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愛原様のたわごと(13年10月27日)





愛原「管理人に仕事を押しつけられてしまった・・・。」

逆沢「ま、いいんじゃないの? こういうの、超久しぶりだし、マンネリ打破という意味でも。」

愛原「全然出番の無い管理人と違って、俺たちはそれなりには忙しいんだけどな。普通、一番暇な奴が、こういう面倒くさい役割は引き受けるものだろう。」

鼎「気にしない気にしない。別に面倒くさくもないし、むしろ楽しいし。で、実際問題、作者は今、どうしてるの?」

愛原「どうもしてない。体調もどうもない。でもモチベーションが著しく落ちている状態のようだ。これは今年のゴールデンウイークあたりに触れた近況報告の続きになるが、作業工程としては解像度変更作業の中途という段階で停滞している形になる。」

逆沢「あー、確か、そんな事、言ってたったけか? つうかまだ続けているのか?」

愛原「続けているというか、中断している状態。この解像度変更に伴う各種データ移行作業というのは、創造力や計算力はほとんどいらないが、とにかく面倒くさいルーチンワークなのだ。で、それを繰り返している内にメンドクセ状態になって、止まってる。」

逆沢「頭を使わない作業なら、それだけでも楽なんじゃないの?」

愛原「ここの作者にとって最もモチベーションが上がる作業は、第一にシナリオ作成。第二にAIやパラメータを構築・設定する作業。これらは創造力や計算力を刺激してくれて、やればやるほどモチベーションが上がる。逆に単純に同じ動きを繰り返すだけのルーチンワークや、デザイン関係の仕事は、ゲーム関連スキルの中でもかなり苦手。」

逆沢「デザイン系の仕事が不向きなのは、ホームページ見るだけで嫌という程分かるわ♪」

鼎「そういう仕事が苦手という事もあって、ウチのゲームはエフェクト処理はほとんど施されてないよね。」

逆沢「TYPE-MOONが得意とするような美麗なエフェクト処理なんて、ウチには無縁だしね。上手いタイミングで画面をフラッシュさせたりシェイクさせたり、適当な効果処理画像(差分画像など)を付け加えたり、効果音を適宜挿入するだけでも、ゲームのクオリティーなんていくらでも変わるのに。」

愛原「解像度移行作業をやり始めて初めて気づいたのだが、どうも解像度を2.5倍したからといって、座標に2.5を乗算するだけで上手くいくと思ったら、なんか違うようなのだ。で、この微調整が色々面倒くさい。デザイン系の仕事に不向きな自分としては、これが色々しんどい。あと同じ作業を延々と繰り返すようなルーチンワークもここの作者の苦手分野であり、それで作者が心理的につかれてしまったらしい。」

鼎「社会人の大半は組織の歯車として生きてるのに、そんなんだと社会不適合者の烙印を押されかねないと思うよ。ルーチンワークも立派な仕事だと思うし。」

愛原「ま、ゴマスリ営業を延々とさせられるよりは、ルーチンワークの方が百倍心理的に楽だけどな。」

鼎「だったら百倍楽なルーチンワークを地道に頑張ればいいのに・・・。」

愛原「給料という名の対価がある労働と、単なる趣味を同次元で語られても困るんだけどな・・・。」

逆沢「だったら解像度変更作業なんか止めてしまえば問題解決なんじゃないの?」

愛原「今更止めるにはもったいないくらいには、作業が十分に進行してしまった。それにこう言ったら何だが、解像度をアップすると、画面がその分だけでも美しくなるのも間違いない。今更、それを元に戻すのも色々惜しい。」

鼎「じゃあ、シナリオ制作と解像度変更作業を同時並行で進めたらどうかな? そしたらモチベーションが上がる作業もセットだから、苦痛も和らぐと思うし。」

愛原「無茶言うな。そんな事をしても二度手間になってしまうだけだ。まー、例の有り難い書き込みもあったし、今、やってるゲームに飽きたら、そろそろゲーム作りに戻るんじゃないのか?」

逆沢「つうかゲームを作らず、ゲームで遊んでいたのか?」

鼎「漫画ばっかり読んでる人は実は漫画家には向かないとか、そんな話を聞いた事もあるけど・・・。他者のゲームを遊ぶことで色んな技法を学べることも多いけど、それに浸かり過ぎたら逆効果だと思うよ。そういう人は、デバッグには向くかも知れないけど、作り手が必要とする労力(経費や時間や技術等)を無視した無茶な要求しかできなくなって、無意味にハードルが上がってしまうだけだから。」

愛原「ここの作者のゲーム制作歴が何年になると思ってんだ? そんな事、言われんでも分かってるわ。」

逆沢「へいへい。で、今、作者がプレイ中のゲームって何だ?」

愛原「2004年にKOEIから発売された【太閤立志伝X】。」

逆沢「は??」

鼎「そのゲームから学べる事なんてあったかなぁ?」

愛原「別に何かを学ぶために遊んでいるのではなく、純粋な娯楽だ。大体、参考資料の名の元に他人の作った漫画やラノベやゲームに浸かりこむだけの奴にロクな人間はおらん。ニートの言い訳じゃあるまいし。」

逆沢「それ以前に超がつく程のヌルゲだった記憶しかないけど・・・。まー、イベントコンバーターというのを使えば、色んなイベントを自作できるらしいから、シナリオやイベントを色々追加したい人なら、創造力と技術力を駆使できる分、多少は向いてるかも知れないけど。」

愛原「【太閤立志伝X】は、与えられた課題をプレイヤーの知恵と技量で克服するタイプ(要するに難易度重視タイプ)のゲームではなく、その世界観にどっぷり浸かるタイプのゲームだ。なので効率重視でプレイすると、逆にひたすらつまんなくなる。間違いなくすぐ飽きる。なぜなら大抵の場合、苦も無く余裕でクリアできちゃうから。まー、1568年の足利義昭や1598年の石田三成あたり(およびその部下)でプレイした場合は、序盤にかなりキツいイベントが発生してそれなりに燃える展開にはなるけど・・・。まー、そういうマゾプレイを選んでも、序盤の山さえ越えられたら(ゲーム内時間で)5年もしない内に全国制覇できる難易度だから、やはり難易度を追求するゲームでないのは間違いない。」

鼎「それ以前に足利義昭さんや石田三成さんでプレイする人って、どれくらいいるのだろうか?って気がするけど。」

愛原「ここの作者はそういうプレイもやるようだぞ。もっとも世界観に浸かるプレイスタイルだから、色々変なマイルールを作って、適当に縛りプレイじみた事もして遊んでいるようだが。」

逆沢「世界観に浸かるゲームスタイルというと、たとえばどんな感じだ?」

愛原「【太閤立志伝X】だけに限らず、Civilizationシリーズなり、銀河英雄伝説Wなり、幕末志士伝なり、いわゆる成り切りプレイができるゲーム全般に言える事だが、この手のゲームは、あえて効率を重視せず自分なりのプレイスタイルを貫く(といっても厳密化する必要は無く、状況によって柔軟に例外を設けたり、時には方針転換してみた方が結果的に楽しめると思われるが・・・)事で、さらに楽しみが増すと俺は考えている。たとえばCivilizationシリーズなら、ひたすら非武装路線に徹してみたり、逆に内政無視の侵略プレイに徹したり、あえて全方位友好外交にこだわったり。幕末志士伝では、あえてギリギリまで攘夷にこだわって、開国に転じようとする時流に逆らうのが好きだった。ま、そんな感じで急いで勝利条件を目指すのではなく、とにかく自分流でその世界観を楽しむ。」

鼎「最近は、萌え路線のゲームも多いけど、特定のお気に入りキャラクターを徹底的にひいきして楽しむゲームスタイルのようなものかな?」

愛原「うん、そんな感じ。特定のキャラにこだわったり、特定の武器にこだわったり、あるいは逆にこだわりを捨てて、勝利条件にすらこだわらない漫遊プレイをしてみたり。」

鼎「昔のRPGには、そういう自由度の高いRPGも多かったよね。無理矢理特定のルートを辿らされるのではなく、いつでも特定の街に出入りできたり、色んな仲間を引き連れてみたり。」

愛原「自由度の高いゲームというのは、本当に素晴らしい! 世の中には勝利条件がよく分からないゲームは、何をしたらいいかよく分からなくなるから嫌いだという人もいるが、俺は好きだ。」

逆沢「でも自由度の高さと、選択肢の多さは別物だけどね。たとえば世の中にはマップの広さをウリにしたRPGとかもあるそうだけど、無駄にマップだけ広くして、それで【世界は広いです。そしてプレイヤーは、この広い世界を自由に探索できます。】と言われても困る訳よ。その広いマップに見合うだけの多様多種なイベントが用意されているならともかく、ただ単に森チップや山チップを無意味に広げられても移動が面倒くさいだけだから。」

鼎「フリゲでも広いダンジョンをウリにしてる作品を見た事があるけど、広いダンジョンにしても難易度と面倒くささが上がるだけで、自由度が高くなる事はないよね。結局、ダンジョンの出発地と目的地が決まっていたなら、それ以外の道を選んでも、単なる寄り道や回り道でしかないから。」

逆沢「キャラゲーでも同じね。総勢50人のキャラクターから自由に仲間を選べますといわれた所で、使用に足るキャラが事実上固定化していたら、それは自由でもなんでもないし。もちろんその【使用に足るキャラ】というのは、単に性能面だけじゃなくて、個人的な好みも含むわよ。たとえば個別イベントも豊富で思わず育てたくなるユニークキャラが5人しかおらず、残りの45人が無個性で可愛げも無く性能も中途半端なモブだったりしたら、それはユニークの5人だけを使えと言ってるのとほとんど変わらないし。」

愛原「まー、言ってる事は分かる。たとえば町の人を自由に辻斬り可能なRPGのフリゲを作ったとしよう。しかし町の人をいくら斬っても、何の変化も反応もなければおそらくプレイヤーはすぐに飽きてしまうだろう。逆に町の人を斬ることでハマリ必至なペナルティーを課しても、それは事実上のゲームオーバーを意味するだけだから、やはりプレイヤーをそれを実行しようとしないだけで終わるだろう(事前にセーブした上で、一度や二度ほど試しに辻斬りするくらいで終わるだろう)。要するに自由な行為をする事で得られる変化や反応がちゃんと用意されてないと、ゲームとしては楽しめないのだ。」

逆沢「まぁ、それは分かる。たとえばセリフの選択肢を2種類用意した以上は、どちらの選択肢を選ぶかで変化は欲しいし。上を選んだら相手は喜ぶけど、下を選んだら相手は驚くとか。せめてその程度の反応の差くらいは欲しいというか。」

鼎「でもそれはそれでゲームを作る側としたら、結構面倒くさいよね。」

逆沢「たとえば仮に辻斬りというシステムをゲームに組み込んで、なおかつゲームを面白くするにはどんな工夫が必要になるかな?」

愛原「かなり古いゲームだが初代の【太閤立志伝】が、比較的秀逸な辻斬りシステムを備えていた記憶がある。このゲームでは、移動中の他国の武将も自由に辻斬りする事が可能で、もちろんそれに成功すれば、その分だけ敵国を弱めることができる。もちろんその代わり、辻斬りに失敗する事もあるし、成功しても一度殺したキャラは絶対に生き返らないので、後でその武将を仲間にする事もできなくなる。つまり辻斬りというシステムが、単なる余興ではなくゲームバランスとして成立している。辻斬りなど行わず真っ当なプレイをすれば、相手武将と親密になれるチャンスも広がるメリットがあるし、逆に辻斬りにこだわったプレイをすれば、それだけで一大名家をかなり弱体化させる事もできる(かなり頑張れば特定の大名家の武将(大名含む)を辻斬りだけで全滅させる事も可能)。やり方次第で信長や家康ですら、路上で剣の錆に変えることができる。どっちのプレイスタイルを選ぶかは、各プレイヤーの自由という感じで。」

鼎「つまり選択肢それぞれに固有の意味をもたせる事が大事という事だよね。辻斬りをしてもしなくても状況に変化が無かったら無意味だし、どっちを選ぶかで事実上のゲームオーバーになる程の格差をつけても駄目だしという感じで。」

愛原「そういう事だな。そういえば【幕末志士伝】でも辻斬りのシステムがあったが、こちらはそういう意味で少しだけ消化不良だった。高杉晋作や西郷隆盛クラスの大物には必ず逃げられてしまって恨みフラグが立つだけなので、メリットがほとんどなくデメリットだけしかないというか。まー、高杉晋作や西郷隆盛をいくら怒らせても、ゲーム的には致命的なデメリットにはならないので、彼らに斬りかかりたいプレイヤーなら、好きなときに彼らに斬りかかっても大きなゲーム上の不都合にはならないけど・・・。」

逆沢「幕末志士伝の場合は、辻斬りをしても大きなペナルティーにはならないけど、メリットもほとんどないというゲームバランスになってるって事か?」

愛原「まぁお遊びコマンドの延長という所かな? まぁそれでも江戸城や新撰組詰所に勤める幕臣や隊士らに狂犬のように斬りかかるようなプレイも、お遊びとしてOKだとは思う。」

鼎「そういえば、お遊びコマンドが充実しているゲームも多いよね。実利を追求したら不効率だからそんなコマンドはあまり使用すべきではないけど、たまに使ってみると色々情勢に変化が見られて面白い系というか。」

逆沢「一部戦国SLGで、敵国の城主(太守)に謀反を促す計略のコマンドとかあったけど、ああいうのは完全にお遊び系だと思うわ。成功率も低いし、劇的な実利効果が見込めるケースもそう多くはないけど、成功したらなんかウキウキできるというか。」

愛原「お遊びコマンドといえば、ドラゴンクエストシリーズの魔法の中にも、どう見ても趣味の領域でしかないものは多かった気がする。攻撃力低下系とか、そんなもん使ってる暇があったら、殴った方が早ええよみたいな感じで。まぁ、こういうのも典型的なお遊び系コマンドだろうな。」

逆沢「ただお遊び系のコマンドは、できるだけ邪魔にならない所に置いてくれと思う時もあるわ。本当に必要な魔法のコマンドが下の方に埋もれてて、もう使う事も無いような低レベル時代のコマンドやお遊びコマンドが上の方にあると、時々イライラする事もあるし。」

愛原「短気だなぁ。まぁプレイアビリティーを追求すべき制作側の人間ならば、本来は留意すべき提言ではあるが・・・。」

鼎「でもお遊びコマンド自体は、私は色々あった方が面白いと思うよ。たとえばセリフを選ぶような選択肢でも、無難で当たり前すぎる返答だけでなく、おふざけ系の選択肢も一つくらい混ぜたら、それも楽しいような気がするし。」

愛原「同感。決められたことを決められたとおりにやるだけのゲームではなく、たまにはルートから外れる余裕があった方が色々楽しいと思う。面倒くさいだけで効果は薄くても、たまーに変わったコマンドを使う事で、ちょっとした状況の変化が見られたらそれはそれで楽しいというか。」

逆沢「テーブルトークとかでは、たまにマスターの用意したシナリオから外れまくろうとするプレイヤーもいて、それはそれで面倒くさい時もあるけどね。」

愛原「CRPGの場合は、そういう心配はほとんどしなくていいけどな。どちらかというと、プレイヤーが期待する半分も自由度がない事の方が多い。まぁ制作側からすると、プレイヤーの選べる選択肢は、できるだけ絞った方が作りやすいからなんだけど。たとえばまだまだ活躍しなくてはならない敵キャラが序盤に倒されたりすると、フラグ管理が面倒くさくなったりするから。(だからSRPGなどでは、倒されては困る敵ユニットの能力値は、理不尽なほど強く設定されている事が多い。一方で工夫次第でその強敵を序盤から倒せて、それなりのフォローも用意されているような自由度のある作品も存在する。)」

鼎「決められたルートから外れたプレイというのは、なんかイタズラ心を刺激するし、私はそういう余裕のある仕様も用意された作品はすごく好きだよ。」

愛原「同感。先に触れた人斬りプレイも、そういう理想のルートから外れた悪いプレイもしてみたいというイタズラ心あるプレイヤーを考慮した寛大な仕様と言えるだろう。ドラゴンクエストVで王の冠をいつまでも王様に返さないプレイもできたり、ひのきの棒で大魔王ゾーマを倒せたりするのも、遊び心の視点で、肯定的にとらえたいと思う。」

鼎「仮にひのきの棒でゾーマを倒してしまったなら、かのロトの剣の正体は実はひのきの棒という事になっちゃうのかとか、ちょっとしたネタにされたりもしたよね。」

愛原「けど自由度のあるゲームというのは、そういう要素も含むと思うんだ。あえてひのきの棒でゾーマを倒してみたり、新撰組の隊士を一人でも多く尊皇思想に染めるプレイに挑戦してみたり、武田4名臣を一人残らず道中で辻斬りで殺してしまったり、本願寺顕如に仕官して彼に天下を取らせてみたり。かなり無茶な事もできて、しかもそれはそれでゲームとして成立する作品というか。」

鼎「歴史SLGが比較的自由度の高いゲームとして評価されがちなのは、そういう本来なら決して天下を狙えないような勢力を担当してプレイしても、天下を取れちゃう所にあるのかも知れないよね。【本来進むべきルート以外の展開も幅広く実現可能=自由度がある】と考えれば。」

愛原「まさにそんな感じだろう。ひのきの棒でもラスボスを倒せるゲームとか。本来のフラグをへし折っても(要するにゲームが正規のルートで進行しなくても)ちゃんとシナリオを進められるゲームとか。主人公が少々のやんちゃ行為というか想定外の無茶をしても、それなりに世の中が回っていく事を実感できるゲームと言い換えてもいいかも知れん。」

逆沢「けどそれって、難易度的にはマイナスになるんじゃないの? たとえば弱小大名でも天下統一できるゲームという事は、イコール並以上の勢力でプレイしたら楽勝になるゲームという事だし。そして有名どころというか、人気どころは大体並以上の勢力だから・・・。ひのきの棒でラスボスに勝てるゲームというのも、裏を返したらレベルさえ上げたら誰でもクリアできるゲームという事だし。」

愛原「当然。自由度を高めるという事は、そういう事でもある。逆にたとえば特定の聖剣を持たないとラスボスを倒せないゲームにしたならば、特定の聖剣を探し求めるイベントを挿入したりもできるし、その分だけ難易度も高くできるが、裏を返せば、特定の聖剣を探すプレイも強制させられるし、特定の武器の装備も強制させられるような自由度の低いゲームにもなってしまう。」

鼎「難易度が高いゲームになるほど、事実上の選択肢が狭くなりがちだよね。たとえばSRPGなら特定のキャラクターが必須という状況を事実上強制させられるだろうし・・・。たとえば火力の低いキャラばかりでは装甲の高い敵を倒せないから。」

愛原「レベルさえ上げれば誰でもクリアできるゲームといえば、ヌルゲに感じるかも知れない。しかしレベルさえ上げればどんな火力の低いキャラでもそれなりのアタッカーになれるゲームの方が、自由度という意味でははるかに高い。自分のお気に入りのキャラがどんなヘタレでも、それなりに愛をもって育てればちゃんとそれなりの戦力になるとすれば、それはそれで夢のある話だとも思うし。」

鼎「だったら個数限定の強化アイテムとかを用意するのも手だよね。個数は限られているけど、誰でも装備できる武器とか、誰でも強化できる種とか。」

愛原「俺がゲームデザイナーの立場なら、弱いキャラに使用すればする程、より効果のあるアイテムを用意したいなぁ。たとえば攻撃力90のキャラに使用しても96にしかならないけど、攻撃力60のキャラに使用したら86になって、攻撃力40のキャラなら80になるとか。」

鼎「私は使えない子扱いのキャラにも光を当てられる程度の自由度があるゲームには賛同だよ。たとえ少々、難易度が下がっても。」

愛原「全くの余談だが、実はひとそれのシステムも、強いキャラをさらに強くするだけでなく、弱いキャラをそれなりに育てた方が有利になるシステムになっている。HPや敏捷力は一番パラメータが低いキャラの数値が最も濃く反映される為、元々強い奴をさらに強くするよりも、足を引っ張りがちなキャラを足を引っ張らない程度に育てた方が長い目でみたら有利になりがちだからだ。もちろん強いキャラの育成も必要だが(攻撃力などは最も高いパラメータのキャラの数値が濃く反映される為)、弱いキャラだけでパーティーを組むわけにはいかないから、強いキャラは放っておいても勝手に育つし。」

逆沢「疲労度という概念を導入したのも、自由度を意識したからか?」

愛原「うん。同じキャラばかり使われるのは嫌だなぁと思ったから。強いキャラと弱いキャラが味方に混在するゲームの場合は、何らかの工夫をしないと、スーパーロボット大戦シリーズみたいに速攻で一軍二軍の区別がついてしまって、自由度が事実上強く制限されてしまうからなぁ。」

鼎「難易度が高いゲームになるほど、弱いキャラはあまり使われなくなるし、その分だけでも自由度が制限されちゃうよね。」

愛原「難易度の高さが災いして自由度が損なわれたゲームの例としては、非戦闘系ゲーム以外ではときめきメモリアルなんかもそうだな。ダメ夫君のままの状態では、どうやってもほとんどのヒロインは攻略できないらしく、ひねくれプレイ好きな自分は早期離脱を余儀なくされた。」

逆沢「あはは。相手に気に入られたければ、自分が相手の好みに変わるしかないという教訓になって良かったじゃない。まー、特定キャラとの好感度を高めたければ自分の能力値を高めたり、適切な選択肢を選び続けるしかないというのは、ほとんどのAVGに共通する仕様でマンネリ感は否めなくもないけど。」

愛原「あと難易度の高さが自由度を阻害する事例は、キャラゲーだけの話ではない。たとえばお金の使い道やアイテムの選択がシビアがゲームなら、費用対効果だけでお金の使い道を考えざるを得なくなったり、武器の性能だけで武器を選ばざるを得なくなったりする。」

鼎「武器の性能に関しては、テーブルトークでもよく話題にされる問題だよね。あまりにも武器による有利不利が露骨だと、ドワーフなのに剣を持ったりするようなプレイスタイルにならざるを得ない事もあるようだし。」

逆沢「それはそれで雰囲気台無しだわ。もっともCRPGでも、冷静に考えたら雰囲気台無しの装備しまくってるパーティーとかたまにみかけるけど。」

愛原「効率だけでなく雰囲気を追い求める余裕のあるゲーム。それが自由度のあるゲームだと思う。たとえあるパラメータ的には少々不利でも、それを別の部分で挽回できる余地のあるゲーム。好きだからという理由だけで特定のキャラを優遇したり、似合うからという理由だけで特定の装備にこだわったり、面白いからという理由だけでストーリーから外れたふざけた選択肢を選んでみたり。しかしそんな事をしても許される余地のあるゲームというか。」

逆沢「その延長線に、要人や町の人を辻斬りできるようなシステムのゲームも含まれるって事か?」

愛原「うん。悪い事をすれば、悪名が広がったり、恨みフラグが立ったり、返り討ちに遭うペナルティーも生じる代わりに、何かのメリット(敵戦力が弱まったり、経験値や所持金が増えたりなど)があっても構わないと思う。もちろんリアルで悪い事をするのはNGに決まってるけど、ゲームだから。(無論、年齢制限にひっかかるような過激な暴力表現や性的表現や心理的描写には配慮する必要があるが。)少なくとも勇者達が宝箱を許可無く開け回ろうが、レミングスを自爆させようが、それを泥棒行為とか残虐と真面目に糾弾する奴はいないと思う(どうしても気に障るなら、それは脳内補完でフォローすべき問題)。それと同じ。」

逆沢「自由度というのは、ハメを外したり、イタズラする自由も含まれているという事かな?」

愛原「うん。勇者が魔王討伐の任務をほったらかしにして、ひたすらレベル上げやカネ稼ぎに奔走してもいいと思うし、あえてダメ君主に仕官してそいつと人生を共にするプレイをしてもいいしみたいな感じで。現実の人生でもそうだろ? 幼少の時から一流大学目指してひたすら学業に打ち込んで、その後もゲームや遊びにうつつを抜かさず、ひたすら模範的な生き方を追求するだけが人生ではない。難易度の高いゲームをクリアして【俺スゲー!!】というのは、難易度の高い大学を卒業したり、一流と呼ばれる企業に就職したり、美人で金持ちの奥さん見つけて【俺スゲー!!】と言ってるのと同じで、もちろんそれはそれで大したものだとは思うが、それだけが誇らしき人生ではない。たまにハメを外そうが、ちょっと変わった事をしようが、遊び心と心の余裕を持って日々を過ごそうが、本人が心から楽しめればそれも有意義な生き方なのだ。ましてゲームは楽しむためのものなんだから、楽しめさえすればそれでいい。決められたルートを辿ったり、難易度の高い展開を克服するのが楽しければそれはそれでOKだし、逆にちょっと変わったプレイを試してみたり、こだわりプレイを楽しみたければ、それもまたOKなのだ。作り手の視点からすると、自由度の高いゲーム作りは、本当に大変なんだけど。」

逆沢「私達が自由度の高いゲームを作るのが大変だから自由度の低いゲームで妥協したがるように、政治家や経営者にも、国民や社員の自由を拘束したがる人は多そうな気がするわ。政治家ならナントカ規制派は多いし、経営者でもマニュアルやコンプライアンス重視派は多いけど、自由な社会や組織よりも、決められた生き方を下に強制する世の中を目指した方が、国民や従業員の管理が楽だからかねー、やっぱ? 生き方を強制した上で、勝ち組負け組とか、競争心ばかり煽る世の中になりつつあるというか。」

鼎「ゲーム業界でも、最近の流行はどちらかというと自由度の高いゲームよりも、競争心を煽ったり、勝利条件の達成を要求するゲームの方が優勢っぽい気がするよね。特に課金ゲームなんか、ほとんどそんな気もするし。お金を払っても、より手軽に、より快適に、より有利にプレイしたいプレイヤーが多いからという事なんだろうけど。」

逆沢「じっくりまったりゲームを楽しむ余裕も、今の社会はないのかもねー。手っ取り早く自キャラを強化したいとか、手軽に成果だけを求める層がそれだけ増えてるのかもね。まぁ昔と違って今は社会人のゲーマーも多いし、社会人のゲーマーは、まとまった時間を取れない事も多いから、そういう非まったり層が増えてもおかしくはないんだけど。」

愛原「俺はまったりゲームも好きだけどなぁー。時間にもノルマにも追われず、のんびり街を作ったり、組織や人材を育てたり、世界を探索したり、お気に入りキャラに徹底的に愛を注いだり、新撰組を尊皇攘夷思想者だらけにしたり(?)。俺の探索能力が未熟なせいもあるかも知れんが、最近はそういう系統のゲームが減った気がしなくもない。まぁ、古いゲームでもまだまだ楽しめる作品は多いから、別に構わないんだけども。」

鼎「いつかはそういう作品を制作する側にもなれたらいいね。」

逆沢「それはどう頑張っても無理だ。」















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