら、どうしても彼らに感謝し、称える以外の選択肢はないと思うし。」

鼎「ウジウジ系の主人公が、一時的に大切な仲間を死なせてしまった事を後悔するシーンはあるけど、それでも最終的には前向きに考えられるように変わっていくよね。【あいつの死を無駄にしない為にも、俺は生き続けなければならない!】とか、【俺は先に死んだあいつの分まで幸せになってみせる!】とか、【あいつはこんな事を望んでいないはず。あいつならきっとこう望むはずだ!】とか。」

逆沢「そうそう。そんな感じ♪ だからどの主人公も最後に吹っ切れて、大切な仲間を死なせたことに反省も後悔もしなくなる。その代わり、先に死んだ犠牲者を永遠に称え続けると。」

愛原「俺は銀英伝のヤン・ウェンリーの【あなた方が口で言うほど祖国の防衛や犠牲心を必要だとお思いなら、他人にどうしろこうしろと命令する前に自分たちで実行なさったらどうですか。】【人間の行為の中で何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間や権力に媚を売る人間が安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。】といった名セリフにシンパシーを感じる側だから、むやみやたらに自己犠牲を称揚する向きには、どうしても不快感を禁じ得ない。」

逆沢「あー、なるほど。確かに【自分だけは安全なところにいる人間】に限って、他人に犠牲を求める傾向はあるかもねー。」

鼎「でも【俺だって、本当に必要とあれば、いつでも国や仲間のために命を捧げる覚悟はある】みたいな主張をする人は、ネットでもちょくちょくいるような気がするけど。特に自己犠牲を美化したり、他人に自己犠牲を求めたがるタイプの人には。」

逆沢「それは【俺だって本気を出せば・・・】と同じくらい信用できないセリフね。そういう勇ましいけど中身のないセリフを軽々しく吐く人の9割は、永遠に本気になれなかったり、永遠に必要な機会が訪れないまま人生を終えることになるだろうから。」

愛原「うーん。でもそれ以前の問題として、国家のために本気で命を削る人なんて、今の日本に本当にいるのか? そんな人が1%でもいるなら、福島原発の高濃度汚染施設内にカメラなり機材をもって飛び込む勇者が、何百人も出ておかしくないだろ? 現実にはそんな高尚な人など全然いなさそうだし、未だに建屋の奥でよく分からない部屋や、対策の手も打てない空間もある有様じゃねえか。」

逆沢「そう考えると、戦時中の特攻兵って、ものすごい愛国心の塊だったって事かねー?」

愛原「全然違うと思う。あれはその場の空気とノリと洗脳教育の問題。たとえば角田美代子容疑者らに自殺強要されて海に飛び込んだ人もいるという記事も出回っているが、その海に飛び込んだ人が角田容疑者に圧倒的な忠誠心を持っていたなんて事はまず考えられないだろ?」

逆沢「あー、なるほど。言われてみればそうか。沖縄の集団自決問題とか、無謀きわまりない大和特攻も、そういう視点で考えたら分かりやすいか。まさしくその場の空気とか、日頃の洗脳教育の影響で、それ以外の選択肢を選ぶ事が考えられない空気や状況に置かれたら、人は案外迷いなく、それこそ【なんとなく】の延長戦で、その場のノリだけで死を選ぶ事もあると。」

愛原「日本国内で年間自殺者が約3万人というが、自殺する際に(社会全体や強い恨みを持つ特定の個人に対して)本気で深いメッセージ性も持ち合わせている人など、そんなにいないと思う(そんな人なら、まず遺書を残すか、三島由紀夫ばりのパフォーマンスをやると思う)。人が自ら死を選ぶというのは、本当はすごくすごく重いものであるはずなんだが、人は案外、その場のノリというか衝動というか気分次第で簡単に首を吊る。」

逆沢「数万人も自殺志願者がいるのなら、その中に最期くらい世の中に役に立ってやろうと三島由紀夫ばりの英雄的行為(?)を選択したり、アリもしない理由で数万人を殺したブッシュ米前大統領に一矢報いる道を選択したり、福島原発の危険地帯に飛び込む人がいても良さそうだけど、なぜかそういう人は一人もいないし(そのくせ逆に秋葉原で大量殺人をするような死に際まで大迷惑な人はごくまれにだけど出るけど)、こうしてみると世の中のために自らの命を進んで犠牲にできる高尚な人なんか、本当に世の中にいるのかなぁと思ったりもするわ。」

鼎「口先だけ勇ましい人は、現実にもネットでも10人に一人以上はいそうだけど、【本気で世の中のために貢献できるような死に様を今から実行してみせろ】と言われて、それに即応できる人は一億人に一人もいないのかも知れないね。」

愛原「そんな人がせめて100人に一人でもいれば、福島原発の後処理もはるかに進んでいるんだろうけどな。そう考えると、特攻隊の兵士や沖縄で集団自決した県民達やいじめで自殺を強要されて死んだ生徒達らが精神的に置かれた状況がいかに特異だったか、本当によく分かる。他人に死ねと言われて【はい。今すぐ死んでみせます!】と即応できる環境なんてのはそうないからな。」

逆沢「でも口先だけ勇ましい人はそれなりには多そうだし、他人に自己犠牲を勧める人はさらにその倍はいそうだし、自己犠牲に応じた仲間や国民を称えるだけ称えて、彼らのことを気の毒とは全く思わない人もそれ以上にいそうなのが、ちょっと気にはなるけどね。」

愛原「つまり他人に死ねと言われるのは嫌だけど、他人に死ねと言う事には何の躊躇もない人間がかなりいるという事でもあるんだろうな。自分が犠牲になるのは嫌だけど、他人が自分のために犠牲になるのは構わないし、むしろ称えてやるからどんどん俺の為に死んでくれと。」

鼎「なんかそれって、ブ○ック企業の経営者に多そうな思考のような気がしたかも。ほら確か、社員に【ありがとう名刺】とかいうのを配って、従業員に謝意を示すパフォーマンスをしてみせた経営者さんとか、まさにそんな感じでしょ?」

逆沢「ああ、なるほど。【進んで命を捧げた英霊に感謝。特攻隊への志願を拒否した奴は売国奴。】みたいな思考の人とダブるわ。【どんな過酷な労働条件に置かれても真面目に笑顔で頑張る従業員に心から感謝。それを拒否したり、ブラック呼ばわりする奴はクソ野郎】みたいな感じで。」

愛原「それを言ったら、【日本の優秀なクリエイターは無報酬でクールジャパン推進に協力すべき】とか言ったとされる秋元康氏も思い出したわ。【無報酬で国家のために働けるクリエイターは一流。そうでない奴は二流以下】みたいな感じで。」

逆沢「そこまで言うなら、まずお前が死ぬまでそれを実行してみせろと思うのは私だけか? 本当にしたり顔で他人に犠牲ばかり要求する奴はクソだわ。」

鼎「でも本人に悪気はないんだと思うよ。英霊に感謝だけする人も、酷使されても文句を言わない労働者にだけ感謝をする経営者も、無報酬で働く者こそが真のクリエイターといえるお偉いさんも、みーんな【犠牲となった人達に心から感謝できる俺は、すごく心が綺麗だ。】くらいには思ってそうだし。」

愛原「俺的には、犠牲者に感謝するだけでなく、そういう犠牲者を生み出した事に対する反省や謝罪の念も欲しいのだが、反省や謝罪をしたら(二度と彼らにお国の為に死ねとか、死ぬまで働けとか、タダで働けといえなくなるため)経営面や政治面でマイナスになるから、それだけは絶対に口にしないんだろうな。まぁきれい事だけで世の中が回らない事は理解しているが、それでもならばせめて、人に犠牲を求める側の人間がまず進んでそれを実行して欲しいくらいは思うのだが。【私がまず犠牲になりますから、皆さんも私に続いて下さい】なら、ちょっとくらい言葉に説得力も出てくるかも知れないし。」

逆沢「無理無理。逆に【自分も後で犠牲になりますから、まず皆さんから犠牲になって下さい】と言って、他人を犠牲にし続けたあげく、自分自身は最期までその約束を果たさなかった偉いさんとかは、星の数ほどいそうだけど♪」

「そういえば特攻兵を指揮していた大日本帝国の上官達も、【自分たちも後から必ず行くから】みたいに説明して部下を死地に送り出していたらしいけど、実際にそれを実行してみせた上官はほとんどいなかったそうだよね。他人を死なせる時には【お国のためにいつ死んでもいい覚悟は俺も出来ている】といいながら、実際にそれを実行する事はなく、でも部下に対しては【だからお前は先に死ね】と真顔で言えるあたりがすごく怖いというか。」

逆沢「まぁ今でも、全柔連の上村春樹会長が似た振る舞いをしてみせたけどね。少し前に進退伺いを出して、【いつでも辞める覚悟はある】という態度だけ示しておきながら、結局、フランスの柔連幹部にも根回ししたりして、しっかり留任宣言しちゃったし。」

愛原「政治家でも多いよな。【俺はいつでも責任を取る(or辞める)覚悟はできている!】と強い覚悟の姿勢だけは示すけど、実際にそれを実行する事は(外部からの圧力に抗しきれなかった場合を除いて)ほぼ100%ないというか。」

鼎「あとインパール作戦の惨敗を受けた際の牟田口廉也中将のエピソードも、それに近いニュアンスがあるよね?」

愛原「確か牟田口中将は自らの無謀な作戦の失敗に際して【陛下へのお詫びに自決したい】と部下の前に言ってみせたら、部下から【昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります】と返答されて、結局その場で何の責任も示そうとせず、そのまま終戦後も見苦し言い訳ばかりしながら余生を全うしたらしいな。【俺はいつでも(責任を取ってor国益のために)死ぬ覚悟がある】と言える御仁は、平成の今でも無数に見かけるけど、それを本気で実行できる人間がいかに少ないかを感じさせる。」

逆沢「今、統一球問題で揺れている日本野球機構の加藤良三コミッショナーも、かなりそのクチみたいね。統一球導入に際して自分のフルネームを全ての公式球に刻む覚悟までみせながら、知らなかったから責任も取らないといわんばかりのあの態度がムカつくというか。」

愛原「全ての球のサインには、いわゆる品質保証の意味合いがあり、もしも欠陥球があれば私が全責任を取りますという決意と覚悟を意味する。これは野球ボールに限らず、どのボールでも大体同じ(大抵はメーカーのロゴなどが刻まれており、その役割を果たしているが)。そういう建前であのフルネームが刻まれていたはずなのに、あれは結局、オッサンの自己顕示欲でしかなかったという事だろうな。だが犠牲というテーマを語る上で、加藤コミッショナーの振る舞いは、非常に面白いともいえる。それは加藤コミッショナーが、本来取るべき責任を回避しようとした為に、別の人間がスケープゴートという名の犠牲にさらされようとしているという事だ。」

逆沢「いわゆる責任転嫁による罪のなすりつけによる犠牲者が出ようとしているという事ね。具体的には製造元のミズノと下田事務局長など。」

愛原「日本野球機構による隠蔽工作がすさまじくて真相がほとんど闇状態だが、客観的事象として不自然な事を何点かあげる。まず製造元のミズノが作っていたボールが今まで欠陥であったという指摘だが、仮にそれが事実なら欠陥品とそうでないボールが去年度まではっきりと混在してないとおかしい。だが実際には飛ばないボールという一点で精密に一貫しており、だからといって全てのボールが欠陥品というのは逆に不自然すぎる。仮にそうなら、もっと早く気づかないとおかしいし、それ以前にそんな大不祥事を起こしたメーカーとは即時縁を切らないと駄目だ。だが野球機構側はミズノ社側に損害賠償も一切請求せず、以前の飛ばないボールを使い切る配慮までみせている。」

鼎「つまりミズノ社は、加藤コミッショナー側の指示で、故意に飛ばないボールを生産していたと解釈する方が自然って事だよね。で、ミズノ社は高い技術力を駆使して飛ばないボールを精密に続けていて、今年から飛ぶボールを作るよう指示が変わったから、今度は精密に飛ぶボールばかりを作り始めただけという。」

逆沢「飛ばない球を導入した時もナベツネの意向が反映されていたというし、それが一転して今度は去年のシーズン終盤(夏頃)にナベツネが飛ばないボール批判をマスコミ相手に公然としていた点を考えると、ナベツネの意向を受けたコミッショナーがミズノ社に対して、今年から飛ぶボールに企画チェンジするように要請した可能性が高そうな気もするわね。東日本大震災直後にプロ野球日程をどうするかもめた時でも、当初の予定通り開幕すべきだと主張したナベツネに同調して、コミッショナー権限でそれを決定してしまったり(後に政府の圧力を受けて修正を迫られたけど)、昔からナベツネの犬だから。」

愛原「次に下田事務局長は、はじめ【去年の夏に、加藤コミッショナーと相談して統一球の変更を決めた】とマスコミ相手にコメントしていた。だが翌日、加藤コミッショナーと同席の記者会見の場で【あのときは頭が混乱してた】と奇妙な釈明をした上で、自分の独断でこっそりミズノ社と話し合ってボールを変えたと主張を転換した。そして自らが責任を取っての辞任を示唆。」

逆沢「それは怪しい。誰がどう考えても怪しすぎる。どう考えても頭が混乱しているとしか思えないような苦しい釈明にしか思えないのは、翌日の釈明の方だろ。」

鼎「というか最高責任者の許可なく、あれだけ大量のボールの発注内容の変更ができるともとても思えないけど・・・。」

愛原「一方の加藤コミッショナーは、【全ては余のあずかり知らぬ事】と言わんばかりの知らぬ存ぜぬを貫き通し、全ては部下のやったことだから俺に責任はないといわんばかりの論理展開をし、挙げ句の果てに【不祥事ではない】とまで言い切る始末。」

逆沢「悪徳政治家とその秘書の構図そのものね。ボスは子分のやった事と知らぬ存ぜぬを貫き通し、子分は全て自分の独断でやりましたと供述して、スケープゴートを志願する流れまで全部クリソツというか。」

鼎「典型的な【部下に犠牲を強いるボスと、犠牲を引き受ける子分】の構図だよね。ヤクザの世界でも、身代わりが出頭して代わりに逮捕されるとか、まれにあるらしいけど。」

愛原「ボスのために犠牲となる子分の振る舞いを美しく思うかどうか? 俺は全然そうは思わないが、まぁこれは個人の感想の問題だろう。ただ【英霊に感謝】とか【責任者が責任を取らず、部下が全責任をかぶるのは当然】なんて事を軽々しく支持できるような人ならば、こういう都合のいい自己犠牲志願者の事を易々と褒め称えるのかも知れない。」

逆沢「おいおい。一度ならず何度も危険な発言を繰り返すな。世の中には【彼らの尊い犠牲があったからこそ、今の平和な日本がある】と主張する人も多いのに。」

愛原「俺は【原爆を落とされたからこそ戦争が終わったから、原爆に感謝】とも【特攻兵が特攻したからこそ経済大国日本が実現したから、英霊に感謝】とも思わない人間だからな。どちらもしなくてよかった余分な非人道行為に過ぎないと考えているから、あいにく。まぁ、そんな事は今回のテーマとは関係ないからどうでもいいか。とにかく犠牲を強制された側の人間のつらさ悲しさをおもんばかる事なく、ただ【俺(達)の為に死んでくれてありがとう】というのは、俺的にはあってはならないと思うのだ。まともな人は自ら進んで死んだりはしない。そういうごく当たり前の事を忘れて、【人は崇高な目的の為なら喜んで死ねる】と勝手に美化して、彼らを一方的に称える空気には、今の俺の心境としてはどうしても賛同しかねる。」

逆沢「ただ、喜んで死ねるかどうかは別にしても、社会全体として考えると、やっぱり犠牲自体は必要なんじゃないの? ほら、たとえば便利な車社会を維持したいのなら、年間1万人を超える交通事故による死者数も受け入れなくちゃならないような感じで。」

愛原「うーん。なんとも極端な例を出してきたなぁ。まぁ自殺者数と異なり、交通事故による年間死者数は年度によりかなりのばらつきがあるが、大体1万人から2万人の間。死傷者で数えれば年間自殺者数よりもかなり多くなる計算だが、まぁコストとしては確かに小さくはない。ただ今まで語ってきた犠牲者とやや違うのは、基本的に犠牲者の抽出はランダムで選ばれるという事だな。」

鼎「人間は自分にとって都合よく考えられる生き物だから、【まさか自分が交通事故死する年間1〜2万人に選ばれるはずがないだろう】と信じられるし、だから深刻なコストと思えないから、安易に受け入れられる気はするかも。」

逆沢「宝くじで高額当選する確率よりも、交通事故に遭って死傷する確率の方がはるかに多いのに、それでも【宝くじで当たる可能性は信じられるけど、自分が交通事故に巻き込まれるとは思いもしない】人も、かなり多そうな気がするからねー。」

愛原「とまぁこんな感じで、犠牲者の抽出がランダムであればあるほど、人は犠牲者に対して無関心になれる。まさか自分が犠牲者として選ばれる可能性なんてないと信じられるから、銀英伝のヤン提督のセリフじゃないけど、【自分だけは安全なところにいる】ような人間の視点で、平気で他人に自己犠牲を強要することができる。他人に【みんなの為に死ね(or犠牲になれor負担を引き受けろ)】と迫れたり、【自分もそのときが来たらいつでも犠牲を引き受ける覚悟がある】などと勇ましい軽口を叩ける。」

逆沢「分かる分かる。イラク戦争やアフガニスタンの情勢を語る際に、そこに住む住民や現場で戦わされる兵士の視点ではなく、遠方の国家指導者や経済界重鎮や軍事担当トップのような視点で、いちいち偉そうに物事を語る人は日本でもかなり多そうだしねー。明日死ぬかも知れない人達にとっては、10年後の景気も世界経済も中長期的国家戦略も、全然どうでもいい事なのに。」

鼎「でも大人になっていくにつれて、みんな犠牲者が出るという事に寛容になっていく傾向はある気がするよ。ほら、たとえば【一人を助けるためにみんなが不幸になるのと、一人を見殺しにする代わりにみんなの平穏が維持されるのとどっちを取るのか?】という命題は、ヒーロー戦隊もので悪の幹部が誰かを人質にとった際などでよく見られた光景だけど、こういう二者択一を迫られた場合、いわゆる大二病というか、大人な人ほど、冷徹に人質見殺しを選択する率は高いような気もするし。」

逆沢「【人質を救おうとして世界を危機にさらすか? 人質を見殺しにしても世界を手堅く守ろうとするか?】という命題は、オタクならずとも、一度や二度は議論されるテーマだけど、高卒以上の人に尋ねたならば、ほとんどの人が迷いなく後者を選びそうな気はするわね。」

愛原「みんなまさか自分がその犠牲者の一人に選ばれるとは思ってないからな。実際、テロ組織などが人質をとって何らかの要求してきた場合でも、欧米では安易に要求を応じることなく果断な決断を選ぶケースも多いらしい。」

逆沢「日本人はその点ではかなり甘ちゃんだけどね。今年2月に起きたアルジェリアの人質事件の時でも、日本の首相だけ【人質の安全を最優先に】とか、のんびりした事言ってたし。」

鼎「私は、タカ派として有名な安倍総理なら、欧米の首脳達に同調して【人質見殺しやむなし】みたいなコメントをしてもおかしくないと思ったから、その予想がいい意味で外れて、逆に好感度が上がったんだけど・・・。」

愛原「一方、人質にされた人間の思考をみると、日本人は【きっと誰かが助けてくれるはず】とか【大人しくいい子にしてればテロリストも自分にひどい扱いはしないはずだ】と信じて従順でいるケースが多く、逆に欧米人などは【自力で脱出しないとこのままでは殺される】と考えて隙あらば暴動を起こしてでも逃げだそうと考えがちのようだ。」

鼎「なんだかんだいっても、日本人は欧米人と比べると、人を信じられるというか、なるだけ犠牲者を出したくないと考えられるのような優しい人が多い方なのかも知れないよね。外国では、単なるこそ泥やレイプ犯でも、目撃者と遭遇したら即座に殺しにかかる人も多そうだけど、日本なら顔を見られたからと言う理由だけで、安易に殺人まで犯す人の割合はそう高くないような気もするし。私はそういう日本が好きだよ。」

逆沢「でも大二病患者とかなら、【大いなる目的のための犠牲】にすごく積極的というか、美意識を感じるような気もするけどね。ほら、たとえば銀英伝でも、主人公に敵対する貴族連合が非人道的な民間人大量虐殺を決行しようとした時、主人公のラインハルトがそれを止めようと考えるも、参謀のオーベルシュタインに【この残虐行為を撮影して広報すれば、貴族連合は支持を失う】と献策するシーンがあるじゃない。で、そういうシーンをみて、【オーベルシュタインは目的のためなら非情に徹する事もできるカッコいい軍師だぜ】とか感じてしまったり。」

愛原「大いなる目的の為の犠牲という視点で、俺的に記憶に残っている漫画として銀河戦国群雄伝ライという三国志風のスペースオペラ漫画がある。軍記物やスペースオペラ好きな俺的にはかなりストライクなジャンルの漫画ではあったが・・・。」

逆沢「あー、あの漫画は確か、すさまじいまでの犠牲賛美のオンパレード作品だったわねー。忠臣は主君のために命を捧げて当たり前。軍師は作戦の為に、無垢の民や下層の兵士を犠牲にする事は当たり前。隙を見せれば相手をだまし討ちにするのも当たり前。好意的に言えば、犠牲シーンを大量に盛り込むことで感動のスパイスになるであろうポイントが大量に用意された傑作。もっとも【大いなる大志の為には、少々の犠牲はいとわない】といえばカッコいいかもしれないけど、実際には作戦や効率の為の犠牲シーンがあまりに多くて、しかもそれを主人公達が当然と思っているところが、それを受け付けないタイプの読者からすると怖いというか・・・。」

鼎「けど【大きな目的を達成するための犠牲】というと、すごくカッコいいイメージもあるよね。【多くの犠牲を払い、挫折と悲しみも乗り越えながらも、大きな目的を達する主人公】をみてると、すごく覚悟も決断力もあってカッコいいなぁと思えるというか。」

愛原「俺も長くそう思っていた。というか今もある程度はそう思っている。反対勢力を恐れていては改革はできないとも思っているし、リスクを恐れていてはリターンも見込めないとも考えている。ただ最近の橋下徹の言動や態度を見ていて、認識を改めたというか、ある種のモヤモヤが吹き飛んだ点が一つだけあってだな。」

逆沢「橋下市長か。あの人も典型的な【責任と覚悟を常に背負い続けているように見えるけど、実際には絶対に責任は取らないし、犠牲を他人ばかりに押しつける】タイプみたいだけどね。悪いのは全部他人。市職員が不祥事を起こすとすぐにクビ。西村真悟のような議員が失言するだけですぐに除名。他人には厳しいけど、自分の失策や失言に対しては、マスコミが悪いだの状況に合わせて主張を変えるのは当然だの自己弁護して、絶対に責任を取らない。過激な振る舞いをして労組だの高校関係者だのライバル政治家だのを次々血祭りに上げてそれで世論が支持すれば功績は自分のもの。逆にうまくいかなければ国政が悪いだの与党が無能だのマスコミが悪いだの言って全部他人のせい。他人を常に犠牲にしながら出世するタイプというか。」

愛原「桜宮高校の事件を契機として体罰問題が日本全域で広く見直された件など、確かに橋下市長ならではの大きな功績があるのは事実だし、目的の為なら犠牲者を多く出す事もいとわない小泉純一郎型指導者に今でも一定の評価をしているのは確かだ。だが最近【大いなる目的のためなら、いかなる大きな犠牲も払う事ができる崇高な覚悟を持つ人間】というのは、【自分の我欲を満たすためなら、他人を容赦なく踏みにじれる悪逆非道な人間】とイコールだろうとも感じられるようになった。目的の為に容赦なく他人を切り捨てたり、犠牲にできる人間は、その目的が崇高なものであろうがなかろうが、他人に対して常に酷薄であり続けるのではないかと、そう認識を改めるようになったのだ。」

逆沢「あー、なるほど。それは言えるかもねー。」

愛原「だから【人質ごとバババンと撃ち殺してしまえ】と平気でいえるような人間が権力を持つのは、すごく危険なことでは無いかと最近考えるようになった。こういう人間は、自分にとって不要・不愉快・邪魔な人間とみれば、容赦なく排除にかかるだろうから。」

逆沢「ただ厄介な事に、そういう果断な決断ができる人ほど、大きな仕事ができる可能性もあるからねー。【人質ごとバババンと撃ち殺す】事に躊躇が無ければ、その分だけでも仕事は早いし、効率的でもあるだろうし。不要な社員は容赦なくリストラできるとか、他人に犠牲や責任だけ押しつけておいしいところだけ持っていくとか、そういう果断で容赦ない判断ができる人ほど、出世しそうなイメージもあるというか。」

鼎「でも、そういう他人に対する思いやりの心もない人は、すごく嫌われやすいとは思うけど・・・。」

愛原「そう思いたいが、実際はそう単純ではない。たとえば俺自身、頭が固く既得権益にしがみがちな抵抗勢力を颯爽と蹴散らそうとした小泉純一郎や橋下徹に、一目置いていた部分もある。つまり自分の気に入らない人間がバババンと撃ち殺されても、ザマーミロとしか思えない不埒で下品な心が、俺の中にもしっかり宿っている。ここが自分でも恐ろしい。冷静に考えたらそういう非道な真似を抵抗なくやってのけるような氷の指導者が、いつその銃口を自分に向けて発砲してくるかも分からないのにな。」

逆沢「あー、そうよね〜。崇高な理想を掲げて、ムカつく相手をバババンと容赦なく撃ち殺すような指導者が、常に自分の味方であり続ける保証はどこにもないからねー。そういう指導者は、何のためらいもなく昨日までの友にも銃を向けることができるだろうから。」

愛原「他人に犠牲を強いるような人間が、自分にも厳しいと思ったら大間違いだ。他人に厳しい人間ほど、実際には自分には甘い。だから加藤コミッショナーや橋下徹市長のように、他人を生け贄に捧げても自分だけは生き残ろうとする(ただし、表面上は、いつでも責任や犠牲をひきうける覚悟があるように見せかける。上村全柔連会長や大日本帝国の偉いさん達のように)。彼らが責任を取る時があるとすれば、それは外圧に抗しきれなくなった時だけだ。(この時だけは、いかにも自分が責任感ある人物であるように演出して、派手な辞任劇を演じたりする)」

鼎「私達も色々と認識を改めないと駄目な事は多そうだよね。」

愛原「うん。とりあえす犠牲を押しつける立場と、犠牲を引き受ける立場の両面で、この点はよく考える必要があると思う。我々は【自分だけは安全な所にいる】と思いがちだから、平気で他人に犠牲を押しつけたり、犠牲者を賛美したりするが、それでは自殺の強要をしたともされる角田美代子容疑者やブラック企業の経営者らと大差ない。【大義のためなら犠牲者が出るのは仕方ない】とか【多数派のために少数派が犠牲になるのは仕方ない】とか、確かに効率を重視すればそれは否定できない一面ではあるのだが、【犠牲を極力少なくして目的を達成する】努力は、やはり大切だと思う。【犠牲を恐れず目的を達成する】か【犠牲を恐れて目的を断念する】の二者択一ではなく、あくまで【犠牲なく目的も達成する】方向で、ぎりぎりまで模索していく視点が欲しいというか。」

鼎「確かに【泣いて馬謖を斬る】しかない局面もあるかも知れないけど、だからといって【泣きもせず平然と馬謖を斬りまくる】ような考えの人は私はすごく嫌だよ。ほら、銀英伝のラインハルトさんは、オーベルシュタイン参謀の献策を最終的に受け入れちゃったけど、その事で死ぬまで何度も悩み後悔し続ける事になるし、そういう人間の方が私はずっと好きだし。」

逆沢「つかラインハルトくらいの実力者なら、あの時、オーベルシュタイン参謀の献策を受け入れなくても、得意の軍略だけで貴族連合に完勝できた気もするし。そりゃあ、後悔も反省もして当然なんじゃないの?」

愛原「少なくとも人に犠牲を強いておきながら、【これで我々はより有利になった】くらいにしか思わない人間とはあまり関わりたくないな。まして(自分自身が進んで犠牲者の側になる気も無いのに)犠牲者を賛美だけして、そんな自分に酔ってる人間なんてロクなもんじゃないとも思う。悪玉として登場する分にはおいしいというか、むしろ好きな方でもあるが、正直、現実世界にいて欲しいタイプじゃない。」

逆沢「と、認識を改めたと。」

愛原「うん。俺自身、いわゆるクールに徹する事のできる軍師系キャラはかなりの大好物だし、ある種のあこがれを持っていた事もあるし、今でもいわゆる【決断できない指導者】達を見るたびに、何度もゲンナリさせられてきた。しかしその一方で、思いやりのかけらもない合理性だけを追求した戦略・政策・経営方針が貫かれた結果、多くの人が犠牲とされる光景をみるのも正直不愉快でもあった。この【理性を優先して感傷を切り捨てるクールで知的なカッコよさ】【何の罪の無いような人までが次々犠牲になっていく心苦しさ】が共存する矛盾がモヤモヤとしてあったのだが、そのモヤモヤの理由に今更ながらもほんの少しだけでも気づけたのは、まぁ僥倖だったとも考えている。」

鼎「今後のシナリオ展開などには影響はあるかな?」

愛原「うーん。それはないんじゃないかな? 少なくとも三方監督のようなキャラがメインにいる間は、仲間を犠牲にしなければならないようなシナリオは今後も作らずに済みそうだし、作者的にそういう意味でストレスがたまる事はなさそうだ。大切な仲間が次々と散っていくようなシナリオと比べると、刺激は足らないかも知れんが、そういう辛口シナリオはどっちみちここの作者にはとても扱えないだろうし、まぁ今のままでいいんじゃないかな? という訳でこれからもウチ的には、英霊や過労死した労働者達に対して哀悼の意を捧げることは怠らずとも、無闇な感謝はしないし、ましてそういう犠牲者をさらに増やしかねない自己犠牲者賛美活動も、今後はできるだけ慎みたいと思っているのであしからずだ。」

逆沢「何度も言わせるが、ある種の人を敵に回すような発言は、いい加減にやめろって!」















トップページに戻る