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愛原様のたわごと(13年12月23日)






愛原「おそらくは今年最後のたわごとコーナーになるだろうという事で、今回はちょっとディープなテーマをやってみたいと思う。」

逆沢「ディープな話ねー? またいつものように、話がどんどんそれてしまう予感だけがしてならないけど。」

鼎「で、何のテーマかな? いつもより深くなりそうなら、話がどんどんそれちゃう前にテーマ名をあげちゃった方が無難なような気もするけど。」

愛原「今回のテーマは【身分制度】だ。たとえば多くの武将キャラクターが登場して、彼らが活躍する形式の登場国盗りSLGでは、身分制を採用しているゲームとそうでないゲームがあるわな?」

逆沢「あー、足軽頭とか言われるのが一番身分の低い武将で、出世していくにつれて家老とか城主になっていくゲームとかか?」

鼎「三国志シリーズとてかでは、○○将軍みたいな官職を部下に与えられて、その官職の地位の高さに比例して、率いられる最大兵士数が変わったりするよね。」

愛原「しかしその一方で、特に古いゲームになる程、身分制の概念が全くないゲームも多くあるわな。」

逆沢「ゲームを作る側の視点でいえば、身分制システムなんてのは、より複雑な概念でしかないからねー。身分制システムを取り入れるという事は、身分による違いをゲーム内で体感できるように演出しないと全然面白くならないし。」

愛原「そう。身分制というのは【人間ごとの格の違い】を公認する制度そのものだ。俺とあいつは違う。だから俺とあいつでは待遇が違うのは当然だ。これを社会全体で公認するのが身分制度の基本的な役割とも言える。」

鼎「現代的な感覚で言うと、身分制度というのは差別そのものだよね。そういえばこの前、国際的レベルでその死を惜しまれた南アフリカ共和国のマンデラ大統領も、確か悪名高いアパルトヘイトをやめさせる為に戦い続け、大きな成果を上げた事で、世界的な賞賛を得てたよね。」

逆沢「【人類は皆、平等】という価値観が当然となった現代。けど昔は全くそうじゃなかったんだと、歴史ドラマを見たり歴史SLGをプレイしたりするとやっぱり感じさせなくもないわね。」

愛原「さて、では仮に身分制度が無い場合と有る場合で、どう差が出るか? 国盗りSLGを例にとって考えてみよう。」

逆沢「なんで国盗りSLGを例に取る必要があるのか、全く訳分からないんだけど。」

愛原「ウチ向きのテーマだし、分かりやすいからだ。さて、とりあえず各武将間における身分格差が全く存在しないタイプの国盗りSLGゲームの場合、お前がプレイヤーならどういう武将の起用をする?」

逆沢「そりゃあ能力重視!! 適性に応じた人材起用!!

鼎「なんか若いベンチャー企業の経営者が自信たっぷりにうたい文句にしそうなスローガンだよね。」

愛原「ビジネス関係のノウハウ本で、しょっちゅう見る理想の人事像そのものでもあるな。」

逆沢「でも正論じゃない? 戦闘関係のパラメータが高い者にはガンガン戦闘に出てもらう。内政関係のパラメータが高い者にはどんどん内政をやらせる。私に限らず、ほぼ100%のプレイヤーがそう考えてると思うんだけど。それとも何? 各人材のパラメータを無視して、適当に役割を割り振れとでも言うの?」

愛原「まぁ正論そのものであるな。じゃあ次に質問。そういう分かりやすいゲームスタイルのゲームに、身分制度が加算されたらどう思う? 身分が高い人材ほど、多くの兵力を動員できたり、重要な主命を与える事ができるようになる。その代わり身分が高い人材には、より多くの報酬を払わなければならない。みたいなゲームスタイル。」

逆沢「うーん。一ゲームプレイヤーの立場からすると、考慮する要素が増えた分、ややこしくはなったけど、まぁアリなんじゃない? 優秀な人材により重要な主命を任し、より多くの報酬も与えるというのは、現実世界でも一つの理想像だし、リアリティーも深まるし。」

鼎「それでかな? 昔は身分制度があいまいなゲームばかりだったけど、最近は身分制度もシステムとして取り入れたゲームも増えた感じがするのは。」

愛原「ではさらに質問。身分制度が硬直化したゲームについてはどう思う? たとえば一度上げた身分は容易に下げる事ができない。低い身分の人物を出世させたければ、それなりの功績値なり勲功値をあげなくてはならない。そんなシステムのゲーム。」

鼎「身分制度を採用しているゲームは、大抵そういうシステムになっているよね。どれだけ能力値が優秀な人物でも、登場した時の身分が低かった場合は、いきなり昇進させてあげる事もできず、地道な下働きをさせ続ける必要があるゲームというか。」

逆沢「まぁ面倒くさいと思う事はあるわね。本当はすぐにでも幹部待遇にしてあげたいのに、勲功が足りないからそれもできない。そして大きな勲功を稼ぎたくても、身分が低いと重要な任務も任せられないから、勲功もなかなか貯まらない。そんな悪循環のゲーム。」

愛原「でもリアリティーを追求すれば、それもやむを得なくなるんだけどな。一契約社員が億単位の大きな商談を託される事など無いし、そういう大きな仕事を任せられる機会が無ければ、一気に大きな業績を上げる事もできない。レジ打ちや品出しばかりやっているパート社員がどれだけ汗水垂らしても、それで東京本社にいる社長や幹部の目にとまる事も無く、彼らに抜擢される事も無い。仮にそいつが億単位の商談を託せる程、優秀な人材であっても、身分が地方支店のパートでは、短期間でそこまで出世するのは激しく困難なようなものというか・・・。」

逆沢「ムカつくけど、それも一つのリアリティーなのよねー。」

鼎「リアリティーといえば、もう一つ。どれだけダメな人材であっても、その人を容易に降格できないとか、容易に解雇できないゲームもあるよね。」

愛原「ゲームによっては、そもそも解雇コマンドも降格コマンドも、はじめから登場しないゲームすらあるからな。」

逆沢「いかにも使えない無能武将が、高い身分で居座っていると、イラッとする時があるわ。なんでこんな無能に高い報酬払わねばならないのか?とか。まぁそれでも我慢して、窓際に放置してはおくけど。」

愛原「なんで窓際に放置しておくんだ?」

逆沢「だって解雇も降格もできないゲームなら、嫌でも置いておくしかないし。解雇コマンドがあるゲームでも、そういうコマンドを使用したら何らかのペナルティー(他の人材の忠誠パラメータが下がるとか)があるパターンがほとんどだし。それに飼い殺しにしておいても、自勢力が拡大していくに連れて、その無能幹部に払う高報酬も、どんどん誤差の範囲になってくからね〜。」

愛原「なんか高度成長期から昭和末期にかけての大企業の発想そのものだな。不良債権化した老齢の幹部が多くいて、こいつら邪魔だなぁと思っても、下手に事を荒立てたくもないし、無理に人件費を削減しなくても何とかなるだけの利益も出てるから、今まで通りの待遇で定年まで置いておくかみたいな感じで。」

鼎「国盗りSLGでは、一度右上がり状態になると、ゲームクリアまで右上がり一直線な事も多いよね。より優秀な人材がどんどん仲間になって、不良債権化する部下の数も増えていくけど、それ以上のペースで自勢力が拡大していくから、実際には誰一人解雇しなくても、経営は常に順調であり続けるパターンばかりというか。」

逆沢「その辺はリアルと真逆ね。現実世界だと、一度は業界日本一になった企業が数年後に大きく没落する例も珍しくないし。まぁ右上がりが永遠に続くゲームの世界がファンタジーすぎるといえば、その通りなんだけど。」

鼎「業績が多く落ち込んだりすると、今までの報酬を維持する事も当然困難になるから、それで不良債権化した社員から、順番にリストラされる例も多いよね。現実世界だと。」

逆沢「普通にゲームしてたら、突然右下がりになる事など全くないから気にも留めなかったけど、もしもそうなったら、無能なくせに身分だけは高い人物は、一番にリストラ対象になるわね。そう考えたらやっぱり解雇コマンドや降格コマンドも欲しいわ。」

愛原「解雇コマンドも降格コマンドも登場しないゲームも多いが、それは絶対に経営が右下がりにならないという大前提があってこそ成り立つ理屈でしかないからなぁ。」

逆沢「一度昇進したら容易に降格不能な年功序列型出世システムというのは、社会が永遠に右上がりであり続けるという大前提があってこそ、上手く機能するものなのかも知れないわね。」

愛原「業績が右下がりとまではいかなくても横ばいであった場合、身分が下の者を昇進させたければ、上の者に退職してもらうか降格してもらうしかない。誰かを店長に昇進させたければ、今まで店長だった者をどこか別の所に配属するか、降格・退社処分にするしかないようなものだな(もちろんその元店長もさらに幹部として昇進するケースも多いが、その場合は別の幹部がところてん式に押し出されて割を食うだけ)。身分制度をリアルで再現しようとした場合、各身分ごとに定員を設定さぜるを得ない。」

鼎「そういえば、ファンタジーRPGでおなじみの中世ヨーロッパの貴族階級でも、無制限に身分を継承できるとは限らなかったそうだよね。後継者になり損ねた次男坊以下とか女の子などは、上手く別の貴族の養子に入ったり、他の貴族のお嫁さんになったりしないと、なかなか生活水準を維持できなかったというか。」

逆沢「そういえば貴族の次男坊とかが身分を捨てて気ままな冒険者やってる作品とかもあるようだけど、あれは厳密に言えば、身分を捨てたのではなく、身分を捨てざるを得なくなったという方が正しいという事か?」

愛原「日本でも似たような事は無くもないらしい。たとえば徳川第11代将軍徳川家斉は53人もの子供を作った事で有名だが、当然の話ながら53人もの子供全員に将軍の嗣子としての待遇を将来にわたって保証するのは極めて困難であり、そのため、他大名家等に対して無茶な程の養子押し込みなどもしまくったようだ。それでも財政面は改善する所までいかず、相当頭の痛い事態になったらしい。一説によると、明治に入っても徳川宗家はこの時の面倒にまだ振り回されていたとかなんとか。」

逆沢「身分の高い人の子供なら、自動的に高い身分が永久保証されるという訳でもなかったって事ね。」

愛原「身分の高い人を維持するには、それなりのコストがかかるからなぁ。増えすぎないように適度に間引くなり、ところてん式に別の誰かを押し出すなりして、定員オーバーにならないように配慮せざるを得なかったという事だろう。現代社会でもそれは同じで、平社員の数よりも高コストの幹部の数が多くなったら、その職場は相当ヤバいとみていい。」

鼎「日本の警察は、数十年前と比べて警部補の数がとんでもなく増えすぎて、ロクに部下もない警部補もその分だけ増えているらしいけど・・・。」

愛原「手足となって動いてくれる部下の数が足りないと捜査力は落ちる。幹部比率が高くなると人件費も無駄に高くつきやすいが、消費税も上がるようだし、所詮は税金でまかなえる身だから、高コスト体質なのはいい・・・のかな・・・・?」

逆沢「とりあえず無能な上司だけでもさっさと辞めてもらえば助かるんだけどねー。とりあえず定員オーバーになる前に。」

鼎「でも現実には、組織が傾き出すと、優秀な人材から先に辞めていく事も多いそうだよね。優秀な人材はヨソからもヘッドハンティングされやすいし、傾いた泥船にしがみつかなくても機敏に判断する能力もあるだろうから。」

逆沢「分かる分かる。組織が健在であろうとなかろうと、ダメな人間ほど、今の職場にしがみつきたがる傾向もあるらしいしね。」

愛原「身分制度についても、全般としては似た傾向があるようではある。日本でも明治維新で武士階級が事実上解体されたが(士族階級は名誉称号的な意味での価値はあっても、彼らの経済や生活水準を保証する質のものではなかった)、これに強い不満を持って不穏分子化したのは、大体本人が納得できる職にありつけなかった者や浪人ばかりだからな。すばしっこい者は今ある資産を元に商売を始めたり、さっさと新政府側についてすぐさま要職に抜擢されたりしたようだから。」

逆沢「貴族特権を廃止されてもちゃんと生きていける能力の持ち主ならそれほどの不満は抱かないけど、特権ありきの人程、いつまでも特権にしがみつきたがるって事ね。無能ほど、身分制度にこだわりたがると言うか。」

鼎「身分ごとに定員が決まっているなら、せめて優秀な人に残ってもらいたいのに、逆にそうでない人ばかり残ったらそれも悲惨だよね。」

逆沢「でも銀英伝の世界で登場する貴族連合がどうしようもない馬鹿ぞろいな理由も、少しだけ分かった気がするわ。要するに馬鹿だから、時代の変化を素早く読み取って機敏に対応する事もできないし、特権を廃止されても困るから改革者に抵抗する事しかできなかったと。」

愛原「もっともゲームの世界の場合は、プレイヤーは神の視点で人材を選べるから、自陣営に残したい人材とそうでない人材を自分好みでより分ける事ができるけどな。」

逆沢「それだったら、やっぱり無能な人材から切り捨てて、有能な人材を残すわね。」

愛原「その意味でかなりえげつないシステムのゲームも過去にあったぞ。たとえばかつて【チンギスハーン蒼き狼と白き牝鹿W】とか【太閤立志伝(初代)】というゲームをプレイした事があったが、これらのゲームの場合、システムの都合で、ゲーム内で一度に登場できる武将の数に上限があったんだ。つまり既に登場している武将の数が減らないと、新たな武将が永遠に補充させる事のないゲームシステムというか。で、期待できる優秀な人物が登場可能な年度を過ぎても一向に登場しない。こういう場合、プレイヤーはどういう選択をすると思う?」

逆沢「あはは。無能な武将には死んでもらうしかないわね。登場武将の席数に上限がある以上、有能な武将に登場してもらうには、誰かを消すしかない訳だから。」

愛原「その通り。無能な武将から順番に大量粛清されていくのだ。ま、もちろんそういうのが嫌いなプレイヤーなら、優秀な未登場武将の登場を諦めて、プレイを続ける選択肢もアリだけどな。」

鼎「無能と言うだけで、すごくひどい扱いされちゃうんだね・・・。」

逆沢「まぁ、しゃあない。無能と有能のどちらかだけしか選べないなら、無能な方を切り捨てざるを得ないし。まぁ実力主義って奴ね。そういう意味では、身分制度がないゲームの方がまだプレイしやすいわ。有能な人材をゲームスタート時からフルに使えるし。もっと有能な人材が登場して、そいつが二軍行きになっても、気兼ねなくすっぱり窓際に送れるし。」

愛原「身分制度のない社会ほど、実力主義が加速するという側面もありそうだな。」

逆沢「そりゃ、しゃあない。機会の平等が同じであれば、より高い成果を見込める人物を重用したいし、その結果、結果の不平等が起きてもそれはやむを得ないと思うんだわ。」

愛原「うーん。この世でたった一つの差別を除いて全ての差別が無くなるとすれば、その最後に残る差別は能力差別という事なのかも知れんなぁ。」

逆沢「差別じゃなくて区別よ。誰だって無能に仕事を任せたくないでしょ。無能に政治を任せても、無能に経営を任せても、社会にとって不幸な結果しかもたらさないだろうし。」

鼎「差別じゃなくて区別という論法は、差別主義者が最も好む論法だから、私はやめた方がいいと思うけど・・・。」

逆沢「こりゃ失礼。その発言に関しては撤回するわ。けど現実問題としてそうなんじゃない? 【人類は皆、平等】というかいわゆる機会の平等が徹底的に保障された公平な社会が実現したならば、人間の価値は能力や実力(や外見など)で決まる。同条件の教育を受けた結果、最も足の早い人間が陸上選手としてみんなの代表になって、優秀な成績を収めた者から順に一流の大学に進学し、素晴らしい能力を発揮した者ほど順調に出世したり賞賛される。逆を言えば人並み以上の教育機会を与えられたにもかかわらず、落ちこぼれた人間はそれなりの待遇しかされなくても仕方ないみたいな感じ?」

鼎「そう考えると、平等社会は、才の無い人にとってはすごく息苦しい社会だよね。社会全体が不平等な場合は、自分が落ちこぼれても【特権階級の連中が枠を独占しているせいで俺は成功できないんだ】とか【俺にもあいつ並に生まれた環境に恵まれていたなら、きっとそれ以上にはなれていたはず】とか、色々自分に言い訳できるけど、平等社会だと言い訳できないもん。他人に馬鹿にされても、実際に出来が悪いんだから、反論すらできないというか。」

愛原「あと制度上の身分格差を撤廃しても、それで正しく平等が実現するかという問題もある。たとえば学校という組織では、入学時においてはどの生徒も平等な条件でスタートするわけだが、それでもいつの間にかスクールカーストみたいなものが出来てしまっている事も珍しくない。」

逆沢「あー、スクールカーストね〜。あれ、なんで出来るのかね〜?」

鼎「カースト制自体は世界的に有名な身分差別制度の一つだけど、平等でスタートしたはずの学校の中でカースト制が自然にできあがるとしたら、すごく不思議な話だよね。」

逆沢「まー、組織が組織として機能するためには、リーダー(まとめ役)が不可欠らしいから、そういう役割分担の過程でできあがるのかも知れないけどねー。この人は統率力があるからリーダー。この人は助言能力が高いから参謀。この人は勇気と行動力があるから斬込み隊長。この人は私欲が無くいかなる脅しにも屈しない真面目な性格だから経理もしくは法務担当。この人は人付き合いは苦手だけど探求力や開発力があるから研究員もしくは開発員。この人は口がうまいから営業。この人はパシリに向いてるからパシリみたいな感じで。」

愛原「役割身分は本来、別物だ。だが命令系統を整備していく過程で、役割に身分が付随してくる事も多い。たとえば管理職の役割は人材管理そのものだが、管理職を管理対象より高い身分においた方が管理しやすくなるという理由で、管理職に高い身分が付いてくるような感じでな。」

鼎「とするといくら一芸に秀でていても、人を統率する能力が無いと、なかなか高い身分にはなれないって事かなぁ?」

愛原「一会社員(研究職)の身でノーベル賞を取った田中耕一さんのように、能力が飛び抜けていれば十分可能であるが、相対的にはやはり難しい。たとえば有志が集まってゲーム会社を立ち上げたとして、原画家や音屋がトップになるパターンはやはり少ない。どちらかというと企画・プロデューサー・監督といった役割を担う者が、みんなのまとめ役になる方がはるかに多い。次の多いのはシナリオ担当のようだが、シナリオ担当がトップに立った場合は、自然と企画プロデューサーも兼任する形にもなってしまうようだしな。無論、原画家や音屋が価値的に格下だと言ってる訳じゃ無いぞ。原画家の人気で売れてる作品とかも多いし・・・。ただいくら原画家の人気で売れていたとしても、だからといって原画家をトップにするのは、(特にその原画家に企画屋やリーダーを兼任する能力が無い場合は)組織全体を円滑に進めていく上で、負担が多いんだ。」

逆沢「ま、いくら絵が上手く描けるからと言って、それだけで仲間に手際よく仕事をさせられるとは限らないからねー。ま、当然といっちゃ当然か?」

鼎「そういえばプログラマーがトップを兼任するケースも、あまりみられない気がするよね。プログラマーはゲームを作る上で心臓と言ってもいいくらい大事な役割なのに。」

逆沢「偏見バリバリの物言いになるけど、プログラマーってなんかコミュ障タイプが多そうな気もするわ。職人気質というか。原画家や音屋も、コミュニケーション能力よりも本人の腕が重く重視されるという意味では、職人寄りね。」

愛原「とまぁこんな感じで、平等な世の中であっても、人は自然と役割分担されていく。我々がゲームをプレイしている内に、このキャラは内政屋、このキャラは戦争屋、このキャラは城主、このキャラは後方から金・米を運ぶパシリみたいな感じでどんどん役割をより分けていくように。」

鼎「学校のスクールカーストも、そういう感じでできちゃうのかな?  この人は委員長向き。この人は風紀委員向き。この人は体育委員向きみたいな感じで。」

愛原「まぁ、それでもスクールカーストは(少なくともイジメを生み出すような状況に汚染されていない限りは)身分よりは役割に近い性質を有しているはずだけどな。そいつが委員長に任命されたのも、みんなの推薦があっての事だし、そいつに力があると思われたからこそ、そいつに役割を任せられただけの話に過ぎない。逆を言えば、自分の能力が上昇したり、ライバルの能力が低下すれば、与えられる役割が逆転する事も珍しくない。それ自体は健全だろ?」

逆沢「でも、学校や会社でも、たまに明らかに場違いの人間が要職に就いている時があるでしょ? あれ、すごく不思議なんだけど?」

愛原「まぁ多少の場違いはどこにでもあるだろうけど、それがあまりに顕著であるとすれば、その原因の大半は派閥縁故がらみだろうな。」

逆沢「派閥や縁故か? そういえば特定の生徒会幹部が、自分の政治力を高める為に、自分の部活の人間ばかりを役員に推薦して固める例とか、聞いた事があるわ。で、生徒会の多数派を抑えて、部の予算をほとんど丸取りしてしまうとか。」

鼎「政治の世界でも、お友達ばかりで内閣を固めたり、与党系の議員だけで重要な委員会の委員長の席を独占したりする例も多いらしいよね。能力よりも自分の地位を守る事を優先するというか。」

愛原「そういう悪しき例が先行した時、単なる役割が身分制度に変化しちゃうんだろうな。民衆はその人の能力を評価してその人を新しいリーダーに押し上げたのに、そのリーダーは自分の地位を永遠にする為に後継者を一方的に定めて、ついでに自分の気に入った人間だけで要職を固めてしまう。かつて能力を評価されて貴族になったはずの者が、それを固定する事を望んだ結果、明らかに能力不足のバカ息子が貴族の地位を継承するような例も出てきてしまう。」

逆沢「それ、どこかの北○鮮か?」

鼎「北○鮮も、人類皆平等の夢からスタートして大きな理想を掲げた割に、いつの間にか世襲で身分を固定するような、真逆の体制になっちゃった感じがするよね。」

愛原「そういえば【人類皆平等】路線に抵抗するいわゆるレイシスト(差別主義者)について、面白い話を聞いた事がある。従来はいわゆる貴族階級の人達が自分達の特権を維持する為に平等社会に反対(抵抗)していたが、ここ十数年ではいわゆる最下層の人の中にも少なからずの差別主義者が現れるようになったと。」

逆沢「は? 最下層ならなおのこと、平等に強いあこがれを持つものなんじゃないの? というか千年以上続く人類の歴史も、ほぼ間違いなく下の身分の者がより拡充された権利を求めて抵抗し続けた結果、今の【人類皆平等】路線が世界の常識になった訳だし。」

愛原「それが違うようなのだ。ドイツのネオナチなどに関する特集で、その点について触れられていたのだが。」

鼎「ネオナチというと、日本で言うネトウヨのようなもの?」

愛原「まぁ過激な右傾思想と排外思想と差別主義を併せ持ち、かつそんな自分を偉いと思い込んでいるという点では、かなり酷似しているかも知れんな。あとネオナチの多くは経済的な成功などに失敗した社会的弱者が主要な層を締めているそうだが、日本もその傾向がみられるかも知れん。」

逆沢「そういう人なら、なおの事、平等に強いあこがれを持って当然だと思うのに、何で逆に差別路線に走るんだ?」

愛原「ネオナチは統計的には東ドイツ出身の人の方がずっと多いらしい。彼らは(親の代以前も含めて)タテマエ上平等を謳う東ドイツでも大した出世が出来ず、じゃあ実力主義がモノをいう西ドイツ型の資本主義国家に組み込まれて【今度こそ頑張れば報われる世の中のはず。これで生活が良くなるぞ】と思ったら、そこでもやっぱり成功できず、そしてそういう人達を中心にネオナチは構成されているというか。」

逆沢「考えてみれば、共産主義も資本主義も、どちらも割と実力主義なのよねー。共産主義は(あくまでタテマエ上だが)平等社会という事になっていて、実力さえあれば出世できる事になっている。しかしそこでは出世できなかった。次に資本主義国家に組み込まれて、今度こそ実力さえあれば成功できる。自分なら絶対に出世できると思ったけど、やっぱり成功できなかった。で、そういう人がネオナチに走ってると。」

愛原「酷薄な言い方をすれば、自分に実力が無い事を思い知らされて、実力が正当に評価される(とされる)世の中にうんざりしたのかも知れん。まぁ本人に自覚症状はないだろうけど。」

鼎「じゃあ逆に言うと、実力がない人にとって最も都合のいい世の中はどんな感じになるのかな?」

逆沢「ゲーム的に言えば、どうみても無能同然のパラメータしかない奴でも好待遇でい続けられる世の中って事か? そんなのちょっと考えられないわ。」

愛原「相対的に言えば、やはり身分制度がある状態の方が望ましいんだろうな。もちろん高身分でスタートできるに超した事はないが、低身分でスタートする羽目になったとしても、身分制度を自分が成功できない言い訳の材料に使えるという意味では。」

鼎「ただ最近の差別主義者は、本当の意味の特権階級を非難する方向ではなく、むしろ自分より下層を作り出して見下したがる感じもするけど・・・。」

愛原「本当の意味の特権階級を叩くと、格差も縮まってより平等社会になってしまうからなぁ。そういうのが嫌なんじゃないか? ああ、そういえば下層でも実は二種類あるそうだぞ。一つは努力する下層。もう一つは怠慢な下層。努力する下層は自分が這い上がるチャンスを能動的に広げる為に、まず機会(権利)と主導権の範囲を広げようとする。逆に怠慢な下層は、とにかく誰か(基本的には強い者や権威など)に依存する。一例を出すと自分が3人中3位だった場合、努力タイプなら2位と組んで1位を倒そうとする。そうでないタイプなら1位と組んで2位を蹴り落とそうとしたがるそうだ。なぜなら2位と組んだ場合、2位単独では1位には勝てない為、自分も積極的に戦いに身を投じないとならなくなるが、その代わり2位も自分一人では1位に勝てないのは分かっている為、3位の主張に譲歩を余儀なくされる。つまり実力さえあれば、3位である自分が主導権を握って1位との戦いを進める事が出来る。うまくやれば1位を倒して自分が1位になる事も出来る。一方、1位と組んだ場合は、自分が1位になれる可能性はなくなるが、その代わり2位が1位に潰されればその時点で自分が何もしなくても自動的に2位になれる可能性が生じる。1位からみれば3位の手を借りなくても単独で2位を倒せる為、3位を重用する必要は全くないし(むしろ余計な介入を嫌う)、3位は1位の言いなりにならざるを得なくもなるが、誰かの言いなりになるのが苦痛にならず、かつとりあえず自分が何も努力しなくても誰かを見下したい人には都合がいい(この場合は、1位の虎の威を借りて本当は自分より上位である2位を見下す形になる)。

逆沢「つまり自分の才能を信じられる人なら上に挑む形で成り上がろうとするけど、そうでない人は上に媚びて、その権力の笠の下でその対立者を見下して安心しようとする訳ね。」

愛原「社会的弱者の全てが、平等にあこがれる時代ではなくなったという事だろう。むしろ社会的強者に媚びて彼らの特権的地位を支持する事で彼らの歓心を買い、そのおこぼれに預かろうと画策する人が、現代では少なからずいるのかも知れない。今の時代は、【努力すれば必ず報われる】と認識するのが極めて困難というか、昔と比べると自分の才能の限界を嫌でも認識させられてしまいやすい部分もあるからな。」

逆沢「ま、人並み以上の経済環境や教育環境にありながら激しく落ちこぼれたりしようものなら、嫌でも自分の実力の限界を思い知らされるからねー。貧しくて人並みの教育も受けられなかったとかなら理由も分かるけど、そうじゃないから誰も擁護できないし。いやあ、平等な世の中の残酷な一面を見た気がするわ。」

鼎「でも、機会の平等がもたらす利益はやっぱり大きいよ。機会の平等が高度に認められている世の中だからこそ、私達は地位・身分を問わずに自由に発言する事もできるし、インターネットも見放題だし。それに日本では学校で少々落ちこぼれても、余程素行が悪いとか出席日数が足りないのでもない限りは普通に卒業証書をもらえる高校や大学も多いから、その後の就職や進学のチャンスも割と広く用意されてる感じだし。」

愛原「右翼団体の街宣車デモやヘイトスピーチデモを見てると、欧米でもあり得ないレベルで発言の自由全開だなと苦笑したくもなるが、まぁ非常にリベラルではあるわな。今の日本は。」

逆沢「でもなぜかネトウヨはリベラルに批判的だけどね〜。彼らは二重基準が多すぎて色々訳分からんわ。自分達はリベラル社会の恩恵をまともに受けて相手を口汚く罵る程、フリーダムなのに、相手がそれをするのは許せないとか。」

愛原「冒頭に触れたが、身分制度というのは【俺とお前は違う】を社会システムとして公認した制度だ。要するに二重基準を公認した制度でもあり、差別主義者と身分制度は本来すごく相性がいい。俺はダブルスタンダードに対して激しく嫌悪感を持つ程度には平等志向なので彼らの思惑を察するのは苦手だが・・・。」

鼎「どうして違いを強調したがるのかな? 何か問題が起こるとその度に色んな対立軸を持ち出す人がいるよね。あれは団塊世代だからとか、きっと中国人か朝鮮人の仕業に違いないとか、低学歴とか特定職業従事者を頭から見下したりとか。」

愛原「以前、関西で不祥事が起きる度にいちいち【これだから関西人は】とか【関西だしきっと在日の血が流れているに違いない】みたいな口調で罵る一方で、サッカーの香川選手や本田選手や野球のダルビッシュ当主や田中投手らが大活躍した際には【同じ日本人として誇らしい】と言った人をネットで見つけたんだが、???と思った。香川選手も本田選手もダルビッシュ当主も田中投手も、日本人である前に関西人なんだが・・・。」

逆沢「つまりその人の頭の中では、素晴らしい活躍をした人は自分と同じグループ。逆に非難される行動をした人は自分と異なるグループになるんじゃないの? 多分、(イラク人との混血である)ダルビッシュ投手が不祥事起こしたら、その瞬間から彼は日本人扱いされなくなると思うわ。その人の頭の中では。」

鼎「良いことをしても悪い事をしても、それはその人個人の問題だと思うけど、なんで彼らは人をわざわざ区分したがるのかなぁ? 別に日本人の誰かが活躍しても、別に落ちこぼれやニートしてる日本人の評価までが上がる訳でもないのに。」

愛原「そこが平等社会との違いだな。平等社会では個人が優先される為、あいつが優秀だからと言って、自分が優秀という事にはならない。一方、身分や枠によって人間が分断されている社会・・・たとえばアパルトヘイトが公然として認められている社会では、白人というだけで彼らは黒人よりも立派という扱いになる。白人の中で誰かが素晴らしい働きすれば、【やっぱり白人は素晴らしい】という事になって白人全員の功績にされる。逆に黒人の誰かが問題を起こせば【やっぱり黒人はロクなもんじゃない】と迫害の根拠にされる。もちろん悪い白人もいれば素晴らしい黒人もいるが、そういう部分はあらかじめ印象づけられた【素晴らしい白人】と【ロクなもんじゃない黒人】像によって強制的に塗りつぶされる。」

鼎「それでかなぁ? ノンポリの人やリベラルの人は【人は人、自分は自分】と考えがちというか、大体個人主義的だけど、差別主義者は割と全体主義だよね。群れたがったり、権威を盾に持論を展開したり、ひどい場合はコピペやリツイートだらけの引用で持論を補強する人達もいるようだし。」

愛原「まぁ【俺たちの麻生!】みたいな権威やシンボルを盾にした盛り上がりは、ノンポリやリベラルにはまず見られないわな。」

鼎「あと彼らは、連帯責任的論法が好きだよね。別に自分が偉い訳でもないのに、自分の応援する人が成功したら、それを支持した自分も偉いと言わんばかりに鼻高々になるし、逆に敵対陣営の中で誰かが問題を起こしたら、それを強引にその枠全体の体質の問題にしたがる人も多そうだし。」

愛原「まさしく全体主義的発想そのものだな。だが全体主義や連帯責任は、個人の無能を隠す上では極めて効果的だからな。上の方で縁故や派閥が組織を腐敗させるという話を少ししたが、出来の悪い人間が生き残る事を考えれば、縁故や派閥は有用な気がしなくもない。自分自身が無能であっても、組織全体として勝ち組であれば、自分自身もその恩恵を受けることができるから。」

逆沢「なるほど。いわゆる最下層の人達が、必ずしも平等を志向しないカラクリが見えてきた気がするわ。自分に普通以上の実力があれば、平等な世の中の方が都合がいいけど、普通を大きく下回る能力しかない場合は、差別社会や全体主義社会の方が自分の無能が隠れる分だけ、都合がいいという訳ね。」

愛原「今の日本は、ゲームの世界ほどでは無くても、結構個人の能力値が丸見えだからなぁ。隠したい人もいるだろうに・・・。」

鼎「私は、身分制度にも反対だけど、能力がない人は切り捨てられても構わないという世の中も反対かな? 結果の平等までは言わないけど、一定のセーフティーネットは欲しいというか。」

愛原「ただ、現在はいわゆる生活保護を含めたセーフティーネットに強い嫌悪感を持つ人が増えている。元々恵まれた人だけではなく、いわゆる落ちこぼれ層の中にもネオナチ的な価値観の持ち主が増えているというか。」

逆沢「【あわれな私にお恵みを!】というのが恥ずかしくて、それで【あいつはクソだ。クソどもから職と財産を奪って俺に寄こせ!】路線の人が増えてるんじゃないの? えせ実力主義者というか。ネットでもやたら自分を大きく見せたり、賢こぶったり、上から目線の人、多いじゃない? 自分には実力があるとか、自分は正論であるという前提で話を進めて、他人を蹴落として自分が恩恵にあずかろうとする人が増えているというか。」

鼎「昔の貴族階級の人も、【自分達が政治をやってるから、世の中が上手く回っているんだ】的な上から目線で差別を正当化して、平民を支配している人が多かったそうだけど、それと同じ考え方だよね。」

愛原「極めて醜悪な自己正当化手法だな。差別主義は、人間の心の最も醜い部分から生まれ出るものなのかも知れない。」

鼎「でも世の中は確実に非差別主義に向かい続けてはいるし、ゲームの世界でもヒールはいつも差別主義者の方だよね。」

愛原「職務上もしくは役割的に、暫定的な上下関係が発生するのはやむを得ないが、それを人間としての価値に置き換えてはならないとは思う。まして適性を無視して役割を固定するようになったら、それはもう役割では無く身分格差そのものだろう。」

逆沢「原画家やプログラマーが企画やプロデューサーの指揮下に入ったからと言って、彼らより出来が悪いという事にはならないようなもんね。売れ行きを左右するのは原画家やプログラマーの腕の部分の方が多い事も珍しくないし。」

鼎「まして適性外の人が、いつまでも同じポジションに居座っているようだと、もっと問題だよね。」

愛原「もっともその点は零細なゲームメーカーにとっては、かなり大きな悩みらしいけどな。漫画家や小説家と同じで、創作稼業には旬がつきもので、一生安定して人気作風を保てる事は多くない。いわゆる年功序列や終身雇用なんてやってたら、それこそ不良債権化した社員だらけになって、あっという間に倒産してしまう。下手すると、経営者自身が一番の不良債権になっている場合もある(こうなると、まだ賞味期限のある有能な社員は、さっさと移籍したり独立してしまう事も多い)。厳しくつらい決断を、それぞれが迫られる事もあるが、まぁこれは現状仕方ない。」

鼎「零細企業なら倒産しても社会全体にダメージが及ぶことはほとんど無いけど、国や官僚機構や大企業が自体錯誤な身分制度にこだわって、組織を倒してしまったら悲惨な事になるよね。」

愛原「だからそうなる前に、人事を刷新する必要がある。身分制度はその組織刷新のチャンスを奪うものでしかない。織田信長がもしも佐久間親子や林道勝らをいつまでも重用せざるを得ず、秀吉や滝川一益らを抜擢しないままだったらどうなっただろうか? そもそも誰の子として生まれたかだけで、その人の役割や身分を固定する事自体がナンセンスと言わざるを得ない。」

逆沢「そういう意味では、今の日本はかなり恵まれているのかな? 厳密には大物政治家や大物芸能人や大物経済人の子息だけが通える名門私立とかもありそうだけど、それ以外は割と公平な教育環境にもなってそうだし。」

愛原「厳密には、塾に通える環境かとか、大学進学可能な環境かとか、まだまだ厳密な経済格差はあるが、身分格差みたいな露骨なものではないし、学校内での待遇差もほとんどなさそうだから、総合的にみれば極めて恵まれているだろう。もっとも公平な環境だからこそ、大きく落ちこぼれると、言い訳できなくなる問題点が無くもないが。」

鼎「それはリベラル的な多様な価値観で補えばいいと思うよ。学歴以外の価値観ももっと大事にして、長所を評価する世の中になればいいと言うか。たとえば大阪とかは、平均学力はあまり高いとは言えないけど、上位大学の進学率は全国的にかなり上位だし、スポーツでも芸能でも企業活動でも、その方面で第一線で活躍している人材数は日本でもトップクラスだよね。つまり短所を捨てても長所を伸ばす教育に特化している都市というか。」

逆沢「勉強が出来なくても、それだけで無条件で肩身が狭くならない世の中というか、色んな価値観というか、色んな可能性を認められる世の中ってのは賛成ね。もっとも橋下は、学力テストの公開とかやって、学歴カースト作りに熱心なようだけど。」

愛原「中学の学力テストの平均だけが良くても、その後が鳴かず飛ばずだったら意味ないし、実際に大学院出てもその後の人生において苦戦を余儀なくされている人も多い。人種差別が学歴差別に変わるだけで、そういうのは根本的な解決にならないから俺は嫌だな。」

鼎「多様な価値観とは真逆な姿勢だよね。そういうのは。」

逆沢「まぁ、しゃあない。多様な価値観というか、そういうリベラル路線を嫌う人も世の中には多いし。人種でも学歴でも何でもいいから、分かりやすい物差しを用意して、上下関係をはっきりさせたい人も多そうだし。」

愛原「【天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず】という福沢諭吉の有名な言葉はあるが、天にその気は無くても、人自身が人の下に人を造りたがっているのかも知れん。なぜそこまでして誰かを見下したいのかは分からないけど。」

逆沢「まぁポジティブな競争本能なら賛成だけどね。取れないブドウを何とか取れるように必死に頑張る人は立派だと思うし。それを酸っぱいブドウと決めつけて、誰かを見下しているような人は駄目だと思うけど。」

愛原「心の中で見下すだけならただのダメな奴だけど、【あれは酸っぱいブドウなのに、何も気づかず持って帰ったあいつはバカだなぁ】と周りに吹聴してブドウを先に持って帰った人を中傷したり、こっそりブドウの木に毒を注入して、そうと知らずにブドウを持ち帰った人をあざ笑うようなクズにはなりたくないな。まぁ上向いて生きている人は、下の事なんか気にもならんわ。黒子のバスケ脅迫事件の報道見てても、下だけ向いて生きてる奴のやりそうな事だと思ったし。」

逆沢「ウチ的には、他の作品を見てつまんないと思ったら自分が面白い作品をつくればいいし、逆に面白いと思ったら自分も同じような作品を造りたいと思うだけだからねー。嫉妬して誰かの作品をディスったり、誰かを見下してる時間自体もったいないわ。」

鼎「時間の節約ついでに、このコーナーも来年から容量削減する?」

愛原「コーナー辞めたら、サイト自体フェードアウトしそうだから、それはやらない。現状、唯一の生存報告手段でもあるし。という訳でいきなり話をぶった切る形になるが、来年もよろしく。」

逆沢「結局、今年の最後までグダグダな内容だったわねー。」














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