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愛原様のたわごと(14年5月25日)






愛原「実は今、色々構想している作品についての話でもあるのだが・・・。」

逆沢「構想ではなく妄想なんじゃないの? 少なくとも現段階では。」

愛原「まぁそうなんだが、【箱庭ゲーム】についてどう思う?」

逆沢「ん? 箱庭ゲーム??」

愛原「まぁ厳密に定義づけられたジャンルでもないので、詳しい定義は人によりけりだとは思うけど、まぁ今回の解釈としては、プレイヤーが介入する事でプレイヤーの期待通りに物語を進めていく事も可能だし(但し介入したからといって、必ずしも期待通りの展開になるとは限らない)、逆にプレイヤーが放置したままでも物語は勝手に進んでいくようなゲーム(但し、期待通りに物語が進むとは限らない点は同じというか、よりその可能性は高くなる)。プレイヤーが意識的に介入しなくても、NPC達が勝手に動いて、良くも悪くも物語も勝手に進んでいくゲームというか・・・。」

鼎「まさしく箱庭というか、盆栽や熱帯魚を世話したり、眺めてニヤニヤするようなゲームだよね。ちゃんと手入れしないと期待以上に育てるのは難しいけど、適当に放置していてもある程度は何とかなる事もあるし、あえて放置して経過を楽しむ(大抵はバッドエンドで終わるけど)方法もあるというか。」

逆沢「ああ、箱庭をただ眺めるだけのようなゲームって事か? そういえば昔、歴史隆々とかいうシェアソフトがあったような気がするけど、ああいうのをイメージすればいい訳? NPC達が勝手に領土を取り合ったりして、勝手に歴史を作り上げていくスタイルというか。」

鼎「要するに0人プレイが可能なゲームって事かな? コンピュータに全委任して、コンピュータが勝手に戦略とかを考えて、勝手にゲームを進めていくゲームというか。確か戦国史でも可能だったよね。」

逆沢「最近のゲームについてはよく分からないけど、昔は0人プレイが可能なゲームも、結構あったような気がするわ。」

愛原「0人プレイモードは、ゲーム作者がテストプレーをする際にも便利だしな。プレイヤーが一切介入しない条件でゲームを進める事で、NPCの思考ルーチンが期待通りに動いているかを確認したり、本来の意味でのゲームバランスがちゃんと取れているかを確認しやすい。ジャンル的にも、戦国SLGから格闘ゲームまで幅広く見られなくも無いな。」

逆沢「ああ、格闘ゲームではデモプレイという形で0人プレイができるというか、放置してると勝手に0人プレイ状態に切り替わるようになってる作品もありそうね。特にゲームセンターにあるゲームは、かなりのジャンルで、デモプレイという名の0人プレイが、プレイヤーがコインを入れない限り、延々と続けられているというか。」

愛原「あれの大半は、0人プレイ型ではなく、同じシーンをただ繰り返すだけのデモムービー型のような気がするが・・・。まぁ技術的にはチープなデモムービー型にしなくとも、0人プレイモードにしてくれてもいいとは思うけど。」

鼎「0人プレイモードを見てると、各NPC間の戦力バランスが上手く取れているかどうかがよく分かるよね。特定の勢力や特定のキャラばかりが勝ち続けていたら、ゲームバランスという点では微妙という事になっちゃうし、0人プレイの度に結果が変わるようなら、ゲームバランスとして絶妙という事にはなるんだろうし。」

逆沢「けどデモプレイや0人プレイを見てるだけでおなかが満足するようなプレイヤーなんてほとんどいないだろうし、やっぱりゲームというからには、プレイヤーが介入してナンボだと私は思うけどね。」

鼎「逆にプレイヤーが介入しない限り、物語が一切進まないゲームの方が、全体としては圧倒的に多い気がするよね。」

逆沢「アクションゲームとかシューティングゲームとかは、システム的にそうならざるを得ない事が大半だし、RPGなんかでもプレイヤーが介入しない限り、いつまでも物語が進まない仕様になってる作品ばかりの気もするわね。」

鼎「PCの勇者がシナリオの流れを無視して横道プレイばかりしてても、他のNPCの勇者が勝手に魔王を倒して問題を解決してくれてもいいのにと、私はふと思ったかも。」

逆沢「あははは。まぁそれがリアリティーかもねー。何もPCの勇者以外のキャラクターが魔王を倒してはいけないというルールもないだろうし。」

愛原「あるいはPCが横道ばかりそれて時間を空費してしまうと、魔王が世界征服を完了させて強制ゲームオーバーになる仕様とかもアリかも知れんな。まぁ、こっちの仕様は、条件付きながら採用している作品も多いけど。」

鼎「つまりリアリティーを追求するならば、PCだけでなく、NPCも何かしらの行動や戦略を進めていてもおかしくないって事だよね。PCのターンがあるのなら、NPCのターンもあるはずだという事で。」

愛原「その通り。このNPCの思考ルーチンについて考えるのが、俺は本当に大好きだ。俺が考えている時間に、NPCも何か考えていてもおかしくない。俺が行動に移している時間に、NPCも何かしらの行動をしててもおかしくない。PCが魔王を倒すまで、他のNPCが指をくわえてぼうっとしなければならないという事もないだろうし、魔王は魔王で自分が倒される日が来るまで、ぼうっと待ち続けてやる義理もないと思ったりするわけだ。」

逆沢「まぁ、そこまで厳密にやっちゃうと、ゲームとしてはかえってつまんなくなってしまうんだけどね。」

鼎「TRPGならそう柔軟な展開もアリかと思うけど、CRPGでそういうのはすごく難しいと思うよ。分岐が半端じゃなくなってしまうし。」

愛原「まぁ、いずれも同感だな。今、言ってる事は全て理想論に過ぎない。」

逆沢「PCが何をやっても歴史に干渉できないのではなく、PCが介入する事で歴史が動くゲームの方が、絶対に達成感もあるだろうしね。」

鼎「だからPCが動かない限り、歴史も動かない仕様というのは、面白い作品を手がけるという意味ではすごく王道だと思うよ。これはゲームの世界だけではなく、小説やドラマの世界でも言えるというか。どんな問題や障害が起きても、主人公が解決しちゃう世界というか。」

逆沢「逆をいえば主人公が立ち上がらない限り、永久に問題も障害も解決されない世界でもあるんだけどね。」

鼎「けど(場合によっては何百年もの間)今まで成し得ず、誰もが解決できなかった問題を、主人公が現れる事で解決してしまう! これによる快感ってすごくあると思うよ。」

逆沢「主人公が現れるまで停滞していた状況を主人公の力で打ち破り、歴史の歯車を再び回し始める。つまり主人公を中心に歴史が回っている世界とも言える訳ね。」

愛原「箱庭ゲームは、その点で大きく異なる。主人公を中心に歴史が回っているとは限らず、いや、主人公がいようといまいと、歴史は勝手に動いていく。主人公が活躍しなくとも、その場合は別の誰かが活躍する事もあるだろうし、逆に悪い結果を迎える事もあるだろう。ある者は滅び、ある者は出世し、それが誰にとって幸せな事かは分からないが、少なくとも主人公が動かない限り歴史が停滞し続けるのではなく、歴史は主人公の動向にかかわらず常に動いていく。」

逆沢「悲しいほどリアルそのものねー。私達がこの世に生まれようと生まれまいと、歴史が勝手に動いていくものだとすれば。」

鼎「けどそれって、本当の意味でリアルなのかなー? たとえば人生をやり直せたとして、以前と同じ人生を選択していたならば、やはり同じような結末にしかならないようにも思えるんだけど・・・。ゲームの0人プレイだと、ゲームをやり直す度に異なるキャラクターや勢力が勝ってもおかしくないけど、現実世界はそんな曖昧なものなんだろうかと。」

愛原「ん? もう少し分かりやすく言ってくれないか?」

鼎「たとえば何度歴史をやり直しても、誰かが干渉して以前と異なる選択肢を人々が選ばない限りは、織田信長さんは必ず本能寺で死ぬし、徳川家康さんは必ず江戸で幕府を開くし、薩長が250年後に幕府を倒して、やがて日本は連合国相手に開戦して広島と長崎に原爆を落とされて無条件降伏し続けるような気が、私はしてならないんだけど。」

愛原「理系人的発想だなぁ。人の行動はランダムのように見えるけど、実際には遺伝子に組み込まれた本能が過去の経験や周りの状況などを参考にして必ず決められた行動を取るようにできているみたいな考え方だな。だから織田信長は必ず、決められた日時に本能寺に向かう事になるし、明智光秀は決められた日時に必ず謀叛を決意するみたいな感じか?」

鼎「そう。あの人が女の子に告白して振られるのも、あの人が告白すら出来ずにその場を見送ってしまうのも、全てはその人の遺伝子が、経験や環境を考慮して、そういう判断や行動を促した結果という考え方だよ。」

愛原「その考え方自体を科学的な意味で否定する気はないが、俺としては未来は無限の可能性に満ちていると考える側だから、申し訳ないが現時点でその考えの上には立てん。俺としては誰が干渉せずとも、歴史をやり直す度に歴史は変わってもおかしくないと考えたい側だからな。だから戦国ゲームの0人プレイのように、歴史をやり直す度に、【今度は武田が天下を統一した】とか【今度は織田信長が生きたまま速攻で天下を統一した】とか逆に【織田信長は見せ場もなくあっさり今川義元に滅ぼされた】とか、それくらい未来の流動性を高く見積もっていたりもする。」

逆沢「未来は固定されているものなのか? それとも無限の可能性に満ちているものなのか? 真面目に議論するにはあまりにも重すぎるテーマだわ。」

愛原「学術的見地で未来の流動性を語るには、俺たちの教養はあまりにも足りない。だから結論でいえば、未来を固定化しようが流動化しようが、それ自体は別に好みでいいと思う。但し、どっちにしても言えるのは、主人公やPCが介入する事で歴史が変わる事はあっても、彼らが歴史の中心にいる訳ではないという事だ。彼らがいなくとも、干渉しなくとも、歴史は勝手に動いていく。その場合、歴史は彼らを置いてけぼりしていくか、もしくは彼らを決められたレールに乗せていくだけで。」

逆沢「つまり主人公の勇者が歴史の潮流から外れて横道にそれ続けた場合でも、歴史は勝手に動いていくだけって事ね。その場合、勇者は歴史の傍観者になってしまうか、もしくは他人が作った歴史に振り回されるだけの話で。」

愛原「そういう事だな。つまり俺が今構想しているゲームは、主人公が何も干渉しなくとも、NPCはNPCで勝手に思考して、勝手に行動して、勝手に決着をつけてしまおうとするゲーム。もちろん主人公がNPCに干渉する事で、NPCの行動を制限したり、もしくは支援する事もできるようなゲーム。」

逆沢「それだけだったら、別に難しい事でも何でもないじゃん。7lcwですら、そういう要素はあるし。プレイヤーが何もしなくとも、NPCはNPCで勝手に思考ルーチン働かせて、特定の勢力を攻め立てたり、時には滅ぼしたり。そういう要素はあるし。」

鼎「ちなみに7lcwで、プレイヤーが何もせずにターン終了を繰り返した場合は、最終的に黒藤軍が因幡を攻め落としてエンディングを迎えるようにできてるよね。黒藤軍以外でプレイした場合とか、他にもいくつか厳密には条件はあるけど。」

愛原「まぁそれはそうなんだが、それをもう少し表現したくてだな。【ああ、コイツは本当に短気だな】とか【コイツはとことん卑怯な奴だな】とか【コイツはとことん優柔不断だな】とか【コイツはとことん怠け者だな】とか、そういう各キャラクターが持つ基本ルーチンがシナリオ上の演出要素としてだけではなく、思考戦略ルーチンとして発揮されるゲームに興味がある。」

鼎「シナリオ上の性格設定としてなら、ある程度の文才さえあれば、どんな性格のキャラクターも臨場感たっぷりに演出する事はできると思うけど。というかそういうのに挑戦した作品が、ある意味【ひとそれ】だったよね。」

愛原「今考えているのは、テキスト量は極力抑えて、極端な話で言えばシナリオは空っぽでもいいから、行動をもって性格を表現できる作品という形にはなる。あくまで理想論ではあるが。」

逆沢「行動をもって性格を表現するって、具体的にいうと。」

愛原「たとえば格闘ゲームなんかは、その典型例といえる。あるキャラは攪乱戦法中心であったり、あるキャラは守りをがっちり固めてきたり、あるキャラは極端なパワー押しであったり、あるキャラは追い詰められる程強くなるタイプであったりとか。」

逆沢「なるほど。そういうゲームなら、一言もセリフを発せずとも、行動パターンだけでその人となりが分かるって訳ね。こいつは正統派だなぁとか、見るからに卑怯な悪党としか思えない技ばかり使ってくるなぁとか。」

愛原「麻雀ゲームでも、ちゃんと複数の思考ルーチンを作り込んでいるゲームなら、NPCの戦術パターンに差がみられるはずだ。危険牌であろうが怖れず攻めてくる超攻撃型スタイルだなぁとか、よく鳴いてくるなぁとか、すごく臆病な奴だなぁとか。」

鼎「そういう思考ルーチンが分かりやすく表現されている作品に興味があるって事かな?」

愛原「うん。基本プロットも無くはない。ある決められた土俵の中に、色んな性格ルーチンを持つ者を置いて、バトルロイヤルやらせる。ある者は生き延びる為に己を磨き、ある者はひたすら守りを固め、ある者は他人に依存する。ある者は他者をそそのかし、ある者は決して他人を信用しない。義理高い奴。計算高い奴。卑怯な奴。臆病な奴。有能な奴。怠惰な奴。色んな奴がそれぞれの思考ルーチンを働かせながら、生き延びようとする。そんなゲーム。プレイヤーがNPCに干渉して、思い通りの戦況を作り上げる事もできるが、NPCはNPCで時にはPCを利用してやろうとも企むし、もちろんNPCの挙動を箱庭を眺める視点で観察しても構わないといえば構わない。そんなゲーム。」

逆沢「夢だけは壮大ね。」

鼎「妄想するだけなら、誰でもできるよね。」

愛原「俺的には、妄想では無く構想なのに・・・。」
















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