トップページに戻る


愛原様のたわごと(18年10月28日)





愛原「今回のテーマは、【限界への挑戦】。アスリートで言えば、限界まで減量に挑戦するとか、限界までスピードを上げるとか。機械であればオーバーヒート状態とか、オーバーブースト状態とか。車の運転であれば、限界までにスピードを出したり、まともにハンドルを切れないほどに重い荷物を積み込みまくった状態で運転してみるとか。そういったスペックの限界に挑戦する人達、あるいは行いについて取り上げてみたい。」

鼎「漫画やアニメで【これ以上は危険だ!】と、慎重派の仲間から制止を促されるものだよね。」

逆沢「けど主人公は、そんな慎重派の仲間の諫言をはねのけて、【一か八か、やるしか無い!】とか、【これ以外に方法は無い!】とか、【頼む!もう少しだけ耐えてくれ!!】みたいに祈りながら、結局、そんな危険な行為に挑んじゃったりするのよね。」

鼎「手に汗を握る名シーンの定番だよね。伸るか反るか。一か八か。ある意味、絶体絶命の危機を運試しで切り抜けようとしている無責任な状態でしかないんだけど、それでも不思議に、人々に感動と興奮をもたらせてくれるというか。」

逆沢「けど、さすがは主人公というか。その一か八かの賭けに、大抵は勝つんだけどね。」

愛原「いくら主人公でも、余程の大ピンチでないと、そんな危険な賭けには挑戦しないだろうし、大ピンチで賭けに負けたら即ゲームオーバーだからな。だから御都合主義と言われようが、大ピンチであればあるほど、主人公は賭けに勝つようにできている。」

鼎「けど、代償を伴う事はあるよね。オーバーブースト状態で必殺技を放った結果、愛用の武器が壊れてしまったりとか。肉体がボロボロになって、長期療養を余儀なくされたりとか。」

愛原「代償を全く伴わなければ、ピンチで無くてもいつでも出せる、ごく普通の攻撃技でしか無くなってしまうからな。」

逆沢「ノーリスクだったら、【最初からその方法で行けよ!】って話にもなってしまうからね〜。もったいぶる必要も無くなってしまうと言うか。」

鼎「まさしく伝家の宝刀だよね。ここぞの場面でしか使えないというか、だからこそ価値があるというか。」

愛原「伝家の宝刀の場合は、使用回数が制限されている以外のデメリットが無い場合も多いが、限界への挑戦の場合は、失敗して自身が大ダメージを受ける可能性も、よく考慮する必要があるけどな。主人公の肉体が崩壊する可能性とか。主人公が乗っている戦艦が自壊する可能性とか。主人公がハンドル操作やボタン操作を誤って、大事故を招く可能性とか。」

逆沢「実際は主人公特権で、最悪の事態にはならないけどね。その代わり、敵役のモブが【主人公に出来るなら俺も!】と同じ事をやったら、普通に操作を誤って事故ったりするのも定番だけど。」

鼎「けど、こういう危険な挑戦ってのは、本当はやらない方がいいよね。世間一般でも、危険行為や禁止行為にあげられてるものも多いし。」

逆沢「けど、危険な行為や禁止行為であるからこそ、盛り上がるんだけどねー。たとえば主人公がいち早く目的地に向かうために、あえて信号無視上等、スピード違反上等、場合によっては積載(定員オーバーとか重量オーバーとか)超過上等で、車やバイクを爆走させるからこそ、絵になるというか。主人公がくそ真面目に安全運転なんかしてたら、全く絵にならないというか。それで時間に間に合わずにミッション失敗とかになったら、もうダサイ以外の何者でも無いというか。もう主人公やめろよと言いたくなるレベルというか。」

鼎「たとえ警察官に職務質問されようと、官憲に追われようと、彼らを振り切って全力で目的地に向かうからこそ、主人公という気もするよね。真面目に安全運転したり、信号も守ったり、警察官の呼び止めにも誠実に応じたりしたあげく、時間内に目的地にたどり着けなかったりしたら、あまりにも凡人過ぎて悲しくなっちゃうし。」

逆沢「冷静に考えたら、反社会的行為を肯定してるというか、カッコよくみせるようなミスリードすらしてるのかもねー。そういう主人公キャラというのは♪」

愛原「娯楽用のフィクションに、そんな道徳観持ち込むんじゃねえ。あいつらは主人公だから、許されるんだ。主人公のような才能も強運もない奴が同じ事をしたら、ただの迷惑野郎にしかならん。それこそ主人公を真似て自爆する悪役モブのようにしかならんというか。俺達が車やバイクでスピード違反や信号無視をしまくったら、市民に迷惑どうこう以前に、普通にどこかで操作を誤って事故死するような気もするしな。」

鼎「警察に追われて逃走した人達が、事故を起こして死傷するニュースも結構多いよね。【凡人がダークヒーローを気取ったらこうなります】の見本そのものというか。」

逆沢「私達は、あくまで凡人なんだと再確認させられる思いだわ。安易に極限に挑む破天荒な主人公と同じような振る舞いをしても、全然カッコよくはならないというか、逆に迷惑でダサいモブにしかならないというか。」

鼎「残念だけど、限界に挑んで絵になる人達というのは、あくまでフィクションだけの事なのかな?」

愛原「そんな事はない。危険を承知で限界に挑む人達自身は、現実世界でもそれなりに存在するぞ。たとえばアスリートと言われる人達だな。中でもマラソンとか駅伝なんかは、相当にヤバい。」

逆沢「ん? 過酷なスポーツというのは、それなりにあるだろうけど、マラソンや駅伝なんかは、スポーツの中でも明らかに危険性が低い方だろ? 格闘技のように相手の攻撃を受けて怪我しやすい訳でも無いし。一部の体操競技や水泳競技やスキー競技のように、高い所から転落する危険とかがある訳でもないし。野球のように、硬いボールをぶつけられたり、サッカーやアメフトなどのように激しい接触がある訳でもねえし。F1レーサーや競馬の騎手のように超スピード状態で激突したり転落するリスクがある訳でもねえし。」

愛原「お前こそ、陸上長距離を誤解している。市民マラソンですら、AED(自動体外式除細動器)を常備している所は多いし、マイナーな市民マラソン大会でも病院関係者の数人くらいは常に確保している。しかし、それでも大会中に倒れる市民ランナーはそれなりに出るし、不幸にも心拍停止などで死亡者がでる事すらある。陸上長距離というのは、体調管理目的でのんびりジョギングに徹している限りは、健康にも極めてプラスだが、ガチでやると危険と背中合わせになるんだぞ。ハイレベルのプロアスリートであれ、低レベルな市民ランナーであれ。」

鼎「心臓がバクバクするほど、激しく走り込むと危ないよね。いつ心拍停止状態になってもおかしくないというか。」

愛原「マラソン系がヤバいのは、大なり小なり肉体の限界に挑戦しないと、勝利はつかめない事。チンタラ走ってたら、他の一生懸命走ってるライパルにはまず勝てない。他人の記録が気にならない凡庸な市民ランナーでも、自己ベストに挑むなら、やはり過去の自分を越える程度には、肉体を出来るだけ追い込む必要がある。だからどっちにしろ、本気になればなる程、肉体の限界に挑むような走りをせざるを得ない。陸上長距離系というのは、本気でやれば、どうやっても肉体の限界に挑戦せざるを得ない業を背負っているんだ。」

鼎「たとえば野球とかは、技術や駆け引きは必要だけど、肉体の限界に挑まざるを得ないシーンは稀だよね。何分もフルパワーで走り続ける必要も無いし、ずっと肉体の限界に挑戦するようなフルパワーで全力投球やフルスイングを続ける必要も無いし、体を休められるような時間も試合中にかなりあるし。」

愛原「マラソンや駅伝は違う。長時間に渡って、継続的に肉体に負荷をかけ続ける。そして記録や順位に強いこだわりがあればある程、その負荷は限界まで高めざるを得ない。肉体への負荷を下げれば故障のリスクは減らせるが、それではタイムは縮められないし、(肉体の限界に挑み続ける)ライバルとの差も広がる一方だからな。」

鼎「だから実業団の長距離ランナーなどは、普段からものすごいトレーニングをしてるよね。できるだけ必要な筋肉を鍛えて、それでいてできるだけ体重を減らすみたいなランナーも多いし。」

愛原「体を軽量化すればその分、スピードは出やすくなるが、その代わり、疲労骨折などの故障のリスクは高くなる。というか、実業団ランナーで、故障知らずみたいなランナーはそう多くない。彼らは、故障するかしないかのギリギリのラインを探りながら、肉体管理をしているのが現状だからな。」

逆沢「いつ故障してもおかしくないギリギリのラインで、普段から体を鍛えてるってか。」

愛原「故障すると、復帰まで時間がかかるし、故障の程度次第では引退も余儀なくされる。しかし、だからといって生半可な体のままだと、とても全国、全世界のライバルには太刀打ちできない。だから故障するかしないかのギリギリのラインを、各人が常に探り合って自己研鑽している。彼らは本番のレース中だけでなく、日常生活でも相当に限界への挑戦を意識した肉体改造や過酷な練習を余儀なくされている。だから精神を病んだり、故障が原因で引退に追い込まれる選手も後を絶たない。」

鼎「私達は生き残った成功者ばかりしか関心が無いから分かりにくいかも知れないけど、実際は相当に過酷な環境だよね。」

愛原「陸上短距離も含めれば、ある意味、最も露骨に肉体改造が行われるスポーツでもあり、故にドーピングもしくはドーピングまがいの薬物も、過去には多く使用されていた。かつては使用OKだったが、現在は使用NGになったクスリもあるせいか、アメリカのジョイナーなどの記録は、現代では更新不可能な領域にある。設備や練習環境や科学的知見において、現代の方がはるかに恵まれているにも関わらず。」

逆沢「ドーピングのクスリのせいで、肉体が改造されすぎて、女なのに男みたいな体になったりとか、異常な短命になったりとか、当時の一流アスリートには色んな疑惑があるわね。ジョイナーさんも若死にしたんだっけ?」

愛原「陸上系は、クスリや肉体改造による影響を最も露骨に受けやすい事もあって、野球やサッカーを始めとする他競技と比較しても、非常に厳密にドーピング検査が行われるようになっている。逆を言えば、戦術だの技術といった要素よりも、個人の肉体的資質がはるかにものをいうスポーツという事でもある。」

逆沢「小学生にもなると、生まれつき勉強の出来る子とか、生まれつき足の早い子とか、色々いるんだなと感じさせられるだろうけど、本当に運動神経は、基本生まれ持った才能だと思うわ。努力したカメは努力しないウサギには勝てるかも知れないけど、自分と同じだけ努力したウサギには絶対に勝てないと肌で自覚させられる程度には。」

鼎「そもそも努力可能な量自体が、ウサギとカメでは全然違うよね。かつて王貞治さんは圧倒的な練習量で知られたけど、王さん以外の選手が別にサボリ症だった訳でなくて、王さんと同じ量だけ練習したら、肉体が耐えきれず故障するからできなかっただけで。」

愛原「陸上系の場合、頭脳戦や技術戦の要素がゼロとまでは言わなくとも、そのウエイトが非常に低い。元々、才能に秀でた者とか、肉体改造に成功した者には、凡人はどうあがいても勝てない。逆を言えば、一流の陸上選手ばかりが集まったような大会では、努力面では全選手が既に最大限レベルだろうから、後は個々人の肉体の限界量が勝敗を決めるといっても過言ではない。」

逆沢「肉体の限界をどれたけ引き出せるか? が、勝敗を左右するって事ね。現代ではクスリによる限界突破は余程バレないようにうまくやらないと難しくなってるけど、そうなると本当に肉体に秘められた限界の差が勝敗を分けるというか。」

鼎「まさしく【頼む!俺の肉体よ!もう少しだけ耐えてくれ!!】って心境だよね。肉体が壊れる限界ギリギリを模索しながら、全力で駆け抜ける光景というのは。」

愛原「短距離走の場合は、肉体が壊れるまでに決着がつく事が大半だが、長距離走の場合はオーバーペースで走れば途中でバテるのは当たり前だし、レース中に意識が飛んだり、脱水症状になったり、骨や筋肉や関節がガタガタになったりもする。とかいって、安全なスローペースで走ったら、ライバルにはまず勝てない。だからレース中でも、やはり自分の肉体の限界と相談しながら、ギリギリのラインで勝負せざるを得なくなる。」

逆沢「ある意味、F1レースと同じね。ライバルより早く車を走らせるには、できるだけアクセルを踏み込む必要があるけど、速度を出せば出す程、カーブを曲がれきれなくなったり、事故のリスクが高くなる。だからギリギリの速度を模索して走らざるを得ないというか。」

愛原「野球でもサッカーでも柔道でも、大抵の競技では、戦術や駆け引きといった頭脳戦の要素も高く、また常時肉体の限界に挑む必要も無いが、マラソン等に関しては、そうじゃないからな。単純に【限界に挑むのを止めた人間から、脱落していく】リスクから逃げた人間から、どんどん脱落していく。しかし限界に挑めば挑むほど、今度は命の危険も含めて、様々なリスクを多く背負う羽目になる。本当に危険と背中合わせの競技ともいえる。」

逆沢「マラソンって、実はそんなに怖い競技だったのか? 365日、肉体改造の為に激しい食事制限と過酷な練習を余儀なくされ、本番でも同様に故障と背中合わせの限界ギリギリで走らされるとか。」

愛原「健康目的という初心を忘れず、ほどほどにやってる限りは、ジョギング以上に体にいいスポーツは、多分ないと思うんだけどな。ほどほどにやってても、地道に適切なトレーニングを続けていれば、それなりに記録も伸ばせるし。」

鼎「そういえば先週に行われた女子実業団駅伝の予選(プリンセス駅伝)でも、意識が飛んで逆走を始めたり、疲労骨折状態で300mも這って襷を渡さざるを得なかったランナーが出たそうだよね。」

愛原「マラソンや駅伝で限界に挑めば、そういう事もある。意識が飛んで倒れ込んだりコースアウトするのも、脱水状態や疲労骨折などでまともに走れなくなったりするのも、色んな大会でたまに起きている。にも関わらず、過剰に反応するテレビコメンテーターやネットユーザーとかもいたようだな。」

逆沢「お前に言わせたら、その程度の事でいちいち騒ぐなって感じか?」

愛原「場合によっては、命とは言わなくても選手生命に関わる話なので、【その程度】なんて軽々しい事は言わない。しかし選手の気持ちをないがしろにして、安易に【棄権しろ】とか【危険だ】と騒ぐのも、どうかと思った。当該のシーンを差して【可愛そうだから映すな】みたいな意見もあったが、映さなければ映さないで【もっとちゃんと映せ。状況が分からないだろ!】と、騒ぐ奴らだらけになるだろうに、なに矛盾した事を言ってんだ?とも思った。」

逆沢「ま、それはお約束だから♪ 事故現場とかでも、ちゃんと映さなかったり、状況説明が足りなければ、詳細な情報を求めるくせに、悲惨な光景をありのままに見せたら、こんなもの映すなとか、こんな情報までさらされて可愛そうだとか言って、どっちにしても結局、マスコミ批判するのは。」

鼎「けど世の中の人は、割と【対岸の火事】というか、自分が巻き込まれないトラブルは大好物だよね。放送事故とか、想定外のハプニングとか、珍プレーとか。マスコミもそういうの分かってるから、イレギュラーな事が起こったら、割とそういう場面を重点的に映したがるというか。」

愛原「事故を面白おかしく取り上げる風潮の是非はともかく、情報が隠蔽されるよりは、どんな悲惨な事件・事故でも、詳細に正しく報道される方が絶対にいいと思うけどな。中途半端に情報を絞るから、野次馬が妄想をはかどらせて、【アイツが悪い】とか【こうすれば事故は回避できたはずだ】とか、いい加減な事をネットに書き込みまくる連中も余計に増える。」

逆沢「色々無責任な妄想をはかどらせていて盛り上がってる時点で、口先ではどれだけもっともらしい事を言ってても、完全にマスコミの術中にはまってるとも思うわ。視聴率もしっかり取れただろうし。」

鼎「這ってでもタスキをつなぐみたいなシーンは、すごく盛り上がる漫画的シーンでもあるし、第三者がどれだけ【危険だから止めろ】と言っても、主人公視点の当事者(選手)からすれば、逆に引けないような気もするよ。周りに無理矢理止められたら仕方ないけど、自分の意思で引くなんてあり得ないというか。だから悲壮ではあっても、感動のシーンにもなりやすいというか。」

愛原「ボクシングでも、ボクサー自身が試合途中で突然負けを宣言するなんてほぼあり得ない。だからレフリーストップ、ドクターストップ、セコンドによるタオル投入等による強制決着が、ルールに盛り込まれている。ボクサーにしろ、ランナーにしろ、限界に挑むような奴らは、まだ戦いも終わってないのに【痛いから、もうやめます。俺の負けでいいです。はい。】なんて事はまず言わない。というか人にやめろと言われてすぐに止めるような奴は、そもそも始めからリスクを犯してまで本気で限界に挑もうともしない。そんな本気で限界に挑む奴らにどうしてもやめさせたいなら、やめろと助言するのではなく、体を張ってでも、あるいは何らかの強制力を行使してでも、無理矢理止めさせるべきだろう。もっとも信頼関係もないのに無理矢理止めてしまった場合、絶交状態になってもおかしくないが。」

鼎「明らかに傷つきすぎてやばい状態のボクサーに対しては、【もう諦めろ】と、そのボクサーに助言するのでは無くて、レフリーやドクターやセコンドの権限で強制的にやめさせるべきという事だよね。」

逆沢「そう考えると、漫画の世界で限界に挑む主人公に対して【危険だ、やめろ!】と口で言ってるだけの仲間も、実はただの口先野郎って事ね。本気で主人公を止めたければ、力尽くで止めればいいのに、それをしないって時点で。」

鼎「飲酒運転をしようとしている友人に対して、口先だけ【犯罪だからやめろよ】と言いながら、結局最終的にそれを黙認して、あげくその車に同乗してしまうような無責任な友人キャラと同じだよね。【俺はあの時、止めた】というアリバイを作りたいだけの。」

逆沢「つまり漫画の世界で限界に挑む主人公に対して【危険だ、やめろ!】と口で言ってるだけの仲間も、主人公が失敗したり、酷い代償を払う羽目になった際に【俺はあの時、止めたはず】と言い訳する為のアリバイを作りたかっただけで、心の底では主人公の危険な行為に必ずしも反対でなかったという事かな?」

愛原「主人公が自らの危険を顧みず、限界に挑戦する事でしか、大ピンチを切り抜ける方法がないならば、仲間達も最終的にそれに賛同するしかないだろう。しかしその代償として、仮に主人公が肉体に致命傷を受けるのが確実だとすれば、【俺達の命を守るために、主人公が命を賭けて犠牲になれ】と言うのは、さすがにバツが悪い。だから口先だけでも反対する(+もちろん主人公がそれでも強行する事も期待して)事で、自らの罪悪感を打ち消そうとしたと言えなくもないだろうな。」

逆沢「始めから、くそ真面目な主人公なら【やめろと言ってもやめないはず】と織り込んだ上で、口先だけ一応やめろと忠告しただけとするなら、かなりセコい性格ね。その仲間キャラ。」

愛原「口先だけ飲酒運転反対といいながら、結局、泥酔人間の運転する車に乗り込む友人キャラと、中味は全く一緒だよな。そいつに運転してもらわないと家に帰れなくなるから困るけど、自分からそいつに運転するように働きかけると、最悪の場合、共犯になるから、一応、形だけ止めましたというアリバイを作るような奴と、発想が全く同じというか。」

逆沢「ひでえ。」

鼎「けど世の中には、そんな人も割といそうだよね。真夏の高校野球は過酷だからやめろという人も、多分そんな人が含まれてると思うよ。自分がやめろとネットに書き込んだからと言って、本当に夏の甲子園高校野球が中止になるはずがないと織り込んだ上で、【球児思いの優しいボク】を演じる為に、口先だけ反対してるみたいな。」

逆沢「高校野球嫌いの人が、体のいい高校野球叩きの根拠として使えるから、便乗してるパターンもあるだろうけどね。」

愛原「高校野球に限らず、ほぼ全ての高校の運動部で、夏休みの間に大きな大会が行われるんだけどな。インターハイとか。理由は簡単。学校が長期休暇中で部活動に注力しやすいから。バスケットボールや卓球のような室内競技であれば、クソ暑い体育館の中で。陸上系やサッカー部やテニス部などではクソ暑い野外で野球同様に。野球だけが熱中症がどうこういって非難される理由が、俺にはそもそも分からない。熱中症対策がどうこういうなら、全部活動に対して公平に対応されるべきだし、また現実的な対案で無ければならない。」

逆沢「現実的な対案というと、ドーム球場を利用なんてアイデアは金銭負担が大きすぎて非現実的だからアウトだし、とすると夏の暑い時期にスポーツをする事自体が間違いという結論にするしかないのか?」

鼎「東京オリンピックにしても、夏の東京で行う事自体がそもそもの間違いという意見があるけど、実は開催時期を変えるというのが、最も現実的な解決策だったという事かな? スポンサーファーストではなく、アスリートファーストを徹底するなら。」

愛原「オリンピックの場合は、高校の部活と違って、経済力が段違いだから、空調で補えるなら、問題ないけどな。まぁいずれにしろ、口先だけ反対しましたなんてのは、全く意味が無い。何の権限も無い我々ならともかく、森喜朗や小池百合子のような立場の者が、口先だけ【俺は反対(or賛成)したけど・・・】みたいな事を言っても、それは逃げ口上でしかないという事だ。」

逆沢「もしかして森喜朗。サマータイム構想も始めから失敗すると分かってて、アリバイ作りのために発言したのかねー? 【自分は夏の暑さ対策の為に努力しました】というアリバイ作りの為に。」

愛原「それは分からん。だが酷暑の中でのマラソンなどは、かなりやばい。競技の性格上、長時間にわたって肉体の限界に挑戦せざるを得ないのに、これに猛暑というネガティブ要因まで重ねられると、記録はもちろんだが、選手の体調にも著しい悪影響を与えそうだ。」

逆沢「周りの人間がどれだけ【危険だ、やめろ!】と口先で言っても、選手からすれば、やめる訳にはいかないからねー。【危ないからやめろ】と言われて【危なそうなので、じゃあやめます】と言うような人間がメダルを取れるような競技でも無いし。」

愛原「陸上に限らず、スポーツ自体、本気で取り組めば取り組むほど、危険と背中合わせとなる競技は多い。早く走れば走る程、激しくぶつかればぶつかるほど、より高い所から飛び込めば飛び込むほど、一歩間違えれば大惨事になる確率は高まる。しかしだからこそ、競技として成り立つから、本当に業が深すぎるとも思う。」

鼎「一種の【我慢比べ(エクストリーム)】だよね。」

逆沢「人間は、我慢比べが本当に好きだからねー。どれだけ長く徹夜できるか?とか。どれだけ熱湯風呂に長く浸かってられるか?とか。どれだけ猛暑の中でも運動を続けられるか?とか。どれだけ長くサービス残業できるか?とか。で、より過酷な環境で、より長く我慢できた人を讃えるみたいな。」

鼎「ある意味、安全第一と真逆の発想だよね。我慢比べというのは、どれだけ劣悪・危険な環境で長く我慢できるか?を競うものだから。」

逆沢「工事現場とかでは、絶対に許したらいけない思想ね。危険を競い合うような発想という意味で。」

鼎「けど工事現場とかでも、より危険な工事にトライする工員を讃えたり、より危険な運転(より早く荷物を運ぶために、過積載で荷物を運んだり、スピードを出し過ぎたり、睡眠不足でも長時間労働させたり)をする運転手を重用したり、納期に間に合わせるためなら手抜き工事でもなんでもやるような安全軽視の風潮は、割とありそうな気はするよ。口先だけの安全第一というか。」

逆沢「手抜き工事のエクストリームとか、して欲しくないわ。納期遵守と材料費軽減のために、バレるかバレないかのギリギリの限界ラインで手抜きするような形の限界への挑戦とか。」

鼎「【病気になるかどうか? 耐えきれず辞めてしまうかどうか?】のギリギリのラインで働かせるみたいな、【エクストリーム働かせ方】とかも嫌だよね。奴隷が根を上げるかどうかのラインを慎重に見極めた上で、可能な限り限界まで働かせるみたいなのも。」

愛原「アスリートの場合は、限界まで挑戦した上、それを乗り越えられた者だけに栄光が与えられる。もちろん限界に挑戦してしまったが為に、心身をボロボロしてしまう者が、その影には何倍もいたりするが。しかし労働者の場合、無理矢理限界に挑戦させられ続けたあげく、それで使い物にならなくなったらポイ捨てだからな。ある意味、昭和時代の共産圏国家のアスリートに対する扱いよりひどい。」

鼎「昭和時代の共産圏国家には、アスリートを国家の宣伝塔と位置づけて、彼らを専門の育成機関で徹底的に育て上げて、成功者に絶大な褒賞を与える代わりに、星の数ほどの脱落者を使い潰してきた印象があるけど、ブラック企業の場合は、平気で労働者を使い潰す割に、じゃあ月100時間残業とか、半月以上無休で働いたからといって、莫大な報奨金も出さないし、離職後の面倒もみない分、もっとタチが悪いよね。」

愛原「我々は、限界への挑戦に挑む人達を讃えがちではあるが、少し考え直した方がいいかも知れないな。それは決して美徳では無いぞと。」

逆沢「少なくとも、車の運転とかでは、絶対に限界への挑戦はして欲しくないわ。事故の確率が上がるだけで、社会にとっても大迷惑だから。限界への挑戦に挑んでる本人自身は、一秒でも早く荷物を届けられたとか、一キロでも多くの荷物を運べたとかで、大満足かも知れないけど、そんな無茶を続けられても、周囲からすればヒヤヒヤものだから。」

愛原「限界への挑戦という行為そのものが、そもそもリスクを背負った危険な行為そのものでもあるからな。もちろん社会として、ハイリターンを得る為にハイリスクを背負わなければならない局面はそれなりにあるのだが、逆を言えば大した見返りも無いのに、軽い気持ちで行って良いものでも無い。まして限界への挑戦が当たり前になるようだと、かなりヤバい。【今日まで無事だったから、明日以降も無事に違いない】なんて思い込みだけで、限界への挑戦を行うのは極めて愚かだ。」

鼎「全財産賭けてギャンブルを続けたら、たとえ勝率99%でも、いずれ一文無しになるようなものだよね。」

愛原「健康管理の基礎として最も推奨されがちなジョギングですら、加減を間違えると、普通に故障したり、最悪死んでしまう。生き残るために絶対に必要とか、大きなリターンを得る為に必要とかいうなら分かるが、限界への挑戦なんてのは、覚悟も準備も知識もない状態で、軽い気持ちでやってはいけない。またそういうのを他人に勧めてはいけない。」

鼎「漫画の主人公が限界への挑戦でそれなりに上手くいくのは、大ピンチの時とか、クライマックスとか、ここぞの時だけしか使わないというのもあると思うよ。あとリスクに対する覚悟がしっかりできてるのもあるだろうし。」

逆沢「凡人は、【多分、何とかなるだろう】みたいな楽観論で挑むだけで、本物の覚悟とは程遠いだろうしね。凡人が主人公を真似て同じ危険を冒しても、そりゃあ失敗するのは当然の気もするわ。」

愛原「まして限界への挑戦を、我慢比べのような娯楽視点で行うのは論外だ。生命の危険とまではいかなくとも、心身に害悪のある我慢比べなんかは、面白半分でやるものではない。そして自身のお金儲けの為だけに、他人に我慢比べを強要するのはさらに醜い。」

逆沢「自身の達成欲や名誉欲の為に、自分の意思で進んで限界への挑戦に挑むのならまだしも、国家の意思とか、経営者の意思とか、他人の意思で人に無理矢理我慢比べをさせる奴は最低だと思うわ。」

鼎「国家とか企業は、一部の成功者や生き残りだけにスポットを当てて、競争心や射幸心を煽ったりしたがるけど、こういう【生存者バイアス】をさらに強化するような真似はやめて欲しいよね。リスク管理という意味でも、【限界に挑んだけど上手くいかなかった人達】にこそ、もっとスポットを当ててもいいというか。」

逆沢「【俺はいつも重量オーバーで走ってるけど、事故った事も捕まった事もない!】みたいなトラック運転手とか、【俺は毎月100時間以上残業させてるけど、それで過労死した部下なんて一人も居ない】みたいなブラック管理職は、人に迷惑かけないように早く死ねと言いたくなるわ。そんな安全軽視のエクストリーム自慢なんか聞きたくないと。」

愛原「スポーツの世界は、基本競争だから、過度に安全を言い出すと、競技が成り立たなくなるので、無理矢理させるとか、人の道に外れるとかでなければ、門外漢の人があまり騒ぐ程の事はないだろう。門外漢の商業主義の連中とか、いい加減なテレビやネットのコメンテーター達が悪い方向にねじ曲げなければ。しかし学校の部活とか、本来、個人的な趣味の領域に過ぎないはずのもので、安全が軽視されるようなのはあってはならない。柔道の必修化なんてのは論外だ。」

逆沢「柔道はシロートがやるには危険の多い競技だし、シロート相手に指導する先生の質が相当に良くないと、絶対ヤバいわ。少なくとも先生の見ていない所で勝手に技の掛け合いをするような生徒が絶対に出ないようにくらいは指導できないと。」

鼎「普通なら数年かかる柔道の黒帯資格(有段者)が、体育教師の場合、わずか数日の研修で取れるみたいなニュースもあったけど、そんな即席黒帯の先生に柔道を指導されたくないと思ったよ。即席でも急いで黒帯をばらまかないと、必修科目である柔道が学校で教えにくくなったら困るという特別な配慮なのかも知れないけど。」

愛原「柔道に限らず、格闘技系は、余程きちんと教えないと、障害者を量産する事になるからな。大体の場合、悪ふざけをする生徒と、そういう生徒に厳しく目を届かせようとしない怠慢教師の連帯加害行為によって、そういう悲劇が起こるのだが。あとは体格差や力量差を考慮せず、機械的に対戦相手を組むような怠慢教師の加害行為によって。あと【キチガイに刃物】じゃないが、悪ふざけや示威行為で人を傷つける怖れのある人間に、武術の類いは絶対に教えてはいけない。たとえ安倍政権が柔道や剣道を必修化しようとも。大体、柔道などの技術なんか、特定の人間以外、社会で使用する事も無いのだから、未履修でも全然構わないのだ。名目上は必修であっても。」

鼎「スポーツは本当は楽しいものだけど、それを無理矢理やらせたり、優劣評価の対象にするから、全然楽しく感じなくなっちゃう生徒もでちゃうんだよね。」

愛原「楽しくないと、競技に取り組む際の真剣さも無くなる。真剣さが無くなれば、ちょっとした事で事故や怪我にもつながりやすくなる。まさしく悪循環だ。健康のためどころか、不健康を量産しているといってもいいくらい。」

逆沢「学校の部活でも、猛暑の中、罰ゲームのランニング校庭10周みたいなものを命令するような、キチガイ教師もいるようだしねー。不健康になるだけだろ。何の為の部活やねんと。」

鼎「ウサギ跳びもそうだけど、エクストリームさせる事で根性を鍛えたいと考えているのかも知れないけど。」

愛原「スポーツは根性でやるもんじゃねぇ。達成欲とか満足感を求めてやるものだ。中年の市民ランナーとかで、根性を鍛えたいからという動機で始める奴なんかほぼいない。痩せたいからとか、運動不足を解消したいからとか、ちょっとカッコいい自分になりたいからとか、もっと我欲に満ちている。」

逆沢「ま、市民ランナーで、罰ゲームで仕方なくやらされているなんて奴、まずいないだろうとは思うわ。」

鼎「趣味を仕事にすると全然楽しくなくなるという人も聞くけど、スポーツは本来趣味の領域だよね。やらされる観が強まると、全然楽しくなくなると言うのはすごく分かる気もするよ。」

逆沢「自分がやりたいと思ってやる分には、すごく楽しくて集中力も高まるんだけどね。勉強の苦手な人でも、自分の好きな漫画の知識に関しては、【こいつ天才か?】って思えるくらいにやたら物知りである事も多いし。結局、その人は頭が悪いんじゃ無くて、やる気の有無によって記憶力も集中力も大きく変わるだけだったというか。」

愛原「漫画の主人公が困難な任務を達成できてしまうのも、使命感というかやる気のようなものが、きっと段違いなんだろうな。だからモブの悪役が真似たら絶対に失敗するようなミッションでも、常人離れした集中力などで成功させてしまうというか。」

逆沢「【限界への挑戦】なんてものは、本気でやりたい者だけが挑戦する価値があるものだとも、改めて感じたわ。そしてそういう本気で挑戦したい人を止めるのも、決して簡単ではないという事も。また生半可な意欲や覚悟しかない者が挑戦しても、上手くいかなくて当然という事も。」

鼎「まして人に命令して、やらせるような質のものでもないという事だよね。不幸な犠牲者を大量に生産するだけにしかならないから。」

愛原「一般の仕事で安全第一が謳われるのも、そう考えたら当然だな。仕事は基本的に生活のための手段であって、目的ではない。手段だから仕方なくやるだけなのに、高い集中力や意欲を要求させられる危険行為をやらせたら、より危険になるからな。」

逆沢「世の中には、カッコいい自分を見せるために、率先して危険行為に挑戦したがるお調子者もいるけど。」

愛原「その危険行為が他人を巻き込んだり、深刻な被害を与えかねないものなら、口先ではなく全力で止めるべきだろう。口先だけ反対して、実は内心でハプニングショーに期待しているみたいな輩になってはいけない。仮にそいつの挑戦行為に期待しているなら、その危険行為が惨事に至らないように、むしろできるだけ成功率が高まるようなサポートをしてあげてこそ、本当の仲間のような気もする。」

逆沢「そいつが例えば新記録を狙っているなら、新記録を達成できるようにサポートしてあげてこそ、仲間ってか。口先だけやめろといって自己保身に走るのではなく。」

愛原「逆に本当に危険だと思ったら、嫌われる事も怖れずに、タオルを投げ入れてでも、あるいは力尽くで羽交い締めにしてでも止めるべきだ。信頼関係がちゃんとできてれば、タオルを投げ入れようが、自動車の鍵を奪って飲酒運転を阻止しようが、最終的には分かってもらえるはず。信頼関係が出来てなければ、一方的に恨まれるだけかも知れないが、それでも後で後悔したくなければ、止める勇気を持っていてもいいだろう。」

逆沢「限界への挑戦というのは、挑戦する当事者だけでなく、周りの人間の判断も重要って事ね。無責任な野次馬根性で、安易に【やめろ】と阻止に動いていいものでもなく、逆に無闇に煽っていいものでもないと。」

愛原「本人が強い達成欲などをもって自発的に挑戦してるのと、他人にエクストリームを強要されているだけの状態も、明確に区別する必要があるな。行われているのが不毛な我慢大会であれば、やらせている側がどれだけ根性論を振りかざしても、毅然と非難すべきだ。インパール作戦で根性を鍛えたあげたところで、不幸な犠牲者しか産まないからな。やらせた側のサディズムが満たされるだけで。」

鼎「前向きな限界への挑戦と、不毛なエクストリームも、明確に区別すべきって事だよね。」

逆沢「【痛みに耐えてよく頑張った】人は美しいかも知れないけど、その痛みで何が得られたかも大事って事ね。痛みに耐えた本人が(洗脳とかでなく)ガチで満足しているなら、外部の人間がとやかく言ってやめさせる必要も非難する筋合いもないだろうし。逆なら美談で片付けず、きちんと非難しろよと思うし。」

愛原「周りへの影響も大事だな。たとえばトラックの運転で限界への挑戦とかやられたら、無関係の市民が惨事に巻き込まれる事もある。また成功者や成功例だけを見ず、挑戦の代償にももっとスポットを当てるべきだろう。」

逆沢「ま、代償の部分にちゃんとスポットを当てられたなら、インパール作戦も、出口のない異次元緩和や株価つり上げのようなのも、始めから行われなかっただろうけど。」

愛原「代償をしっかり理解した上で挑むなら、それなりの覚悟も対策もできるだろう。そしてそれらができていれば、成功率自体も結果として高まるし、失敗した際の被害も抑えられるだろう。そこが根拠のない楽観論だけで限界に挑むモブと、主人公のような英雄の最大の差ともいえなくもない。」

鼎「限界への挑戦って、始めはただの運試しかバクチかと思ったけど、実際は主人公は、勝つべくして勝ったという事かな? 覚悟も、集中力も、代償への理解も、もちろん生まれもった才能の部分も含めて、全てにおいて凡人と全然違うという意味で。」

逆沢「無責任な楽観論とか、他人に言われて仕方なくみたいな気持ちで挑戦すれば、上手くいくものでも上手くいかなくなるし、逆もしかりって事ね。」

愛原「痛みに耐えてよく頑張ったから美しいというのではなく、周りの者もその過程や背景をもっとよくみた上で、是非を判断すべきなんだろうな。どれだけ痛みに耐えて頑張っていても、単なる無謀、単なる楽観、単なる無責任、単なる自暴自棄などが背景にあれば、それは美談にしてはいけない類いだろうし。惨禍を招きそうなら、それは絶対に阻止すべきだろう。逆に応援してあげたいものあるだろうし。少なくとも憶測や、その場の感情だけで叩いたりするような例はあって欲しくない。」

逆沢「だったら正しい反応をするためにも、正しい情報はやはり必要ね。たとえ悲惨な内容であっても。」

愛原「限界への挑戦なんてものは、成功者の影に無数の失敗者がいる訳だから、真面目に情報を出したら、相当にネガティブなものになりやすいのだが、これは仕方ない。成功例とか、美しい絵になるシーンばかりを取り上げたら、それこそ悲惨な戦争が、カッコいい戦争に美化されて、より悲惨な結果しか産まないようなもので。というか代償を正しく理解する事が、挑戦する事になった際の成功率も高められる訳だから、それはもっと肯定されるべきなのだ。逆に、不都合な真実を見て見ぬ振りするして、勇ましい事だけをいうような奴は、周りを勇気づける存在にみえても、最終的には惨禍を招く元凶にしかならない。」

逆沢「リスクから目を背けず、代償も全て理解した上で、それでも挑む勇気と覚悟と能力のある者こそが、限界への挑戦にふさわしい人間という事ね。」













過去のたわごと 
 2018年     10月14日 「弱者=守られるべき善人」でない場合
9月30日 脅しによる支配 9月17日 信用できない情報だらけの社会の場合
9月2日 太鼓持ち 8月19日 連続攻撃
8月5日 信用スコアに支配された社会 7月22日 内通者
7月8日 人件費コスト管理ゲーム 6月24日 忠義者キャラ
6月10日 欠陥つき有能キャラの処遇 5月27日 邪悪な独裁者に支配された組織のメンバーの挙動
5月13日 邪悪な独裁者が健全な組織を乗っ取る方法 4月29日 論破
4月15日 正義の味方という名の制裁者 4月1日 平気で嘘をつける人たち 
3月18日 公正世界仮説 3月4日 被害者叩き 
2月18日 政治力 2月4日 統率力 
1月21日 優秀すぎるライバルが現れたとき  1月7日 素性を表す記号としての肩書き
2017年 12月24日 フリゲの雑談  12月10日 賤民階級
11月26日 個性づけとしてのパラメータ 11月12日 宿敵宣言
10月29日 大同団結 10月15日 品質について
10月1日 華麗な策略、汚い策略。その違い 9月17日 平等主義と反平等主義
9月3日 ファン型オタクとマニア型オタクの違い 8月20日 ツイッターの利点と問題点 
8月6日 大抜擢された人材 7月23日 誇りと傲慢
7月9日 傲慢とマウンティング 6月25日 権威を利用するナイトども
6月11日 悪事プレイ(のススメ) 5月28日 異界人(宇宙人)の干渉
5月14日 集団の思考ルーチン 4月30日 人間っぽさ=非効率的な思考ルーチン
4月16日 名声欲 4月2日 無言の圧力と忖度
3月20日 ロスト・ハイ・テクノロジー 3月5日 破壊神の信者
2月19日 一人称形式で見える視野の範囲 2月5日 歴史的人物の当時の評価
1月22日 未来予測 1月8日 人相見(人物鑑定)
2016年 12月25日 商業レビュアー 12月11日 成長戦略の目玉としてのカジノ
11月27日 パニック 11月13日 生存ゲーム的なシチュエーション
10月30日 強敵感 10月16日 感情移入という視点からのキャラクターメイク
10月2日 供給過剰社会 9月18日 血筋
9月4日 統一されるべき尺度 8月21日 暑さと寒さ
8月7日 (優秀な)下っ端 7月24日 超便利社会=超疲弊社会
7月10日 社会的弱者を量産し、彼らを悪の先兵に誘う者  6月26日 少子化社会という舞台
6月12日 有事法制(緊急事態における法のあり方) 5月29日 悪のセレブサロン 
5月15日 成功者が成功後にやりたいと思うこと 5月1日 ゲーム世界とリアル世界の違い
4月18日 過去に戻ってやり直すということ 4月3日 八百長 
3月20日 異邦人(外国人労働者) 3月6日 陣形
2月21日 功績泥棒 2月7日 三国志13をプレイ
1月24日 裏切り者 1月10日 善政家
2015年 12月27日 精神〜命よりも大切なもの 12月6日 独立戦争 
11月23日 ジャーナリスト 11月8日 精神力 
10月25日 優しい指導者  10月11日 助けを求める人たち 
9月27日 兵站 9月13日 善玉が起こした悪事や不祥事
8月30日 カイゼン 8月14日 盗作・ゴースト
8月2日 表稼業 7月20日 正論を用いない説得工作
7月5日 ディストピア 6月21日 財政破綻
6月7日 防諜 5月24日 サイコパス
5月10日 戦犯 4月26日 ハト派とタカ派
4月12日 不遇な先駆者 3月29日 プロギャンブラー(バクチで生計を立てる人)
3月15日 世界の管理者という名のラスボス 3月3日 命令コマンド
2月15日 攻略本・攻略サイト 2月1日 お遊びコマンド
1月18日 精神異常状態 1月4日 NPCの選択判断ルーチン
2014年 12月14日 男女キャラクターの比率 11月30日 不安と安心の役割
11月16日 現実主義者の正体 11月3日 アイテムゲット
10月19日 真相にたどり着けない者 10月5日 挫折
9月14日 嫌いだけど素晴らしい人達 9月7日 売れている作品と面白い作品の違い
8月24日 援軍 8月3日 ブラゲとパケゲ
7月20日 根性論と科学的知見に基づいた肉体改造 7月6日 ディスリスペクト(軽蔑・disり)
6月22日 あやかり系主人公 6月8日 中毒
5月25日 箱庭ゲーム 5月11日 ダブルスタンダード
4月20日 偽りの理想郷 4月6日 防御力
3月23日 自分用ゲーム作り 3月9日 育成する指導者、選別する指導者
2月23日 忠誠 2月9日 変化するキャラクター
1月26日 一芸職人VS器用貧乏 1月11日 評判
2013年 12月23日 身分制度 12月8日 陰謀
11月24日 秘密 11月10日 努力が報われるゲーム
10月27日 ゲームの自由度について 10月13日 出来の悪い二代目
9月29日 怒り 9月15日 撤退戦術
8月30日 ヒール(悪役) 8月15日 覆水盆に返らず
7月28日 予知・予測 7月13日 かつてのヒーロー
6月30日 覚醒(新能力発現・急成長) 6月15日 犠牲
6月3日 単独開発 5月19日 ダメ人間
5月5日 悪徳宗教を必要とする人々 4月21日 悪の連帯責任
4月7日 3種類の立場からみた作品批評 3月24日 中立性を装った愚痴・悪口など(仮)
3月10日 人気対戦競技の条件 2月24日 幻想空間
2月10日 お金 1月27日 尊敬できる敵
1月13日 やる気・気合 12月29日 ルール
2012年 12月15日 厨二病 12月2日 売れ筋
11月17日 改心 11月4日 議論
10月21日 優秀な人材の起用・登用方法 10月7日 憎しみにとらわれた人達
9月22日 友情やコネによる人事起用の危うさ 9月8日 権力欲に取り憑かれた人達
8月19日 敗北の受け止め方〜捲土重来を期すために 8月5日 作者(表現者)が作品を通じて伝えたい思い
7月29日 人が自ら死(自殺)を決意するとき 7月15日 選択肢を選ぶことによる覚悟(リスク)
7月1日 選択肢があるということ 6月16日 宣伝と人気
6月2日 ホンネとタテマエ 5月19日 コンプガチャに学ぶ確率論とイカサマの話
5月6日 鑑識眼 4月30日 平等と競争
4月14日 公務員ヒーロー 4月1日 SF設定
3月18日 情報収集 3月3日 原発考察
2月19日 プライド 2月5日 お笑い
1月22日 ラスボスの処断方法 1月8日 創造→創作
2011年 12月30日 独裁者 12月9日 二次創作品
11月27日 万人向けからマニア向けの時代へ 11月13日 無敵能力の人たち
10月29日 正式名称 10月15日 利の人、情の人
10月3日 ポジティブ・ネガティブ 9月16日 利権
9月3日 借金 8月21日 何も変わらない事の恐怖
8月5日 発信したいオタクと共感したいオタク 7月25日 戦う地方、媚びる地方
7月17日 充電期間 7月10日 ひとそれのアンケート結果
7月2日 供給過剰気味のゲーム(&娯楽) 6月21日 東日本大震災3
6月5日 上司に反発 5月21日 修正する度量
5月14日 挑戦する勇気 5月1日 調子
4月17日 専門スキル 4月3日 東日本大震災2
3月18日 東日本大震災1 3月5日 ネトウヨと不良キャラの共通点
2月19日 信用ラインと警戒ライン 2月5日 信じられない者ばかりの世界観
1月23日 武器を交えない戦争 1月16日 しゃべらない主人公
1月7日 異世界に飛ばされた凡人 12月25日 後ろ向きな嫉妬心
2010年 12月19日no2 人それのゲーム難易度 12月19日no1 社会人型キャラ
12月11日 新作公開してから一週間 12月5日 新作ゲーム紹介
11月20日 理想と現実 10月29日 新作公開予定
10月18日 派閥 10月1日 仲間
9月19日 キャラクターイメージ 9月6日 理想を持った人間。そうでない人間
8月21日 革命後 8月8日 長編のオチのつけ方
7月24日 勇者は世直しができるか? 7月10日 全力集中プレイと長期戦略プレイ
6月27日 RPGのチームバトル 6月13日 傭兵団
5月29日 相手の思考をよんでみよう 5月14日 扇動する者、される者
5月7日 こっそりアンケート設置お知らせ、ほか 5月3日 地方を主人公の舞台にしてみよう
4月17日 コンピュータは人間を上回れるか? 4月2日 政権交代から6ヶ月が過ぎて
3月22日 フィクション 3月12日 困ったパーティメンバー
2月21日 責任 2月6日 教育
1月23日 トップダウン式製作とボトムアップ式製作 1月10日 ゲーム作成スタッフ
2009年 12月25日 政権交代から3ヶ月が過ぎて 12月12日 血液型
11月29日 編集日記・編集後記 11月14日 AVG(+SLG)制作中
10月31日 シナリオ 10月18日 ゲーム作りで完成までこぎ着けるためには2
10月3日 オリジナル 9月19日 ゲーム作りで完成までこぎ着けるためには
9月6日 実在モデルをどこまで採用できるか 8月24日 素材?
8月14日 今時の報道スタイル 8月8日 ユーザーサポートにメールを送ってみました
7月25日 恋愛シミュレーション2の魅力? 7月11日 人気と実力
6月27日 打ち切り 6月19日 エロゲ規制強化の流れからみるゲーム考
6月6日 貴族階級 5月23日 悪の戦闘員
5月10日 異なるキャラクターの視点でみてみよう 4月24日 強者がますます強くなる・・・
4月11日 ゲームエディタ 3月29日 愛郷心
3月22日 匿名ネット社会 3月6日 暗躍する超能力者たち
2月22日 信者キャラ 2月15日 必殺技
2月1日 アンチヒーロー(悪役型英雄) 1月23日 カタストロフィーを未然に阻止しよう
1月16日 フェアな戦い 1月3日 あれから幾年後
2008年 12月28日 国盗りSLGの景気対策 12月20日 現実世界をゲーム化してみよう
12月5日 内部対立 11月29日 推理もの??
11月22日 悪人とも言い切れない罪人 11月7日 正史
10月31日 萌えない女性キャラ 10月18日 関西弁
10月5日 大阪 9月21日 避けられない強大な敵
9月7日 人気・魅力・カリスマ 8月29日 黒幕
8月23日 運と実力 8月9日 COMの思考ルーチン
8月3日 新シナリオ「HeiseiNippon」公開 7月19日 軍師
7月5日 各国の思惑を構成するもの 6月21日 催眠術
6月7日 和解 5月24日 知恵者
5月16日 千年生きてみよう 5月3日 生き残ることと勝ち残ること
4月18日 冷酷な指導者 4月5日 お金の使い道
3月15日 若さ 3月7日 性能と運用
2月29日 アンケート現況発表(質問2について) 2月22日 広報戦略
2月10日 差別 1月27日 敵のスペック

1月13日 神の加護、神聖魔法 12月30日 フリーゲームのレビュー
2007年 12月16日 国盗りゲームのパターン 12月1日 謎について
11月16日 ゲーム世界での対人設定2(その他視点) 11月3日 ゲーム世界での対人設定1(味方視点)
10月20日 レジスタンス勢力 10月5日 終盤〜エンディング
9月21日 世襲について 9月8日 悪役(ヒデブ派5隊長など)
8月24日 確率について 8月10日 セーブ&ロード
7月27日 成長について 7月15日 SRPGにおける白兵部分のゲーム的処理
6月30日 SRPGのマップのシステム 6月17日 徴収と略奪
6月2日 兵科あれこれ 5月19日 理想の君臣関係
5月4日 経済力うんぬん 4月21日 戦略ゲームと戦術ゲーム
4月6日 公開情報と非公開情報 3月24日 個人戦用の武器等
3月9日 兵士の武器 2月25日 ゲーム作りとゲーム遊び
2月11日 少数派(属性持ち)向けゲーム 1月28日 バージョンアップ

1月13日 宮田軍にてこ入れ? 12月30日 フリーゲームの宣伝
2006年 12月15日 投票・アンケート 12月1日 最強の敵
11月18日 動かしやすいキャラと動かしにくいキャラ 11月4日 デバッグ
10月22日 現代・近未来ものについて 10月6日 趣味の社会人クリエイター
9月15日 新作?の状況について 9月8日 BGMについて
8月27日 登場人物の口語表現 8月12日 女性キャラ
7月28日 主人公選択式ゲーム 7月16日 マイサイトについて
7月2日 死について 6月17日 風刺について
6月2日 シナリオタイプあれこれ 5月19日 ゲーム作りの進め方について
5月5日 ゲーム作りを始める時について 4月21日 高能力キャラの表現方法
4月8日 悪い敵 3月31日 名前について
3月18日 伝え方と伝わり方 3月12日 キャラクターのプロフィールについて
3月5日 アマとプロによる基本プロット考 2月25日 自作CGについて
2月19日 著作権について 2月12日 バックグラウンドの設定について
2月5日 SRPG95の次回作に対する期待 1月29日 分岐と自由度について
1月22日 難易度について 1月15日 勢力別能力値考察
1月8日 主人公について 1月1日 ユニットの能力値をどういじるかについて
2005年  12月30日 12月23日 12月16日 12月9日 12月2日 11月25日 11月18日 11月11日 11月5日 10月31日















トップページに戻る