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愛原様のたわごと(15年7月5日)







逆沢「うーん。まさか本当にセリーグ全球団が借金なんていうシチュエーションを、実際に目にする日が訪れるとはねー。」

愛原「プロ野球史上初の珍事だな。常識的にあり得ないような事でも、確率的に少しでもあり得るようなら、それはいつ起きてもおかしくないという事を、改めて強く認識させられた。」

鼎「私達は、すごく確率が低い現象は、起きないものとして判断しがちだけど、低くても起きる確率が残っている以上は、いつ起きてもおかしくないし、すぐに起きるか遠い未来になるかは分からないけど、いずれは起きるだろうという覚悟もしておかないと駄目なのかも知れないね。」

逆沢「ゲームやってたら、そんな事は当たり前なんだけどね。スパロボとか、確率10%以下でもガンガン命中させられたり、逆に回避されまくったり・・・。なんどリセットボタンを押したくなった事やら。」

愛原「回避率90%と聞くと、ほとんどどんな攻撃でも避けられそうな気になるけど、実際には、集中攻撃食らったらいつ命中してもおかしくない程度の確率でしかないからな。命中率90%も同じで、当たって当然と思い込んでいると、肝心な場面で外してくれる。確率ってのは、イメージよりもずっとアテにならないものだ。ちなみにここの作者は、今年もまた神戸マラソンに落選したぞ。確率的にはそろそろ当選しても良さそうなのに。大阪マラソンも姫路城マラソンも一度も当選した例しがない。確率的におかしいだろ? どうみても。神戸マラソンに関しては、一度も当選した事がない運の悪い人向けに、初出場枠ってのまで用意されてるのにそれでも一度も当選しないとは、一体何がどうなってるんだと?」

逆沢「知らね。それが確率ってもんじゃねえのか?」

鼎「市民マラソンを主催する側の思惑としては、地元振興・・・つまり遠方の人が宿泊してお土産も買って観光もしてくれる事でお金を落としてくれるのを期待して、赤字覚悟で市民マラソンを開催する訳だから、地元の人を当選させても、あまり喜ばない気がするよ。地元の人はホテルに宿泊もしてくれないし、お土産も買ってくれないから。」

愛原「ま、俺が仮に大阪マラソンなり神戸マラソンなり姫路城マラソンなりに当選したとしても、お土産を買って帰ろうとはまず思わないわな。言われてみれば。」

鼎「つまり、これは私の推測なんだけど、地元の人間という事で、優先的に落選させられているような気がするかも。当選させても地元の景気振興という意味では、全然有り難くない顧客だから。」

愛原「距離表示や案内標識などなくても、コースや時間配分を間違わずに走りきれるであろう程、地理に精通している地元民でも外すというのか?」

鼎「そんな超地元人は、お土産どころか、下手したら喫茶店で軽食代すら消費しないだろうから、一番ノーサンキューなんじゃないのかなぁ?」

愛原「なんてこったい!! けど泊まり覚悟で遠方の大会に前もってエントリーできる程、恵まれた環境じゃないからなぁ。予算もそうだが、仕事の関係もあるし。」

逆沢「けど市民ランナーってのは、セレブとまではいかなくても、そこそこ余裕のある階級がやる人の娯楽という印象が、私的にはあったりするんだけどねー。皇居ランナーに関するネットの記事を読んだりする限りでは。」

鼎「皇居ランナーには、年収ウン百万円から一千万円以上の人がゴロゴロいるそうだよね。社会的地位の高い人も割と多く走っているらしいよ。」

愛原「皇居周りを出勤前の限られた時間や仕事帰り後に周回できるような連中なら、そりゃセレブの集まりだろ? そもそも日本を代表するような大企業や霞ヶ関などの中央官庁が皇居を囲むように配置されている訳だから。我々、地方人には全く関係の無い話だ。」

逆沢「市民ランナーに、生活に余裕のあるセレブが多いというのは、大いなる勘違いという事か?」

愛原「おいおい。スポーツクラブに通うカネも惜しいような人間が、できるだけカネをかけずにダイエットしたいとか、ケチくさい事考えて始めるスポーツの筆頭が、ジョギングだぞ。ランナーと聞いてセレブをイメージするだなんて、へそが茶を沸かす程、悪い冗談だ。もしも仮に財布をふくれさせているスポーツ好きなりダイエット挑戦者なりとの出会いを求めるなら、スポーツクラブにでも通った方がおそらく効率よい。」

逆沢「地方の市民ランナーに、カネ持ってる事を期待しても無駄だという事か?」

愛原「まぁ、ケチ=貧乏とは限らないというか、ケチである程、しっかりと手堅く貯金している可能性もあるから、その辺は人によるとしか言えんけどな。前回の話じゃないが、カネを持っててもそれ以上に贅沢してるせいで貯金が全くない人間も世の中には多いし、その逆もある。ただ、スポーツクラブで体を鍛えようとするグループと比べれば、カネの有る無しに関わらず、財布の紐は固そうではある。あと相対的に非社交的な人も多そうではある。ジョギングというのは、運動するのは嫌いじゃないけど、他人と関わるのが面倒くさいという人が選びがちなスポーツでもあるからな。他人と関わるのが面倒くさい人ほど、スポーツクラブなどを敬遠してもおかしくないだろうし。」

逆沢「ま、ジョギングとかランニングというのは、集団競技とは真逆にあるスポーツだからねー。野球やサッカーみたいに仲間を集めてチームを組む必要も無いし、柔道やテニスみたいに対戦相手が必要な競技でも無いし。」

愛原「おかげさまで、出会いも全くないぞ。名前も知らないすれ違いランナーと、言葉を交わす事くらいはあるが。体当たりして転んでくれるような美少女もいないし、悪態でからんでくれるようなツンデレも、壁に隠れて密かに応援してくれる女の子も、いつもすれ違いざまに挨拶してくれる犬を散歩中の優しそうな女性も、まーったくいない。」

逆沢「そういうドラマチックな出会いが起きる確率もゼロではないと思うけど、本当に確率は非情ねー♪」

愛原「あー、その代わりウリ坊やアライグマ(タヌキ?)と遭遇した事はあるぞ。山中コースをジョグしてる時に。」

鼎「ってか、ウリ坊って、イノシシの子供の事でしょ? 危なくなかったの?」

愛原「あれは11月の頃だったかな? 最初は草が風で揺れてるくらいにしか思わなかったのだが、ずっと付いてくる感じだったので、振り向いてガードレールの外を見てみたら、ウリ坊がガードレール外を併走する感じで付いてきてた。これはネタになると立ち止まって写真撮ろうとしたら、なんか去っていったわ。でもその後になって急に恐怖を感じて、民家が見える所まで約1キロほど、ほぼ全力で走って山を降ったわ。」

鼎「恐怖を感じるのと、ネタになると感じる順番が逆だよ。ウリ坊でも、本気で襲ってきたら、武器を持ってない人間が、逃げ切れる相手でも、勝てる相手でもないから。」

愛原「ひとそれでも、野生の猿や鹿の写真データを使用しているが、野生動物を発見すると、恐怖よりも先に写真に撮りたい欲求が先に出てしまってどうにも困る。」

逆沢「その内、熊と遭遇して、携帯かカメラを握りしめた状態で殺されるんじゃね?」

愛原「嫌な死に様だな。まぁさすがに近所に熊までは生息してないとは思うが。むしろ交通事故の方がずっと怖い。右側通行してる時に、特に怖い思いする事がある。」

鼎「でも歩行者は原則右側通行でしょ? ランナーは厳密には歩行状態じゃなくて走行状態だけど。」

愛原「皇居ランナーは原則、反時計回り。つまり左側通行だ。皇居ランナー以外でも、周回コースは原則反時計回り。あるいは左側通行だ。理由は分かるか?」

鼎「理由以前に、そんな法則自体、初めて聞いたんだけど。」

愛原「ランナーは昔から、左側通行か反時計回りで走るのが慣習になっている。陸上競技のトラックレースでも必ず反時計回りだし、駅伝大会やフルマラソンで片側車線のみ使用される場合も、必ず左側車線が使用される。そういう常識になっているのだ。また単に常識であるのみならず、安全上の理由もある。たとえば道路の右側を走っていると、右の側道から車や自転車が飛び出してきた場合、出会い頭に衝突するリスクが高くなる。道路の左側を走っている分には、相手の車なども左側を走っているから、出会い頭に衝突する前に視界に入るので、そういう危険はあまりないのだが。」

逆沢「図がないと分かりにくいと思うけど、真上から見た図で表現したら、なる程と感じなくも無いわね。」

愛原「まぁ常識的なランナーは、そもそも視界の悪い交差点では徐行するよう心がけるものだが、国道2号線のような明らかな優先道路でまで、信号のない交差点の度にいちいち徐行する事はさすがに厳しいし(自動車でも自転車でも同様だと思う)、にも関わらず、たまに狭い右側道から頭を出してくる車がたまにいたりして、これがランナーとしてはかなりの脅威となる。ある程度以上のランナーは、自転車よりも速く走れる為、自転車が右側歩道を爆走しているのと変わらなくなるからな。」

鼎「早い市民ランナーだと、自転車どころかバスとも平気で勝負できるよね。停留所で客を乗降させているバスをランナーが追い抜いて、しばらくしてバスがランナーを追い抜くんだけど、次の停留所でバスが止まっている間にまたランナーがそのバスを追い抜いていくみたいなデッドヒートを見た事もあるよ。」

愛原「川内選手のような熟練ランナーでも、たまに給水に失敗する事があるが、これは単に疲れだけが原因ではない。自転車に負けないレベルで走っている為、コップをうまくつかみ取る事自体が困難だからという事情もある。自転車を一定の速度で運転しながら、止まっているコップをうまく片手で取れるか? そして走りながらうまくコップの水を飲めるかを想像してもらえば分かる。たかが給水されど給水で、あれは意外とテクニックを要する。」

鼎「自転車でも右側で爆走してこちらに向かってくると、対向車としては結構恐怖だけど、そんなスピードのランナーが狭い道路の右側を走ってくると考えたら、それも恐怖だと思ったかも。」

愛原「その点に関しては、実はランナーの方が、ずっと恐怖を感じている。車の運転手は、ランナーの速度をかなり甘く見ている人が多く、甘い目算ですれ違おうとするドライバーがやたら多いからだ。」

逆沢「うん? そうなのか?」

愛原「駅伝やフルマラソンのテレビ中継を、注意して見てもらったら分かる。ランナーが正面から撮られている場面では、いかにもヘナチョコ走りをしているようにしか見えないというか、とても自転車より早く走っているようには見えないだろう。しかし側面から撮られた視点だと、ものすごいスピードで走っているように見えるはず。背景を構成する商店などは次々と入れ替わり、全力で自転車をこいでランナーを追いかけてるちびっ子が次々と脱落していく中、颯爽と走り抜けていくランナー達の姿が。」

鼎「ランナーって、前から見るのと横から見るのとでは、全然早さが違って見えるよね。」

愛原「この錯覚もあって、自動車側が前の電柱を通り過ぎてからハンドルを切ってランナーをよけようと思っても、ランナーが先に電柱に迫ってしまうような現象がしばしば起こる。ランナー側からすると、元々道の端ギリギリによけて走っている状態だから、これ以上、よけようがないし、反応が悪い車側に恐怖しながら、ヒヤヒヤドキドキで道の端に立ち止まって車を見送るような形になる。ランナーの右側通行はドライバーが錯覚を起こしやすい事情もあって、非常に危ない。」

鼎「一歩行者の視点でも、右側通行してて危険だと思う事があるよ。狭い道を右側通行してると対向車が猛スピードで横切る度に恐怖するというのもあるけど、夜間にハイビームを浴びせられた時が一番怖いというか。」

逆沢「確かにあれは怖い。右側通行してる歩行者の視点だと、本当に周りが真っ白になって何も見えなくなるだけじゃなくて、まぶしすぎて目を開けていられないというか、顔を横にして目を背けずにはいられない状態になるからねー。」

愛原「対向車のドライバーの立場で運転してても夜間のハイビームは厄介だが、右側通行している歩行者の立場だと、その数倍の威力になるからな。ハイビーム状態の車が連続してこちらに走ってくると、いつまでも前を歩けないだけでなく、一歩も前に出れないまま恐怖し続ける状態になって、怒りと恐怖が混じり合ったとてつもなく不快な感情にすらなる。」

鼎「けど歩行者の右側通行だけじゃなくて、夜間運転時は原則ハイビームという事になってるらしいよね。本来は。」

愛原「対向車がきたらロービームに変更するような推奨もされているが、歩行者が見えたらロービームにしろと推奨する人までは、俺は知らないな。」

逆沢「ふと思ったんだけど、ランナーの団体では、この右側通行問題をどう考えていたりするの?」

愛原「某ランナーを応援するスポンサー企業による個人的見解として、【ランナーは右側を走るべきか、左側を走るべきか?】という命題が出た際に、【道路交通法上は右側を走るべきだが、命が惜しいなら道路状況に応じて個人の責任で柔軟に判断すべし】という旨で回答されてた例をみた事がある。」

逆沢「いかにも苦し紛れの回答って感じねー。さすがに堂々と法律違反しろとは決して口にはできないけど、人命がかかってるだけに、何が何でも法律を絶対優先すべきとも薦められないという苦渋が、文面からも感じ取れるわ。」

鼎「そういえば今年の6月になって、自転車に関するルールが厳しくなったそうだよね。自転車通行許可表示のない歩道を自転車は走ってはならないとか、左側通行をより徹底させるとか。」

愛原「実際には自転車による事故件数は減少方向なのだが、にもかかわらず厳罰方向に向かっているのが不思議でならない。若者の自動車離れを食い止めたい業界団体の圧力でもあるのだろうかとさえ勘ぐってしまう。そりゃあ中には危険運転をする者もいるだろうけど、そんなのは自動車でも自転車でも同じ事だし。悪い人もいるから、良い人も一律で厳しくするというのは、俺的にはまるで賛同できない。そんなの道路状態や地域の事情に応じて、柔軟に対応すべきだろとも。」

鼎「歩道の段差の下にあるわずかな空間の中を自転車で走れと言われても、かえって危険だよね。特にそこに溝蓋があったり、段差があったりすると。」

逆沢「宅急便とかの車が駐車している時もあるしね。ああいう時はどうしろというのかねー?」

愛原「法律上は、違法駐車をしているドライバーに呼びかけてどけてもらった上で、正規の道を通行するか、それが面倒なら別の道を探して迂回する(もちろん左側通行を遵守する為に、迂回前には横断は必須)のが最も正しい。但し説得すべきドライバーが近くにいなかったり、迂回路が無かったりしてどちらも困難ならば、安全確保の為という理由で歩道に乗り上げて走っても構わないというルールにはなっている。また子供やお年寄りも、安全確保の為という理由で歩道の走行が容認されている。なお道路状態が悪くて法律の遵守が困難だから整備してくれと頼んでも、それは国土交通省などの管轄となるため、警察は相手してくれない。ところどころに配置されている溝蓋が邪魔で安全に走行できないと警察に抗議しても、アッテンボロー提督ばりに【それがどうした?】と言われておしまいだろう。」

逆沢「イミフ。法律は誰のためにあるのか? 何のためにあるのか? 根本的に考えさせられる問題ね。今回の道交法改正は。」

愛原「ウチの取引先のトラックの運ちゃんも嘆いてたわ。とある幹線道路で片側にだけ幅1メートル以上の立派な路側帯があって、もう片側には何級河川だかのでかい川があるだけで歩道も何もなく、30センチくらいの細い路側帯だけが草むら状態で細く残っているだけの危険な状態のエリアがあるのだが、道交法改正以降、高校生達が危険な川沿いの左側の細い路側帯を所々、車道にはみ出しながら大挙して走るようになって危険極まりないと。そうでなくともトラックが多数行き違う道路なのにと。特に前を走る大型トラックが自転車通学の高校生を高速で横切る度に、突風でふらついて自転車をふらつかせている時が最高にやばいらしい。ふらついたあげく突然車道側に転倒したら、その真後ろを走るドライバーとしては回避不能で、そのまま高校生をひき殺しかねないから。あと、雨の日だと、道路の整備状態の悪い川寄りは水たまりができやすく、高校生に容赦なく水たまりの水をぶっかけて走り去る朝の通勤ドライバーも出るらしい。」

逆沢「けど、それ、高校生も大型トラックも悪くないだろ? どちらも決められた車線を走っているだけだし。悪いのは大型トラックがすれ違う度に風でふらつく程度の狭く危険な路側帯しか用意しない道路の整備担当者と、悪法を押しつけた警察だけで。」

愛原「某トラックの運ちゃんは、反対車線にだだっ広い歩道(実際は路側帯)があるのにけなげに交通ルールを守っている高校生らに対して、【アホやのう。命惜しないんか?】と悪態ついていたわ。」

鼎「道路状態が、警察が考える理想の状態と全く異なるのに、ルールだけを先に厳格化しちゃったら、こういう悲劇を招くという典型と思ったかも。」

逆沢「自転車は道路のどの部分を走るべきかという問題にしても、ランナーは道路のどの部分を走るべきかという問題にしても、現実が全く追いついてないのに目標というか、ルールだけを先に決めるからややこしい事になるんだと改めて思ったわ。」

鼎「誰かにとって理想の状態を作ろうとしても、環境が整ってなかったり、別の誰かの理想や幸福を奪うだけの理不尽な状態になっちゃうという事もありそうだよね。歩行者にとっての理想。自転車にとっての理想。自動車にとっての理想。みんな違うから。」

愛原「という訳で、前置きがかなり長くなったが、今回のテーマはディストピアだ。」

鼎「ディストピアというのは、ユートピア(理想郷)を皮肉った対立的概念で暗黒郷とか、訳されたりする事もあるものだよね。」

愛原「うん。暗黒郷とか反ユートピアとか訳される事も多いが、天国がユートピアとするなら、地獄がディストピアなのか言われたら、そのような関係では決してない。どちらかというと天国のふりをしたまがい物。あるいは天国の負の部分。天国の裏の顔。天国の本当の姿。そういうのを表した概念だ。ディストピアの概念については、現段階のwikipediaでも、俺が考えるほぼ正確な記述がなされているので参考にされてもいいかも知れない。」

逆沢「なる程。私達は理想のユートピアとして、たとえば争いのない平和な世界をイメージしたりするけど、その実態が、単なる管理社会。統治者に逆らう思想の持ち主をあらかじめ粛正する事で、争いのない平和な社会を実現しているだけというオチがあれば、立派なディストピアという訳ね。」

愛原「市民が働かなくていいユートピアだと思っていたら、実は人権のない奴隷階級が馬車馬のように働かされていて、奴隷達が働き続ける事で市民が働かなくてもいいユートピアが実現できている社会であったりとかな。」

鼎「貧富のないユートピアだと思ったら、単に金持ちが住むエリアと、貧乏人が住むエリアが分けられていて、お金持ちのエリアに住む人がスラム街の事を見て見ぬ振りして既得権益を維持しているだけみたいなSF作品も読んだ事があるよ。」

愛原「偉大な将軍様によって素晴らしいユートピアが運営されていると思ったら、実は将軍様は偉大で素晴らしいと讃えないと粛正されるだけの世界であったりとかな。」

逆沢「それはSFじゃなくて、ノンフィクションの方だろう。まぁ日本でも、治安維持法とかが跋扈していた時代があったけど。」

鼎「治安が維持されて平穏が保たれている状態と聞くと、いかにもユートピア寄りなイメージだけど、その裏で多くの人が容赦なく粛正されているなら、それは血なまぐさいディストピアそのものだよね。」

愛原「さっきも言ったが、ディストピアはいわゆる分かりやすい地獄そのものではない。ディストピアの支配者は、血なまぐさい光景を表沙汰にはしようとしない。血なまぐさい処理は、人目に付かない所でやるし、もしくは人々に見て見ぬ振りをする事を強要する。

逆沢「で、庶民達は、自分達の世界が裏で血なまぐさい事をやっている事に気づかずに、あるいは見て見ぬふりをする事で、いかにも自分達の世界が素晴らしいユートピアであると思い込もうとするわけね。」

鼎「なんかイジメを見て見ぬ振りをする学校みたいな光景だよね。実際にはひどいイジメが平気で行われているにも関わらず、誰もがそれを見て見ぬふりをする事で、学校側も【我が校ではイジメ報告件数0件!】とアピールして、いかにも素晴らしい学校である事をアピールするみたいな。」

逆沢「都合の悪い部分を隠したり、見て見ぬふりをする事で、外面だけは立派なユートピアがディストビアって事か?」

愛原「ディストピアでは、人々が不満を持っていても、それを口にする事はほとんどない。口に出すと、村八分にされたり粛正されてしまうからだ。だから表向きは、いかにも平穏が保たれた状態になっている。」

鼎「で、ごく少数の人だけがディストピアの支配者達に対する不満を公然と口にしてるんだけど、そういう人達はディストピアの支配者層に常にマークされていて、迫害の対象になっている訳ね。ユートピアの秩序を乱す不穏分子みたいな扱いをされて。」

逆沢「ディストピアでは、支配者層に対する不満を口にする自由すらないという事ね。ユートピアを破壊する危険因子とみなされるから。」

鼎「少し前に、自民党の若手議員達が政権側の提案する政策に抵抗するマスコミを潰すべきと発言して問題になってたけど、ディストピアという視点で考えるとすごく分かりやすいというか、まさしくディストピアの支配者的な考え方だと思ったよ。」

愛原「ディストピアでは、反対や抵抗をする者は容赦なく潰される。だから潰される事を嫌がる大多数の市民は不満を言わず、偉大な将軍様的な姿勢で支配者を讃え続ける。その結果、事情を知らない外部の人からすると、誰もが世の中に不満を持たない理想郷に映る。」

逆沢「でも実際は、理想郷とは正反対で、不正や不満がない世界ではなくて、不正や不満がもみ消されている世界でしかない訳ね。」

愛原「権力層が不正をしていても、それを追求する事は許されない。下手に追求すると、(たとえ本当の話であっても)根拠のない噂話を広める不穏分子として、処罰される。またユートピアの管理者は絶対に不正をしないという前提で社会そのものが成り立っており、庶民は額に番号を刻印された家畜のごとく、厳しく管理されている。不正をしない事になっている権力者によって、資産状況は正しく把握され、税は正しく徴収され、適正に運用されるというタテマエで。」

逆沢「そう考えると、マイナンバー制度も、ディストピア的発想といえそうね。実際は正しく情報が管理されているとも思えないし、税金が正しく徴収されているようにも運用されているようにも思えないけど。国立競技場の建築費一つとっても。」

鼎「そういえばディストピアの支配者って、国民を全く信用していないよね。国民は信用できないという前提で、いちいち細かく管理しようとしてる傾向が明白というか。」

逆沢「でも国民全体を含む他人の事は全く信用していないけど、自分達の正しさだけは確信しているみたいなのが、最高にムカつくわ。【俺は自分の正しさを確信してるけど、同時に俺の正しさを否定するお前ら他人は全く信用できない。だから正しい俺様によって、正しくないお前らを徹底的に管理してやる。正しい俺様に異論を唱える奴らは、マスコミも含めて徹底的に叩きつぶしてやる】みたいな傲慢さがミエミエというか。」

愛原「ちなみに7lcwの黒藤軍のエンディングを見た人なら分かると思うが、黒藤軍もまた【我々は正しい】事を世界に教えてやる的な思想で動いている国体だったりする。世界の警察を自称する組織ならではの独善思想ではあるが。」

鼎「けど【正しい俺様】にとって理想の世の中になったとしても、それをユートピアと思えるのは【正しい俺様】だけだよね。」

逆沢「政治家は、特に【正しい俺様】を確信しているような人が多くていやんなるわ。自分の正しさを確信するあまりに、強行採決しようが、裏で根回ししようが、異論を口封じしようが、あらゆる手段を使ってでも自分の思い通りにしようと考える人ばかりのような気がするし。」

愛原「ただ、正しさにすがるのは、我々庶民も同じだからな。多くの人は自分の行動や判断に不安を持っていて、だからこそ占いに頼ったり、宗教を信じたり、特定の誰かを盲信したりする。この人の言う事を聞いていれば間違いないとか、この教えを守っていれば必ず救われるみたいな、正しさが欲しくてたまらない生き物なのだ。」

鼎「近未来SFでは、絶対的な正しさを導き出せない不完全な人類に替わって、コンピュータに世界の管理を任せるみたいなストーリーも珍しくないよね。で、そのコンピュータが分かりやすい程のディストピアを作り上げて、それに疑問を持つ主人公が戦うストーリーに発展していくパターンも定番というか。」

愛原「コンピュータは今の安倍晋三や大西英男なんか目じゃない、絶対的な正しさの基準を持っていて、しかも一切ぶれないし、妥協もしないからな。ディストピアの支配者としては、格好のラスボスだ。」

逆沢「将来的には分からないけど、少なくとも現代人のコンピュータ技術で、妥協したり落としどころを探ったり、複数の異論をまとめあげて昇華するようなメカニズムをもったコンピュータなんて、ちょっと作れない気がするわ。コンピュータは、与えられた指示を忠実に全うするだけしかできないような気もするし。だからこそ一切の妥協やえこひいきを許さない絶対的審判としての働きが期待されて、それでえこひいきも妥協もないコンピュータに世界の管理を任せようという論理になっちゃうのかも知れないけど。」

鼎「ドラえもんみたいな感情豊かなコンピュータロボットが現れたら分からないけど、少なくとも現代の水準に基づいて考える限り、コンピュータは人間の脳が持つような複雑な処理はとてもできそうにないよね。計算能力や記憶能力はコンピュータの方が高いかも知れないけど、柔軟性がまだないというか。」

愛原「柔軟性は、時にえこひいきになるからな。えこひいきを許さないという視点でいえば、コンピュータによる最終判断が一概に悪いとはいえない。しかし正しさを疑ったり、イレギュラーシチュエーションに適切に対応できる能力がないという問題を抱える限り、コンピュータによる支配は、ディストピア化を避けられないような気がする。」

逆沢「でもそれは人間にも、いえるんじゃない? 人間にも自分の正しさに確信を持ちすぎてたり、想定外の事態にうまく対応できなかったり、マニュアル通りにしか動けない人間も少なからずいるだろうし。」

鼎「マニュアル人間が管理を強化すると、ディストピアになっちゃうような気がするよ。交通ルール一つとっても、実際には柔軟な運用が必要なはずなのに、無闇にマニュアルを厳格にする方向ばかりに動くと、かえって世の中を混乱させかねないようなものというか。」

逆沢「今回の道交法改正も、運用次第ではディストピア化の進行を早めかねない怖れはあるかもね。融通の利かない警察官なら、容赦の無いネズミ捕りで、道路状況などを無視して違法な自転車ドライバー狩りをやりかねない怖れはあるし。」

愛原「まぁ自動車相手のネズミ捕りみたいな小遣い稼ぎができなさそうだから、実際には厳しく取り締まるフリだけに留まりそうではあるけどな。但し、警察にとって都合の悪い人間を別件逮捕で痛めつけるには都合が良くなってるという点では、正直問題を感じなくもない。そうでなくとも警察は公務執行妨害や民事不介入といった定番のキーワードで、積極的に人を犯罪者扱いにしたり、逆に事件すら事件化しなかったりと、好き放題に事件化するしないを選別するきらいがあるから。」

鼎「というか世の中全体として厳罰化の流れになっていても、実際に多くの人を裁けるだけの余力が社会に無ければ、罪に該当する人が増えても、実際に罪人として扱われる人とそうでない人が分かれるだけで、恣意的な選別や迫害が進行しやすくなる懸念もあるよね。」

愛原「現在のアメリカも、そういう側面は色濃くあるようだ。銃社会であるアメリカでは、警官が罪を厳格に運用すると怪しい人間はみんな殺し放題・撃ち放題になってしまうのだが、それが恣意的に運用された結果、黒人だけがやたら警官による射殺対象になって、社会問題化したりとか。」

逆沢「法を等しく厳しく運用すれば、黒人白人関係なく、多くの市民が警官に撃ち殺されかねないけど、そんな事をしたら警察機構自体が倒れかねない。だから国民全体に対して法の厳格な運用はしないけど、タテマエ上は厳しく運用されて当然の状態だから、気に入らない奴だけは法律を盾に容赦なく撃ち殺すみたいな形になってしまってるという事か?」

鼎「コンピュータがディストピアの支配者になった場合は、平等(?)に市民を不幸にするけど、人間がディストピアの支配者になった場合は、支配者にとって都合の悪い人間やムカつく人間だけが理不尽に弾圧される流れになるって事かな?」

逆沢「大西某や百田某にしても、ムカつく他人の発言の自由は徹底的に制限しろと言わんばかりだけど、自分自身の発言に関しては発言の自由を盾に今でも言いたい放題だし、連中がディストビアの支配者なら、【あいつはOK、あいつはNG】って容赦なく選別してきそうな気がするわ。」

愛原「それでもディストピアでは、その理不尽を口にする事は許されない。特定の誰かが不当に迫害されていても、迫害という事実自体が無かった事にされてしまうからだ。」

逆沢「ある意味、地獄とか世紀末と言われる状態の方がマシかもしれないわね。無法ではあるけど、平等に無法という意味では。」

鼎「ディストピアは無法状態とは真逆で、法を盾に人を蹂躙する世の中だよね。」

愛原「その法が平等に運用されるならまだ救いもあるが、厳格化すればそれも不可能になる。たとえば300年前くらいのロシアを治めていたピョートル大帝は、無数の税制を制定したが、あまりに税の種類を増やしすぎた為に肝心の徴収が行き届かずに結局、その大半をやめる事にしてしまった。だがここでヤバいのは、税の徴収が行き届かないと、何が起こるかという問題だ。全員から税を取り立てられるだけの公務員がいないとなると、当然ながら公務員は、税金を取り立てにくい相手に対して何もしなくなる代わりに、税金を取りやすい相手のみから徹底的に取り立てるようになる。するとAさんは徹底的に税を搾り取られる一方で、Bさんは1円も税金を払わずに済みましたみたいな事が平気で起こる。」

鼎「去年の11月3日のたわごとの共有財産のネタを思い出したよ。全員から均等に税金を徴収するのではなく、特定の誰かに全員分の固定資産税を一括して払わせるみたいな、極悪非道の自治体が存在するって話。」

愛原「重税をかければかけるほど、全員に公平に払わせるのは困難になる。すると特定の誰かにしわ寄せが来る。当たり前と言えば当たり前の話。道路交通法の厳格化といった所で、全員を公平に罰するなんてできっこないから、運が悪いか、権力層に目を付けられている人だけが、優先的に罰せられるだけに終わるのは目に見えている。ネット関係でも、たとえばスマイリーキクチ誹謗中傷事件が表沙汰になったのは、特定の加害者が警察のメンツを潰すような暴挙に出た事で、警察が本気になったからに過ぎない。全てのネット被害者に対して、警察が真摯に対応してくれるかと言えばとんでもない話だ。」

鼎「交通事故関連でも、マスコミで騒がれた事件に関しては警察も本気だけど、三面記事にも載らないレベルの交通事故では、【事故の目撃者を探しています】という看板を設置するだけでそれっきりという例も珍しくないらしいよ。」

逆沢「野々村元県議で話題になった政務調査費問題にしても、ニュースにも取り上げられなかった議員に関してはおとがめ無しみたいな状態だったしねー。」

愛原「厳しい法を制定しても、処理能力が追いつかなければ、取捨選択される。無罪放免で済む場合もあれば、逆に野々村元県議のように必要以上に徹底的にバッシングされる事もある。」

逆沢「それでも誰も不満を感じない。あるいは不満を口に出来ない世の中がディストピアって事ね。」

愛原「ディストピアの根幹を成すのは、徹底した情報統制と情報操作だ。モヒカンがヒャッハーするような無法国家とは正反対で、逆に徹底的に管理されている。国民が不満を持つような情報は、できるだけ隠蔽する。またディストピアの本当の闇を明らかにしようとするなど、国民の不安を煽りかねない人物は、徹底的に排除する。ある種、愚民政策といってもいい。」

逆沢「愚民政策か。ある意味、民主主義を腐らせる最大の要因ね。」

鼎「国民に正しい情報を提供した上で、ベストの解決策を国民自身に考えさせて選択させて行動させるのが、本来の民主主義だよね。国民が持ってる情報が正しくなければ、まともな解決策にたどり着けないのは当たり前の話だから。」

愛原「愚民政策は、国民に偏った情報しか提供しない事で、世論を特定の方向に誘導する政策だ。民主主義を内部から腐らせる手段そのものといって良い。国民をユートピアと誤認させるディストピアでは、これが当たり前のように行われる。」

逆沢「実際には偏った情報しか与えられないのに、国民自身はその情報を真に受けて、いかにも最良の選択肢を自分の頭で考えて選挙で選んだと思い込んでるような状態って事ね。本当は不平等極まりないのに平等と思い込まされたり、反対者が多数を占めているのに少数であるように思い込ませたりみたいな。」

鼎「自分の生きている世界がディストピアに近づいているとするなら、それを事前に察知する方法はないかなぁ?」

愛原「まず法が厳罰化・複雑化・解釈崩壊の方向に動いている時は注意した方がいい。次に誰が情報を操っているのかを考えたい。もちろんマスコミじゃないぞ。この点は大西某や百田某も口にしてたけど。」

逆沢「マスコミを操ったり潰したりできる存在。つまりスポンサーとか中央官僚とか万年与党って事か? あるいはスポンサーや万年与党に圧力をかけられる存在って事ね。特定の大国とか、集票力のある巨大宗教勢力とか、世論に大きな影響力を与える声のでかい扇動者とか。」

鼎「私はユートピアを目指す方向性自体は間違ってないと思うけど、ユートピアとディストピアを見分けるには、どういう部分を注意した方がいいかなぁ?」

愛原「【私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る】という有名な格言があるが、これが健全に働いているかを重視したい。もしも政権側が対立意見を闇に葬ろうと考えているようなら、かなりヤバいとみて間違いない。また情報公開に後ろ向きな方向に世の中が向かっているなら、それはかなり危険な流れだ。あと権力者がやたら誇りだの名誉だの重みのある言葉を軽々と連呼して、自画自賛するようになった場合も怖い。」

逆沢「人間は都合が悪くなればなる程、自画自賛するようになるからねー。企業なら粉飾決算して業績が良いようにみせかけるし、軍人なら相手を過小評価して勇ましい言動ばかり繰り返すようになるし、ニートですら無理矢理他人を見下す事で精神を安定させようとするし。」

愛原「ディストピアは、外面をよく見せる事を何よりも重視するから、実感以上に景気のいい言葉を権力者が連呼するようになったら、かなりヤバい。」

逆沢「つまり、景気のいい言葉ばかり言う一方で、異論に対して過剰にバッシングして、あいつの口を塞いでしまえみたいな事を言い出すような状態になると、相当ヤバいって事か?」

鼎「都合のいい情報しか出さなくなって、やたらと情報を隠す方向になったり、人を処罰したがるようになったら、特に要注意って事だよね。」

愛原「あと、ディストピアの支配者は、三度の飯よりも管理が大好きだ。無法国家のモヒカンとは正反対で、情報を何よりも重視し、情報を統括し、管理・統制し、自分にとって最も都合のいい状態になるように、流すべき情報と隠すべき情報をより分ける。本性としては相当に血なまぐさい側に属するが、外面を非常に気にし、汚名を嫌い、讃えられる事を強く望む。また誰よりも自分が正しいと確信しており、それ故に情報統制で人を騙したり、反対勢力を粛正する事にも躊躇はないし、犠牲も怖れない。自分にとってのユートピアを作るためなら、他人にとってのディストピアであっても何ら気にしない。」

鼎「いくら争いのない平和な世の中であっても、その実態が、反対者を粛正し続けているから争いが表面化しないだけというのは、すごく怖いし、そんな上から押さえつけたようなユートピアなんか、すごく嫌だよ。」

逆沢「ディストピアの世界を描いた作品では、優秀な遺伝子を持つ者だけが子作りを認められたり、あるいは特定の相手との婚姻まで強要されたりするワールドもあるけど、そんな競馬馬やブロイラー扱いされるような世の中は、私も嫌だ。」

愛原「そもそも優秀な遺伝子とはなんぞや?とも思うしな。織田信長の遺伝子を受け継いだ子孫が必ずしも優秀とも思えないし。出世する人間が優秀なのか? 筋力や運動神経の良い人間が優秀なのか? 知能指数が高い人間が優秀なのか? カネを稼ぐ人間が優秀なのか? 子供をたくさん作る人間が優秀なのか? 上司の命令に忠実に働く人間が優秀なのか? 基準もよく分からん。競馬馬なら足が早くて、ブロイラーなら肉がうまい程優秀なんだろうけども。」

逆沢「つうか、ブロイラー扱いされるようなユートピアなんかいらねー。」

鼎「支配者側からすると、支配者に決して逆らわず、自分をちゃんと褒め讃えてくれて、国を豊かにする為に真面目に働き続けて、それでも高給や高福祉を要求せず、働けなくなったら地方に移住するなり、さっさと死んでくれるような世の中こそが、究極のユートピアなのかも知れないけど・・・。」

愛原「ま、万人にとってのユートピアを実現するのは、現実問題として不可能だろうな。それを追求すると、多くの人間にとってのディストピアになる。むしろユートピアを目指すのではなく、ディストピアを避ける道の方が、万人が幸せになれるやも知れん。」

鼎「反ディストピアって事?」

愛原「うん。たとえば意見が対立する者が出るからといって、無理に争いを無くそうとすると、どちらかが最終的に粛正されかねない。そういう時は無理矢理シロクロつけるのではなく、むしろ共存の道を目指す。人それぞれで割り切ったり、妥協点を模索したり、双方の良い部分を取り入れるようにしたり。」

逆沢「ま、自分と異なる意見が出る事で、さらに良い解決方法が見つかる事もあるだろうしね。異論を排除するのではなく、よく耳を傾けてみたら、相手の言う事の方がより正しかったとか、より合理的であったとか、そんな事もあるだろうし。」

愛原「ディストピアは、自分こそが一番正しいと信じる者が世界を支配している限り、永遠に更なる発展が望めない世の中でもあるからな。自分の存立意義が脅かされるような異論は、全て排除されるから。」

鼎「そうではなく、異論から学べる世の中の方がいいよね。一見アウトにしか見えない事でも、よく考えたらその方がもっともって事も多いだろうから。」

愛原「いつでもどこでも交通ルールは、絶対に正しいのか? その通りに運用していれば、世の中は最もうまく回るのか? そんな事はないはずだ。少なくとも違法駐車の撲滅もできないくせに、危険な溝蓋の排除もできないくせに、危険な道路もあちこちにある状態で、自転車は歩道を走るなとか、自転車は左側通行で歩行者は右側通行とか、上から目線で一方的に言われても正直困る。異論を全て排除するのではなく、より良い状態に変えていく為に、状況に応じた柔軟性を忘れないようにしたい。」

鼎「異論が排除された結果、見せかけだけの平穏が保たれているディストピアよりも、誰かが常に異論をつきつけているけど、だからこそ更なる発展の可能性がある活力のある世の中の方が絶対にいいよね。」


















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