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愛原様のたわごと(15年10月11日)







愛原「たった1回、クリックミスしただけで、大変痛い目に遭っている。」

逆沢「もしかして怪しいサイトで、誘惑に負けてしまったのか?」

愛原「そう言うんじゃなくて、前々から【windows8.1にバージョンアップしますか?】みたいな表示が頻繁に現れるようになっていて、その度にイライラしてたんだが、つい先日、いつもにも増して不意打ちのタイミングでその表示が出てきやがって、不覚にも更新ボタンをクリックしてしまっていたらしい。いや、押すつもりなど0.1%もなかったのだが・・・。」

逆沢「間違って押して待ったなら、取り消せよ。」

愛原「なんと中断するボタンも、取り消すボタンも、再確認のボタンも、何一つねーんだ。いきなり更新作業が始まって、こりゃやべーと思って、可能な限り超速で取り消す方法を検索したが、更新作業を中断する方法が見つからねー。仕方が無いから、これまた速攻でネット回線の電源落として、さらに念を入れてパソコンの電源もついでに落としてやった。これでダウンロードも更新もできねーだろ、ザマーミロと安心してたんだが。」

逆沢「それでも駄目だったのか?」

愛原「数日は大丈夫だったんだが、どうやらネットに繋ぎ直したら再び更新作業がこっそり強制的に再開される仕組みだったらしくて、ある日突然、windows8.1に変身してやがった。」

鼎「でも一応、バージョンアップなんだから、して良かった事もあるんじゃないのかなぁ?」

愛原「(少なくとも今の所)何もねえよ!! スタートアップ画面はケバいわ、メイン画面の背景画も差し替えられてるわ。だが何よりも許せないのは、頻繁に使用する某常駐愛用ソフトが起動できなくなってしまってる事だ!!」

逆沢「そのソフトって、元々windows8では、動作保証外なんじゃないの?」

愛原「そりゃしゃあない。元々windowsXP時代以前に世に出たソフトだからな。それでも、windows8までは一応動いてたんだ。でもwindow8.1に変身して以降、全く起動できなくなってしまった。何がバージョンアップだ。思いっきりバージョンダウンじゃねえか!!」

逆沢「OSのバージョンが変わると、以前まで起動できたソフトが起動できなく例は珍しくないからねー。」

愛原「そしてそんな俺の怒りをあざ笑うかのように、今度はwindows10にアップデートしますか?みたいな表示まで出てきやがった!! どこまでケンカ売ってくれんだ、このボケナスが!! そのくせ、windows8にバージョンダウンしますか?という案内は一度も出てこねえし。」

鼎「何の前触れも無く突然画面に現れて、うっかりワンクリックしてしまったが最後、途中で中止も取り消しもできない仕様ってのは、さすがに強引なやり方だとは私も思うけど。」

愛原「更新作業中に電源落としても、再度電源を入れてネットに接続したら、再び更新作業も承諾なくこっそり再開するようなクソ仕様だとは夢にも思わなかったわ。何の前触れもなく不意打ちで画面に更新案内が現れる仕様といい、一切取り消しを受け付けない仕様といい、無理矢理更新させる気マンマンなのが実に腹立たしい。」

逆沢「それでもマイクロソフト社としては、一応利用者がクリックする事で更新OKの確認を取っているという体裁だけは整えてあるのがミソね。」

愛原「今まで何十回も、更新はしない意思を示しているのに、それでもしつこくしつこく更新の案内を不意打ちでかまし続けてきて、たった1回、不意打ち攻撃をよけきれず、誤ってクリックさせられただけで、途中で電源を落とそうが、どれだけ抵抗しても無理矢理更新作業を完了させてしまうやり方は、あまりにも汚い。腹立たしい。」

鼎「何度断っても、しつこく勧誘の電話をかけてきて、ついうっかり一度でも上の空でYESと言ってしまうと、後でどれだけ取り消しの意思を示しても、それは聞こえなかったふりをして、何度工事を妨害してもこちらの目が届いてない隙に最後まで工事まで終わらせて請求書を送りつけてくるやり方みたいだよね。」

愛原「まぁその内、時間に余裕がある時にでも、windows8以前のバージョンに戻してやろうとは思ってるが。」

鼎「でもそれをやったら、また何回も何回もしつこくwindow8.1への更新のご案内が不意打ち表示され続ける可能性はないかなぁ?」

愛原「それは激しく困る。」

逆沢「で、また間違ってポチって無理矢理windows8.1に強制変身と。」

愛原「十分にあり得るな。個人的にはこんな小汚い真似を平気でやるwindowsにはもう嫌悪感しかないが、まだまだwindows対応ソフト全盛期だけに、windowsとは仲良くやっていかざるを得ないし、本当に悩ましい問題だ。誰かいい方法があれば助けて欲しいわ。マジで。」

逆沢「おー、泣き言入った。」

愛原「まぁ、お前ら相手助けを求めてもどうにもならないだろうから、愚痴はここまでにして、今回のテーマに移ろう。今回のテーマは【助けを求める人達】だ。」

逆沢「今、まさにお前のことじゃねえか?」

鼎「でも割と興味深いテーマだと思うよ。善玉や悪玉をテーマに取り上げるのは多いけど、助けを求める人達に直接スポットを当てた事は、よく考えたら今までほとんど無かったような気もするから。」

愛原「誰だって助けを求めたい心境になる事はあるだろう。また助けを求めなければ、自らの安全を守りがたい時もあるだろう。困った時に助けを求める。それ自体は何らおかしくない。」

鼎「小さな子供に教えなくてはならない大切なものの一つでもあるよね。危険な目に遭いそうなときに、助けを求めるというのは。」

逆沢「最近は【知らない人についていかないように】みたいな感じで、不用意に他人と接触しないように教育する例の方がメインのような気もするけどね。」

鼎「でもそればかり優先して、例えば自分が迷子になったり、あるいはイジメや虐待に遭っても、誰にも助けを求めようとしないような子供も、逆に危険だと思うよ。」

愛原「迷子に関しては、子供よりもお年寄りの方が厄介らしいな。お年寄りの中には変にプライドが高い人もいて、そういう人はなかなか他人に助けを求めたり、相談したりできないらしいから。」

逆沢「大の大人が【迷子になりました】とは言いにくいという事かしらねー?」

愛原「一人旅が好きな俺からすれば、【道を聞く】事に抵抗がある御仁の気持ちが全然理解できんわ。未知の場所で未知の人に道を尋ねる醍醐味も、また乙なものなんだけどな。」

鼎「こちらが道を尋ねたからと言って、それで不愉快な対応をされることは少ないよね。」

愛原「うん。たまに無言で案内板を指さされて、恥ずかしい思いをする事もあったりはするけどな。【困ったら人に聞けばいい】主義の自分とすれば、ちょっと調べたら分かる事でも、未知の場所だとどうしても人に頼りがちな部分はある。」

鼎「安易に人に頼りすぎるのはどうかと思わなくもないけど、それでほっこりできたり出来れば、つい多用したくなっちゃう気持ちも分かるよ。」

愛原「安易に人を頼らないというのは、まぁ美徳の一つではあると思うが、時と場合にもよるからな。特に報・連・相(報告・連絡・相談)を重視する企業組織などの場合は、個人が勝手に判断して動くと、かえって迷惑がかかるケースも珍しくない。」

逆沢「分かる分かる。誰かに相談したらすぐに解決する問題なのに、それをせずに独りよがりで勝手に行動して、かえって周囲に迷惑をかけちゃう事もあるからねー。」

鼎「【聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥】ってことわざもあるよね。」

逆沢「分からない事を聞くのは恥ずかしいかも知れないけど、分からないのに知ったかぶりをしたあげく、心の中で笑われたり、間違った事に気づく事無く、永遠に恥をまき散らすよりは、ずっとマシだろうからねー。」

愛原「何でもかんでも他人頼りというのは行き過ぎにしても、他人を頼るのは恥ずかしいこととまで思い込むのも、また行き過ぎだと思う。他人は必ずしも不親切な人ばかりではない。」

鼎「助けを求められて、つい嬉しくなる時もあるよね。【自分が人の役に立っている快感】というか【誰かに感謝される事による快感】というか。」

逆沢「【自分は、世の中の役に立っている人間なんだ】と再自覚できる瞬間でもあるからねー。たとえ道を尋ねられただけであっても、観光地でカメラのシャッターを押す仕事を頼まれただけであっても。」

愛原「治安の悪い国でカメラを見知らぬ人に渡すのはかなり危険だと思うが、日本国内に住む日本人なら、そういう時には快諾して、我が国の治安の良さと人間の良さのアピールに一役買いたいものだな。」

鼎「忙しい時とか、助けを求められても期待に応えられない事もあるけど、頼られて悪い気はしないという人も多いと思うし、だからこそ自分が困った時とかピンチの時には、勇気を持って助けを求めたらいいと私は思うよ。」

逆沢「まぁ、余程面倒くさい頼みとか、あつかましいお願いとか、危険な依頼だったら、さすがにウザいと思わなくもないけどね。」

愛原「人に助けを求める場合、もしくは人の頼みを承諾するか否かを判断する時に、そこは極めて大きな判断の分岐点になるわな。」

逆沢「カネ貸してとか、引越の手伝いしてとか、ウチの子預かってとか、そういうのはさすがにノーサンキューという人も多そうだしね。」

愛原「道を教えた所で、ほんの数分の時間を使うだけで済むが、カネを貸したり、他人の子供を預かったりすれば、相当のリスクや負担がのし掛かるからな。」

逆沢「そういう厚かましいお願いを気軽にしてくる人間には、さすがに嫌悪感を禁じ得ないわ。」

鼎「世の中、持ちつ持たれつだから、困った時はお互い様だと思うよ。自分が本当に困った時に助けてもらう為にも、困っている人に手をさしのべられる自分でいたいとは思うけど。」

逆沢「理想はそうなんだけど、現実は違うからねー。少なくとも他人にカネを無心しまくるような奴は、まず間違いなくそれに見合うような善意を他人に施したりはしないから。」

愛原「やらずぶったくりという奴だな。他人に善意をアテにするだけアテにして、相手がそれに応えなくなると【金の切れ目が縁の切れ目】と言わんばかりにそそくさと去って行く。残念ながらそういう人間も多い。」

逆沢「自分が助けて欲しい時だけ、助け合いの精神をやたら強調する手合いってのは、いるからねー。平身低頭して、人の善意に甘えるだけ甘えて、逆に自分が助けを求められたら、なんだかんだで断る。カネを返せとか言おうものなら、この冷血野郎とばかりに、今まで自分が受けてきた恩を忘れて罵るとか。」

鼎「そういう、恩を仇で返す人はひどいと思うよ。」

愛原「そういえばとある東日本大震災の被災者に、期間限定で家を貸したら、いつまで経っても立ち退こうとせず、立ち退きを催促したら紛争になったなんて話も聞く。」

鼎「それは阪神大震災がらみでも、共通の悩みだよ。阪神大震災が起きてもう20年になるけど、それでも行政が期間限定で提供した家屋の立ち退きを求めて、もめている所もあるくらいだし。」

愛原「施した側からすると善意でしか無くとも、施された側からすれば、既得権でしかないという事かも知れんな。」

逆沢「お歳暮やお中元ですら、それが常態化すると、やめ時が難しくなるからねー。貰っている側からすると、それが当たり前の状態になってるから、突然送るのをやめると、相手に悪印象を与えかねないリスクもあるし。」

鼎「ODAや思いやり予算も、一度始めると、やめ時が難しくなるよね。元々は期間限定で始めたはずなのに・・・・。」

愛原「マキアベリも、施しによる人心掌握術の危険性を説いている。始めだけは感謝されるが、いつの頃からかそれが当たり前になり、それを止める時には非難されるだけだからと。」

逆沢「その場限りの善意ならそういう危険性はないけど、継続型の善意は、色々取り扱いが難しそうって事か?」

愛原「そういえば、大長編ドラえもんの【のび太の宇宙開拓史】の中に、それをまさに感じさせる一シーンがあったな。コーヤコーヤ星を守るスーパーマンとして大活躍中ののび太が、コーヤコーヤ星に行けなくなった事でコーヤコーヤ星の住民が大ピンチになるんだが、その時にそこの住民の一人が【スーパーマンはなにをしてるんだ! こんなときに時こそわしらを助けてくれるべきではないのか】と。ちなみにこの住民の発言を受けて、のび太の親友となったコーヤコーヤ星住民のロップル君が【こられないのはなにかわけがあってのことだと思います。それにこれは、もともとぼくらだけの問題なんです】と正論で擁護してたりするが。」

逆沢「のび太君がスーパーマンとして活躍し続けた事で、住民の中には、それが当たり前になって、突如助けにこれなくなったのび太君達に不満をぶつける図式ってか。まさしく継続型善意がもたらした悲劇ね。」

愛原「道を聞かれたから教えてあげたとか、写真を撮る手伝いをしてあげたとかなら、その場限りの善意だから、後に尾は引きにくい。しかし何かあるたびに子供を預かる関係とか、忙しい時はいつもサービス残業とか、そういう日常化した善意はやめ時が非常に難しい。家を貸したとか、金を貸したとかいった善意も、相手がそれを返してくれるまでずっとしこりが残るので、相手にプレゼントするくらいの覚悟で貸すか、最悪の場合は法的手段に訴える覚悟も持つか、それが嫌なら絶対に断るようにしたい。」

逆沢「世の中には、相手の善意や優しさにつけこんで、初めから奪うことしか考えていないような輩すらいるからねー。」

鼎「そういう悪意の人がいるから、【知らない人に話しかけられても相手にしないように】みたいな注意をせざるを得ないようになるのかな?」

愛原「そう言え約ば十年前、道案内を引き受けた女性が複数、人気の無い公園でレイプされる事件の記事を読んだ事がある。人の善意を踏みにじる最低なゲスだと思った事があるわ。」

逆沢「人の善意につけこんで、カネをだまし取ったり、誰かを襲ったり、世の中にはとんでもないワルもいるからねー。こんな人がいる限り、人助けなんてしたくないと考える人が出ても不思議はないと思うわ。」

愛原「振り込め詐欺にしろ、募金詐欺にしろそうだが、困っている身内や見知らぬ誰かを助けたいという純粋な善意につけこむ悪質な詐欺も、留まるところを知らないからな。ちなみに俺の知り合いにも、募金とかは絶対にしないと心に決めている人がいるわ。」

逆沢「けどそうすると、共同募金あたりが最高に面倒くさそうね。地元の自治会が、半強制的に取り立ててくる場合もあるから。」

鼎「そういえば1996年に起きた厚生省(現厚生労働省)現職事務次官も逮捕された一大汚職事件で、共同募金が悪用されている事が明るみに出た事があったよね。あれで共同募金も、かなりブラックなものだなと感じた事があるよ。」

逆沢「共同募金は、原発推進キャンペーンにもかんでたりするらしいし、人の善意と善玉的立場を利用した、政府主導のマネーロンダリング&プロパガンダ機関のような気もするわ。」

愛原「まったく。特定の季節になると、国会議員らが赤い羽根をこれみよがしに身につけているのも、ブルーリボン的な意図を感じさせて嫌な感じになるわ。」

鼎「募金活動は、設立動機としては素晴らしいものがあると思うけど、実際の使い道がかなり不透明なのが、大きな問題点だよね。今のままじゃ、募金活動に不信感や嫌悪感を持つ人が少なからず出ても、私は仕方ないと思うよ。」

逆沢「街頭募金なんかだと領収書も出さないから、露天商や風俗店並に、財務も謎だらけだしねー。」

愛原「人は本当に助けるべき人を助ける善意で募金するのであって、ヤクザや利権団体の欲望を満たす為に募金している訳では無いからな。善意の募金が、実は利権団体などにも流れていると感じたならば、募金など絶対にしたくないと考える人が出てもやむを得ない。また善意で行われるべきものを、半強制的に徴収するシステムももってのほかだと思う。」

鼎「善意の人が報われないような法律も問題だよね。たとえば生活笑百科とか観てると、たとえ善意の第三者であっても、相手に損害を与えたら賠償しなくてはならないみたいなオンパレードだから、リスク回避の為にも、なるだけ人と関わりたくないと考えても仕方ないかなと思ったり。」

愛原「たとえ善意でも、人の荷物を持って落として壊したら賠償しなくてはならないし、人の子供を預かって怪我させたらやはり責任を負わされるからな。君子危うきに近寄らずとは、よく言ったものだ。」

鼎「でもだからといって、誰も人助けをしたくなくなる世の中は嫌だよね。」

愛原「だな。人助けそのものを否定してしまうと、世の中全体が弱肉強食の修羅の国になってしまう。」

鼎「少しでも人助けをしたくなる世の中にするには、どうすればいいかな?」

愛原「色々あるが、まずは人助けをする事で、見返りのある世の中にしたいところだな。世の中には【善意に見返りを求めるべきでない】みたいな、意識が高すぎるというか、俺からすると頓珍漢な主張をする手合いもいるが、そんな都合のいい人間なんてほとんどいないと思った方がいい。」

逆沢「でも善意に見返りを求めたら、それは打算や営利でしかないだろ?」

愛原「見返りといっても、そんな大げさなものじゃない。ボランティアの人だって、何も金銭目的とかそんなんで働いてる訳じゃないだろ? 彼らが求める見返りは、ずばり感謝だ。あるいは上に触れた通り、人の役に立っているという事に対する満足感。」

逆沢「あー、そのくらいの見返りなら、期待してもいいかもね。」

愛原「ボランティアの人がボランティアをやめる動機で最も多いのは、【ボランティアに割く時間が取れなくなった】とか、【経済的余裕が無くなった】というものも多いが、【昔ほど体力や気力が無くなって以前ほど人の役に立てなくなった】からというものもあるらしい。またネットなどでボランティア叩きが起きても、彼らのモチベーション低下につながる。彼らは自分の仕事ぶりを評価される事で満足感を感じる事がモチベーションになっている場合も多いので、逆を言えば、人に叩かれてまで人様の役に立ちたいとは考えないのだ。」

逆沢「人に叩かれてもゼニになるとかなら頑張れるかも知れないけど、人に叩かれるわ、一文の得にもならないわで、それでも他人の為に汗水流して頑張る気になれないのは、まぁ分かる気がするわ。」

愛原「人に叩かれてなおかつ一文の得にもならないにも頑張れる動機があるとすれば、【いつか分かってくれる時が来る】みたいな期待的観測くらいしか思い浮かばないが、それとて未来に感謝される事を期待している訳だから、逆を言えば永遠に感謝されない事が分かっているなら、それでなお他人の為に無償で働き続けられるお人好しは、極めて少数だと思った方がいい。人が他人の引越を手伝ったり、他人の子供を預かったり、写真撮影を手伝ったりできるのも、ある意味感謝への期待感があるからであって、仮に仏頂面で【用は済んだし、もう帰ってよ。また用があった時だけ呼び出すから】みたいな態度を取られたら、多分大抵の人は、二度とその人のために一肌脱いであげたいとは思わないような気がする。」

逆沢「仏頂面で、いかにも上から目線の命令口調で人に仕事を命じて、なおかつ何の報酬も与えないような奴の為に、なんで働かなきゃならんねんとは、私も思うわ。」

愛原「【善意に見返りを求めるな】みたいな事を平気で言ってのけるような奴に対しては、仏頂面で何か命令でもしてやればいい。きっとそいつは、屁理屈ごねて絶対に人の手伝いなんかしないから。人は誰に対しても公平に優しくなんかなれない。どんな慈悲深いボランティアの人だって、あまりに厚かましい要求は断るだろうし、態度の悪い人に対してまで無限に菩薩の対応はとり続けられないからな。」

鼎「誰だって助けを求めたくなる時はあるだろうけど、その時に助けてもらって当たり前って態度ではなく、自分を助けてくれる人に対して感謝の気持ちくらいは持てるようにしたいよね。」

愛原「他人を働かせる方法は主に3つ。一つは地位権力や暴力を盾に、無理矢理言いなりにさせること。支配という奴だな。2つ目はお金を払ったり何かの代償と引き替えに、仕事を請け負って貰うこと。要するに取引。そして3つ目が今回のテーマである助けを求めるという手段だ。この方法は、権力も財力も必要とせず、誰でも必要に応じて行使する事が出来る。但し、厚かましいお願いや尊大な振る舞いなどは好まれず、また困った時はお互い様という意識を忘れて、やらずぶったくり的な対応を続けると、やがて誰からも見放されるだろう。またこの方法は、社会全体の善意によって支えられているので、人の善意を踏みにじるような悪い人間が増えると、みんな善意を踏みにじられる事を警戒して、お互いに助けを期待できない状態になりかねない点も配慮が必要だ。」

逆沢「最近は、振り込め詐欺とか、誰かを助けたいという善意を踏みにじる詐欺も頻発してるし、【騙される方が悪い】みたいな声もよく聞くし、本来なら優しい人と言われるはずの人が、単なるお人好しの馬鹿扱いされて、せつないものを感じるわ。」

鼎「こちらが優しい対応を取ると、つけあがったり、カモ扱いする人もいるよね。」

逆沢「ネットのまとめサイトに、いわゆるセコママと言われる人などを多く取り扱う所もあるけど、セコママは、優しい人を見つけると【私にもちょうだい】とか【私も困ってるから助けて】とか【私も連れてって】みたいな感じで、ズケズケ会話に割って入って、人から物を奪ったり、無理矢理手伝わせたりするらしいわ。で、【いらないようだから、もらってあげたんだから感謝しなさいよ】みたいなセリフを平気で吐いたりとか。どこまで本当の話か知らないけど。」

愛原「優しい人を食い物にする人間が、人から優しい心を奪っていく。助けられたにも関わらずお礼の一言も言わない。借りたものを返さない。それでいて罪悪感もみせようとせず、【騙された方が悪い】だの【お人好しなのが悪い】みたいな事を平気で言ってのける。」

鼎「そういう人は、人が人を信じられない修羅の国にでもしたいのかな?」

逆沢「修羅の国になったら、優しい人が周りにいなくなって、誰からも搾取できなくなるから、最終的には自分の首を絞めるだけだと思うけど。彼らにとって一番理想なのは、他人に優しさを説いて、自分はそれに染まらない状態のような気もするわ。みんなが盗賊になったら飢え死にするから、他人に農業や漁業のすばらしさを説いて他人を真面目に働かせて、自分はそこで生産された食物を後から奪うみたいな。」

愛原「なんか共同募金の構図そのものだな。他人に善意を求めて、自分達はそれで集めたお金で私腹を肥やすというか、自分達が私腹を肥やすために、他人に善意のすばらしさを説き続けなければならないというか。」

鼎「悪徳宗教団体が、まさにそうだよね。考えている事はすごく腹黒いんだけど、純粋な人を騙す為に精一杯善人を装うみたいな。」

逆沢「騙される人が悪いとまでは思わないけど、騙されないように注意はしないと駄目ね。自分自身の身を守る為だけでなく、社会全体が善意に後ろ向きにならないようにするためにも。」

愛原「そしてそれ以上に、彼らを食い物にする悪党に対して、強い対応も欲しいところだな。いや、悪党だけではない。世の中には、ナチュラルに善意を善意ととらえず、既得権としか考えていない人もいる。そういう人の意識改革も必要だな。」

鼎「共同募金にしても思いやり予算にしても、徴収する方はそれが当たり前だと思ってるかも知れないけど、それは違うよね。それなのに半強制的に取り立てたり、【思いやり予算の削減には応じられない】とか【俺は被災者様だぞ。その俺に立ち退けっていうのか!!】みたいなコメントを出して善意に甘える側が既得権を強く主張するのは、すごく違和感を感じるよ。」

逆沢「あと【あの人に援助したのなら、私にも援助しなさいよ】的なセコママもいるらしいけど、そういう人の意識改革も可能ならしたいわね。」

愛原「そんな論理を認めたら、地方再生の名の元に無意味な商品券ばらまいたり、北陸や四国にまで新幹線を走らせなゃならなくなってしまう。」

逆沢「北陸にはもう新幹線走ってるだろ♪」

鼎「本当に困っている人を助けたり、効果のある部分に集中投資するのが、本来の有り様だよね。」

愛原「体の弱そうなお年寄りや苦しそうにしている病人などに席を譲るというなら、話は分かる。しかし健常な若者も含めて誰にでも公平に席を譲るべきなんて、俺はこれっぽちも思わないからな。本当に苦しそうにしている人に席を譲る事はあっても、そうでない人にまでいちいち譲らなければならないとは思わないし、まして【俺に席を譲れ】と他人に要求した事など、少なくとも俺は一度もない。もちろん体調が急激に悪化して本当に苦しくてどうしようもなくなったりすれば、いずれ誰かに席を譲ってくれるようにお願いする時が来る可能性はあるが。」

逆沢「そういや何年か前、大学生くらいの奴に【友達と一緒にすわりたいから、席を譲ってもらえませんか?】とか言われた時に、唖然とした事があったわ。」

愛原「俺も昔、荷物だけ置いてる座席に座ろうとしたら、【そこ座ったらあかん。次の駅で友達が乗ってくるから】とおばちゃんに言われた事があったわ。」

鼎「自分達の都合だけで、一方的に相手に譲歩を要求するのは、助け合いの精神でも何でも無いよね。」

愛原「他人の行為に甘える事自体が悪いとは全く思わないし、気軽に人に相談したり助け合える世の中の方がいいとも思うけど、何事もバランスだな。やらずぶったくりとか、たかりとか、既得権と思い込むとか、騙すとか、そういうのが横行するようなのは困る。ボランティア活動に精力的に取り組む人。献血や募金などに前向きな人。困っている人に手をさしのべられる人。悪に対して勇気を持って立ち向かえる人。そういう人が報われる程度には、善意に対して好意で報われる世の中であって欲しい。そして人助けをした人がババを引くみたいな事がないように、善意を食い物にする輩に強く当たれる世の中でもあって欲しいと思う。」
















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