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愛原様のたわごと(15年12月27日)




逆沢「あれ? 更新どうした?」

愛原「色々ブルーになる事があってだな。それどころじゃなかったんだ。」

逆沢「ブルーになった理由までは聞かないけど、それは解決したのか?」

愛原「どうやっても結果は変わらないので解決のしようはないけど、まぁ割り切るしかないな。ああ、犯罪がらみとか、他人に被害を与えたとか、そういう内容ではないぞ。人によっては鼻で笑ってオシマイにできるような、ごく些細なものだ。いや、ある意味、ネタとしておいしいかもしれん。今はまだネタにする心境までには到ってないが。」

鼎「人間はつまらない事で、怒ったり、悲しんだり、落ち込んだり、喜んだり、ハイになったりする事があるよね。」

逆沢「道端で10円玉を拾っただけで、【今日はいい一日になりそうだ】とウキウキできる人もいるらしいし、人間の精神はなんて単純なんだと思わなくもないわ。」

愛原「けどその単純でいい加減な精神こそが、人間の根幹なんだよな。よく【命より大切なものはない】と言われるし、それに反論する人からは【命より大切なものもある】とも言われるが、じゃあその【命よりも大切なもの】がなんだと問われたら、それは誇りでも信念でも家族でもお金でも無く、実は自分の精神のような気もするんだ。」

逆沢「自分の精神か? まぁ合ってるかも知れないけど、なんとも抽象的ねー?」

鼎「でもファンタジーの世界では、【他人の肉体を乗っ取って、自分の魂を維持する】とか【肉体を機械化する事で、永遠の命を保つ】といったシチュエーションも珍しくないよね。極端な話、肉体は単なる器に過ぎないというか。心臓が停止した時が命の終わりと言われているけど、心臓が止まって、生命体としての自分の命は尽きても、何らかの形で自分の精神を保ち続ける事が可能なら、(たとえ他人を犠牲にしても)是非ともそれに挑戦したいと考える人はいくらでもいそうというか。」

愛原「人間は魂というか、自分の精神の消滅を何よりも怖れる生き物なのか、【あの世】の存在を肯定する宗教も非常に多い。肉体は滅びても精神は生き続けると説く事で、人々の精神に安らぎを与えるというか、死を怖れない心境にさせるというか、死後に地獄に堕ちたくなければ悪い事はすべきでないとの強迫観念を植え付けるというか、ジハードに前向きにさせるというか。」

逆沢「肉体は滅びても、自分の精神はいつまでも滅びないで欲しい。そういう思いがあるからこそ、宗教にハマる人は後を絶たないし、仮に他人の肉体を乗っ取ったり機械化する事で精神を長持ちさせる事が出来るのなら、どんな手を使ってもそれを実現したいと考える人も無くならないって事ね。」

鼎「古代のピラミッドや古墳には、王族のミイラが多く埋葬されているけど、これもいつの日か、生き返りたいという彼らの思いが凝縮されていそうだよね。」

愛原「確かに死ぬのは誰でも怖い。しかし死が怖いのは、死ぬ事で自分の精神が滅ぶ可能性があるからであって、仮に肉体が滅びても精神が滅びる事はないと分かっていれば、人はそれほど死を怖れなくなるのではなかろうか? そう思ったりもするわけだ。」

逆沢「ファンタジーの世界では、自らの体をわざと霊体にする事で、色々やりたい放題するようなキャラクターも、いなくもないからねー♪」

鼎「そういう世界観の作品では、肉体は本当に単なる器だよね。」

逆沢「サイボーグとか、気体・霊体とか、その他、液体・鉱物等、特殊な素材でできた肉体を持つキャラクターも、ファンタジーでは珍しくないけど、精神さえ正常なら、肉体が正常な人のものでなくとも、全然悲壮感がなさそうなキャラクターばかりだしねー。」

愛原「逆を言えば、自分の精神を破壊されたり、乗っ取られたりするのは、ある意味、死と同レベル以上の苦痛になるという事でもありそうだ。」

逆沢「そういう作品もあるわねー。たとえば二重人格のキャラクター(要するに一つの肉体に二つの精神が入っている状態)を正常化しようとしたら、2つの人格の内、一方の人格を消さざるを得なくなるか、もしくは融合して全く新しい人格に変えざるを得なくなって、それで関係者達が激しく苦悩したり。」

鼎「少年漫画ではもっと単純で、悪玉キャラクターや寄生獣のような異生物が、他者の肉体を乗っ取る過程で、本来の肉体の持ち主の精神を追い出したり、もしくは脳を破壊しようとするシーンがあるよね。」

愛原「肉体から追い出された精神が霊体化するだけのような世界観なら、悲壮感も大してないコミカルもので済むが、脳や精神が破壊されてもう元に戻らないような世界観だと、一気に悲壮感が出てくる。」

逆沢「現代科学の基準で言えば、心臓が止まった時が死なのかも知れないけど、人々の一般的な感覚としては、精神が滅んだ時(他人と意思疎通ができなくなったり、五感を感じ取れなくなったりした時)が、実質的な死という事になるのかねー? だからコミカルファンタジーのように、死体・霊体・機械・動物等になっても普通に会話が成立したり、掛け合い漫才ができるくらいならさして問題ないし、逆に他人の精神に乗っ取られたら、肉体は見た目そのままでも、その人は既に死んだと見なさざるを得なくなるだろうし。」

愛原「肉体は単なる器に過ぎず、本当に重要なのは精神だと仮定した場合、【命より大切なものはない】【命よりも大事なものがある】という矛盾する二つの価値観に、整合性が見いだせるような気がしなくもない。」

逆沢「つまり精神が、自分の肉体や生命をどの程度、重視しているかどうかで、変わってくるという事か?」

愛原「そう。ぶっちゃけて言えば、どういう判断をすれば、自分の精神を安定させる事ができるか? もしも死ぬ方が精神的に満足感や安心感を得られると、精神が感じたならば、その人は死を選択する事も排除しないだろう。」

逆沢「自分がここで死ぬ事で、【歴史に名を残すことができるかも知れない】とか【家族や仲間を守る事ができる】とか【聖戦に殉じた事で天国行きは確約されるはずだ】とか【お国の為に役立てる俺カッコいい】とか【身の潔白を証明してみせる】とか【世の中に衝撃を与えて皆を後悔させてやる】とか【こんな不安な毎日にもう耐えられない】とか、とにかく死を選ぶ事で、精神を満足させる(不安を解消させる)事ができると判断したなら、人は必ずしも死をためらわないって事ね。」

愛原「そう。生き続ける事による不安と、死を選ぶ事による安心を天秤にかけて、死を選んだ方がマシと感じたなら、人はいつ死を決断してもおかしくない。たとえば【ここで特攻に参加しなければ、自分も家族も一生みじめな思いをするだろう】という不安よりも、【ここで特攻に参加する事で、自分も家族もみじめな思いをしないで済む】という安心が上回れば、その人は特攻を選んでもおかしくないと思われる。」

鼎「要するに【人は、より精神を安定・充足させられる方を選ぶ】って事かな? 死ぬという事は、イコール自分の精神を自ら破壊する事と同義だから普通は【命より大切なものはない】と考えるけど、死を選ぶ事で高い充足感や安心感が得られると感じたなら、必ずしもそれにこだわらないと。」

逆沢「見栄でも、誇りでも、家族愛でも、愛国心でも、信仰心でもなんでもいいけど、そういうもので自らの精神を鼓舞している者ほど、その見栄だの誇りだの愛だのを守る為に死を選ぶことを辞さなくなりやすいというのは、そういう事ね。己の見栄だの誇りだの愛だのの為に殉じる自分に酔えるというか、精神的な充足感を得られやすいから。」

愛原「ま、どんな形であれ、それで本人が幸せな気持ちになれるのなら、それはそれで良い事なのかもしれん。尊い死というものも存在しなくはないだろうし、頭ごなしに彼らの死に様を否定するような事もしたくはない。」

逆沢「尊い死を選んだ人達に関しては、私も否定する気は無いけど、尊い死を他人に強要・啓蒙するような人だけは、絶対に否定してやるけどね。」

愛原「ま、いずれにしろ言える事は、普段から精神が安定している者は、まず自ら死を選ぶような事はしないだろうという事だ。現状に満足しているのに、その満足している現状を自ら破壊したいとは、普通誰も思わないだろうからな。」

逆沢「逆を言えば、精神が不安定になると【人は、精神を安定・充足したくなる】生き物だから、まずは精神が安定に向かう方向を選択したがる。そして死を選ぶ事が最も自らの精神を安定・高揚させる効果が高いと判断したならば、それを実行する可能性が出てくるというわけね。」

鼎「そういえば尼崎連続変死事件でも、自殺を強要された被害者に関する捜査と裁判が進んでいるけど、加害者側は被害者に対して【誰もお前の生を望んでいない】とか【お前が死ねばみんなが助かる】とか【自殺する以外の選択肢はない】みたいな吹き込みを続けていて、その気にさせていたそうだよね。」

逆沢「特攻隊員や自爆テロ実行者がそれを選択するのも、【もしここで死を選ばず逃げ出したら、きっと自分も家族も村八分だ】という不安と、【もしここで死を選んだら、英雄の仲間入りだ】という安心を同時に植え付けられる事で、死を選択するように誘導されていたともいえそうね。」

愛原「普通の人間は、まず自ら死を選ばない。だが不安を植え付けられた人間は【まずは不安の解消を最優先に考える】ようになるため、そこで【死ねば、貴方は英雄になれますよ】とか【死ねば、家族も救われますよ】とか【死ぬ以外に、不安を解消できる手段はないですよ】と吹き込めば、案外あっさり、そういった悪魔の囁きに応じてしまう事はありうると思う。」

逆沢「死んだら、テメーが大切にしている命も精神も破壊されてしまうだろうが。そこまでして不安を解消したいのか?と、私なんかは思ってしまうけど。」

鼎「けどネットの世界でも、不安を解消したいというか、精神を安定させる為に、偽りの自分を演じたり、他人を見下して安心しようとする人達はいっぱいいそうな気もするよね。」

愛原「人は、どんなにちっぽけな内容であっても、不安はとりあえず最優先で解消したがる生き物なんだろう。そして精神を安定させる為なら、手段も選ばない。差別のような反道徳的な事も平気でやるし、逆に自らの命も捨てられるし、さらに逆に他人に死を強要する事もでぎるだろう。」

逆沢「全ては精神の安定が最優先って事ね。そう考えると、人間がどれだけ自分の精神を大切にしている生き物なのか、改めて考えさせられるわ。」

鼎「命よりも、お金よりも、家族よりも、人としての誇りや道徳よりも、精神の安定を実は最も大切にしているという事かな?」

逆沢「まぁ手元にお金がある事で精神を安定させる事ができる人なら、他人にどれだけケチとか汚いといわれてもお金に執着するだろうし、逆に宗教にハマる事で精神を安定させる事ができる人なら、全財産を宗教団体に寄付してでも宗教に執着するだろうしねー。自分の正義を信じるでのみ精神を安定させる事ができるタイプなら、絶対に間違いを認めないだろうし。」

愛原「昭和の頃には、不良グループに入って、未成年なのにタバコ吸ったり、暴走行為をやったり、カツアゲや脅迫・暴行などの犯罪行為をやったりする者も少なからずいたが、それでも彼らがなかなか不良グループから離脱しようとしなかったのは、不良グループに属する事で、彼らなりに精神的な充足感が得られた可能性がある。」

逆沢「2011年の3月に【ネトウヨと不良キャラの共通点】という話をしたけど、自分と同類の仲間とつるむ事で、安心感が得られるというのはあるかもね。自分だけが社会からつまはじきにされていると思うとすごく不安になるけど、自分と同類の仲間とつるむ事で、妙な安心感が出てくるだろうから。」

鼎「常識で考えたら、反社会的組織に属しても、自ら更正していくチャンスが遠のくだけのような気がするけど、それ以上に精神の安定こそが最優先って事なのかなぁ。」

逆沢「まぁ人間が常に理性的なら、自殺したり、悪徳宗教にはまったり、反社会勢力に属したり、そんな事は絶対にしないだろうからねー。理性的に考えたらおかしくても、目の前の精神の安定を最優先にしたいからこそ、クスリに手を出したり、ダメ人間同士でつるんだり、甘言を弄す占い師や教祖の言葉に惑わされたり、最悪自殺したりするんだろうし。」

鼎「けどそれって、根本的な問題解決にはなってないよね。現実逃避してるだけでしかないっていうか。」

愛原「去年の11月末に【不安と安心の役割】という項目でも触れたが、不安それ自体は、五感の痛覚と同じで、危険を知らせるアラームでしかないからな。不安という形でアラームが出てるのに、クスリに逃げたり、甘言を信じたり、自分に都合のいい解釈をして、アラームを無視したら、大体、後でもっと悲惨な事になる。」

鼎「不安を解消して、精神を安定させたいという要求自体は、至極もっともだと思うけど、問題解決に取り組むのではなく、現実逃避するというのは、私もすごく問題があると思うよ。」

逆沢「ま、問題解決といっても、個人の力でなんとかできるものばかりではないけどね。」

愛原「うん。たとえば不景気に対して、個人が備えられる事はたかが知れているが、それでも無駄遣いは減らそうとか、覚悟を決めるとか、そういった備えくらいはできる。覆水も盆に返らないかも知れないが、同じミスを繰り返さないように注意するくらいはできる。強敵と遭遇して絶体絶命に追い込まれても、諦めたらそれまでだが、全知全能を尽くせば、多少なりともマシな戦況にもちこめる事もあるだろう。」

逆沢「まぁ現実逃避して、強敵をいたずらに見くびったり、同じミスを繰り返す訳がないと思い込んだり、あるいはこれはミスですらないと思い込んだり、放っておいてもなんとかなると思うよりはマシだとは思うわ。」

鼎「不安を感じる能力すらない鈍感な人だとどうしようもないけど、せっかく不安という名の危険感知能力が備わっているのなら、利用しないと損だよね。」

逆沢「まぁ人間は、基本面倒くさたがりだから、現実逃避したくなる気持ち自体は、分からなくもないけどね。」

鼎「現実逃避した結果、事態がさらに悪化した場合、その人はどうやって精神を安定させようとするのかな? やっぱり現実逃避を深めるしかないのかな?」

愛原「現実逃避には、大きく二つのパターンがあるように思う。一つは危機そのものが存在しないと思い込むパターン。もう一つは他人のせいだと思い込むパターンだ。」

逆沢「あー、危機そのものが存在しないと思い込めば、対策を考える必要もないし悩む必要もないわね。それでもダメなら、今度は他人に責任を押しつければ、自分が責任を感じたり対策を考えなくても済むという事か?」

鼎「強敵と遭遇した時に、やられ役の幹部が【あんな奴ひとひねりよ!】と豪語して侮って何の対策も取らず、別の幹部が注意を促しても【味方の士気が下がるような事を言うな!】と激高して、あげく敗北したら【あいつが味方の士気を下げたから、勝てるはずの戦いで負けた】と責任転嫁するシーンとかは、まさにその黄金パターンだよね。」

逆沢「強敵が現れたにも関わらず、強敵ではないと思い込む事で、精神を安定させる。味方が注意を促しても、そいつにとっては【強敵でないと思い込む事で精神を安定させようとしている自分の精神を、また不安にさせようとしている不快な奴】でしかないから、露骨に反発して排除しようとする。そしてあげく敗北しても、自分のせいで負けたと思わず、あいつのせいで負けたと思い込む事で、あくまで精神を保とうとするという訳ね。すごいコンボだわ。」

愛原「この手の人間は、努力によって不安要素の解消を図ろうとはせず、不安要素を見て見ぬ振りしたり、他人のせいにしたりして、ひたすら精神の安定だけを最優先に考える。」

鼎「そういえば最近、テレビの報道でもネットでも【日本人はこんなにスゴい】的な報道の比率がすごく高くなってるようだけど、台湾とか外国の人からすると、相当違和感があるらしいよ。」

逆沢「台湾と言えば、世界野球プレミア12に関するニュースで、日本人の傍若無人ぶりが話題になってたそうね。」

愛原「インターネットでも、巨人の坂本選手らが、泥酔状態で店から出てきて酒を道端に垂れ流したり、タバコを道路に投げ捨てていったりした映像が出回っているらしいな。」

逆沢「他にも、日本人選手らはスタジアムの廊下でタバコをぷかぷかふかしたり、中居とかいうレポーターが他国の報道マンの常識を越えてウロウロした結果、“日本だけ変なのがウロついている。おかしい”となり注意を受けたとか、選手からマスコミまで幅広く、日本人のマナーの悪さが話題にされてたらしいわ。」

鼎「けど、最近のネットやテレビでは【日本人のマナーは素晴らしい。それにくらべて○○人は・・・】とか【日本の技術は素晴らしい。それに比べて○○は・・・】みたいな内容が目立ちまくりだから、外国の人からすると、自画自賛というか、勘違いぶりが激しく映ってるみたいだよ。」

愛原「少し前に、インドネシアにおける新幹線受注競争で、日本が中国に負けたという記事があったけど、インドネシアや中国からすると、日本人の勘違いぶりがすごく醜く映ったようだ。日本人や日本政府側からすると、はじめから品質では中国に負けるわけがないという思い込みが大前提にあって、だからインドネシアは愚かだとか、中国が何か汚い真似にしたに違いないという解釈になるらしいが、インドネシア側からすると、高速鉄道計画の旗を一度降ろして暗に日本製は買わないという姿勢を示した上で、リーズナブルな中速鉄道計画を立てたのに、それでも日本がしつこく食い下がったもんだから空気読めない感じにしか見えないし、中国側も高速計画から中速計画に変わった事で、品質一辺倒ではなく費用対効果を最優先に考えるインドネシアの思惑を感じ取って受注競争に参加した訳だから、そのニーズを読めず、高級品を売りつけようとこだわる日本が傲慢な営業を強要したあげく、自滅しただけに映らないというか。」

逆沢「私達庶民だって、車なりテレビなり洋服なり、色々買うけど、コスト意識は当然あるし、安くて、かつそれなりにいいものを買いたいのに、高級品ばかり店員にゴリ押しされたら、さすがに嫌な気分になるわ。」

鼎「けど、日本政府や一部日本人の対応は、上の例で触れた【敵を侮り、負けたら別の誰かのせいにするやられ役】そのものだよね。自国の製品が選ばれて当たり前と慢心して、相手が嫌がっているのにゴリ押しして、それでも上手くいかなかったら、今度は買わなかったインドネシアが愚かであったり、ライバルの中国が悪いのであって、日本だけは正しいと思い込むあたり。」

愛原「今までは円高だったから品質の良い日本の家電製品が売れないとか言われてたが、実際は円安になっても日本の家電業界は苦しいままで、日本の技術力神話も世界の目から見れば、正直陰りがみえている。国民一人当たりのGDPでいえば、計算方法にもよるが、おおむね30位前後なのは確実。国民一人当たりの借金でいえば世界最悪水準で、バブル当時のような経済大国の面影は既にない。にもかかわらず、近年になって、やたら日本アゲ(&中国サゲ)したがる傾向が強まってきたのは、実に不思議で仕方が無い。」

鼎「銀英伝にも【負けたからこそ、英雄が必要なのだ】みたいな事を言うシーンがあったけど、それに近いと思ったかも。自分達が本当に強い時は、弱者にも寛容になれるし自身に謙虚にもなれるけど、弱くなると、精一杯見栄を張らなくてはならないみたいな。」

逆沢「でも弱くなった自分を強いと思い込んで、急成長する敵を見下すようなのは、典型的なやられ役パターンでしかないと思うわ。」

愛原「戦時中も、こんな空気だったかも知れないな。実際にはミッドウェー会戦以降、日本軍は凋落の一方を辿るが、大本営は自分達の督戦をアピールするような広報ばかり強める一方で、治安維持法を盾に軍に批判的な層を積極的に弾圧していく。その結果、ヤバい実態を公にする事で国民を目覚めさせようとする者ほどひどい目に遭わされ、逆に大本営発表を真に受けた者ほど、玉音放送を聞いた時、快進撃を続けているはずの我が国がなんで無条件降伏を受け入れたか理解しがたいみたいな顔をしてたとか何とか。」

鼎「冷静に考えたら、本土がガンガン空襲されている時点で、もうチェックメイト寸前なんだけど、それでも勝利を確信している人の心には伝わらないって事かな?」

愛原「今の日本に、昔ほどの力も品格も無いと、どれだけデータや資料を突きつけても、日本人の素晴らしさを確信している人の心には伝わらないようなものかも知れんな。」

逆沢「ま、そうでなくとも人間は、不安が強くなればなる程、自分に都合のいい情報だけを信じたくなるし、自分に都合の悪い情報を垂れ流す人に対しては、首を絞めてでもそいつの口を塞ぎたくなる生き物だからねー。」

鼎「【貧すれば鈍す】状態だよね。今の日本は。自分の駄目な所を受けとめる余裕がないというか、自分の良い部分と、相手の悪い部分だけを過信して、都合良く解釈したがるだけになってしまっているというか。」

愛原「人間にとって、自分の精神の安定は、ある意味、命よりも大切なのかも知れない。しかし目の前の安定ばかりを追いかけると、【飛んで火に入る夏の虫】にしかならないだろう。」

逆沢「【私の言う通りに死んでくれたら、今の不安から解消されますよ】とか【財産全部寄付したら、あなたは幸福になれますよ】とか【このクスリ打ったら、今までの不安が全て消し飛びますよ】とか言われて、それを真に受けるような人間になりかねないって事ね。」

鼎「甘言に惑わされる人に対して、苦言や正論で諭しても、改心してくれるどころか恨まれて、【お前が余計な事を言ったせいで、さらに事態が悪化した】と責任転嫁されそうだし、本当に悩みどころだよね。」

逆沢「こちらに害が及ばないなら、そんなダメ人間は放っておいたらいいと思うけどね。政府関係者とか自分の会社の上司とか身内に、そんな人がいると、放置して置くわけにもいかないから厄介だけど。」

愛原「人間、大きな不安に襲われた時にこそ、その人の本性が見えてくるのかも知れんな。銀英伝の世界にも、逆境になって初めて高潔な精神に目覚める国防委員長とか、逆に上司や国家を売ってでも自分の保身しか考えない議長とか軍幹部とか。あるいは自分の正義と他者の無能(or腐敗)を確信してクーデターを起こす人とか、色んな人間模様があって面白いとは思ったが。」

逆沢「逆境に陥る事で自らを反省し、真剣に困難に立ち向かえる人もいる。逆境を誰かのせいにして、そいつをやっつけて自分の思い通りにしたら、きっと問題は解決するはずと考える人もいる。誇りも見栄も捨てて、ひたすら保身しか考えなくなる者もいる。逆に自らの見栄やプライドを守る事が最優先で、他人を巻き込んで玉砕しようと考える者もいる。自らを逆境をはねのけられる英雄と勘違いしてか、大言壮語したあげく全く成果をあげられずに舞台から消えていく者もいる。他人の甘言に踊らされているだけにも関わらず、自分は冷静でまともだと思い込んでいる人もいる。逆境になると、普段から想像もできないような人間の本性が見えてくるというのは、案外その通りかも知れないわね。」

鼎「でも今の日本から想像する限り、一番多いのは、逆境から目を背けて、逆境ではないと思い込んで何もしないタイプのような気もするよ。」

愛原「ま、パニックになるよりも、マシかも知れないけどな。大震災でも大規模な略奪劇が起こったりもしないし、全国民的なデモもまず起こらない。良くも悪くもマイペースというか。」

逆沢「マイペースといっても、冷静であるとは思えないけどね。特攻したり、集団自決したり、過労死したり、年間3万人も自殺する国民性でもあるくらいだから。」

鼎「東日本大震災の時にも、関東地方などで飲料水等の買いだめパニックが起きたし、関東大震災の時には朝鮮人の虐殺も起こったくらいだから、日本人の場合は、誰も略奪をしないから自分も略奪しないだけで、みんなが略奪を始めたら、乗り遅れないように自分も急いで略奪に参加しそうな気がしなくもないかも・・・。」

逆沢「有名なジョークでも触れられているけど、日本人は“みんな”に弱いからねー♪」

愛原「“みんな”に弱い国民性という事は、デマに踊らされやすいという事でもあり、集団パニックを起こしやすいという事でもある。集団パニックというのは、みんながパニックを起こしている事もあって、周囲がパニック状態にあっても、その事実に気づきにくい。外部の人間からみれば明らかに異常であっても、当事者目線では平常運転でしかないように感じられたりとかな。」

鼎「オウムとか日本赤軍とか角田美代子家とか黒い政治家が料亭などで行ってるものとか、閉鎖空間で特に起きやすいものだよね。外部の人間からすれば明らかに異常な光景だけど、閉鎖空間にいる当人達にすれば日常ありふれてる光景に過ぎなかったり。」

愛原「“みんな”を盲目的に信用するのも、ある意味、現実逃避の一環で非常に危険だ。危機に際して、冷静に考え抜いて行動する者よりも、衝動で動く者の方がおおむね素早いのは当たり前で、そういう衝動で動く者に釣られて行動すると、“みんな”と一緒に自爆する危険がある。また世の中には、悪意ある扇動者も多く、そういう人は積極的に“みんな”を巻き込みたがる事も多いしな。」

逆沢「悪意あるデマを流したがる人ほど、拡散希望のツイートをしたがるようなものね。」

鼎「幸い日本人の多くは、“みんな”が大人しくしている限りは、誰も波を立てたがらないから、そう簡単にはパニックにならない気はするけど、誰かが煽動して、特攻とか、集団自決とか、サービス残業とか、婚活とかを、煽りたがると危険だよね。」

逆沢「婚活は別に危険じゃないだろ♪ むしろ少子化対策の為にも推進しなきゃ駄目だろというか♪」

愛原「冗談はさておき、ともかく人間はどうしようもない強い不安に襲われた時に、その本性が現れやすい。妄想の世界に逃げ込んだり、“みんな”という他者に依存したり、誰かのせいにして自己正当化したり、自分にとって最も大事なものが何かに気づいたり、あるいは今までの間違いに気づいたり、人によっては自分の中にある英雄としての素質に目覚める者もいるだろう・・・。」

逆沢「ただできたら、他人に流されたり、煽動されたり、利用されるだけの人間ではなく、むしろ逆境に向き合い、自分の頭で考えられる側の人間でありたいわね。特攻させられたり、過労死させられたりしないためにも。」

愛原「不安それ自体は、単なる危険感知能力でしかない。それを生かすも殺すも自分次第。三方ヶ原の戦いで大敗を喫した徳川家康が、その日の大敗をバネに一皮むけたように、逆境や不安や怖れや失敗というものを、単なるマイナスと捕らえずにむしろ糧にできるような人間であればいいなと思う。」

鼎「科学者や発明者にとっては、失敗の積み重ねこそが、成功の道という感覚でしかない人も多いよ。失敗する事で、可能性を絞り込めるようになる側面もあるから。」

逆沢「【50じゃ多すぎたから、次は30で挑戦するか? 今度は少なすぎて失敗したけど、これで30と50の間に正解がある可能性が広がったぞ】みたいな感じで、失敗すればするほど、成功に近づくという例は珍しくないからねー。」

愛原「不安や失敗で動揺したり落ち込んでる余裕があったら、むしろそれを糧にできる精神の強さが欲しいな。」

逆沢「現実逃避とかではなく、ちゃんと不安や失敗をネタにできるくらいの精神の強さが持てればいいわね。」

愛原「それはさすがに厳しいなぁ〜。」














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