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愛原様のたわごと(14年9月14日)




逆沢「あれ? もう更新か?」

愛原「来週は石川県に出かけるので、もしかしたら更新困難な気がしてちょっと前倒し。さていきなりだが設問だ。敵と言うわけでもないし、向こうからこちらに危害を加えてくる訳でもないのに、嫌いでどうしようもない奴がいるとする。ではなぜそいつのことが嫌いなのか? 色々想像してみてくれ?」

逆沢「うーん。なんとなくムカつくから、みたいな回答じゃダメか?」

愛原「そういう回答はさすがに困るなぁ。【何となくあいつが好き】とか【なんとなくあいつが嫌い】ではなくて、どうしてあいつの事は好きになれるのに、あいつのことは好きになれないのか? その差の部分について回答して欲しいんだ。但し、日頃の敵対関係や利害関係は一切ないという前提でな。」

鼎「学校のクラスとか想像してみたらいいのかな? 別にクラスメイト同士で敵対しなければならない理由とかは特にないんだけど、それでも不思議な事にいつの間にか、仲良くなれる人と仲良くなれそうもない人に分かれたりするよね。」

逆沢「要するに相性ってのがあるんじゃねえの? もう理屈抜きでこいつとは絶対合わないみたいな感じで。」

鼎「でも何かのきっかけで、急に仲良くなれたり、逆にギスギスしちゃう事もあるよね。極端な話、昨日まで大して意識もしてなかったクラスメイトの活躍を知って、強烈な嫉妬を感じてしまったりとか。」

逆沢「あー、嫉妬か? 別に相手がこちらに危害を加えてくる訳でもないのに、こちらから一方的に相手を嫌ってしまっている関係としては、最も分かりやすい例かもね。」

鼎「後は相手の生活習慣とか、思想信条とか、そういうものを知ってしまった時に嫌いになってしまうパターンもあると思うよ。」

逆沢「潔癖な人からみたら相手のちょっとした事でも不潔とかセンスがなさげに見えてしまう事もあるだろうし、のんびりした人からみたら相手のちょっとした行動が神経質に見えたり、時にはイライラ症にも感じるだろうし、食生活や体調管理に気をつけている人からみれば、デブそのものが不快な存在に見えなくもないだろうし、生活習慣の違いは大きいと思うわ。」

鼎「生活習慣や文化の違いは、結婚生活を長く続ける上ですごく大事な要素らしいよね。最低でもどちらか一方が寛容な人だと長く続けられる可能性が高いらしいけど、そうでないなら極力自分と生活習慣や文化に差が無い相手を選ばないとすごく大変らしいよ。」

逆沢「デブ一つとっても、デブである事が富裕層である事を示すステータスとしても機能しうる北朝鮮のような例もあれば、デブである事が人間性の未熟を示すとして蔑視の対象になるアメリカのような例もあるし、文化の違いは本当に大きいと思うわ。」

鼎「そういえばアメリカというと、ものすごい肥満大国のイメージがあるけど、歴代の大統領とかビルゲイツさんとかハリウッドの名優さんとか、成功者の中に肥満体型の人はほとんどいない感じだよね。」

愛原「思想信条もバカに出来ない要素だな。人によっては、相手が創価学会員だとか、共産党員だとか、そういう理由だけで偏見で見る人も多い。」

逆沢「偏見といえば、職業差別とか民族差別とか宗教差別とか障害者差別とか男女差別とか年齢(世代)差別とか部落差別とか学歴差別とか容姿差別とか、あらゆるものにつきまといそうだけど、相手がこちらの事をどう思っていようが関係なく、一方的に相手を嫌いになる理由として大きい要因の一つにはなりそうね。」

愛原「容姿差別ってなんやねん! って言いたいところだが、まぁ美意識に根ざした好き嫌いが存在するのは残念ながら事実かもしれんな。美意識に理屈をつけると美学という名の信条にもなるんだろうけど。」

鼎「嫉妬とか偏見とか美意識とか美学とか生活習慣の違いとか、大した理由もないのに人が一方的に人を嫌う理由って、意外とたくさんありそうだよね。」

逆沢「嫌っている本人としては、決して嫉妬や偏見ではなく、生意気だとか、頭がおかしいとか、見苦しいとか、嘘つきだとか、向こうが先に喧嘩を売ってきたとか、いかにも自分が嫌っている理由が正当であると言わんばかりになるんだけどね。」

鼎「第三者からしたら、自分のことを棚にあげて、嫌いな相手をくさしている人も多そうだよね。先に相手を挑発したのも、生意気なのも、実は自分の方であったとしても、その事には一切触れないというか、本人だけが気づいていなかったりとか。」

愛原「まぁそうは言っても、人間誰しも好き嫌いはある。心に余裕がある寛容な人であれば無闇に人を嫌ったりしないのだろうけども、逆に常に誰かのせいにしたり誰かを嫌わないと精神を保てない劣等感の塊みたいな人もいるし、単に好き嫌いが極端な人もいるだろうし、まぁこればかりは仕方ない。」

鼎「相手から嫌われているとか、こちらが危害を被っているとかならともなく、そういう訳でもないのに一方的に相手を嫌うって、考えてみたらちょっともったいないよね。本当なら相手の良いところをもっとたくさん見つけて、もっと好きになれるかも知れないのに。」

逆沢「けど嫌いになった相手をわざわざ好きになりたいなんて、普通は思わないんじゃないの? 嫌いな相手に望むのは、そいつが不幸になる事だけで、それによってこちらがメシウマになるというか。」

鼎「人を呪わば穴二つって言葉もあるし、そういうのはすごく不毛だと思うんだけど。そうでなくとも人を嫌うって感情は、自分のストレスをさらに増やすだけにしかならないと思うし、もっと寛大に気楽に生きた方が、ずっと人生を楽しめると思うよ。」

逆沢「ストレスを発散する為に嫌うって事もあるんじゃないの? 自分を憎んでもストレスを内にため込むだけで逃げ場もないけど、他人を憎んだらストレスをとりあえずそっちに転嫁できるし、対象が不幸になったらストレス自体も発散されるし。」

愛原「人を憎むからストレスがたまるのではなくて、ストレスを発散させる為に誰かを憎むというケースもあるという事か?」

逆沢「ほら、漫画でもリアルでも【とりあえずムカついたから殴ってみた】とか【誰でもいいから八つ当たりして、気分を紛らわせたかった】みたいな輩がいるじゃない? 誰かに怒りをぶつける事でストレスを発散する人ってのは、案外多いと思うわけよ。彼らはもっともらしく相手を嫌ったり攻撃するのに理由をつけるけど、究極的には自分のストレスが発散できるのなら【誰でもよかった】って奴で。」

愛原「なる程。そう考えると、嫌われる側に問題があるのではなく、一方的に相手を嫌う側に問題があるケースも多そうだな。」

逆沢「イジメでも差別でも虐待でも根は同じなんじゃね? たまたまストレスをぶつける対象がそれになっただけで、仮にそれが無ければ、そいつは別の何かにストレスをぶつけるだけだと思うわ。ネットみてても、毎日のように政治批判だの社会批判だの特定の組織批判ばかりしてる輩はいるけど、あーいう手合いは、常に今日のニュースという名の憎むべき悪を探してそれを叩くことで、ストレスを発散してるだけだと思うわ。」

愛原「そんな風に言われると、悪を憎む正義の味方も形無しだな。」

鼎「そういえばこういう風刺をネットで見つけた事があるよ。私としては、とても面白いと思ったんだけど。」

逆沢「不覚にもワロタ。この正義の味方って、ネット中毒の不満分子そのものじゃねえか?!」

愛原「うーん。他人のしている事にケチはつけるけど、自分から能動的にしたい事はない。提供されたネタ記事にいちいち偉そうなコメントはつけるけど、自分からネタを提供する事もない。芸能人やスポーツ選手や創作家を批判するのは好きだけど、自分自身が芸や作品を他人に提供することもない。誰かを非難しては怒ってばかりだけど、人に喜ばれるような事もしない。この正義の味方は、典型的な不満分子にしか見えなくて悲しくなった・・・。」

逆沢「私に言わせれば、自分の野望をかなえる為に全力を傾けて生きてる者は、(他人が自分の行動を邪魔しない限りは)いちいち用もない他人にからみまくっている暇人か、もしくはそうでもしないとストレスの発散すらできない可愛そうな人だけだと思うわ。」

鼎「そう考えると好き嫌いは誰でもあるとして、嫌いなものにどう接するかというのは、明確な野望や生き甲斐をもっているかとか、寛容性や日頃の心の余裕を含む人間性を判断する上で大きな要素の一つになりそうと思ったかも。」

愛原「嫌いなものにはなるだけ関わらないタイプ。嫌いなものに対して攻撃を仕掛けないと気が済まないタイプ。嫌いなものをむやみに嫌いにならないように、先入観を排除せんと努力するタイプ。逆に自分が嫌いになるのはちゃんとした理由があるからと思い込み、もっともらしい理屈をつけて自己正当化を図るタイプ。色んな人がいる。」

鼎「もっともらしい理屈をつけて自己正当化する人は論理に弱そうだから、ちゃんと説得する事はできないかな? それは誤解ですよとか、それは偏見ですよみたいに。」

逆沢「絶対無理。たとえば嫌韓の人に韓国の良いところを伝えようとした所で、韓国をアゲればアゲる程、ますます怒りと憎しみが増幅されるだけのようなもので。たとえば嫉妬に狂った人に、その嫉妬してる相手のすばらしさを伝えようとしても、ますます嫉妬の炎を燃え上がらせるだけなのと同じというか。彼らは、もっともらしい理屈をつけるのは好きだけど、じゃあ理性的・論理的かといえば、むしろ逆だから。」

愛原「【坊主憎けりゃ袈裟まで憎し】ということわざもある。【テロリストをかくまう者はテロリスト】と発言した大統領もいるけど、嫌いな相手を擁護すると、擁護した者までも嫌いグループに入れられる事すら珍しくない。【嫌い】という感情が持つ怨念パワーというのは、なかなか侮れないのだ。」

鼎「憎悪の感情に取り込まれた人を癒やそうと思って、【貴方が嫌っている人は本当はこんなにいい人なんですよ】とどれだけ伝えても、逆効果にしかならないとしたら、すごく悲しすぎるよ。」

逆沢「その嫌う理由がまともなら救いもあるけど、一方的嫉妬とか、偏見や誤解による一方的憎しみとかだと、救いようもないしねー。」

愛原「【あいつが真犯人に違いない!だから俺はあいつを絶対に許さない!】的な発言を堂々とする人すらいるからな。どれだけその“あいつ”の真犯人性に疑義がある事を説明しても聞く耳持たず、一方的憎悪をまき散らす者は始末に負えない。」

逆沢「で、そういう思い込みの激しいタイプほど、妄想を根拠にデマをまき散らしたりするのよねー。で、どれだけその事を責めても【あいつのやった事に比べれば】みたいに、妄想上の相手の不正を根拠に自らの不正を正当化したりとか。」

愛原「少し前にスマイリーキクチ氏がかつて起きた自身への中傷被害の件について講演した記事がネットでも配信されていたが、そこでも【売れない芸人の売名行為】とかよくこれだけネタが浮かぶなぁと思える程、様々な角度からの誹謗中傷がコメントに並んでいて激しく落胆した事がある。中傷事件で捕まった犯人の一人も、【よくも訴えやがったな】みたいなコメントをネットに垂れ流して、それで反省のかけらもないとして腰の重い警察が本格的な逮捕方針に切り替えたらしいけど、どうも未だに反省のかけらもない当時の残党がまだたくさん残っているらしい。」

逆沢「逆に【当時、デマに踊らされてキクチ氏を叩いた件を反省しています】的なコメントは全く見た事がないし、思い込みを根拠に憎しみをむき出しにするような野獣は、逆恨みはしても、決して憎んだ事に対して反省はしないって事なのかねー?」

鼎「憎しみの感情は、自分の理性を完全に吹き飛ばしてしまうよね。憎悪の感情を外に漏らさず、一人でストレスをため込んでいる人ならまだしも、憎悪が攻撃に向かうタイプの人を鎮めるにはどうすればいいのかなぁ? 説得しても火に油を注ぐだけなら逆効果だし。」

逆沢「激しい感情の場合は、時間をかけて落ち着くのを待つ手もあるだろうけど、悪い噂をばらまいて同志を募るようなタイプは、憎しみを拡散させる危険もあるから悠長なことも言ってられないし、悩みどころだわ。つうかネットでネガキャンやるようなタイプは、大体【拡散希望】者ばかりっぽいし。」

愛原「さて、そんな厄介な嫌いという感情であるが、その人の理性の程度や、もしくは置かれた状況によっては、【嫌いではあるが、優れた力を持つ仲間と認めざるを得ない】とか【嫌いではあるが、尊敬に値すると認めざるを得ない】などと自覚できる時がある。今回のテーマは【嫌いなのに素晴らしき人達】だ。」

逆沢「要するにツンデレという事か? なら小難しい話なんか抜きで、はじめから【今日のお題はツンデレです】と言えば一目瞭然なのに。」

愛原「ツンデレじゃねえっ! つーかツンデレというのは、本当は好きなのに嫌いなふりをしてる奴の事だろ? そうじゃなくて感情レベルでは明らかに嫌いに入るけど、理性が彼を認めざるを得ないと判断しているような状態が、今回のテーマなんだ。」

逆沢「ややこしい感情ねー。ていうかそういうシチュエーションって、現実にはあまりないんじゃないの?」

愛原「集団スポーツをしている人なら、割と意識しがちな感情のような気もするけどな。【自分より有能なチームメイトがいる限り、自分はエースにもなれないし、レギュラーにもなれないかも知れない。自分より有能なチームメイトに対する嫉妬が抑えきれない状態ではあるが、しかしその一方で、有能な仲間の実力は評価せざるを得ないし、チームが勝ち進む為には有能な彼らの力が必要だ。】みたいな感じで。」

逆沢「仲間でもあるが、競争相手でもあるという状態ね。仲間としてみれば頼もしい同志だけど、競争相手としてみれば蹴落としたくて仕方ない程の相手というか。」

鼎「嫌いな人間が活躍した時、その活躍を素直に評価できる人と、そうでない人がいるよね。【悔しいけど、あいつの活躍は本当に素晴らしい】という気持ちになる人もいれば、相手の落ち度ばかりを必死に探してなんとか相手の活躍を全否定しようとする人もいるだろうし。」

逆沢「【あいつにしては良くやった】とか、【今回だけは評価してやらなくもない】とか、【俺があいつの立場なら、もう少しうまくやったけどな】とか、やたら上から目線で相手を論評する人もネットでは多いわね。本当は相手を全否定したいけど、周りの空気がそれを認めないから、とりあえず形だけは評価してみせるけど、心からあいつの事を決して認めた訳じゃないぞみたいな。」

愛原「プライドだけが妙に高くて、すごく扱いの難しそうなタイプだな。まぁ漫画などでは、そういう位置づけのライバルキャラも珍しくないけど。ただ爽やかさという点では、リアルの方がずっとジメジメしてそうだ。」

鼎「ファンタジーの世界とリアルの世界では、嫌いな相手が何らかの失態をした時の対応が大きく違うよね。ファンタジーの世界のライバルキャラは、主人公が大きな失態をした時には、冷たい見下した態度を取りながらも【お前はこの程度の男じゃないはずだ】とか【このままで引き下がるようなら、お前もその程度の男だったって事だ】みたいなセリフを吐いて、相手を発憤させる事が多いけど、リアルの場合は見下した態度は同じでも、【○○ざまぁ〜www】とか【あいつの本当の姿が明らかになったな】とか【もう顔も見たくありません。さっさと消えて下さい】とかみたいな感じで、この期に相手をとことんまで追い詰めようという心の醜さが露骨に見えがちというか。あるいは【もう少しくらい抵抗しろよ。ここまで弱いとガッカリだなw】みたいな感じの陰湿なエールを送ったり。」

愛原「そういう陰湿なエールを送る奴は、仮に嫌いな奴が勝ったり善戦したら、【ここまでハンデやってるのに、その程度の勝ち方しかできないなんて、心配してあげたくなるレベルだな】とか【あそこまで卑怯な真似してよく勝った気になってるもんだ】とか、手のひらを返したような捨て台詞だらけになる。決してファンタジーの好敵手と言われる人のように、好勝負を讃えて固く握手しあうような態度はしない。」

鼎「ファンタジーの世界だったら、好敵手キャラではなく、チンピラにふさわしいセリフだよね。そういう陰湿で敬意のかけらも無さそうなのは。」

愛原「ファンタジーのライバルキャラは、結局はどれだけ嫌っているようにみせても、ツンデレの延長線なんだろう。一方のリアルは違う。嫌いな相手は、とことんまで痛めつけたい。懲らしめたい。恥をかかせたい。困らせたい。追い詰めたい。だから嫌いな相手が失態を犯すのは愉快でたまらない。逆に嫌いな相手が活躍すると、本気で面白くない。だから理性の歯止めがきかない者は、色々いちゃもんつけて相手の功績を全否定しようとするし、理性が多少たりとも働く者は、心の中で歯ぎしりしながら【今回だけは認めてやらなくもない】というような論評をする事になるのだろう。もちろん嫌いな相手を全力でこき下ろせる日を待ち望みながら。」

逆沢「うーん。ファンタジーの世界のキャラは、良くも悪くも爽やかなキャラも多いのに、現実世界は陰湿な人が結構多いという事か?」

鼎「それでかな? 日本では、嫌いな政党、嫌いな報道社、嫌いなプロ野球チーム、嫌いな地域、嫌いな人などの活躍は極力認めたがらず、逆に失態をした時だけ全力でこき下ろす人が多いよね。」

愛原「もちろん嫌いな奴が活躍する事で自分に実害があるなら、必死でそれに抗うのは当然だ。しかし逆に(たとえば優れた政策が実行されたり、有益なスクープ記事が出るなど)自分達に利益があっても、それが嫌いな相手からもたらされたものであれば、素直に感謝できない人も少なからずいる。」

鼎「逆に自分にも実害が及びかねない程の失態や事件が起こっても、不幸を喜ぶ人もいるよね。たとえば大きな自然災害が起きて犠牲者がたくさん出たりすれば、財政負担も増えるし、関連企業の業績も悪化するし、回り回って自分にも実害が回ってきかねないのに、被害者の数がさらに増えたり、行政がさらにヘマをして支持率が下がる事を期待するような人が必ず出るし。」

逆沢「表面上は【行政は何をやってるんだ!!】と怒ってるけど、内心では行政がヘマをする事を期待してるって訳ね。逆に行政が適切に対応してても、細かい部分にいちゃもんつけて【○○ならもっと上手くやっていた】とか【もっと早く動けなかったのか?】とか、色々理由をつけて、嫌いな奴の評価を必死で下げまくろうとすると。」

愛原「行政批判に関しては公正であればまだ救いはある。しかし鳥インフルエンザにしろ震災にしろ、政権交代しても何もやってる内容に変化は無いのに、一方は叩いて一方は見て見ぬ振りとかいうのは、さすがによろしくない。」

鼎「一大事が起きた時に必死に頑張っている人を叩く人もいるけど、嫌いな相手が頑張ったり活躍する事で、嫌いな人が賞賛されたり支持される状況に変わるのは、絶対に認められないって事かな?」

逆沢「そういう人は、チームプレーには絶対向いてないと思うわ。チーム全体の利益よりも、個人的な好き嫌いを絶対に優先するだろうから。もちろん個人的な好き嫌いを露骨に表に出したらチームから反発買うのは必至だから(ある程度の理性があれば)本音を口には出さないだろうけど、内心ではチームの勝利よりも、自分自身の活躍と、嫌いなチームメイトの失態を望んでいるだろうから。」

愛原「大人向けのビジネス系漫画では、社内のライバルを蹴落とす為に、ライバルが仕切っているプロジェクトを失敗に追い込むべく策動するキャラクターがたまに登場する事があるが、嫌いな相手の失脚を誘い、自らが出世するために、会社の利益を完全に無視している(or会社に大きな損害をもたらす)点で、それと全く同じタイプといえそうだな。」

鼎「軍記物でいうところの、名将を讒言して追い落とす佞臣も、そんな感じだよね。」

逆沢「嫌いな相手を不幸にする為なら、組織全体がどれだけ腐敗しても構わないって思考が恐ろしいわ。」

愛原「そしてそんな思考の日本人が増えつつあるのを、ネットコメントなどを通じて感じなくもない。」

逆沢「つうか昔からじゃね? 日本は【出る杭は打つ】文化の国だし。出てカッコいいところを見せようとする杭は、とりあえず打たずにはおれないのよ。学校の授業で、答えが分かっててもなかなか手を上げたがらない文化も、日本ならではみたいだし。」

愛原「アメリカなどでは特にプレゼンテーションが重視されるが、アメリカ以外でもほとんどの国で自己主張は生きていく上で大事な要素になる。他人よりも先に手を出して仕事とチップを受け取るくらいの厚かましさがないと、顔も覚えてもらえないから馴染みにもなれないし、ひいては仕事も取れず生きてもいけないからだ。しかし日本ではうかつに先に手を出すと、先に手を出し損ねた者が、よってたかって先に出されたその手を切り落とそうとするとするからな。この前の産地偽造問題の時もそうだけど、最初に問題が明らかになった企業だけが猛烈に叩かれて、後からこっそり出したより悪質な所はほとんど叩かれないまま。兵庫県議会の政務調査費問題でも、記者会見に応じた野々村元議員だけが叩かれて、記者会見も開かず同様の問題が指摘されても表に出ようともしない長老議員らはほとんど話題にも上らない(実際には現兵庫県議長や当選8回で自民党長老格の岩谷議員や大物議員の息子で当選1回の水田議員や、前兵庫県議長なども問題になっているが、多分近畿外の人は名前すら知らないだろう)。日本ではうかつに目立たず、こっそり生きていく方が楽な国柄なのかもしれない。」

鼎「【日本では好かれる事よりも、嫌われない方が重要】って主張する人もいるらしいけど、やっぱりそうなのかなぁ? 逆にアメリカに限らず多くの国では、無名が最も価値が低く、アンチがいてもファンがたくさんいる人ほど、人としての価値が高いそうだよね。」

愛原「日本における中国や韓国に対するバッシングと、中国の日本に対するバッシング、あるいは欧米における反中東感情は、若干質が違うように思われる。日本ではかつて鬼畜米英と騒がれた頃から、バッシングの対象になった者を擁護もしくは再検証する者はほとんどでない。みんなが叩く者を擁護すると自分も叩かれるからだ。しかし中国などでは【日本に対する誤解を解く】べく活動する者が少なからずおり、たまにそういう主張をとりあげる記事が日本のネットに届く事も珍しくない。欧米でも、たとえば今はイスラム国とかいう過激派が問題になっているが、米英などがイスラム国に対して反発を強めるほど、逆にその流れに疑問を感じたり、イスラム国陣営に身を投じる自国民すら(善し悪しは別として)出る事もある。外国では悪名は無名に勝る事は珍しくなく、たとえはじめは悪名ばかりでも、有名になれば【本当にあいつは悪なのか?】という疑問を持つ者が、少なからず出るのだろう。」

逆沢「逆に日本では、少なくとも嫌韓バリバリの人が【韓国は本当に悪い部分ばかりなのか?】と様々な角度から再検証するようなケースはあまり無さそうだよね。韓国の悪い所を精一杯探し出そうとする嫌韓の人はいっぱいいるけど。」

愛原「ちなみに俺は、昔は典型的な関西産アンチ巨人だった。しかし一野球ファンとして何年も向き合うに連れて、そういうのは特になくなったわ。調べれば調べるほど、魅力的なドラマを持つ選手が、どの球団にもいる事が分かって来たからな。ナベツネに関しては今でも嫌いが勝るけど【罪を憎んで人を憎まず】の視点でみてみれば、嫌いな部分は未だ多いけど、存在そのものを否定するにはあまりにも惜しい存在かなとも思うようにはなった。」

鼎「アンチから始まってファンになる人も、たまにいるよね。嫌いなら嫌いなりに相手のことを調べるようにはなるから、調べていく内に相手の良さを知って虜になってしまう感じで。」

愛原「外国で悪名は無名に勝るというのは、そういう思考から来ているのかも知れんな。だから無関心のままよりは、相手のことをよく知りたいと思わせる程度には有名である方が上であると。」

逆沢「でも日本は違うのよねー。中国でも【敵を知り、己を知れば百戦すれども危うからず】という兵法の教えがあるけど、日本では第二次世界大戦の頃でも英語を敵性言語と位置づけて、たとえば教科書に載ってた外来語を黒塗りして、相手の文化を知ろうともせず全否定してたそうだしねー。」

愛原「野球用語のストライクやファールやアウトやセーフも、正球、圏外、無為、安全とか言ってたらしいな。野球自体がアメリカ由来なんだから、そこまでアメリカを嫌うなら、何も野球自体しなくてもいいのに。」

逆沢「少し前の韓国人が、寿司などを日本名で呼ぶ事を否定しながら寿司食べてたようなものか?」

愛原「韓国は日本に近いよな。そういう意味で♪ まぁいずれにしろ日本人は、中国や欧米と比べても【敵を正しく理解する】というか、嫌いな相手を公平かつ客観的に分析して先入観を改めるという訓練が足りないようにも思える。だからヘイトスピーチみたいなものが平気で行われたりもするんだろう。」

逆沢「あのヘイトスピーチって奴、目的が全然分からねえわ。仮に対象を外国に追放したいのなら、そうロビー活動しても良さそうなのにそういうのもないし、目的も告げずに悪口だけを言ってるだけで、デモと呼ぶには最終目的も不明瞭で、ただの嫌がらせにしかなってないし。」

鼎「嫌いという感情に理由はないって事なのかも知れないね。目的もせいぜい【嫌いな奴を不幸にしたい】くらいのものみたいだし。」

愛原「少なくとも嫌いな奴を味方につけたり、仲間にする事で得られるメリットとかには、一切関心はなさそうだな。有能なライバルを讒言して蹴落として国を危うくする佞臣の思考と何ら変わらない。」

逆沢「そういう奴は、自分の無能を棚に上げて、国に仇するにっくき者を追放したくらいにしか思ってないんじゃないの? 大抵の人は自分を必ず正当化するから、有能なライバルの事こそ佞臣と思い込んでいてもおかしくないし。」

愛原「自分自身の無力(場合によっては有害性)を自覚して、嫌いだけど有能なライバルに未来を託す判断ができる者がいる一方で、俺が不遇なのはあいつのせいだと憤って有能なライバルを蹴落として(自分自身は有能と思い込んでいるけど)無能な自分が上に立つべきと考える者もいる。嫌いな相手を客観的にみれる者と、うまくいかないのは嫌いな奴のせいだと考える者の両方がいる。」

鼎「仮に嫌う理由が嫉妬と理解できている場合ならば、少なくとも相手の方が上だと心の奥で認めてしまっているんだから、素直になれれば良い解決にもつながると思うのにね。向こうがこちらを嫌っていたら困るけど、そうでないなら彼と仲良くする事で、かつて嫌っていた有能な彼から色々助けてもらえるかも知れないし。」

逆沢「こちらが相手を一方的に嫌っていたなら、やがて相手もこちらの事を嫌いになっても不思議はないからね。まして相手の方が有能なら、その人と敵対するのではなく、仲良くした方が得というのも分からなくも無いわ。」

愛原「もしも毛嫌いしている奴の中に、それでも認めなければならない長所なり、光っている要素があるならば、それに気づいた自らの慧眼を誇ると同時に、相手の良さを素直に受けとめ、先入観を改める努力をした方がいいと思う。」

鼎「人間誰しも、憎悪の感情にとらわれると、相手の良いところに気づきにくくなるから、もしもそれに気づけたなら、それだけでもさすがというか、まだ冷静な自分が残っていたというか、慧眼の持ち主である可能性が高いから、それは活かさないと損だよね。」

愛原「【敵を知り、己を知れば百戦すれども危うからず】という言葉は、逆をいうと敵や己を知る事の難しさを裏付けているともいえる。みんな誰しも、嫌いな者を過小評価し、自分や好きな者だけ過大評価しがちな色眼鏡をもっているからな。その過小評価しがちな色眼鏡に惑わされないだけの度量や才に恵まれているなら、本当に活かさない手はないと思う。」

鼎「思想信条の違いとか、生活習慣の違いとか、(時には嫉妬や誤解など)色んな理由で嫌いになってしまう事もあるだろうけど、それだけでその人の持つ才や長所を見過ごすのはもったいないよね。」

愛原「うん。だから前々から気になってはいたけど、色んな理由で後回しになってたフリゲなども少しずつ消化しようと思う。」

逆沢「おい。なんだ急にその話の急展開ぶりは?!」

愛原「漫画でも映画でもフリゲでもなんでも同じ事だが、たとえば幼児向けとか少女向けと思ってても実際は深いエピソードがあったり、意外と面白かったりする事もある。自分の普段の好みと全く異なるにも関わらず、何か光るものを感じたならば、安易に捨てるには惜しいという事だ。嫌いと感じたものでも、よく知れば好きに変わるものもある。全く興味のないものに興味を持つのは困難だが、受け付けないものを感じながらも、同時に不思議に後髪ひかれる感覚も捨て去れないような作品と巡り会ったならば、体験してみる事で自分の世界観自体が広がる可能性がある。」

鼎「もしも今まで食べたこともないけど、不思議な興味をそそるメニューを見つけたら、試しに食べてみる価値もあるようなものかな? もしも美味しければ、自分の食生活に新たな幅ができるだろうし。」

愛原「嫌いなだけなら見向きする価値もないだろうけど、嫌いなものの中に不思議と光るものを感じたなら、それ自体が自分の人生観を広げる機会にもなり得る。もちろんそれで後悔する事もなくはないだろうけど、嫌いなものには、きっと今までの自分にない未知の価値観も含まれているだろうから、何か取り入れられそうと思ったら、安易に毛嫌いしたり、攻撃するだけが能ではないという事だ。我々は決して憎悪にとりつかれて、焚書や廃仏毀釈の例を真似てはならない。鬼畜米英の時代も繰り返してはならない。」

鼎「普通は嫌いなものには憎悪や軽蔑の念しか沸いてこないけど、それでは視野が曇るだけだし、もしも慧眼に恵まれていたなら、先入観を排する努力をしてみるのも面白そうだよね。」

愛原「特にフリゲは、一個人が趣味でやってるものばかりだから、たまに信じられないようなデザインのサイトもあり面食らうが、単に陳腐で終わるのではなく、非凡性と可能性を感じたら俺としては積極的に色々遊びたいと思っている。世界の価値観と可能性の広さをたまに思い知らされる事もあるし。技術力に驚いたり、発想に驚いたり。こちらの常識とキャパシティの幅が狭すぎて、たまに理解できない仕様の作品とか、飛び抜けた人間性そのものにぶつかる時もあるけども。」

逆沢「哲学的な話から始まったのに、最後は極めて個人的な日常の話で収めたわね。」














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