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愛原様のたわごと(13年11月10日)







愛原「前回、自由度の話をしたが、SLGというジャンル自体が本来、そういうもんなのかも知れんな。」

鼎「SLGというのはシミュレーションゲームの略語で、日本語訳すると疑似体験ゲームとか成り切りゲームという風になりそうだよね。」

逆沢「ぶっちゃけて言うと、○○ごっこって感じか? あるいはおままごととか?」

愛原「ぶっちゃけられてしまうと、そうなってしまうんだろうなぁ。まぁそれを言うとRPGなんかも同じ事なんだが。」

鼎「RPGというのはロールプレイングゲームの略で、日本語訳すると役割を演技するゲームという風になりそうだよね。」

逆沢「やっぱりごっこ遊びなのは同じってか? その中でも演劇ごっこにより特化したのがRPGという感じで。」

鼎「CRPGだと実感が薄いかも知れないけど、TRPGだと本当に演劇というか、ごっこ遊びそのものになるよね。」

愛原「ちなみにCはコンピュータの略。Tはテーブルトークの略。要するにコンピュータがゲームの管理をするか、人間同士の対話によってゲームの管理がなされるかの差だな。」

鼎「だから人によっては、TRPGのプレイに抵抗がある人もいるのは事実だよね。人前でごっこ遊びというか、ある種のおままごとをする形になっちゃう訳だから。」

愛原「まぁ学校の国語の音読の時間に、セリフの部分を感情込めて音読するのさえ恥ずかしがる人種がいるくらいだからなぁ。気持ちは分からんでもない。」

逆沢「そういう恥ずかしがりの人種は、まず俳優とか声優とか芸能人にはなれないだろうけどね。」

愛原「小説家や漫画家といった作家業にも、どちらかというと不向きだろうな。小説や漫画を書いて(描いて)いると、大の大人が口にするには恥ずかしいセリフやシーンを登場させざるを得ない事もある。それは青臭すぎるセリフであったり、エッチすぎるセリフであったり、頭が悪すぎるセリフであったり、著しくリアリティーに欠けるセリフであったり・・・。」

鼎「でもそれは、仕方がない部分もあるよね。リアリティーにこだわりすぎると登場人物が増え過ぎちゃうからやむなく特定のキャラに色んな役割を押しつけちゃったり、非平凡な生活環境を背景にせざるを得ない事もあるし、みんなが妥協したり逃げ腰になるのを防ぐ為に威勢のいい言葉を用意して、しかもその言葉にみんなが感動して賛同しないと困る事もあるし、ご都合主義だらけと言われても、そうしないと理想の人間関係にならないからそれを連発させざるを得ない事もあるし、時には物理法則をねじまげざるを得ない事もあるかも知れないし・・・。」

愛原「そういうのを恥ずかしがる人間は、作家業や俳優業やTRPGなどには不向きかも知れない。」

逆沢「その点、CRPGなどは有り難いわね。そういう恥ずかしい(?)プレイに酔ってる自分を誰にも見せないで済むから、誰にもはばからず、俺SUGEEEEな無双プレイを楽しむこともできるし、非人道的プレイにハマりこむ事もできるし、困難な状況を乗り越えて世界を救うカッコいい自分に酔いしれる事もできるし、二枚目でモテモテな自分を演じてウキウキする事もできるだろうから。」

鼎「つまり、そういう幸せな自分を誰の目も気にせず演じられるのが、CRPGなどを初めとする一人用コンピュータゲームになるのかな?」

愛原「漫画や小説に感情移入できる人ならば、そういうのも有効な疑似体験ツールに含まれると思われる。またクリエイターとしてのスキルがあるなら、他人の作った世界観に酔うだけでなく、自分自身で理想の箱庭を作る事すらできる。」

鼎「今は色んなゲームや漫画や小説があるから、どんな職業や人生体験もできそうな気がするかも。」

逆沢「現実世界では、人が一生で体験できる職業やイベントなどは限りがあるからねー。そういうのは本当に有り難いと思うわ。」

愛原「現実世界では100%体験不可能な、戦国大名の立場とか、中世魔法ファンタジーの勇者の立場とか、異世界からやってきた美少女とイチャイチャする立場とか、そういう事まで体験可能だからなぁ。」

鼎「感情移入しやすい佳作に巡り会えた時とか、本当に自分のスゴさを錯覚しちゃう時もあるよね。困難を乗り越えて世界を救ったり、理想のエンディングを迎えられた時には。」

逆沢「けど錯覚でしかないのよねー。たとえば自分がいかに巧みな采配で天下を統一しようと、それはゲームの中での話でしかなく、現実の自分にそんな力があるはずないから。」

愛原「けど自己評価の高いプレイヤーなら、それは自分が生まれ育った時代と環境が悪いだけで、もしも自分がはじめからそういう立場なら、きっとゲームと同じような活躍ができたはずだと考えるかも知れないぞ。」

逆沢「無理無理。絶対無理。なぜならその成果を成し遂げる為の地道な苦労や努力の部分が、ゲームや漫画ではほとんどはしょられているから。たとえば能力アップのイベントがあったとして、ゲームなら訓練コマンド一つでそれなりに上昇しちゃうし。漫画でも下手すると数ページで特訓を終えちゃう事は珍しくないから。」

鼎「漫画の世界では【そして○○は己を鍛えるために仲間と別れ、旅立っていった】というナレーションが出て、単行本数巻分不在になった後、仲間のピンチの時にいきなり颯爽と現れて、仲間を救いつつ特訓の成果を披露しちゃう事も多いよね。」

逆沢「そうそう。特訓の中身にはほとんど触れられず、ただ作品内の時間をスキップするだけで成長してしまってるという。ゲームの世界でも、ゲーム世界内の時間をスキップするだけで能力がアップする仕様は多いでしょ?」

愛原「そんな面白くもないシーンを長々と続けても、うんざりするだけだしな。まー、人気の無い演出をカットするのは漫画でもゲームでも同じで、しゃあない。」

逆沢「そこが現実とファンタジーの違いなわけよ。盛り上がるシーンなら作品内時間でわずか数十分から数時間のバスケットボールや野球の試合でも単行本何巻分も引っ張るし、盛り上がらないシーンなら、半年近くにも及ぶ日頃のつらい練習シーンもほんの数ページで終わっちゃうし。」

鼎「漫画やゲームの世界では、本当に必要な下積みの苦労の日々が正当に表現されているとは言えないよね。本当においしい所だけを持っていっちゃってるというか。」

愛原「そんな退屈でつまらない部分まで、疑似体験したい奴などいないんだからしゃあない。」

逆沢「そう。それ自体は悪くない。けどゲームの世界で俺SUGEEEEを体感できても、それをリアルの己の本当の実力と勘違いするのは間違いだと言いたい訳よ。ゲームの世界で億万長者になっても、リアルの世界ではとてもそんな金儲けの才はないと。それは環境のせいだけではなくて、もっと根本的にその人自身に才能や素質がないというか。」

愛原「ただ才能や素質はなくとも、努力できる人がいるのは不思議な気がしなくもない。現実世界では怠け者なのに、ゲームの世界では地道なレベル上げ作業などでもしっかり頑張れる人がいるというか・・・。ゲームの世界でも、現実世界ほどじゃなくても、面倒くさい下積み作業はちゃんと存在するにもかかわらず。」

逆沢「あー、それは言えるかも。普段は徹底的に怠け者の落ちこぼれ状態なのに、対戦格闘ゲームをやらせたら全国大会のランキングに載る程の実力の人もいるし、オンラインゲームで凡人プレイヤーを圧倒する水準まで自キャラを育てまくってる人もいるし。そこまでゲーム内で強くなれる程努力できるなら、なんで現実世界でも努力できないんだ?と思える人も世の中には間違いなくいるわね。」

鼎「そういえば以前、面白い話を聞いた事があるよ。学校でも秀才と名高いA君と落第寸前の落ちこぼれ状態であるB君がいて、ある時B君がA君に対して【A君が勉強がすごくできてうらやましい。】と言ったら、A君はB君に対して【B君は努力が足りない。少なくとも俺は毎日3時間は予習復習するようにしている。】とアドバイスしたらしいの。実際にB君は予習復習どころか宿題すらまともにやった事がない有様だったらしいから。で、その二人が一緒にゲームをしてて、A君がB君に対して【B君はこのゲームすごく上手くてうらやましい。】と言ったら、B君はA君に対して【A君は努力が足りない。少なくとも俺は毎日3時間はゲームをやりこんでいる。】と返したらしいって話。」

逆沢「Bは努力の方向が根本的におかしい〜〜〜!!!」

鼎「けどこの差はどこから来るんだろうね。A君は勉強する努力はできて、ゲームもB君をうらやましく感じる程度には上手くなりたいけど、だからといってゲームをそこまでやりこむ気は無い。逆はB君は勉強ができるA君をうらやましく思う割に、勉強する努力は全くしないけど、ゲームが上手くなるような努力だけは続けられる。」

愛原「努力に見合う成果が期待できるだけの才能が信じられるか否かの差だろうな。たとえばスポーツの世界では、一流のアスリートほど練習の虫である事が多いらしい。スポーツ関連の記事でも、一流のアスリートの特集記事には【彼は他のチームメイトが練習を終えても、一人残り練習を続けていた】みたいな事が書かれていたりするだろ?」

逆沢「あの手の記事は提灯記事だから、どこまで信憑性があるかは疑わしいけど、確かにそういう内容の記事は割と見る気がするわね。」

愛原「けどまんざらデタラメでもないと思われる。才能の量と努力の量はやはり比例すると思うんだ。たとえば鈍足の子供が人一倍マラソンや徒競走の練習に打ち込む事はないだろ?」

逆沢「鈍足の子供が少々練習しても、足が早いとみんなからチヤホヤされたり、陸上選手として成長する見込みがほとんどゼロな以上、そんな部分に時間と労力を注力しても無意味だろうしね。それよりはもっと自分が得意な分野に時間と労力を注力した方が絶対に有意義だと思うし。」

愛原「そう。だから逆を言えば、幼い時からマラソンが得意な子供ほど陸上部に所属したり、その分野をさらに鍛え上げようとしたがる。そしてインターハイに出場できるほどのレベルになれば、並の部員の数倍濃い練習をするようにもなる。【人一倍練習するから、人一倍強くなる】という側面もあるだろうが、【元々人一倍強いから、人一倍練習する意欲も沸いてくる】という側面もあると思う。元々理系の科目が強い生徒ほど、理系の勉強がよりはかどるとか、元々運動音痴な生徒ほど、運動以外の得意分野を見つけて、それに労力を注力したがるような感じでだな。」

逆沢「人は自分の得意分野ほど、努力するのに前向きになれるという事かな?」

愛原「苦手教科を克服する努力は苦痛になるけど、得意教科をさらに磨き上げる努力は快感になりやすいような感じかもな。苦手教科の順位を下から10位から下から30位に上げるよりも、得意教科の順位を2位から1位に上げる方が、同じ努力をしても快感につながりやすいというか。」

鼎「苦手教科を克服した方が、トータルの順位は上がりやすいのにね。99点を100点にするよりも、15点を30点にした方が絶対に総合順位は上がるのに、それでも人は得意分野にこだわりたがるのかな?」

逆沢「そりゃそうなんじゃない? 少なくとも私が勉強は苦手だけど陸上でインターハイを目指せるレベルの生徒なら、陸上を捨てて苦手な勉強に注力して何の取り柄もない平凡な生徒になるよりも、勉強は捨てても陸上でトップを狙うわ。」

鼎「つまりB君は、苦手な勉強に注力して平凡な生徒になるよりは、少なくともゲームではドヤ顔できる生徒を目指したという形になるのかな?」

逆沢「単純に承認欲求を満たしたいなら、そういう選択肢もアリだと思うけどね。少なくともB君が中途半端に勉強を頑張っても、元々勉強が得意でしかもその為の努力も怠らないA君に勝てるはずがないし。逆にA君が少々ゲームをやりこむようになっても、元々ゲームが得意でしかもその実力をさらに向上させる努力も怠らないB君がA君に後れを取る可能性もそうないと思うから。」

愛原「元々、才能のある人間に努力までされてしまうと、凡人がそいつに勝つのは極めて困難だからな。」

鼎「つまり人は、何かの成果を期待できる状況程、努力するのに前向きになれるという事かなぁ? 逆をいうと努力しても無駄と予測される時には、努力はしたがらないというか。」

逆沢「努力をする事で、皆からチヤホヤされるのが期待できる時とか、それなりの達成感や満足感が期待できる時とか、それなりの報酬や対価が期待できる時にこそ、人は努力できるという事か?」

愛原「逆を言うと、努力しても、誰からも振り向いてもらえない状況が予想されたり、自分自身が納得いくレベルまで到達できない事が予想されたり、苦労に見合う報酬や対価が期待できない状況の時には、人は努力に前向きになれない。」

鼎「苦手分野の克服は、想像以上に大変だよね。」

愛原「さて話をゲームそのものに戻す。現実世界では努力できない人間でも、それなりに努力できる仕組みがゲームに備わっているとすれば、その理由をちょっと考えてみないか?」

逆沢「努力に見合う成果がゲームではでやすい事が大きいんじゃないの? やっぱり。」

鼎「現実世界だと努力しても無駄という事も多いけど、ゲームの世界では確実な成果が期待できるケースも多いよね。たとえば経験値を一定まで貯めたら、確実にレベルがアップできるとか。」

逆沢「あと失敗しても許されるメリットも捨てがたいわね。一回きりの人生だと失敗したらやり直しがきかない事も多いから、挑戦を躊躇してしまう事も多いけど、ゲームの世界だとデータをロードしたり、最初からプレイし直せば何度でも再チャレンジが可能だし。」

鼎「強い敵に負けても、何度でも挑戦できるのはうれしいよね。間違った選択肢を選んでお気に入りのキャラの好感度が激減して失敗したなと思っても、それも少し前からやり直して選択肢を選び直せばそれで済むし。現実世界だと、その一言が命取りとなって、二度と取り戻せない事も多いのに。」

愛原「逆を言うと、努力の成果が見えにくいゲームは、ゲームとして色々問題があるという事にもなりそうだな。」

逆沢「それは言える。たとえばRPGとかだと、次のレベルアップまでに必要な経験値が視認できるかどうかだけでも全然安心感が違うし。逆にレベルアップのテンポが良いと、モチベーションも上がるし。」

鼎「敵キャラの残存HPが見えるかどうかの差も大きいよね。それがみえない状態で、いつまでも戦闘が長引くとすごく不安になるし。」

逆沢「RPGやSLGと最も相性が悪いのが、アクションやクイズ(パズル)ね。アクション系は下手なプレイヤーだと何度プレイしてもクリアできないから、これの難易度が高すぎると、いつまで経ってもそこから先に進めなくなるというか。クイズ系やパズル系も、あまりに難解だと(攻略本や攻略サイトでもない限り)永久に解けないリスクがあるし。RPGやSLGにアクション要素やクイズ(パズル)要素を混ぜるのは、結構ハイリスクだと思うわ。」

愛原「【努力すれば必ず報われる】というのが疑似体験型のゲームの基本コンセプトであるとするならば、(何度プレイをやり直そうが、時間を費やそうが)努力しても報わない要素をいたずらに混ぜるのは、非常に問題があると思われる。」

逆沢「まぁ、それもリアリティーではあるかも知れないけどねー。努力しても報われない事があるというのは♪」

愛原「ゲームでそんな夢のないリアリティーなんかいらんわ。」

鼎「それだったら、どうせなら努力しなくても報われるゲームの方がもっとプレイヤーを楽にさせてくれるような気もするけど・・・。」

愛原「努力しなくても報われる展開にしても、達成感が味わえないだろう。たとえばお前らは、ゲームをスタートして5秒でラスボスのいる部屋まで移動できて、しかも通常攻撃コマンド1回でラスボスを倒して世界を救ったことになるゲームなんてやりたいか?」

逆沢「それは嫌すぎるわ・・・。面倒くさいゲームは嫌だけど、達成感が味わえる程度には苦労したいというか。努力しなくても誰でも報われるような展開だと、ドヤ顔もできないし♪」

愛原「紙芝居ゲーム型のAVGでも、選択肢が仮に一つも無いと、それなりに味気ないと思う事もあるだろうしな。まぁ費用対効果に見合うレベルのボリュームと内容があればOKではあるけど。」

鼎「ボリュームがあるだけでも、何となく達成感が感じられる事もあるよね。実際にはただボタンをクリックし続けている(ページをめくり続ける)だけでエンディングにたどり着けるような、超一本道ゲームでも。」

愛原「小説本を一冊読んだり、映画館で映画を一本見るだけでも、それなりのエネルギーは使うからな。ボリュームがあるという一点だけでも、それなりに達成感を感じさせるだけの苦労を与える事はできる。もっとも、途中で作品に飽きさせないような演出面での工夫は必要になるが。」

逆沢「つまり出来のいいゲームというのは、達成感が味わえるような工夫があって、あとプレイヤーを途中で飽きさせないような工夫もあるような作品という事かな?」

愛原「CRPGは、その二つが非常に組み合わせやすいゲームシステムになっている。【割と簡単にレベルが上がる→レベルが上がると出来る事が増えたり、より強い敵と戦えるようになったり、新しい場所に移動可能になる】の繰り返しで、常に登るべき山を提示されて燃える展開と、登った後の達成感を味わう展開の繰り返しだからな。」

逆沢「フリゲの場合は、その辺を勘違いしたクソゲもたまにあるけどね。レベルが上がっても上がってもなかなか新展開に発展しなかったりすると、そのうち飽きが来るというか、そういう中身スカスカの仕様のゲームもたまにあるし。」

愛原「いくらレベルを上げても新展開に発展しなければ、努力しても報われるゲームとはいえないからな。そういえば昔、プレイヤーキャラのレベルに応じて、敵のレベルも変わるというゲームもプレイした事があるが、個人的に???という思いになった事がある。苦労して味方をどれだけ強くしたとしても、決して俺SUGEEEできず、常に似たゲーム展開になるゲームというか。逆に低レベルでのクリアに挑戦しても、やはり同じ展開になって全く燃える事の出来ないゲームというか。」

鼎「低レベルのままクリアすればプレイヤーの腕をアピールできるし、高レベルまで育てれば俺SUGEEEを味わえるし、どちらもそれなりに楽しめるのに、プレイヤーのレベルに敵の強さを連動させるシステムにしちゃったら、そういう楽しみが台無しになっちゃうよね。」

愛原「あくまで個人的にだが、何考えてんだ?と思ったわ。そんな所に制作の労力割く余裕があるなら、普通にEASYとかHARDとか難易度設定でもしててくれたらいいのに。」

逆沢「努力に応じた経過や成果を楽しめるのがゲームの醍醐味だとすれば、努力してもしなくても経過や成果が同じだと、それはそれで退屈だしねー。時間をかけてレベルを上げまくっても、あるいは爪に火を灯すように経験値取得を抑えまくるプレイをしても、結局同じ展開だと、それはそれで萎えても仕方ないと思うわ。」

愛原「この努力に応じた成果を肌で体感できる処理というのは、すごく大事だと思う。レベルを上げることで強さを実感できる。知力を高めれば知力系のコマンドがより有効になる。魔法を覚えればその魔法を使うことでより楽しいプレイが可能になる。お金が貯めればより高価な武器を買うことが出来る。領土を拡大すればより国力を増す事が出来る。特定キャラにマメに話しかければそれだけ仲良くなれる。そんな風に。」

鼎「現実世界だと、どれだけ努力してもそれがなかなか実感できない事も多いし、逆効果になる事も多いけど、だからこそゲームの世界では努力がちゃんと実を結ぶ仕様であって欲しいよね。」

愛原「人は本来、努力するのが嫌いな生き物ではない。先のB君の例のように、努力できる対象さえ見つかれば、一円の得にもならないような実にくだらない事でも、人は努力できる生き物である。マラソンランナーがひたすら走り続けられるのも、引きこもりがオンラインで廃人プレイを続けられるのも、本質的には全く同じで、人は努力できる対象にさえ恵まれれば、本来努力はむしろ大好きなくらいなのだ。努力した成果が感じられさえすれば・・・。」

鼎「お気に入りのゲームやキャラクターのレベルが上がる度に快感を感じるようなものだよね。」

逆沢「あるいは対戦ゲームをひたすらやりこむ事で、今までは勝てなかったような他のプレイヤーにもどんどん勝てるようになって、より快感を感じられるようになるようなものね。」

愛原「ただ最近問題になっている課金ゲームの場合、その努力をリアルマネーで代替してしまっている所が問題だ。」

沢「あー、通常なら10時間かける事で能力を強化する機会が与えられるのに、お金を払えばすぐにでも能力を強化する機会が与えられたりするのよね。」

愛原「1人用ゲームなら、まぁ勝手にしろという所だが、他のプレイヤーも参加・対戦可能なゲームで課金要素を加えるのはなんだかなー?と思う。努力がちゃんと報われる所がゲームの醍醐味だとするなら、課金制度はリアルマネーという努力だけではどうにもならないリアルの非情な要素を混ぜる行為に他ならないからだ。」

鼎「ゲームによっては反射神経とか記憶力とか、努力だけで克服できないリアルの才能が必要なジャンルもあるけど、努力どころか才能にも依らないリアルマネーでゲームでの立場が変わるとすれば、すごく残念だよね。」

逆沢「リアルマネーで強弱が左右されるようなゲームなんか、私的にはノーサンキューだわ。まぁ好きな人を止めるつもりまではないけど。」

愛原「もっとも課金制度があろうとなかろうと、対戦ゲームである以上は、努力だけではどうにもならない部分が入ってくるのは仕方ないけどな。世の中には足の速い人とそうでない人がいるように、ゲームが上手い人とそうでない人もいる。この辺は対戦格闘ゲームやアクションゲームやシューティングゲームなどをやらせると、露骨に個人差が出る。ゲームセンターにあるようなレーシングゲームや音感ゲームなどなら、もっと露骨に出る。」

逆沢「まー、それはしゃあない。そこまでいくと本来の意味のシミュレーションにかなり近くなってくるから。シミュレーションゲームではなくシミュレーションそのものにかなり近くなってくるというか。自衛隊とかも、そういうシミュレーション機材置いてるじゃない? 私達シロートが操縦すると、ゲーム以外の何物でも無いんだけど・・・。」

鼎「その点、CRPGなどに代表される一人用のコマンド入力方式のゲームだと、反射神経などがあまり重要視されないから、ルールやパターンさえ理解していれば、誰でも最善と思われる行動が取れるよね。」

愛原「努力と結果が結びつきやすいという意味では、最善のジャンルだな。どんな運動音痴や馬鹿であっても、同じ条件で同じコマンドを選べば、同じような結果が出るからな。プレイヤー個人の才能の入る余地が比較的少ない。」

鼎「プレイヤーが途中で飽きない程度にシナリオや演出が工夫させてれば、誰でも満足いく結果が期待できるジャンルだよね。」

逆沢「リアルとの最大の差ね。リアル社会の場合は、他人との比較が避けられないからその結果、勝てる人とそうでない人で差が出ちゃうし、そうすると誰でも満足いく結果が出るという訳にはいかないから。」

愛原「一人用ゲームでは努力次第で誰でも天下統一できるゲームでも、これを対戦形式にすると話が全然違ってくるからな。当たり前の話だが、誰か一人が天下を取るという事は、それ以外のプレイヤーがみんな途中敗退する事を意味する訳だから。」

鼎「一人用ゲームでは勝てるのに、対戦ゲームにしたら勝てない人というのは、何が勝てる人と比べて劣るのかなぁ?」

愛原「一人用ゲームの場合、対戦相手はCOMの思考ルーチンとなる。そして通常のAIはワンパターンであまり頭も良くない。だからそのゲーム仕様とパターンさえ理解できていれば、その裏をかくことで確実にCOMに勝つ事が出来る。が、対戦相手が人間だとそうはいかない。COMは人間の思考を学習して、さらに裏をかくような真似は基本不可能だが(某棋士を破ったようなCOMなら学習AIを搭載する事で克服可能かも知れないが)、人間は人間の裏をかく事もできるからな。」

逆沢「つまりCOMの場合、ジャンケンではいつもグーを出すと決まっているけど、人間の場合は一度グーを出して負けたなら、次に同じシーンにチョキを出してくる事もある分、より手強いって事ね。」

愛原「前楽天監督の野村克也氏が若い頃のエピソードとしてこんなものがある。野村氏は若手の時からそれなりに知将肌で、相手投手の癖を見抜く能力に長けていて一軍に出て間もない内から大活躍できていたらしい。だがしばらくしてスランプに陥ってしまう。その時に先輩選手から【相手にやられて悔しいと思うのは、自分だけじゃない】という風なアドバイスをもらって感銘を受けたそうだ。つまり野村氏が相手の投手の癖を見抜いて攻略したように、相手チームの投手もまた野村氏の弱点を見つけたり、自分の投法を見直して対策を打ってくる。冷静に考えてみれば当たり前の話だが、自分のことを頭が良いと思い込んでる当時の野村氏は、それまで【自分はちゃんと相手の裏をかいているのに、なんで満足いく結果が出ないのか?】とばかり思い込んで、その当たり前の認識が足りなかったらしい。で、それから相手の癖を見抜くだけでなく、より高度なデータ野球にもこだわりをみせるようになったらしい。」

鼎「自分より頭が悪いと思っていたライバルも、やられっぱなしでいたくないと思える程度に反骨精神がある人なら、ちゃんと対策も打ってくるし、その事をしっかりと認識して、常に向上心を持っていないとダメという事だよね。」

逆沢「COMの思考ルーチンは基本的にプレイヤーにやられても悔しいとも感じないだろうし、成長もしないから、いつも同じパターンでプレイヤーに負け続けるけど、人間は常に成長する。こちらが裏をかくのに成功すれば、相手もさらにその裏をかこうとする。この差が大きい訳ね。」

愛原「だから努力すればそれなりに結果が出る一人用ゲームと異なり、対戦ゲームやリアル社会の場合は、こちらがいくら努力しても、相手がそれ以上に努力したり才能が上だと、やっぱり勝てないという事がまま起きる。一人用ゲームでは誰でも努力次第で天下も取れるし、ヒロインもゲットできるが、現実世界では同時に天下を取れるのも同じヒロインをゲットできるのも、一人だけなのだ。」

逆沢「分かってはいるけど、現実は厳しいわ。」

鼎「それでクラスのみんな全員に勉強しろ運動しろと言っても、思うようにならないんだよね。みんなが横並びで努力して勉強し続けても、みんなが1位になる事は絶対ないし、誰かはクラスでビリにはならざるも得ないし、つまりみんなが同じ量だけ努力しても、その努力が報われる人と、全く報われない人が両方出るのが現実社会だから。」

愛原「そう。努力が必ずしも良い結果につながらない無情な一面があるのが現実社会だ。だからこそゲームの世界くらいは、努力がちゃんと報われるような世界であって欲しいと俺は思うわけだ。それを青臭いとか、ご都合主義とか、リアリティーがないと笑うのではなく、それなりに前向きに経過・結果として反映される世界観であって欲しいと考える。あまりに荒唐無稽すぎるとさすがにしらけるけど、夢も希望もない展開しかないなら、わざわざゲームをやる意味もないから。」

逆沢「だからやり方次第で誰でも天下を取れたり、無双できたり、ヒロインをゲットできたりするようなゲームの方がいいと。」

愛原「さすがにゲームを始めて何も考えずとも5分でクリアできるのは困るが、適度に苦労しながらも、飽きるよりも先に達成感(努力の結果)が小刻みに感じられるような工夫のある作品なら、佳作といえるんじゃないかな?」













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