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愛原様のたわごと(14年3月9日)






愛原「今年も早3月。卒業シーズン到来だな。」

鼎「学生の人からしたら、新たな門出のシーズンだよね。みんな希望通りの進路に行けてたらいいのにね。」

逆沢「しかし実際には、妥協や挫折を無理矢理体験させられる、屈辱のシーズンである可能性の方が高いけどね。まぁ最近は入試も就活もすさまじく早い時期に決着が付いてることも多いから、この時期は単なる消化タイムか、次の舞台に備えた準備タイムになってる人の方が多いと思うけど。」

鼎「けど1年を総括できるシーズンでもあるよね。あの時、こうしておけば良かったとか、もっと頑張れば良かったとか。」

愛原「もっと頑張れば良かったといえる余裕のある人は、まだマシだ。精一杯頑張っても、報われなかった人も結構いるからな。」

逆沢「お前は【努力すれば報われる】論を根底から否定する気か? そう信じられるからこそ、人間は前向きに頑張っていけるのに。」

愛原「まぁ【どうせ努力しても報われないのは分かっているから】みたいな怠慢な諦観の持ち主に対しては、まず努力することから始めるよう求めたい所だが、元々精一杯努力している事がはっきり分かってる人に対してまで、それを言うのは結構つらいもんがあるからなぁ。」

鼎「人間、誰しも適性とかはあるよね。足の遅い人にどれだけ走らせても限度はあるし、記憶力が弱い人がそうでない人より記憶勝負で勝つのも難しいし、イマイチな容姿の人がどれだけ身ぎれいにしてもやっぱり限度はあるかも知れないし。」

愛原「お前、今、さらっと残酷な事実を述べたな。妙に心に突き刺さって、無性に悔しくなったぞ。」

逆沢「けど努力しない人よりは、努力した人の方が大抵はマシだとは思うけどねー。そりゃあ才能の無い人が才能もあって努力もする人に勝つのは無理かも知れないけど、才能はあっても努力を全くしない人になら、勝てる事も多いだろうし。」

愛原「まぁ、それはあるだろうな。但し、努力の仕方にもよるとは言わざるを得ない。ウサギ跳びを何千回しようと、それで勉強が得意にはならないし、早く走れるようにもならないようなもので。」

逆沢「努力の方向が正しいかどうかは重要ね。」

鼎「指導者に恵まれているかどうかも、すごく重要なんだと感じさせられるよね。」

逆沢「分かる分かる。スポーツの世界では、指導者が替わるだけで、そのチームの強さがガラリと変化する事も珍しくないしね。率いているチームの顔ぶれは同じでも、誰が指導者になるかで、育成方針も変わるし、チームの基本戦略や基本戦術なども変わってくるし、人事起用なども変わってくるから。」

鼎「名門スポーツチームの指導者は、大きく3種類に分けられるような気がするよ。一つはスカウト力が高いタイプ。元々優秀な人材に早い内から声をかけたりして、ライバルチームに引き抜かれるよりも早く引き抜いてしまうタイプというか。高校の名門部活なんかは、特にそういう能力が重要視されるらしいよね。」

愛原「元々その道で一流の中学生に早い内からツバをかけて、総取りしてしまうようなタイプだな。高校野球の世界の場合は特待生問題で揺れて以降、かなりマシになってるようだが、それ以外のスポーツでは、今でもひどい状態がまかり通っているようだ。」

逆沢「元々優秀な人材ばかりかき集めて勝った所で、何がうれしいのか分からんわ。長嶋茂雄時代の巨人と変わらないというか。私からすれば、無名の人材を集めて、それでも勝ってしまうような指導者の方がずっとずっと偉いと思うけど。」

愛原「そういうタイプの指導者もいるな。とにかく戦略・戦術センスがずば抜けていて、そこそこの戦力でも巨大戦力チーム相手に互角に渡り合えてしまうような采配の名人というか。」

鼎「けどそういう指導者の元から巣立った選手が、必ずしも新天地で活躍できるとも限らないよね。」

逆沢「選手にとって最も理想的な指導者と言えば、やっぱり育成力がある指導者のような気がするわね。無名の選手でも一流の選手に育てられる指導者というか。」

愛原「しかしどうやって一流の選手に育成するか? その過程を突き詰めていくと、1つめのスカウト能力の高い指導者や、2つめの戦略戦術センスが優れている指導者の元で鍛えてもらうのが良いという解釈も当然出てくる。たとえぱ1つめなら、スカウト能力の高い指導者の元でなら、元々優秀すぎる仲間がたくさん集まっているから、その優秀な仲間とハイレベルな競い合いを繰り返したり、彼らから教えを請う(技術を盗む)事で、自分の能力も引き上げられるだろうという解釈だ。」

逆沢「まぁ確かに、一流の選手ばかりが集まる一流のチームで自分を試したいとか、自分を鍛えたいという選手はよく聞くわね。」

鼎「進学校も、その理屈に立って成り立っているともいえるよね。ハイレベルの生徒ばかりに囲まれて勉強することで(レベルの低い生徒に足を引っ張られる事も無く)、安心して勉学に専念したい人が望む環境というか。」

逆沢「けどついていけないと悲惨だけどね。プロ野球の世界でも、大リーグに行ったのはいいものの、そこで泣かず飛ばずでベンチばかり温めるハメになって、そのままフェードアウトしていく選手も多いし。進学校でも一度落ちこぼれたら、授業聞いててもさっぱり理解できなくなって、そのまま二度と浮上できないまま沈んでいく生徒は必ず出るから。」

愛原「マラソンでも、自分がついていけないレベルの選手に無理して食らいつこうとがんばり続けると、結局オーバーペースになって、後々悲惨な事になる。自分のペースで走り続けるというのは本当に大事な事で、それを上回るレベルで必死で頑張ろうとしても、振り落とされたら最後、後は転落一直線だ。ここの作者も、初マラソン大会の時は、なまじ体調が良すぎた事もあって、上位陣について行ったのはいいが、数キロ走った後、エライ目に遭った事があるらしい。」

逆沢「テレビでもたまにそういうお調子もんがいるわね。最初だけ最前列走って目立ってるけど、最初の数キロですぐにへばって、そのまま消えていく選手とか。」

愛原「一流の選手に囲まれる事で、自分も一流の選手になれるかといえば、そんな単純なもんじゃない。自分がついていけないレベルのチームに入ると、結局、取り残されて悲惨な事になるケースも多い。作者の中学の同級生でも、誰が見ても努力肌で、人間的にもすごく尊敬できた子が3年になってさらに成績を一気に底上げして超進学高校に行ったのはいいものの、その高校で落ちこぼれて悲惨な事になったのがいる。」

逆沢「ただ田舎だと、学歴だけで判断されちゃう事も多いからねー。平凡な進学校で普通でいるよりも、超一流の進学校で落ちこぼれた方が、世間の評価的にはマシって事も多いし。特に日本の場合は、中堅大学卒よりも、一流大学中退の方が評価される事もあるほど、ステータス重視だから。だから落ちこぼれようがそうでなかろうが、一流高校に行けた事自体は、その子にとっても良かったとも思えるけどねー。一度も一軍に上がれないままでも、肩書き上は元大リーガーって感じで♪」

愛原「一度も一軍に上がれない大リーガーは、厳密には大リーガーじゃなくてマイナーリーガーだろうが。」

逆沢「そんなんシロートには分からないから、無問題。その人が一流大学を中退しようが、一流高校で落ちこぼれようが、そんな事は誰も気にしないのと同じで。重要なのは肩書きだから。」

鼎「肩書きだけつけられたらOKって人ならそれでも十分だろうけど、そこがゴールではなくて中間点に過ぎない人からすれば、やっぱり自分がちゃんと成長できる環境の方がいいのは間違いないよね。」

愛原「だったら自分がついていけないレベルは避けた方が無難かも知れんな。【鶏口となるも、牛後となるなかれ】とはよく言ったもので。」

鼎「2つめの戦略・戦術センスに優れた指導者というのは、育成面でいえばどうかな?」

愛原「ケース・バイ・ケースだろうな。具体名はださんが、名門校であるにも関わらず、そこからプロとして成功した者がほとんどいないような所も残念ながら存在する。こういう所は、よく言えばそのチームにいる時をピークに持ってくるような育成をするというか、悪く言えば選手を使い潰す傾向もある。もちろんそんな指導者だけでなく、卒業後・引退後も見据えた育成をしてくれる所もある。知将といわれるような指導者にも2種類いて、良い指導者なら、自分がそのチームを去った後でも役に立つような練習方法や戦略戦術をしっかりたたき込んでくれる所も多い。」

鼎「3つめの純粋に育成に特化した指導をしてくれる所はどうかなぁ?」

愛原「無いとは言わんが、相対的にはかなり少ないというか、比較的穴場と言わざるを得ない。というのも育成力があると噂が立つレベルになった時点で、上を目指したい選手の卵が殺到するのは必至で、結局、1番目のスカウト力のある指導者の一部として組み込まれてしまうからだ。」

逆沢「あー、なるほど。育成力があると、スカウト力も自然についてくるという論理ね。」

愛原「但し、育成力はイマイチなのにスカウト力は高いとか、その逆の例がない訳でも無い。強力なコネを持っているとか、奨学金や裏金を用意できるだけのカネがあるとか、そういう事情で育成力はイマイチでもスカウト力が高いチームも少なからずある。というか、一流の人材さえ集めてしまえば、采配や育成はイマイチでもちゃんと勝ててしまう事も多いのが現実であり、勝ててしまう事で名将扱いされる事も珍しくないからな。」

逆沢「某長嶋とかか?」

愛原「某氏が名将かどうかについては言及は避ける。が、一流の人材を集める能力と、実際に勝ててしまう程度の技量はあったと思われる。」

鼎「逆に育成力はあるのに、人が集まらない所はどんな理由があるかなぁ?」

愛原「プロの世界なら、単純に資金力。育成リーグとか、セミプロの世界では給料を払えない事による人材難はよく起きる。アマの世界なら、コネが足りずライバルに人材をかっさわれたり、寮が無い(遠方出身の人材を呼ぶには寮や下宿先はできるだけ必要)などの設備不足、奨学金を一切出さないなどの資金不足などが原因で起きやすい。あるいは公立校のように、入学時に一定以上の偏差値を要求した結果、それに満たない逸材が自動的にはねられるパターンとか。」

逆沢「理屈としては、一流の指導者の元には一流の選手が集まって当然なんだけど、そうならない場合は、経済力とかコネとか、あまり愉快になれない要素がからんでいるという事ね。」

愛原「個人的見解になるが、スカウト力だけが高い割に、育成力が怪しそうな指導者のいるチームは、自分に余程の自信と覚悟がない限り、行く事をオススメしない。というのもそういう指導者は、育成よりも選別を重視する傾向が強いからだ。」

鼎「ほえっ? 選別というと?」

愛原「たとえば、学校という組織では、育成選別という作業が同時に行われる。生徒を育成すると同時に、試験などの形を通じて選別(順位づけ)もする。で、指導者の中にはこの育成と選別をごっちゃにするタイプが少なからずいる。ぶっちゃけていえば競争本能さえ刺激してやれば、生徒は勝手に成長していくという思想を持った指導者がたまにいるんだ。」

逆沢「あー、たまにいるわね。【お前の成績は今回こんなに下がってるぞ。悔しくないのか?!】とか【ちゃんと予習復習もして、人一倍勉強時間を割いていれば、自然と成績は上がっていくものだ!】みたいな精神論で、生徒のやる気を促そうとするタイプ。」

鼎「一度本格的に落ちこぼれると、そもそも授業内容自体がチンプンカンプンになっちゃうから、精神論でどれだけ鼓舞されても無意味というか、逆に自信喪失と諦めにしかつながらないと思うけど。まぁこの辺は、落ちこぼれた経験のない者には分からないだろうけど。」

逆沢「選別(順位付け)による競争本能の刺激は、落ちこぼれないレベルでついていける生徒には有効だと思うけど、既に競争できるラインから滑り落ちた人には、はっきりいって無意味だと思うわ。」

愛原「しかし名門の部活校でも、こういう競争本能に訴える古典的な指導をする指導者は、残念ながら少なからずいるようだ。その結果、一軍に残れるレベルの選手はさらに頑張る反面、今更どうやっても明らかに一軍になれそうもない生徒は、どんどん切り捨てられていく。というか指導者自身、落ちこぼれた選手の事など見向きもしなくなる。せいぜい【不祥事さえ起こさなければそれでいい】レベルの空気な存在になる。」

逆沢「分かる分かる! 指導者にとって関心があるのは、元々優秀なレギュラーをどれだけ鍛え上げられるかで、補欠にも入らないような生徒が今後どれだけ伸びようが落ちようが知った事じゃないみたいな感じで。元々足の遅い選手が3秒早く走るよりも、元々足の早い選手がさらに1秒早く走れるようになる事の方が重要になるというか。」

愛原「100人以上、部員がいるようなクラブだと、指導者の仕事は、100人の生徒をどれだけ育成するかではなく、英才教育すべき10人の生徒をどう選別するかの方が重要になると考える人すら、少なからずいるようだからな。」

逆沢「まぁ、それはしゃあない。どっちみち使わない選手を手間暇かけて育成してもしょうがないし。私達がSRPGやってても、そうするでしょ? 【こいつは使わない】と決めた時点で、そのキャラクターの育成に関しては、完全に放置モードに入るというか。選別された結果、切り捨てられたなら、その段階でその選手は、指導者の脳内ではお払い箱なのよ。」

鼎「でもそれって、自分を育成してくれる事を期待した選手にとっては、裏切り行為だと思うけど・・・。」

逆沢「だったらそういう一流になれない自分でもちゃんと育成してくれるようなチームを選ぶしかないわ。自分のレベルでもレギュラーとして通用するチームなら、指導者も大切なレギュラーとして丁重に育成してくれると思うし。勉強でもそう。超進学校で落ちこぼれそうだと思ったら、自分なりのレベルの学校を選ぶ。それしかないと私は思うけどねー。」

愛原「ただ何の変哲も無い公立中学校でも、容赦ない選別をする教師もいるようでな。そういうのは、さすがにどうかと思っている。」

逆沢「名門私立中学とかなら、ある程度は選別されても仕方ないと思うけど、公立中学で選別されたら、落ちこぼれは悲惨なんじゃないの? 本当に行き場が無くなるというか。努力したくても、努力の仕方すら教えてもらえないなんて事になったら、こんなに理不尽な事はないと思うし。」

愛原「俺もそう思う。しかし現実として、そういう指導をする先生は存在する。たとえばソフトボールの授業の際に左利きのグローブが余っていて右利きのグローブが足りない場合、下手な右利きの生徒に左利き用のグローブをつけさせる教師とか。」

鼎「ある程度はうまい生徒でも、逆のグローブをつけたらフライ取るのも難易度は上がるのに、下手な生徒に逆のグローブをつけさせたら、その生徒は完全にオワタ状態になると思うけど・・・。」

愛原「どっちのグローブ使わせても、うまく球が捕れないのは一緒だからという理屈らしい。んでもって、ファールゾーンに飛んでいったボールの球拾いに専念させたりとか。で、フェンス裏の溝に落ちたボールまで何度も拾いに行かされたあげく、バッターボックスにも立つこと無く、通信簿には1がつけられると。」

逆沢「うーん。教師によるイジメになるんじゃね? そういうの?」

愛原「学校の教材みても、【これ、どう見ても育成目的の教材ではなく、選別目的の教材だろう】と思う事が多々ある。勉強というのは、いかに子供が素材に興味を持つように仕向けるのかが重要であるだろうに、故意につまんない素材を用いているような例が多すぎるというか。国語でも音楽でも、他の教科でも。」

逆沢「まぁ、分かる。読書感想文の素材見てても、こんなクソつまんない題材選ぶんじゃねえよって、思った事は多々あるし。」

鼎「私、十五少年漂流記は、小学生の時に読書感想文に選ばれた素材の中でもすごく面白かった記憶があるけど。」

愛原「十五少年漂流記は、年齢層さえ合っていれば、国語の素材としては格好の良素材だと思う。子供の読書や国語自体に対する意欲も促進する側だろう。」

逆沢「けど学年が上がるほど、どんどん素材がつまんなくなるのよねー。何の読後感もないというか、下手すると次の素材に移った途端、前の作品のことなど、完全に忘れてしまってるレベルというか。つうか私、学生時代の国語で使われた素材なんて、ほとんど忘れてるし。羅生門とかは、さすがに面白かったのか、それなりに覚えてはいるけど。」

愛原「つまりその程度の素材だったって事だな。情緒豊かな少年少女時代ですら、何の感銘も感動も衝撃も与えなかった凡庸な作品が多かったと。」

逆沢「なんでよりによって、そんな苦学にしかならないようなつまんない素材ばかり使って、授業するのかねー? ゆとり教育とか詰め込み教育の問題じゃなくて、もっと根本的な所で日本の教育には問題が多そうな気もするんだけど。」

鼎「理科や社会でも、【なぜそうなるか?】【なぜそれが起こったか?】という部分から丁寧に教えていけばすごく分かりやすいし、忘れにくく社会に出ても役に立つと思うけど、なぜかそれをせずに単なる暗記力ゲームになっちゃってる気がするよ。だから大学入試が終わった途端に、綺麗さっぱり受験前に詰め込んだ知識が吹き飛んでる生徒も多いらしいし。」

愛原「俺もそのクチ。おかけでどうでもいい歴史のウンチクとかは知ってるが、じゃあ今、高校入試の歴史のテストを受けたら合格圏の点数が取れるかと問われたら、とてもそんな自信は無い。」

逆沢「あはは。つまり今のあんたの学力レベルは、せいぜい中卒レベルまでと。まぁ私も似たようなもんだけど♪」

鼎「今はどうか分からないけど、昔は現地で通用しない英語しかしゃべれない英語教師もたまにいたらしいよ。でもその割に、スペルだけは現地のアメリカ人が舌を巻くほど正確なんだって。」

逆沢「典型的な受験英語ね。スペルだけは正しいけど、現地人の発音をヒアリングする能力はないとか。」

愛原「たとえて言うなら、我々がしゃべる日本語はさっぱり聞き取れないけど、【新潟】とか【愛媛】とかを正確に書く外国人のような感じらしい。」

逆沢「私も生まれた時からずっと日本人をやってるけど、全都道府県の県名を正しく書く自信なんかないわ。読む自信はあるけど。」

鼎「読み書き以前に、群馬県と栃木県の位置を逆に覚えてたり、仙台県とか金沢県と真顔で言ったり、四国4県を全部思い出せない人も多いよね。」

愛原「しかし受験英語のエキスパートである我らが日本人は、アメリカ人が何を言ってるのかは聞き取れなくとも、スペルだけは現地人が舌を巻くほど正確らしい。RICEをLICEと発音して失笑買ったりもするけど。」

鼎「けど昔よりは、かなりマシなそうだよ。昔は【My name is ○○】だったけど、今は【I'm ○○】らしいし。現地で【My name is ○○】なんて言ったら幼児みたいだと笑われるらしいから。」

愛原「まぁ普通に日本訳しても【私の名前は○○です】なんて言ったら、いかにも幼児くさいし、道理ではある。というか昭和後期でも、我々はとんでもない英語を勉強させられてきたんだなと、今更ながらしみじみ思う。」

逆沢「古文漢文とか、専門家にならない限りはどうでもいい事ばかり勉強させられたり、今振り返ると、義務教育の意味がさっぱり分からん教育ばかり受けてきた気がするわ。」

愛原「そんな訳の分からない国語を教えるくらいなら、憲法9条を素材にして自衛隊や安倍首相の集団自衛権新解釈が、国語の読解問題の解として正当がどうか授業でやった方が、余程実用的なのにな♪」

逆沢「それは別の意味でやべえから、やめろ!!」

鼎「でも現実問題として、読解問題なんてのはその人がどう感じたか、どう解釈したかの問題なんだから、人によって差があって当然だし、設問自体が恣意的だと思う事も学生時代は多かったよ。」

逆沢「けどネット見てたら、とてつもないエスパーもいるからねー♪ その文章をみて、なんで相手がニートとかゆとり世代と断定できたんだよと、ツッコミいれたくなるレベルで。そいつの読解力がすごすぎるのか、狂ってるのかは分からないけど。」

鼎「けどそういう難解な読解問題も含めて、なんでわざわざそんな設問をするのかと思う事が多いのは確かだよ。」

愛原「それも選別の手段なんだろうな。極端なことを言えば、みんなが100点取れる問題では困る。みんなに勉強を得意になられても困る。だからわざと興味を削ぐような素材を使用したりして、生徒をふるいにかけているようにも思える。」

逆沢「つまり中学教育の実情は、学力の育成では無く、学力を物差しとした生徒の選別にあるという事か? 実用性を無視した受験英語も古文漢文も、理由や過程を無視して丸暗記科目と化した理科社会も、みんな生徒に優劣をつける為にあると。」

鼎「進学校でも底辺校でも落ちこぼれが出るのは、単に仕方ない事だけでは無くて、誰かには落ちこぼれてもらわないと生徒間で優劣の判定が出来ないから、わざとそういうレベルで教育されているともいえるのかなぁ。」

愛原「そこまでうがった思考はしたくないが、みんなが100点取れるような教育をする意思が、少なくとも文部科学省側にないのは事実だろう。現場の教員がどうこう以前に、基本的な教育要領や教育素材や試験内容などを見る限り。」

鼎「どうしてそこまでして、選別したがるのかなぁ? 私は元々足の遅い子も早い子もいるのだから、遅い子も遅い子なりに頑張ったら、それでちゃんと評価してあげられれば十分だと思うのに。勉強の苦手な子にお前はダメな子だと突きつけて、突き放すような教育は絶対におかしいと思うよ。」

愛原「同感。少なくとも公立中学レベルで、それはやってはいけない事だと思う。故意に子供が興味を持てないような素材を用意して、解けるもんなら解いてみろってのは、(それを燃える高難易度クイズと解釈できるレベルの優等生以外にとっては)単なる意地悪だと思う。」

逆沢「けど社会に出ると、もっとむごい選別の世界になるのよねー。昔は企業などでも育成計画がしっかりあったんだけど、今は育成計画自体がなくて、選別しかやらない企業も増えてるみたいだし。」

鼎「ブラック企業なんかはその典型だよね。とりあえず大量に新人をとって、【ウチの厳しい条件でもやりますって人だけ残ってもらえればOK。それが気に入らないなら(使いつぶせそうな内は徹底的に引き留めて使いつぶすけど)会社側に待遇改善する意思もないし、辞めてもらって結構】というスタンスの所ばかりのようだし。」

愛原「育成と選別を比較した場合、選別した方が、指導者や支配者にとって楽なんだろうな。あるいは初期能力の低い者を呼び出して【お前は努力していないからダメなんだ!】と叱る事が育成だと勘違いしていたり。」

逆沢「お前がやってるのは、単なる吊るしあげだって感じね。」

愛原「【君が切り捨てられるのは君が努力不足だから】とかもっともらしい理屈をつけて、平然と人間を選別して切り捨てる。切り捨てた側が、じゃあ何を努力したのかといえば、そんなものは何もしていない。彼がしたのは人を選別して切り捨てただけ。しかしそんなよろしくない人が、指導者気取りだったりもするから恐ろしい。」

鼎「同じ指導者でも、育成者選別者とでは内実が全く違うような気がしてきたよ。」

愛原「上の方で指導者には3タイプあると触れた。人材を育てる事に情熱を注ぐ(育成)タイプ。限られた人材を上手に使いこなす事にやりがいを感じる(戦略戦術)タイプ。そして元々優秀な人材を選別してスカウトしてくるタイプ(もしくはとにかくたくさんの人材を招き寄せて、後でその中から特に使える人材だけ絞り込んでいくタイプ)。」

逆沢「一番最後のパターンだけは、育成者ではなく選別者ね。どう見ても。スカウトの段階で既に選別しているというか、もしくは適当に競争本能だけをあおって最終的に選別していく意思がアリアリというか。」

鼎「育成には手間がかかるし、即戦力という意味でも、最初から優秀な人材を選別していく事が間違いとは言わないけど、人を道具としか見なしていないやり方は、私は全然好きになれないよ。」

逆沢「選別するなとは言わないけど、選別を目的化するような指導者は嫌だわ。少なくとも適切な指導を仰いで成長したい側の人間にとっては。」

愛原「やる気も可能性も十分にあるけど、ただやり方が分からなくて落ちこぼれているような人も少なからずいる。指導者を気取るなら、そういう人材の【今】だけをみて切り捨てるのでは無く、ちゃんと手をさしのべて欲しいと思う。少なくとも【努力しろ!】とか【努力しないからダメなんだ】と叫ぶだけの人間は、人をランク付けする為に都合のいい方便を使ってるだけに過ぎん。己の育成力の無さを、人の努力不足のせいにすんなと。まして人を安直に切り捨てて、それで指導者を気取るなと。」

逆沢「ま、多くの人間を指導する立場になると、どうしても出来のいい生徒と悪い生徒が出るのは必然だし、その出来の悪い生徒を見て、どう指導者が感じるか?の問題ね。自分の指導力の無さを嘆くよりも、生徒の努力不足をなじった方が、精神的には楽だと思うし。それに出来の生徒もいるなら、なおさら、自分には育成力が無いわけではないとも感じそうだし。」

鼎「出来のいい生徒は、指導者が足を引っ張る真似さえしなければ、放っておいても勝手に伸びてくれるような気もするけど。指導者の育成力の問題じゃ無くて。実際に進学校に行った人でも、特定の指導者が自分に特別な教育を施してくれたからこそ今の自分があると感じている人は、かなり少数だと思うし。」

愛原「特に誰が専門的に教えなくても、泳げたり、逆上がりが出来たり、跳び箱が跳べたり、縄跳びで二重跳びが出来る者はいる。それらを全て自分の指導の賜物だと思う込むのは指導者の傲慢というものだ。まして元々優秀な人材ばかりスカウトしてきたならば、そこそこ強いチームができるのは当然だし、それで勝った所で指導者の育成力の賜物とはいえない(スカウト力の賜物ならいえる)。本当にちゃんとした指導者かどうかは、元々優秀な人材がスランプに陥ったり、努力の仕方が分からず伸び悩んでいる人材などに対して、どう適切にアドバイスができるか次第だと思う。」

鼎「そういえば【逆上がりを最も上手に教えられるのは、逆上がりができるようになるまで最も苦しんだ人】という話を聞いた事があるよ。何の苦労も無く最初から自然に逆上がりが出来た人には、逆上がりができない人の何がダメなのかも分からない。その人の気持ちも分からない。だから適切に問題点を指摘も出来ない。けど自分自身がそれで苦労した人なら、何がダメだったのかも、どうやって克服したかもちゃんと分かっているから、意外と適切に教えられるんだって。」

逆沢「なるほど。スポーツ万能の先生ではなく、実はスポーツが苦手だったけど、それでもそれなりに苦手を克服できた人こそが、実はスポーツの指導者としてふさわしいという考え方ね。落ちこぼれたことの無いエリートには、彼がなんで落ちこぼれたかとか、彼の気持ちは分からないと。」

愛原「そういうエリート出身の指導者は、元々できる子や元々素質もあって頑張れる子をさらに伸ばすのは得意かも知れないが、そうでない子を伸ばすのはかなり苦手だろうな。」

鼎「でも実際に教員免許を取得して学校で勉強を教えている先生は、どちらかというと学生時代からそれなりに勉強が得意だった人ばかりのような気もするよね。」

逆沢「何ともむごいギャップね。まぁ、公立中学とかだと、かなり勉強が出来る子から、全然できない子まで幅広くいるから、全員に合わす事などできないだろうけど。」

鼎「けど傾向として、元々出来る子に合わせているような気がするよね。学校の先生だけで無く、学校に指導方針を示す文部科学省の人達も、どちらかというとエリート出身の人の方が多そうな気がするし。」

愛原「まぁ田中角栄のような中卒出身の政治家や官僚なんて、今ではほとんどいないだろう。というか中卒で官僚になれるのか?」

逆沢「まぁエリート出身だから、落ちこぼれの気持ちが分からないとまでは言わないし、実際に優れた指導者もいるとは思うけどね。ただ中学の教材の内容とか試験のあり方とかを見る限り、育成より選別に寄りすぎてるとは思うけど。」

鼎「中学の頃からこっそり生徒ごとにランクづけされて選別されて、そのランクに見合う学校や企業にしか入れなくなってみたいな感じで、人がどんどん選別されていくとしたらすごく怖いよ。」

逆沢「教育機関のようにみせかけて、実は選別機関でしたってのは、よくよく考えたら結構ホラーだわ。【頑張ったら報われる】と信じさせておきながら、実際には【お前は努力してないからダメなんだ】とレッテル貼られてどんどん選別されていって、そこから振り落とされた者は、適切な教育を受ける機会も適切な努力をする機会も与えられず、そのまま決められたラインに乗せられていくというのは。」

愛原「戦後世代はよく働いて経済も上向きだったけど、今の世代はニートも多くて、貿易赤字にも転落して先行きも良くないと言われるが、実際の所、昔なら比較的正常に機能していた育成機能が麻痺して、人の使い捨て化が進行しているだけのような気もする。選別に寄りすぎた結果、一度でもレールから外れて切り捨てられた人材が、浮上するきっかけもつかめない世の中というのも大問題だと思う。努力しないから悪いと言われた所で、彼らにしてみれば【じゃあ努力の方向だけでも教えてくれ】というのが本音だろう。そして俺自身を含む大多数の人間が、彼らをすくい上げるだけの知恵を持ち合わせてないのも問題だ。」

逆沢「人を育成したり、すくい上げられる指導者というのがいかに偉大で尊敬すべき存在なのかを思い知らされる思いね。」














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